アポロンの弓〜その2

眩しい陽光がグランドに照りつける。

初秋とはいえ、陽射しはまだ暑い。


アーチェリー練習場に人影は無かった。

恐らく、今回の事故が起因しているのだろう。

はるか先に、等間隔に並んだ標的が見える。


「へえー!これが練習場かぁ。一度、やってみたかったんだよなぁ。アーチェリー……」


嬉しそうに声を上げると、ドイルは弓を引く仕草をした。


「『ここでは、俺が法律だ!』……パシっ!ひゅるひゅる……ドカーン!」


決め台詞らしきものを口にし、派手に騒ぐドイル。

その様子にクリスが目を丸くする。


「あれれ?クリちゃん、これも知らない?スタローンの『ランボー』……アクション映画の傑作だよ」


ドイルの言葉に、下を向き肩を震わすクリス。

どうやら、知らないのが悔しいらしい。


「わ、ゴメン、ゴメン!もう言わないから。絶対言わないから……機嫌直して調査しよ。ね、ねっ!」


あたふたしながら取りつくろうドイル。

当のクリスは、プイと横を向いてしまう。


「ああ、そ、そんな……クリちゅわぁぁん!」


「こらっ!いい加減になさい!アナタたち遊びすぎよ」


すかさず、クイーンが叱咤する。

ドイルとクリスが、揃って【気を付け】の姿勢となる。

まるで、母親に叱られた子どもだ。



「……おーい!君たちぃ!」



その時、遠くで叫ぶ声がした。

振り向くと、一人の男性が走って来るのが見えた。


「今日は練習は無いんだ。すまないが、引き取ってくれないか」


息を切らしながら、その男性は言った。

どうやら、我々を見学者だと思ったらしい。


「あなたは、確か……野々村さん?」


「え!?そうだけど……君は?」


クイーンの言葉に、男性は眉をしかめた。


逢瀬おうせ姫華ひめかと言います。神城麗菜さんとは同じ学科の友人です。彼女から、部員の写真を見せられてたので分かりました」


「そうか、麗ちゃん……いや、麗菜さんの……」


慌てて言い直すと、野々村は私たちを見回した。


「えっと、この人達は、私の所属する同好会のメンバーで……」


クイーンの紹介に、私たちは一人一人名乗った。

ぎこちなく頷く野々村。


「それで……今日は何の用事だい?」


クイーンは、麗菜の事故原因について調査していると話した。

途端に、野々村の表情が強張こわばる。


「そうか……確かに、僕も腑に落ちていないんだ。彼女がこんな事をする理由が、どうしても思いつかなくて……」


野々村は、絞り出すような声で言った。


「麗菜さんに、変わった様子は無かったですか?」


私は横合いから質問を放った。

野々村は一瞬ギクリとしたが、すぐに気を取り直して首を振った。


「前日までは普通だったんだ。練習場に姿を現した時も、久々だったから少し驚いたけど……いつもと同じだった」


「事故の前日に会われたんですか?麗菜さんと」


「え!いや……それは……」


私の問いに、野々村は言葉を詰まらせた。

何か隠しているのは、すぐに分かった。

その場に、気まずい空気が流れる。


「……ところで、神城麗児さんが立っていたのは、どこですか?」


それ以上は追求せず、私は話題を変えた。


この件については、また知る機会もあるだろう。

今は、事故当時の状況把握が先だ。


「あ、ああ……あそこだよ」


野々村がホッとした表情で、数メートル先の射場を指差す。

私はその場所まで移動すると、周りを見回した。


「ん?……あそこだけ、まとがありませんね」


そう言って、私は標的の一つを指し示した。

そこだけ五色の的が外され、台座が剥き出しになっている。


「あれは、落書きされたから外したんだ。今、代替えを取り寄せてるところさ」


「落書き?……一体誰が」


「さあ、分からない。練習前に、誰かが悪戯いたずらしたんだろう」


「それは、いつの事ですか?」


「あの事故の日だよ。僕があのまとの確認をしている間に……麗菜さんが……あ、あんな事に……」


野々村は、話しの途中で声を詰まらせた。

上を向き、懸命に涙をこらえる。

それには反応せず、私は立ち並ぶ標的を凝視した。


「麗菜さんは、どこで見学していたんですか?」


私は、的に目を向けたまま尋ねた。


「……主将のすぐ後ろだよ」


鼻を押さえ、苦しげな声で答える野々村。


落書きされた……標的……


私は顎に手を当て、その場でゆっくりとターンした。

四方の景色が、走馬灯のように回転する。


射場に立つ神城麗児──

背後で見守る神城麗菜──

落書きされた標的──


そして


麗児の標的──


私の中で当時の位置関係が、3D映像のように映し出された。


──なんだ?


──一体何があった?



