メデューサの首〜その9

私のひと言で、室内の時間が止まった。


貝塚講師は目を見開き、黙って私を睨みつけた。


「今回は、まんまとだまされてしまいました……いや、アナタにでは無く、にです」


沈黙を破るように、私は語り始めた。


「普通『呪われた絵』などと聴けば、大抵は描かれている絵の事だと考えます。私たちもしかりです。【催眠誘導】の可能性に気付いた時、てっきりと思い込んでしまったのです」


私は、一人一人の顔を見ながら続けた。


「しかし神楽坂を介した検証では、その証拠は発見出来なかった……私は、この事件に関するキーワードを一から見直してみました。そしてふと、ある事に気付きました。そのヒントとなったのが、これです」


そう言って、私はポケットから一枚の写真を取り出した。


「これは、大学のホームページからプリントアウトしたあの絵の写真です。これを見ると、が使われています。しかし、私たちが四人目の被害者と遭遇した日、額縁は調のものが使われていました。つまり、差し替えられていたのです」


「それがどうした!?観客に少しでも喜んでもらえるよう、定期的に入れ替えているだけだ」


私の言葉に、憤然とした態度で言い返す講師。

それには答えず、私はクリスに向かって頷いた。

少女は頷き返すと、ポケットからUSBを取り出した。

それをパソコンに差し込み、またキーボードを操作する。

モニターに、展示室の情景が映し出された。


「これは、が倒れた時の映像です。勝手ながら、監視カメラの録画映像をコピーさせて頂きました。さて……額縁をよく見てください」


クリスは映像を早送りし、女性が絵の前で倒れている場面で静止した。

周りには、人がたむろしている。

だが、モニターを見つめる全員の注意は、別のものに向けられていた。


それは肖像画の……調だった。


私の合図で、さらに映像が切り替わる。


今度は、男性が腕を振りながら、何事かわめいている場面だった。

室内にいた数名の生徒が逃げ惑う。

ほどなく男性は、もんどり打って倒れ込み、動かなくなった。


「高瀬……!?」


神楽坂尚文が、わきから呟く。

それは二人目の被害者──高瀬たかせ幸博ゆきひろのものだった。


そしてこの時も、絵の額縁は白い木目調だった。


さらに三人目、四人目と、被害者たちが異常行動をみせた場面が映し出される。

いずれも、額縁は木目模様のものが使われている。


「そして、今日の額縁も木目模様です。彼女が監視カメラを通してとは知らず、してやったりとアナタはよろこんだ。それは、ストレスのせいなどではない。罠に掛かった獲物を嘲笑あざわらったのです」


貝塚講師を見つめる皆の顔に、失望と軽蔑の色が現れる。

当の講師は、親の仇でも見るように私を睨んだ。


「ちなみに、今見た映像の日以外は、が使用されています。あの絵が展示されてからの映像は、全てチェックしたので間違いありません」


そう言って、チラリとクリスに視線を向ける。

少女の手には、監視映像をコピーした複数のUSBが乗っていた。


「つまり、あの額縁の木目模様にという事か?」


皆の疑問を代弁するかのように、尚文が口を挟んだ。


「ああ。あの木目模様は、されたものだ。表面に凹凸があるため、パッと見ただけでは分かりにくいが、正面からだととなって見える。お前が言ってた、催眠に多用される模様だよ」


それだけ答えると、私は制御室から外に出た。

皆も黙って追従する。


「実は、あの額縁と同じ木目模様の彫刻が、この部屋のにもほどこされている。それを確認するため、先日額縁を探しにここにやって来たんだ。そして、サーバーの後ろに隠されているのを見つけた。その後、両者を比較してみて確信した」


