アポロンの弓〜その7

「軌道を曲げるだって?……本気で言ってるのか!そんな事、不可能……」

「……可能です。力学の知識と、卓越した技量さえあれば」


言葉尻を取り、即答する。

自信に満ちたその口調に、麗児は言葉を詰まらせた。


「ポイントは、矢の羽にかかるにあります。羽の形状・位置を変えるだけで、抵抗の度合いが変化し、矢先を左右に振る力を得ます。航空機の尾翼の原理と同じですよ」


そこまで語り、私はクリスの方を見た。

少女は頷くと、手に持っていたタブレットを操作し始めた。

ほどなく、モニター画面を私たちの方に向ける。

そこには、この練習場とおぼしき3D画像が映し出されていた。


「白い点がこの射場、青い点が真っ直ぐ先の標的、赤い点が落書きのあった標的、黄色の点滅は矢を表しています。標的までの距離を基礎データとし、数パターンの発射速度と矢の形状をインプットしてシミュレーションしました。最終的に割り出した飛翔経路はこうなります」


事務的に説明すると、クリスはキーを叩いた。


白い点から飛び出した黄色の点滅が、点線の軌跡を伴って青い点に伸びていく。

だがすぐさま、点滅は緩やかに湾曲し始めた。

綺麗な放物線を描きながら、最終的に赤い点へと到着する。


「そしてこれが、導き出されたです」


クリスが切り替えた画面に映し出されたのは、矢のアニメーション画像だった。

矢尻に付いた羽は、やや大き目で、渦巻き状にねじれている。


「先日ここで計測して、そのデータをもとに彼女がを特定してくれたのです」


そう言って、私はクリスを指差した。

少女が、少し照れ臭そうにうつむく。

誰かの舌打ちする音が聴こえた。


「あと必要なのはです。これについては、オランダのとある洋弓の名手が、矢をカーブさせる実験動画を公開しています。ネットをあさって、ようやく見つけました。彼の理論によると、通常よりグリップを柔らかく握り、弓引きドローイングを抑えるのがコツらしいです……恐らくアナタも、この動画を観たのでしょう。そしてあの事故の日、


問うような私の視線に、麗児の眉が僅かに動く。

だが、反論の言葉は無かった。

黙秘してやり過ごす事にしたようだ。


「アナタはこの二つの原理を利用し、自分の位置から斜め前方にいる野々村さんを狙ったんです。矢の軌道を曲げ、命中させようと……羽の細工は勿論、このような神業を使いこなしてしまうとは……実に驚くべき才能です」


称賛の言葉とは裏腹に、私の口調は冷ややかだった。


「……バカバカしい!なんで俺が、そんな手間のかかる事をする必要がある」


無言をつらぬいていた麗児が、吐き捨てるように呟く。

私というより、その場の全員にアピールしているように見えた。


「事故をよそおうためです」


その質問を予期していたかのように、私は即答した。


「野々村さんを直接狙えば、見ている部員に怪しまれる。だが、自分のまとを狙った矢が事にすれば、それは不慮の事故となる。主将のアナタの言葉を疑う者はいないでしょうし、大学側もアナタの証言を信じるに決まっている。実際に麗菜さんの事故も、都合の良いように処理されたくらいですから……」


私の説明に、麗児はまた黙秘の体勢に入った。

鬼の形相で、ひたすら私を睨み続ける。


「少し整理しましょう」


全く意に介さず、私は話をとりまとめた。


をきっかけに、麗菜さんはアナタが野々村さんを狙っている事を知った。不安に駆られた彼女は、アナタを監視するため見学にやって来た。そこに、標的の落書き事件が起こった──無論、アナタが事前に細工したものです──副将で人の良い野々村さんは、すぐに確認に向かった。その時麗菜さんは、それがアナタの仕組んだ罠だと直感した。このままでは、野々村さんの身が危ない……そう感じた彼女は、何とか危険を知らせようとした。距離があるので、叫んでもダメかもしれない。だから、咄嗟に前に出て手を振った。その時、アナタの放ったカーブする矢が、さえぎった彼女に命中してしまった……以上が、麗菜さんがとったです」


