アポロンの弓〜その4
包帯の巻かれた右肩をかばいながら、野々村は標的のチェックを行なっていた。
時折手を止めては、首を振りため息をつく。
肩の痛みより、心痛の方がはるかに大きかった。
なぜ、彼女はあんな事を……
何十回と繰り返された疑問が、また心中に湧き起こる。
彼女──神城麗菜とは、麗児の練習見学を通して知り合った。
清楚で美しい麗菜に、野々村は一目で魅了された。
会話を重ねるごとに、想いは募っていく。
ある日の夕刻──
ついに告白の決意を固めた野々村は、麗菜を校舎裏に呼び出した。
「あなたの事が好きです。今度の全国大会で優勝したら、付き合って頂けませんか」
その言葉に、野々村は自らの想いの深さをこめた。
チームはもとより、今は野々村自身もベストコンディションだ。
優勝は十分狙える──
確信の上での告白だった。
だが、肝心の麗菜の表情は冴えなかった。
困惑したように、下を向いてしまう。
「ダメ……ですか?」
恐る恐る尋ねる野々村。
心臓が和太鼓のように鳴り響く。
その言葉に、黙って首を横に振る麗菜。
再び顔を上げると、微かに笑みを浮かべ、その場から走り去ってしまった。
自分は……フラレたのか……?
微笑んだ麗菜の真意が分からず、野々村はその場に立ち尽くした。
そして迎えた、あの事故の日──
彼女が、見学にやって来るとは思わなかった。
いつものように振る舞う麗菜を見て、野々村も平静を装う事にした。
まさか、あんな事が起こるとはつゆ知らずに……
「……よろしいですか?野々村さん」
聞き覚えのある声に、野々村の瞑想は破られる。
振り向くと、先日の面々が立っていた。
確か……【異常心理学研究会】……だったか……
「少しお聞きしたい事があって来ました」
「ああ……なんだい?」
私の問いに、手を止めて答える野々村。
「アナタのその怪我……ひょっとして、誰かにつけられたものではないですか?」
相変わらずの直球質問に、メンバーがしまったという顔をする。
野々村の表情も、一気にこわばった。
「いや、これは自分で転倒して……」
「アナタは、その相手を
野々村の弁解を無視し、私は続けた。
「君は……一体、何を……」
「その相手とは……神城麗菜さんではありませんか?」
クイーンが止めようとしたが、間に合わなかった。
全く……遠慮も何もあったもんじゃない……
やれやれと言った顔で首を振る。
だが、そのひと言のもたらした効果は絶大だった。
たちまち野々村の顔は蒼白となり、目が泳ぎ出す。
「な、何を……バカな……」
懸命に否定しようとするが、言葉が続かない。
生来の実直さが、邪魔をしているのだろう。
下を向き、とうとう黙り込んでしまった。
「野々村さん、実は私たち……麗菜に頼まれたんです」
見兼ねたクイーンが、横から助け船を出す。
【頼まれた】という言葉に反応した野々村は、ハッとしたように顔を上げた。
そのままクイーンは、病室でのやり取りを話して聞かせた。
「そうか……麗ちゃんが、そんな事を……」
じっと聴き入っていた野々村が、ポツリと呟く。
その目には、深い悔恨の念が見て取れた。
麗菜の苦悩を見抜けなかった自分が、許せないのであろう。
「私は、麗菜を助けたい!もし何かで苦しんでいるなら、救い出したいんです。だからお願いします、野々村さん。協力してください!」
懸命に訴えるクイーンの目には、一点の曇りも無い。
その顔を、じっと見つめる野々村。
やがて、大きく一つため息をつくと、静かに口を開いた。
「分かったよ……全部話そう」
************
「これで野々村さんを襲ったのは、神城麗菜だという事がはっきりした」
私は、クリスの入れたコーヒーを飲みながら言った。
「麗菜……なんで……」
すっかり意気消沈したクイーンが呟く。
覚悟はしていても、実際に証言を耳にしたダメージは大きい。
