サイクロプスの眼〜その7

中は相変わらずの暗闇だった。


先頭を行く風間の足取りに迷いは無かった。

三度目ともなれば、多少の物音も気にならない。

恐怖心より、再び怪異と遭遇する事への期待の方が優っていた。


「大丈夫か?香澄」


二番手を歩く羽賀根が、そう言って振り返る。

最後尾に追従する香澄が、微かに笑みを浮かべる。

血の気の無い顔だが、足元はしっかりしていた。


目的の女子トイレの前で立ち止まり、フッと息を吐く。

風間は後ろの羽賀根に頷くと、静かに足を踏み入れた。

たちまち白い粉塵が立ち上る。


「始めるぞ」


風間はひと言発すると、前回と同じ位置に立った。

バッグから脚立を取り出し、定点カメラを準備する。


ウウっ……


聴き覚えのある唸り声が耳に響いた。

奥の個室の辺りが、薄っすらと明るくなっている。

反射的に振り向くと、羽賀根が不思議そうに首をかしげた。


「どうかしたか?」


何事も無かったように、問いかける羽賀根。


再び向き直った風間の目に、これもまた見覚えのある光景が映った。


薄明るい光の中、不気味に蠢く巨大な黒い影──

その頭部には、ひときわ輝く眼が一つ──


喉元まで出かかる歓喜の声を抑え、風間はカメラに手を伸ばした。

もはや、羽賀根に確認する余裕も無かった。

レンズを覗き込んでも、怪物の姿は消えずに視認できる。


間違いない!


コイツは……この怪物は、確かにここにいる!


カメラを操作する手が震えた。

レンズの向こうで、怪物はゆっくりと片腕を振り上げた。


この光景……どこかで……!?


前回の記憶が、走馬灯のように脳裏をよぎる。

アッと声を上げるのと、頭に激痛が走るのと同時だった。


暗い、暗い、深淵の闇の中……


自分の体が、浮遊しながら落ちていくのが分かった。



************



風間かざま典昭のりあきが、再び入院したという情報はすぐに流れてきた。

前回同様、廃墟探索の最中に倒れ、同行していた羽賀根によって運び込まれたのだ。

ただ今回違っていたのは、風間の意識がいまだ戻っていないという事だった。

裂傷は無いものの、後頭部をかなり強打しており、ICUにて予断を許さない状況が続いている。


大学側への説明は羽賀根が行った。

例によって、廃墟探索の最中に突然後ろ向きに倒れ、床の廃材に頭を打ち付けたというのだ。

風間が廃墟探索の動画配信を行なっている事は、大学側もすでに確認済みだった。

そして前例がある事から、今回も体調不良による事故と結論付けられた。



「まさか、同じ廃墟とはな……」


意味深な台詞を吐きながら、私は大学の通路を進んだ。

風間の見舞いに病院におもむいた後、情報工学科の研究室に向かうところだった。

クイーンとドイルが横に並び、一歩遅れてクリスが付き従う。

うつむきがちの少女の顔は、暗く沈んでいた。

生命維持装置に繋がれた風間の姿が、相当ショックだったようだ。


「謎解きが間に合わなかった……すまない」


私は立ち止まると、クリスに向かって詫びを述べた。

その憐憫れんびんに満ちた声色に、全員が驚きの視線を向ける。

まさか、私がそんな台詞を吐くとは思わなかったようだ。


「そんな……」


少女は目に涙を浮かべ、首を左右に振った。


「私の方こそ……皆さんを……巻き込んでしまって……ごめんなさい」

「何言ってんの!」


辿々たどたどしく謝罪するクリスの言葉を、クイーンが声高に遮る。


「私たち仲間じゃない。力を合わせるのは当たり前でしょ」


そう言って、クイーンは少女の頭に優しく手を置いた。


「そうだよ!【異常心理学研究会】の絆は、山よりも速く、海よりも強く、高いビルもひとっ飛び……」


慌ててドイルも賛同の声を上げる。


「ちょっとそれ、スーパーマン混ざってない?無茶苦茶よ」

「え、あ、し、しまった!?」

「ぷーっ!」


ドイルとクイーンのかけ合いに、たまらず吹き出すクリス。

幾分和らいだ表情には、赤みが増している。


「ありがとう……ございます」


やっと笑みを浮かべた少女を見て、クイーンとドイルもホッとしたように顔を見合わせた。


「この事件を今回のテーマと決めたのは私だ。決めた以上、後に退くつもりは無い。何としても、全ての謎を解いてみせる」


力強い私の言葉に、三人が同時に頷く。

どの目にも、新たな決意の色が浮かんでいた。



************



研究室では、羽賀根が一人パソコンに向かっていた。

私たちの姿を見ても特に驚いた様子は無く、無表情で会釈を返してきた。


「やあ、君らか……何となく、また来るような気がしてたよ」


挨拶とも皮肉ともとれるような口調で言い放つ。

私は風間の見舞いに行って来た事を告げた。


「そうか。ありがとう……まさか、またあんな事になるとは思わなかった。体調も戻ったと言ってたし、今回の探索もとても楽しみにしてたからね……ただ、僕も配慮が足りなかったのは確かだ。その点は反省している」


