サイクロプスの眼〜その4

「どう思う?」


スプーンでカップを混ぜながら、誰にともなくクイーンが問いかける。


風間の見舞いを終えた私たちは、近くのカフェで休息をとっていた。


「どうもこうも、ありゃ完全に何か隠してるね」


ドイルが、パンケーキを頬張りながら声を上げる。

怪物の話題を否定された事が、気に入らない様子だった。


「確かに不審な点はあるな」


私はカップを手にしたまま、ポツリと呟いた。

皆の問いたげな視線が集まる。

カップを元に戻すと、私は静かに口を開いた。


「一つは、頭部の損傷だ。あの分厚い包帯から見て、相当の怪我だった事が分かる。羽賀根さんがライトで照らした時、流血していたとも言ってたしな」


私の言葉に、皆が無意識に頷く。


「……それで?」


「倒れた者が頭部を損傷している場合、というのが常識だ。別に医者じゃなくとも、それくらいの事は誰でも知っている。だが、羽賀根さんは救急車を呼ばず、自ら病院に運び込んだ。意識を失ったままの風間さんを


眉を上げ先を促すクイーンに、私は説明を始めた。


「よっぽど慌ててたんじゃない?気の小さい人なら、それだけでパニックに陥るし……」

「いや仮にも、廃墟に幽霊を探しに行くような人種だ。気が小さいとは、とても思えん。それにあの場にはもう一人、鮎川香澄さんもいた。どちらかが、それに気付いてもおかしくないはずだ」


私はクイーンの仮説を一蹴した。


「なるほど……もしそうなら、羽賀根さんたちはという事になるわね」

「じゃ、本当は助ける気は無かったって事!?」


納得したように呟くクイーンに、ドイルが勢い込んで喚く。


「わざと動かして、容態を悪化させようとした?」

「……そんな!?」


ドイルの恐ろしい台詞に、思わずクリスが唸る。

驚きのあまり、顔色が失われている。


「あるいは、……」


そう言って、私は二人の顔を眺めた。

どちらも、苦虫を噛み潰したような表情だ。


「クリス、羽賀根さんとはどんな人だ?」


私は、うつむいたままのクリスに尋ねた。


「とても研究熱心で……物静かな方です。風間先輩以外と喋っているのを、あまり見た事がありません。私も……その……挨拶する程度で……」


少女は顔を上げると、消え入りそうな声で答えた。


「そうか」


私は頷くと、それ以上は何も聞かなかった。


「他にも何かあるの?」


クリスを気遣いながら、クイーンが私に尋ねる。

私はコーヒーをひと口含むと、中空を睨んだ。


「あとは、女子トイレで目にしたという【ぼんやりとした光】だ……あの慌てた様子から見て、目撃したのは恐らく事実だろう。だが、無理矢理それをライトのせいにしようとした」

