サイクロプスの眼〜その6

理学部の研究室に入ると、私は近くにいた男性に手を上げた。


「すまないが、少し借りるぞ」


白衣を着たその男性も手を上げる。

私は、そのまま真っ直ぐ奥まで進んだ。

クイーン、ドイル、クリスが、その後に続く。


向かったのは、突き当たりの窓の無い扉の前だった。


「ここは?」


ドイルがいぶかしげに尋ねる。


「低温試験室だ」


それだけ答えると、私は扉を開け中に入った。


十平米ほどの室内は、厚い皮膜のような壁で囲まれていた。

計器類のついた数台の機材の他は、作業台が一つあるだけだ。


「クリス、準備を頼む」


私の言葉に頷くと、クリスは両手に抱えていた鞄を作業台に置いた。

ファスナーを開け、取り出したのは小さなプロジェクターだった。


「これは?」


クイーンが不思議そうに尋ねる。

彼女とドイルには、「実験する」とだけしか伝えていなかった。


「プロジェクターだ」

「それは見りゃ分かるわよ。何の実験かを聴いてるの」

「すぐに分かるさ。昨日クリスに準備するよう頼んでおいたんだ」


それだけ答えると、私はクリスに目配せした。

少女は再び頷き、計器類の方に歩み寄った。

操作盤の一つに触れると、室内が暗闇に満たされた。

全ての照明を落としたのだ。

続いてシュッという空気音がし、微かに冷気が漂い始めた。


「な、なんだ?なんだ?」


たちまち、怖がりドイルが声を震わせる。


「ただのだ。壁の穴から噴霧されているんだ。心配無い」


私は静かに説明した。


ほどなく、作業台付近から微細な信号音が響いた。

見ると、クリスが先ほどのプロジェクターを起動させている。

レンズと操作ランプから漏れ出る光が、仄かにあたりを照らした。


それを見たクイーンが、ハッとした表情で私をかえりみる。

それに答えるように、私も小さく頷いた。


「そう……風間さんが見た【】だ」


さらに何か言おうとするクイーンを制し、私はクリスの方へ向き直った。


「頼んでいたものは入っているか?」


その言葉に、少女はコクリと頷く。


「はい。パソコンで作成したグラフィック映像は、データ変換し携帯に保存してあります。着信信号で動画再生とプロジェクター投影するよう、接続方法も変更しました」


専門用語でさらりと答えるクリス。

よく見ると、プロジェクターの側面に白い携帯が貼りついている。

携帯の着信を合図に、プロジェクターの投影が始まる仕組みだ。

工学機器に精通した彼女にとっては、造作も無い作業だったろう。


「では、やってくれ」


私の合図で、クリスがポケットから携帯を取り出す。

画面に指を這わした途端、プロジェクターのレンズから光が伸びた。

その怪しげな帯の中で、ドライアイスの白い噴煙が渦巻いている。


「このドライアイスは、女子トイレのだ……」



ウウっ……



私の説明を待たず、突如不気味な唸り声が響いた。

皆一斉に、同じ方向に目を向ける。

噴煙の中にが浮かび上がっていた。

モゴモゴとした動きが、寝起きの肉食獣を思わせる。


容姿も輪郭もはっきりしない──


は片腕を振り上げたかと思うと、素早く振り下ろした。


「ひゃっ!で、出た」

「これって……まさか!?」


驚いて飛び上がるドイルの横で、クイーンが絶句する。


「ああ……これが【巨大な黒い影】のだ」


私はそれだけ言うと、緊張した面持ちの面々を流し見た。


「仕掛け自体は、いたって単純だ。知っての通り、あの女子トイレは人が動くとかなりの粉塵が舞い上がる。それがスクリーンの役目を果たした。半開き扉の個室にプロジェクターを設置し、タイミングを見計らって遠隔操作したんだ。かなり斜め方向になるが、台形補正機能を使えば修正は可能だ。つまり、あの黒い影はグラフィック映像だったんだ」