クリスが不安そうに、じっと見つめている。
「彼女が口にしたアルテミス云々も、彼女なりのSOSとみて、まず間違いないだろう。あとは……」
「あとはその理由だね。ポーの言うように、誰かに脅迫されてるのか、それとも……」
ドイルが、そこから先の台詞を言い淀む。
元気の無いクイーンに、配慮したようだ。
「それとも、彼女がパーソナリティ障害なのかどうかだ」
私は
いずれにしても、避けては通れない問題だ。
全ての謎を解くには、受け止めるしかない。
「分かってる……皆ありがとう」
メンバーの気遣いに、クイーンは笑顔で返した。
「そうよね。落ち込んでる場合じゃないわ!」
気丈に声を上げるクイーンに、全員が大きく頷いて見せる。
「それに、まだ最大の謎が解けていない……彼女が、弓の前に飛び出した理由だ」
「それも、パーソナリティ障害のせいとか?」
私の言葉に、ドイルが珍しく真剣な口調で尋ねる。
「確かに、それも否定はできない。特に統合失調型の場合、自分には魔法が使えるといった妄想に取り憑かれるのも特徴の一つだ。何か非現実的な思考が、その時の麗菜に芽生えたのかもしれない。例えば、自分は不死身であると証明したかったとか……」
特に反論も無く、全員が私の解説に聴き入った。
「それじゃ、彼女が理由を話したがらないのは、自分の……その……病気の事を知られたくなかったから?」
クイーンが言いづらそうに口を挟む。
親友を精神疾患者と呼ぶ事に、抵抗があるのだろう。
「もしそうなら……麗児さんが知らなかったのも、きっと秘密にしてたからね。彼女の事だから、自分のせいで兄の名にキズが付くのを恐れたんだわ」
そう言って、悔しそうに唇を噛み締めるクイーン。
その時ふと、私の脳裏にある疑念が蘇った。
それは、面会時に交わした会話の中で芽生えたものだ。
「そう……かもしれない……」
「……かもしれない?」
私の奥歯にものが挟まったような言い回しに、クイーンが眉をひそめる。
「何か、他に気になる事があるの?」
そう言って、クイーンは首を
他のメンバーも、じっと私の顔を見つめる。
「……体の向きだ」
暫しの沈黙の後、私はポツリと呟いた。
「体の向き!?」
全員が口を揃えて聞き返す。
私は顎に手を当て、遠くに目を向けた。
「神城麗菜が、矢に射抜かれたのは背後からだ」
「……それが、どうしたの?」
ポツポツと語り始める私に、クイーンが急かすように問いかける。
「我が身に矢を当てたいと思うなら、弓を引いている者の方を向くのが自然だ。その者が構えている正面に立たないと、外れてしまう可能性もある。だから無意識に、その者と対峙しようとする。しかし、麗菜の場合は、麗児に背中を向けていた……」
「それじゃ、何?……麗菜は、矢に当たるつもりは無かったってこと!?」
私の説明を聞いたクイーンが、驚いたように叫ぶ。
「でも……でも、矢は確かに麗菜ちゃんに命中してるよ!」
続いてドイルも、険しい顔で声を上げる。
「そうだ。その矛盾だ……神城麗菜が矢に射抜かれたのは、はたして偶然だったのか、それとも必然だったのか……それが、この謎を解くカギとなる」
私の言葉を最後に、室内が静まり返る。
どの顔にも、理解に苦しむ様子が見られた。
「そして、麗菜が矢に射抜かれた事と野々村さんが襲われた事は、決して無関係では無いはずだ。そこには必ず共通の要因があるはずだ。それさえ、分かれば……」
その時、クイーンの携帯が鳴った。
メールの着信音だ。
慌てて画面に目をやるクイーン。
「……麗菜からよ」
文面を読み終え、ゆっくりと顔を上げる。
その表情は困惑に満ちていた。
「体調が悪いから、暫く学校を休むって……」
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