私は工作台に歩み寄ると、台上の白布を剥ぎ取った。

例の肖像画の彫像が姿を現す。


「き、きさま……何をする!?」


背後から貝塚講師が声を荒げた。


「勝手に触るな!」


その言葉を完全無視し、私は尚文をかえりみた。

尚文の方も特に臆する事無く、その像に顔を近づけた。


「……なるほど」


やがて顔を上げた尚文は、納得したように呟いた。


「確かに……だ」


そのひと言で、その場の全員が事の顛末を理解した。


彫刻が専門である貝塚講師にとって、額縁の模様を彫る事は難しくはない。

【催眠誘導】に適した放射状の旋回図を、木目の凹凸を使って再現したのだ。

絵を観る時、人は大抵正面から鑑賞する。

ゆえに、その角度で放射状の旋回図になるよう作ったのである。


「この彫像は、恐らくだったんでしょう。彫像なら、色々な角度から模様の確認ができる。これで、旋回図に見える彫り方を研究したんです。違いますか?」


私の問いかけに、講師は黙ったままだった。

今は、余計な事を言わない方が賢明と判断したようだ。


「額縁を入れ替えたのは、それが異常行動の要因だと悟らせないためです。あまり被害者が多く出て、警察沙汰になっても困る。事故は、あくまで被害者自身の原因によるもの……大学側がそう判断する事は分かっていたし、仮に疑う者がいたとしても、目の向く先は肖像画の方です。まさか、額縁に秘密があるなどとは思うまい……アナタは、そう高をくくったのです、貝塚講師。実際、『呪われた絵』の真偽を暴こうとする者などいなかった。私たちを除いては……」


そこまで語ると、私は講師に両手を広げてみせた。

マジシャンが種明かしをする時の仕草だ。

暫しの沈黙が室内に流れる。


ふいに貝塚講師の顔が、鬼の形相から一転、満面の笑みに変わった。


「それで終わりかね」


聴く者の心底を揺さぶるような声が漏れる。


「額縁の模様で催眠にかけるだと……全く、話しにならん!現実離れしているにもほどがある。君が今言った事は、全てが想像の産物に過ぎない。探偵気取りで推理したつもりだろうが、なんの証拠も無いものだ。君もわが校の学生なら、具体的な根拠を示して話したまえ!」


その口調には、恫喝の響きがあった。

できるものなら、やってみろ……

そう言っているのだ。


「証拠……ですか」


特に気圧けおされた様子も無く、私はポツリと反応した。

好奇に満ちた視線が注がれるのを感じる。


「実は監視カメラの映像の中に、一つ興味深いものを見つけました。ご覧頂けますか?」


そう言って、私は再び通信制御室にとって返した。

入り口で貝塚講師を手招きする。

憤然とした顔に戻った講師が、渋々入室する。

皆も黙って後に続いた。


「これは二人目の被害者──高瀬幸博さんが倒れた日の閉館後の映像です。監視カメラは二十四時間稼働なので、来館者がいなくなった後も撮り続けています」


私の解説を合図に、クリスがまたパソコンを操作する。

映し出されたのは、誰もいない展示室。

皆が息を凝らして見つめていると、一人の男性が入って来た。

貝塚講師だ。

例の肖像画の前まで来ると、腕を組んで暫し眺める。

その後絵に手をかけ、慎重に外し始めた。

やがて、取り外した絵を抱えながら、講師の姿は画面から消えた。


私は何も言わず、講師の方を振り返る。


「……なんだ?この映像が何だと言うんだ。額縁を取り替えるために、外しただけだ」


「見て頂きたいのは、ここです」


再び映像が繰り返される。

講師が絵を眺めている場面になると、スロー再生になり、画面が拡大した。

振り向き様に、のが見てとれた。


「クイーン、なんて言ったか分かるか?」


私の問いに、画面を見つめていたクイーンが頷く。


「貝塚講師は、なんと言ったんだ?」


クイーンは一呼吸おくと、よく通る声で答えた。


高瀬たかせ……幸博ゆきひろ……か……」


その言葉に、皆の視線が貝塚講師に集中する。

見開かれた講師の目には、明らかな動揺の色があった。


「彼女は【読唇術】が特技でして、音声が無くとも口の動きで言葉を読み取ってしまうのです。この時アナタが漏らした何気ない呟きも、例外ではありません」


私は貝塚講師に近寄ると、その目を覗き込んだ。


「私たちが検証の許可をもらいに訪ねた時、アナタは確かこう言われました。『』と……しかしこの映像の中でアナタは、。なぜ知ってたんですか?彼が倒れてすぐ調べたからじゃないんですか?なのになぜ、知らないとのですか?」


「そ、それは……!」


私の追求に言葉を濁す講師。

必死に反論の糸口を探しているのが見て取れる。

その様子を確認し、私は人差し指を立ててみせた。


「そして、次にお見せするもので最後となります。アナタの言う【具体的な根拠】というヤツです」


私の目配せに、クリスがパソコンにUSBを差し込んだ。

キーボードを操作すると、スピーカーから聞き覚えのある曲が流れ始めた。


「これも、このパソコンからコピーさせてもらいました。知っての通り、これは展示ドームに流れているクラシックです。そして……」


そこで言葉を切ると、私は聞き耳をたてる仕草をした。


「……サブリミナルが仕込まれた曲でもあります」

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