サイクロプスの眼〜その5

「うへっ、すごいホコリ!?」


薄暗い室内に入るなり、ドイルが悲鳴を上げた。

白い粉塵が、ゆっくりと空気中に渦巻く。


「トイレにしては珍しく、窓が無いからな。粉塵の逃げ場所が無いんだ」


続いて入った私は、事も無げに答える。

クイーンとクリスが、すかさず口にハンカチをあてた。


風間との面会から数日後、私たちは問題の廃工場を訪れていた。

夜はどうしても嫌だと言うドイルのため、真っ昼間の調査だった。

あちこちの隙間から差し込む光で、懐中電灯無しでも歩き回れる。

入り口の案内図で、女子トイレの場所はすぐに分かった。


「へー。これが女子トイレかぁ……なんか、ワクワクするな」


ドイルが物珍しそうに、あたりを見回す。


「ちょっと!いくら廃墟でも、デリカシー無さ過ぎよ」

「……サイテー」


クイーンとクリスが、口を揃えて抗議する。


「ま、待ってよ!べ、別に変な意味では……」


あたふたと弁明するドイルを尻目に、私は奥に進んだ。


左右に三つずつの個室があり、一つを除きどの扉も閉じられている。

私は、半開きになっている最奥部の個室に向かった。

蝶番ちょうつがいが折れ曲がり、扉は動かない。

中を覗くと、薄汚れた洋式便器があるだけだ。


そのまま振り返り、今度は天井を見上げた。


細長い天井には、蛍光灯が垂れ下がっている。

蛍光管は付いたままだが、グロム球は無かった。

だが、私の目を惹いたのは別のものだった。

分厚い天板が、何箇所か剥がれ落ちていた。

下を見ると、それらしき残骸が転がっている。


おもむろに、私は携帯を取り出した。


「……なるほど。確かに通信圏外だ」


ポツリと呟くと、再び携帯を収めた。


今度は奥まで進んで、最奥の壁に手を当てる。


「一番奥の壁際……か」


風間の言った台詞を思い起こし、動きを止める。


「……何か、気になる事でもあるの?」


別の個室を調べていたクイーンが問いかける。

埃っぽくて、かなわないといった顔だ。


「いや……少し、ワクワクしただけだ」


「な……アナタまで!?」

「……サイテー」


私の返答に、クイーンとクリスが再び口を揃える。

遠くでドイルが、ホッとしたように笑みを浮かべた。


「ドイル、ここに立ってみてくれないか」


そう言って、私は最奥部の壁を指差した。

ドイルは軽く頷くと、そばにやって来て壁を背にした。

私は入り口まで戻り、振り返ってしばらく眺めた。


「何かの確認かい?」


ドイルが興味津々の顔で尋ねる。


「位置関係をチェックしている」

「何の?」

「例の隻眼の怪物だ」

「じゃ、それらしくした方がいいかな?」

「頼む」

「おけ……グァー!グォー!」

「ぷーっ!」


片目をつぶり雄叫びを上げるドイルを見て、思わずクリスが吹き出す。


「アンタたち、まさか遊んでないわよね」


今にも怒り出しそうな形相で、クイーンが睨み付ける。


「い、いや……決してそのような……」

「もういいぞ、ドイル」


冷や汗をかくドイルに、私は何事も無かったかのように声をかけた。


「ここでの調査はこれくらいだな。退散しよう」


そう言って、私は踵を返した。


「え、ちょ!……それで、何か分かったの?」


唐突な退去命令に、クイーンが驚いた顔で尋ねる。


はな……だが、についてはまだ分からん」


「えっ……それって、同じものじゃないの!?」


意味朗不明な私の返答に、今度はドイルが目を丸くする。


それには答えず、私はさっさと女子トイレを後にした。



************



「今日から復帰か。調子はどうだ?」


パソコンの方を向いたまま、羽賀根が声をかける。


「ああ……なんとかな」


陰鬱な表情で答える風間。

包帯の代わりに、小さなガーゼが額に貼り付いている。


「お前の言っていた隻眼の怪物だが、過去の目撃情報にも無かった。やはり、お前の錯覚だな」


「ああ、そうかもな……」


肯定とも否定ともとれる声色で風間が返す。

しばし、重苦しい沈黙が流れる。


「……なあ、羽賀根」


やがて、風間がうめくように声を絞り出す。


「お前、……」

「行ってみないか!」


風間の言葉を遮るように、羽賀根が声を上げる。


「……えっ?」


思わず言葉を詰まらせる風間。

パソコンの手を止めた羽賀根が、初めてこちらに向き直った。

その目には、微かな嘲笑の色が浮かんでいる。


「あの廃工場にだよ。今の口調だと、お前自身まだ納得していないんだろ?自分の見たものが幻覚なのか、それともなのか……真相が知りたいんじゃないのか?」


「それは……」


自信に満ちた羽賀根の台詞に、風間は返す言葉が無かった。

実際、その指摘通りだったからだ。

あれは幻覚だったと思い込もうとするが、心底ではそれを否定していた。


薄明かりの中に現れた黒い巨体──

その頭部に光る丸い眼──


影が腕を振り上げた瞬間に、頭に激痛が走った。

そして、自分は気を失って倒れた。

衝撃を受ける直前まで、確かに意識はあったのだ。

だから、頭部の傷は倒れた際に負ったものでは無い。

あの怪物に襲われた……

いくら思い返しても、その結論にしかならなかった。


羽賀根は、そんな風間の心中を見抜いているようだ。


「……そうだな」


そう言って、風間はぎこちなく頷いた。


「お前の言う通り、俺は納得していない。もしあれが何らかの心霊現象で、この怪我がその影響によるものだとしたら……俺たちは、とんでもない経験をした事になる」


話しながら、自分の声が熱を帯びてくるのを感じた。

廃墟マニアの血が騒ぎ出したのである。


「もう一度チャレンジして、今度こそ動画に収めたい」


自身が深手を負った事も忘れ、風間は目を輝かせた。


また見たい──

また体験したい──


言いようの無い高揚感が全身を駆け巡る。


そんな相方の様子に、羽賀根は満足そうな笑みを浮かべる。


「そうこなきゃな……やろうぜ、相棒」


そう言って、羽賀根は大きく頷いた。


風間の顔にも笑みが浮かぶ。

怪異に襲われた恐怖心より、真実をあばきたい探究心の方が勝っていた。

風間が動画サイトを立ち上げ、廃墟探索に乗り出した理由もここにある。


飽くなき好奇心──


今、この男の行動理念の主軸にあるのが、まさにこれだった。


「香澄には俺から話しておく。段取りは、前回と同じでいいな?」


その言葉に、風間の眉がピクリと動く。


「いや、しかし……彼女は……」


「この間も参加できたんだから大丈夫だ。俺に任せておけ」


はしゃぐような羽賀根の口調に、風間は言葉を呑み込んだ。


「そうだな……じゃあ頼むよ」


苦笑いを浮かべる風間に、羽賀根は満足そうに笑ってみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る