そう言って、羽賀根は悔しそうに顔を歪めた。


「実はその事について、アナタにご意見を伺いたいと思いやって来ました」


「ご意見?」


私の言葉に、羽賀根はいぶかしげな表情を浮かべた。


「単刀直入に言いますが……我々は、風間さんが怪物を目撃したのはだと考えています」


それを聴いた羽賀根の顔に、見る見る嘲笑の笑みが浮かぶ。


「全く何を言い出すかと思えば……残念ながら、僕も香澄もそんなものは見ていないし、物音一つ聴いてはいない。どう考えても、アイツの錯覚である事は明白だよ」


あざけるような口調で反論する羽賀根。


「ぜひ、見て頂きたいものがあるのですが……」


その言葉を無視し、私はクリスに目配せした。

少女は頷くと、バッグから小さなタブレットを取り出し、皆に見えるように抱えた。


「実は、我々もあの廃工場に行ってみたのです。そしてある可能性に気付きました。女子トイレの粉塵、扉の壊れた個室、風間さんが目撃したボンヤリとした光……これらからある仮説を立て、先日その実証実験をしてみました。それが、これです」


私の合図で、クリスがタブレットを起動させる。

モニターに現れたのは、低温試験室でのプロジェクターを使った実験を録画したものだった。

白い粉塵に投影された黒い影を見た途端、羽賀根の顔から笑みが消える。

食い入るように見つめる目には、明らかな興奮と動揺の色が見てとれた。


「この方法を用いれば、あの暗闇で怪物を出現させる事は可能です。勿論、事前にあの場所にセッティングしておく必要はありますが……」


私はそこで言葉を切ると、じっと羽賀根の様子を眺めた。

緊張で赤らんだ顔が、次第に元に戻り始める。


「……まあ確かに、興味深い仮説ではあるが……」


フウッと息を吐き出すと、羽賀根は肩をすくめてみせた。


「でも、やはりあり得ないな。悪ふざけにしては手間がかかり過ぎるし、やったヤツに何のメリットがあるのかも理解できん。それに何度も言うが、僕らはそんな怪物は見ていないんだ。結局のところ、その事実が全てじゃないのかね」


羽賀根の顔に、再び笑みが浮かぶ。

その鋭い眼差しは、自身の論拠が揺るぎないものである事を誇示していた。


「確かにそうですね。しかしながら、この実験と同様の手法がとられた可能性がゼロでない事も確かです……そこで、どうでしょう」


そう言って、私は静かに羽賀根の顔を覗き込んだ。

ここからが、勝負である。


「最初に風間さんが怪我をした時の動画を観せて頂けませんか?いや、決してアナタの言葉を信じない訳ではありません。ただ、百聞は一見にしかずとも言いますので……」


「いや、それは無理だ。サイトにアップする前の確認も済んでいないものだから」


取り付く島もなく即答する羽賀根。

厳然たる口調には、反論を許さぬ響きがあった。


「そうですか……それは残念です」


そう言って、私は肩をすくめ首を左右に振った。


「もしその動画で確認できれば、これが単なる事故と認めざるを得なかったところですが……こうなれば、やむを得ません。我々が行った検証実験を動画サイトに公開する事にします。あの廃工場の怪現象の可能性として発信すれば、試聴者から何か情報を得られるかもしれません。うまくいけば犯人の目にとまり、何らかの反応があるやもしれませんし……」


その言葉の効力は絶大だった。

羽賀根はすぐに憤然とした表情で、私の顔を睨みつけた。

だがすぐさま、あきらめたように肩を落とした。


「……分かったよ」


そう答えると、羽賀根は再びパソコンに向き直った。


「僕の負けだ。そんなもの公開されたら、これまでの探索動画も偽物だって批難されかねない」


キーボードを叩きながら吐き捨てる羽賀根。


ほどなく、モニターに幾つかのファイルが表れた。

その内の一つをクリックすると、画面全体が映像に切り替わる。

羽賀根が、どうぞとばかりにパソコンから身を引いた。

私たちは近付き、食い入るように覗き込んだ。


そして、動画再生が始まった。

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