「じゃやっぱり、怪物には出会ってるんだ!」


私の説明に、ドイルがしてやったりと叫ぶ。


「怪物かどうかは分からん。実際、そんなものがいるとも思えんしな……ただ、あの場で。そして、それを隠したがっている」


メンバーの顔に同意の色が浮かぶ。

今回の面会で、皆同様の違和感を抱いていた。

そして、それが何かを突きとめない限り、真相は見えてこない。


「いずれにせよ、羽賀根氏に一度会う必要があるな」


そう言って、私は静かに立ち上がった。



************



情報工学科の研究室は、K大敷地内の端にある。

研究生の一人であるクリスは、戸口に立つと二、三度ノックし中に入った。

他のメンバーも、続いて入室する。

明るい室内には、最新のパソコンが所狭しと並んでいた。

四方の棚には、名称も分からぬ機器が整然と置かれている。


カタカタと奥の方から音がした。

そのまま進むと、パソコンを操作する男性の背中が見えた。

他に人影は無い。


「あの……羽賀根先輩……?」


クリスが小声で呼びかける。

キーボードの手を止めた男性が、ゆっくりと振り向いた。


「やあ……式縞君」


その男性──羽賀根巧は、ニコリともせずに呟いた。

驚くほど痩身だが、不思議なバイタリティを感じさせる容姿だ。

特にその眼光は、見る者の心を見透かすような鋭さがあった。


「何か用かい?」


低いが、よく通る声が空気を震わせる。


「あの……実は……風間先輩のお見舞いに行ってきました……」


どう切り出して良いか分からぬクリスが、辿々たどたどしく答える。


「そうか……風間と会ったのか」


そう言って、羽賀根は眼鏡の奥を光らせた。

そのまま、口ごもってしまうクリス。


「羽賀根さん、少しお尋ねしたい事があるのですが」


横から私が助け船を出す。

そのまま自己紹介と、訪問理由を伝える。

話を聴いた羽賀根は、やはり無表情で肩をすくめた。


「なるほど……だが僕の話しも、ほとんど風間と同じだよ。さして参考になるとも思えんが……」


「【隻眼の怪物】の件について確認したいのですが……アナタは見てないんですね?」


あまり協力的とは言えない風間の返答を無視し、私は質問に移った。


「もちろん、そんなものは見てない……病院で目を覚ました風間から、初めて聴いたんだ」


「風間さんは、と言われてましたが……」


羽賀根は片手を上げ、肯定の意を示した。


「恐らくそうだろうな。怪しげな噂の絶えない場所だったから……」


「風間さんも、同じような事を言われてましたよ」


私は相槌を打つように、軽く会釈した。


「ところで、今回の探索場所はされたのですか?いつもは、アナタと風間さんが相談されて決めていると聴きましたが」


そのひと言に、羽賀根は私の顔をまじまじと見つめた。


「なるほどね……は、あえて聴かないでおくよ」


無表情だった羽賀根の口元に、初めて笑みが浮かぶ。


「実はあの廃工場は、以前にも一度訪れた事があってね。その時は、これといった超常現象も起こらなかった……それが最近になって、霊の目撃情報が頻発するようになった。ネットでそれを見つけた風間が、再度探索しようと言い出したんだ。勿論、僕にも異論は無かった」


私の目を真っ直ぐに見ながら羽賀根は言った。


「……その目撃された霊というのは、例の【隻眼の怪物】でしょうか?」


「いや、目撃情報には【巨大な黒い影】としか出ていなかった」


私はその返答に頷くと、暫し言葉を切り、メンバーを見回した。

どの顔も、何かしら複雑な表情だった。


「もう一つだけ、お尋ねしたいのですが……」


再び視線を戻した私は、やや語気を強めて言った。


「アナタはなぜ、あの時救急車を呼ばなかったんですか?風間さんの頭部は明らかに損傷していた。下手に動かせば、二次被害を引き起こす危険もあったはずです」


私の放った質問に、全員の表情が一気に強張る。

羽賀根の眉が、僅かに吊り上がった。

暫しの沈黙の後、羽賀根が口を開いた。


「救急を呼んだ方が良い事は分かっていた。だが、できなかった……あそこは、携帯がだったんだ」


羽賀根の返答に、皆返す言葉が無かった。


通信圏外……


確かにそんな状況では、自らが負傷者を移送するのもやむを得ない。

羽賀根の取った行動は、理にかなっている。


「そうですか。分かりました」


そう言って、私は再びメンバーを見回した。

どの顔にも、納得の色が現れている。


「お手数をおかけしました。あと最後に、鮎川香澄さんにもお話をお聴きしてよろしいでしょうか?」


「いや……」


私の打診に、羽賀根は首を横に振った。

明らかに迷惑そうな表情だ。


「実は、今回の風間の件で体調を崩してしまって……学校も休んで自宅療養している。仲間が探索の最中にあんな事になったのは、なんじゃ無いかと気に病んでるんだ。元々そういうのは、信じやすいタイプなもんでね……だから、今はそっとしといてくれないか」


そう言って、羽賀根は顔を曇らせた。

哀しそうな眼差しは、どう見ても芝居には見えない。


「頼むよ……」


震える声で、絞り出すように懇願する。

誰も何も言えなかった。


「……分かりました。色々とありがとうございました」


いつになく丁寧に頭を下げ、私はメンバーをかえりみた。

皆が頷くのを確認し、私たちは静かに戸口に向かった。



************



【異常心理学研究会】の面々が退室したのを見定めると、羽賀根は懐から携帯を取り出した。

メニューを選択し、耳にあてる。


「ああ、香澄か?」


押し殺した声で、話し始める。


「ああ、そうなんだ。おかしな連中がやって来て、根掘り葉掘り聴いていったよ」


会話をしながら、室内を闊歩する。

コツコツという靴音が、不規則に木霊した。


「ああ、大丈夫だ。お前には近付かないよう、釘を刺しておいた。安心しろ」


そこで言葉を切ると、羽賀根は携帯をポケットにねじ込んだ。

そのまま窓辺に近付き、窓外を眺める。


窓ガラスに映る顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。

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