「ポーのヤツ、なんかクルクル回り出したけど……」


あきれたように、ドイルが呟く。


「……コマみたい……」

「お、それいいね、クリちゃん……『こりゃ、った』……なんちって!」


「ほら、またアンタたちは!」


ふざけるドイルとクリスに、またクイーンのげきが飛んだ。

二人とも、しまったとばかりに口に手を当てる。


「あの事故について、大学側は何と言ってるんですか?」


轆轤ろくろ状態の私に代わって、クイーンが質問を続ける。


「体調不良が原因という事で処理されたよ。彼女がよろめいた拍子に、運悪く矢が当たったのだと……全国大会の事もあるから、主将もそれ以上は何も言えなかった」


野々村の口調は、納得とはほど遠いものだった。


「不慮の事故扱いか……なるほど」

「体調不良って……ちゃんと、本人に確認したのかな?」


いぶかしげに呟くクイーンの横から、ドイルが口を挟む。


「……してないだろな」


その声に、皆の視線が私に集まる。

ようやく轆轤の呪縛を解いた私が呟いたのだ。


「神城麗菜が話さないのをいい事に、学校が都合のいいように解釈したんだ。自殺未遂ではスキャンダルになるし、神城麗児の誤射ならアーチェリー部の名にキズがつく。全国大会連覇の貢献度は高いからな……だから、最もリスクの小さい原因で事を収めたのさ」


「相変わらずの体裁ていさい第一主義って訳ね」


クイーンが、吐き捨てるように言う。

ドイルとクリスも、揃ってため息をついた。


「さて、だいたいの状況は把握した。次に行くとするか」


「え、次って?」


「病院だ」


私はそう答えると、スタスタとその場から移動した。

野々村に非礼を詫びながら、メンバーも追従する。


「ちょ、ちょっと待ってよ。ポー!今行っても、麗菜が話してくれるかどうか……」


「いや、話を聞きたいのは妹の方じゃない」


私は振り向く代わりに、聴こえるように声を上げた。


「兄貴の神城麗児だ」



************



病院のベッドに座る少女の顔色は、まだ青白かった。

肩から左腕にかけて、厚い包帯が巻かれている。

深い哀しみをたたえた瞳は、窓外に向けられていた。


「具合はどう?……麗菜」


「姫華……ありがとう」


戸口で声をかけるクイーンに、その少女──神城麗菜は力無く答える。


「今日は友達も一緒なんだけど……いいかな?」


控え気味に尋ねるクイーンに、麗菜は微笑みながら頷く。


「失礼します」


私たちが入って行っても、さして驚きもしない。

黙って会釈すると、すぐに目線を窓外に戻した。


「おや、逢瀬さん、また来てくれたんだ」


そう言って、ひとりの男性が入って来た。

短髪で恰幅かっぷくは良いが、顔つきは麗菜と同じだ。

双子の兄──神城麗児だった。


クイーンは挨拶すると、私たちを紹介し、事情を説明した。


「なるほど、あの事故の調査を……気持ちはありがたいが、今はそっとしておいてくれないか。コイツ、僕にも理由を話そうとはしないんだ」


そう言って、麗児は無念そうな表情を浮かべた。

当の麗菜は、かたわらで会話する私たちには全く関心が無さそうだった。

ただ黙って、窓を眺めている。


「麗児さん、一つお聴きしてもよろしいですか?」


私は麗児の前に立つと、抑揚の無い声で言った。


「え……ああ。何だい?」 


「麗菜さんに矢が当たったのは、からですか?」


単刀直入な私の質問に、麗児の顔が一瞬引きる。

触れられたくない話題であるのは、一目瞭然だった。

メンバーの顔にも、驚きと緊張の色が走った。


「いや……」 


苦しそうな声が、麗児の喉から漏れる。


だ……コイツが、両手を振りながら飛び出してきて……片腕に命中したんだ」


麗児は、震える声でなんとか答えを絞り出した。


「すまない……ちょっと失礼する」


そう呟くと、麗児はハンカチで額を押さえ退室した。

その場にいるのが、居たたまれなくなったようだ。


故意で無かったとは言え、自らの手で妹を傷つけてしまったのだ。

その動揺と後悔は、はたで見るより大きいに違いない。


麗児が去った後、病室に重苦しい沈黙が訪れた。


「ねえ、姫華……お願いがあるの」


突然の声に、全員がハッと目を向ける。

麗菜が、こちらをじっと見つめていた。

その瞳の奥に、今までとは違う何かがあるように感じられた。


「……何?麗菜」


クイーンが、身を乗り出すように反応する。

やっと、何か話してくれるのか……


…………」


か細く、消え入りそうな声だった。

小さな腕時計の巻かれた右手で、何度も髪を撫で下ろす。

神経質そうなその仕草には、苛立ちが見えた。


言葉の意味がさっぱり分からず、皆思わず顔を見合わせる。


質問を拒むかのようなその表情に、クイーンは聞き返す事ができなかった。

そしてその言葉を最後に、麗菜はまた口を閉ざしてしまった。


それから二日後──


神城麗菜は退院した。

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