私は、腕振りを繰り返す影をバックに説明した。


「……やっぱり、作り物だったのね」


「入室した時に立ち昇った粉塵を見て、すぐにひらめいたよ」


感慨深げに呟くクイーンに、私は額に指を当て囁いた。


「ち、ちょっと待ってよ!でも、風間さんは実際に大怪我してるんだよ」


横からドイルが、不満そうな顔で訴える。


「それについては、一応の仮説は持っている。だが、決め手となる確証がまだ不十分だ」


私は、ややトーンを落とした声で答える。

ドイルはそれ以上は何も言わず、肩をすくめてみせた。

私が根拠の無い解説はしない事を、承知しているのだ。


「一体、誰が……こんな事を……?」


そう言って、眉をひそめるクイーン。


「この仕掛けを遂行するには、三つの要素を知る必要がある。一つは、あの部屋が濃い粉塵に覆われている事。二つ目は、奥の個室の扉が半開きのままだという事。そして三つ目は、という事……」


私はプロジェクターに手を置きながら、ゆっくりとした口調で続けた。


「そして現時点で、この条件を満たしている人物は三人しかいない」


「羽賀根さん、鮎川さんと…………?」


私の説明に、クイーンが言葉を重ねる。

眉間に寄せた皺が、さらに深くなっている。


「そんな……」


背後で、呻くような声がした。

見ると、胸に手を当てたクリスが顔を歪めている。

予想外の展開に、どうすれば良いか分からない様子だった。


「だが……確信の持てる推理はここまでだ」


クイーンに肩を抱かれたクリスを見ながら、私は補足した。


「風間さんの負傷は、誰かに負わされたものなのか、それともなのか……あとの二人は加害者なのか、それともなのか……」


暗い室内に、私の声が朗々と木霊する。

肌寒さが増したのは、ドライアイスのせいだけでは無さそうだ。


「ネット情報では、女子トイレに現れるのは【巨大な黒い影】だった。だが風間さんが目撃したのは、【巨大な】だ。犯人がこのトリックで怪異を利用したのなら、なぜ情報と同じ形態にしなかったのか……なぜ影に、……」


うつむきがちに室内を闊歩しながら、私は語り続けた。


「さらに分からないのは、風間さんの言動の変化だ」


私は、あえて感情を抑えた口調で付け加えた。


「最初は怪異を見たと言って、噂が広がった途端に否定し始めた。まるで何かを避けるように……それなら、最初から見なかった事にすれば良かったんだ。だが、そうしなかった……恐らく、言わずにはいられなかったんだろう。そして、話が大きくなるとと気付いたんだ。だから、急に言葉を濁すようになった」


皆の脳裏に、風間を見舞いに行った時の光景が蘇った。

自らの怪我を『自業自得』と言ってのける姿は、今から思えばわざとらしくも見える。


「でも、このトリックが本当に行われたのなら、羽賀根さんと鮎川さんは、なぜ見ていないのかしら?」


「二人が嘘をついている……?つまり、あの二人が風間さんに怪我を負わせた犯人!?」


クイーンの疑問に、横からドイルが勢い込んで答える。


「その可能性もあるな」


そう言って、私はクリスの方をチラリと見た。


下を向いたまま、辛そうな表情を浮かべている。

自分の所属する研究室の先輩が、一人は被害者、一人は加害者の疑いがあるのだ。

信じたくないという思いが、その体から滲み出ていた。


「いずれにしろ、風間さんが何を隠そうとしているのかを明確にしなければ、これ以上は前に進めない」


その言葉を最後に、私は顎に手を当て黙考に耽った。

重苦しい沈黙の中、誰も口を挟もうとはしなかった。


「……やはり、この謎を解く手段は一つしかない」


やがて私は、意を決したように口を開いた。

皆の視線が一斉に集まる。


「それは?」


問いかけるクイーンを筆頭に、私は全員の顔をぐるりと見回した。


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