そう言って、私は話を締めくくった。

誰からも異論は出ず、刹那の沈黙が訪れる。

なお困惑する野々村の隣で、麗児はさげすむような笑みを浮かべていた。


「その……【ある事】って言うのは……?」


おもむろに、野々村が口を開く。

心中の強い葛藤のためか、声がかすれている。

私は、軽く肩をすくめながら答えた。


「麗菜さんが──恐らくは、麗児さんの部屋で──見つけてしまったのだと思います……



************



事件前日──


「これは何なの!?兄さん」


麗菜の叫ぶ声が室内に響き渡る。

その手には、女性用のウィッグが握られていた。


「これって、私と同じ髪型のものよね?こんなもの、一体何に使うつもりなの?」


そう言ってウィッグを差し出す先には、麗児の冷ややかな視線があった。


「まさか、野々村さんにじゃ無いでしょうね?」


「……あんなヤツに、お前を渡す訳にはいかん」


低く、うめくような声が、麗児の口から漏れる。

麗菜の顔に緊張が走った。


「私と野々村さんは、兄さんの考えているような関係じゃない」


「アイツが、お前に好意を抱いているのは分かっていた。見学に来るお前への接し方を見れば、一目瞭然だ。お前を見るアイツの目、アイツの態度……全てが気に食わない」


憎々しげに吐き捨てる麗児。

麗菜の懸命の説得にも、全く耳を傾ける様子は無い。


「しかも、アイツは……事もあろうに……お前に、……」


自らの発した言葉に、麗児の顔が豹変した。

怒りで、肩が大きく上下している。


「それについては、私は受けるつもりは無いわ。だから、お願い……変な事は考えないで!」


「ダメだ!」


憤怒の形相で、拒絶する麗児。

麗菜の体が、ビクンと飛び上がる。


「お前が断っても、アイツの気は変わらない。心の底では、お前の事を想い続けるに決まっている……だからアイツには、一度身の程を教えてやる必要がある」


「兄さん……何をするつもり?」


兄の口調に、危険な響きを感じ取った麗菜が問いただす。

麗児の口角が、大きく吊り上がる。


「ふふ……まずは、アイツを全国大会に出れないようにしてやるのさ。そうすれば、アイツがお前に提示した条件はパーだ。優勝したら付き合って欲しいなどと、二度と言えなくなる」


人間とは思えぬ無機質な声に、麗菜の全身が総毛立つ。

恐怖で、まともに顔を直視できない。


「その後、、さらに追い討ちをかける。好きな相手から傷付けられたら、さすがに嫌気がさすだろう。アイツのお前に対する想いは、これで完全に消えて無くなる」


「そんな……やめて!そんな事しなくとも、私は彼と付き合ったりしないから。だから、お願い!」


妹が野々村を「彼」と呼んだ事に、麗児は頬をピクリと震わせた。


「ダメだ!」


また声を荒げる麗児。

嫉妬に狂った両眼が怪しく光る。


「もし、誰かに喋ったら許さないからな。俺は一生かかってアイツを壊してやる。お前のせいで、アイツの人生はメチャクチャになるんだ……よく、覚えておくんだな」


その言葉を最後に、麗児は口を閉ざした。


薄暗い室内で、麗菜はただ震えるしかなかった。



************



「そ、それって……」


私の言葉に、野々村が声を詰まらせる。

その顔を見て、私は大きく頷いた。


「野々村さん……帰宅途上のアナタを襲ったのは、麗菜さんではありません。のです」


「バカな!自分が何を言ってるのか、分かってるのか」


聞くに耐えないと言わんばかりに、両手を広げる麗児。

大きく眉を吊り上げ、ジロリと皆を見回す。


「私が不審に思ったのは、野々村さんを襲った時の、です」


それには答えず、私は解説を続けた。


「夜とはいえ、まだ九月初旬です。日が暮れても、涼しいとは言えない。なのにその時の麗菜さんは、を着込んでいた。それはなぜか……」


全員が息を呑んで、次の言葉を待った。


です。麗児さんと麗菜さんは瓜二つだ。ウィッグを使って髪型を変えれば、麗菜さんに成り代わる事は可能です。だが、体格はそうはいかない。筋肉質な麗児さんの体を隠すには、分厚い服を着るしかなかった」


苦しげな表情で、黙り込む野々村。

無意識に、負傷した肩口に手が伸びる。


「全てが、野々村さんに麗菜さんの事を諦めさせるための計略だったのです……その後、麗児さんは麗菜さんを【体調不良】と称してした。恐らく、彼女が練習場の時のような邪魔をしないよう、手を打ったのでしょう」


「いい加減にしろ!」


説明が終わるや否や、麗児の怒声が辺りの空気を震わせた。


「黙って聴いていれば、言いたい放題……お前の言っている事は、全部憶測じゃないか!矢の軌道を曲げるだと?俺が麗菜になりすましただと?……一体、どこにそんな証拠があるというんだ!?」


仁王立ちでわめき立てる麗児の顔を、私はじっと見返した。


「証拠……ですか……」


私はポツリと呟くと、ポケットからあるものを取り出した。

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