メデューサの首〜その8

無人の美術工作室は不気味だった。

ここのあるじは、今は講義中で不在だ。

キャンバスに描かれた下絵たちが、興味深そうに侵入者を眺めている。  


「あそこだな」


工作室の奥に扉が見えた。

私は、躊躇ためらう事なくノブに手をかける。

中を覗くと、小さな部屋になっていた。

壁には配電盤が貼り付き、大型のサーバーが設置されている。

どうやら、この建屋の通信制御室のようだ。

中央の事務デスクに、予想していたものが置かれていた。


一台のパソコンである。


私が振り向くと、背後のクリスが小さく頷いた。

すたすたとパソコンに近付き、キーボードを叩き出す。


リズミカルな打音を聴きながら、私は工作台の方に向かった。

台上の白布をまくり上げる。

美女の彫像が、私を出迎えた。


「メデューサの首……か」


ポツリと呟き、私は布を元に戻した。


問題はここからだ。


私は工作台から離れると、室内を物色した。

工作棚、キャビネット、未使用のキャンバス……


無い……


「……ありました」


制御室から声がした。


入室すると、クリスが手を止めモニターを見つめている。


「コピーできるか?」


私の問いに頷くと、クリスはポケットからUSBを取り出した。

それをセットし、再びキーを叩き始める。

モニターから顔を上げた私の目に、あるものが映った。

サーバーの背後にある影の歪みだ。

私はクリスから離れると、そこを覗き込んだ。

黒い布が、壁の隙間に押し込まれている。

おもむろに、それを引き出し布をめくってみる。


「……あった!」


私は興奮を抑えながら呟いた。

そして、暫しを吟味した。


「やはりな……」


「終わりました」


私が唸るのと、クリスの報告の声が重なる。

振り向くと、少女はUSBを手に立ち上がっていた。

私は小さく頷いた。


「よし……撤収だ」



************



数日後──


一人の女性が、肖像画の前に立っていた。

ロングヘアに花柄のワンピース姿──

淡いサングラス越しに、じっと絵を眺めている。

開館間もないため、まだ休憩している者はいない。


「ああっ……」


唐突に、女性の口から呻き声が漏れた。

体は絵の方を向いているが、垂らした両手が震えている。

それは次第に激しさを増し、肩、胸、そして全身へと伝播した。


「ううっ……ぐっ」


また呻き声が出る。

やがて胸を押さえながら、その場にうずくまってしまった。

ぶつぶつと、何やら訳の分からぬ言葉を呟いている。


「ぎゃあぁぁぁっ!」


突然、けたたましい叫び声と共に立ち上がった。

踵を返すと、戸口に向かって脱兎の如く駆け出す。

そして、そのまま外に飛び出して行った。


室内に静寂が戻る。



************



男は満足そうなため息をつくと、椅子をそらして天を仰いだ。


「く……くくく」


自然と笑みがこぼれる。

吊り上がった目と口角は、とても人間のものとは思えなかった。


「ひぃー、ひゃひゃひゃひゃっ!」


とうとう押さえ切れず、笑い声を上げる。

こみ上げる歓喜に、全身の震えが止まらなかった。


ひとしきり笑い終えた時、ドアのノックが鳴った。

信じられない速さで、男の表情が切り替わる。

モニターの電源を切ると、咳払いし立ち上がった。

すでに別人と化した様相で、戸口へと向かう。


「はい」


ドアを開けると、数名の集団が立っていた。

全員、見た顔だ。

亜蘭あらん亘辺わたりべ式縞しきしま、それと確か……神楽坂だったか。


「お忙しいところをすみません。緊急で重要なお話があったもので……」


「重要な話?」


私の言葉に、その男──の胸に、一抹の不安がよぎる。

いぶかしげな視線で、私を睨みつけた。


「一連の事件の犯人はですね……貝塚講師」


前置きなく飛び出た言葉に、呆然となる貝塚講師。

その場の空気が一瞬で凍りつく。


「君は……一体、何を言ってるんだ!?」


「一連の事件の犯人はアナタですね……貝塚講師」

「いや、ポー……それもう、さっき言ったし」


ドイルが慌てて口を挟む。


「失礼します」


私はそう断わると、返事を待たずして入室した。


「な……何だね!失礼じゃないか!」

「だから失礼します、とお断りしました。通信制御室はあちらですね」


貝塚講師の抗議を気にも止めず、私はスタスタと室内を進んだ。

躊躇ちゅうちょなく奥の扉を開け、中に入る。

見覚えのある空間が広がった。


「ここでされていたのですね。


「鑑賞だと!?私が何を鑑賞していたというんだ」


困惑の表情で、声を上げる講師。

戸惑いながらも、毅然とした態度は崩さない。


です」


私のその言葉を合図に、誰かが制御室に姿を見せた。


ロングヘアに花柄のワンピース──


「……き、君は!?」


目を見開き、絶句する講師。

そこに立っていたのは、今しがた絵の前で異常行動を見せたばかりの女性だった。


「ほう、その反応……やはり、ご存じでしたか」


私は目を細めて言った。


「い、いや、これは……」


「もういいぞ。クイーン」


私が頷くと、その女性はロングヘアとサングラスを外した。

いつもの端正なクイーンの顔が現れる。


また、講師の目が大きく見開いた。


「君らは……だましたのか」


苦々しげに言葉を吐き出す講師。

私は軽く肩をすくめると、語り始めた。


「展示ドームの監視カメラがのか、事務職員の島田さんが教えてくれました。まあ、心理学の『損失回避バイアス』を少し応用しましたが」

「だからそれ、『脅迫』したんだって」


乱れた髪を直しながら、クイーンがツッコむ。


「警備会社と直結するメイン回線の他に、総務事務所に一台、そしてこの通信制御室に一台あると分かりました。特にここのモニターは、あなたが追加設置を要望されたそうですね。絵画の監視に必要だと言って」


「ああ、そうだ。初代総長の遺品に何かあったら、大変だからね……それのどこが問題なんだ?」


私の説明に、強い口調で答える講師。

そこに、いつもの優しい物腰は見られなかった。


「いえ、貴重なものに目を配るのは大切な事です。問題なのは、異常を発見した後の対応です」


そう言って、私は配電盤に近付いた。


「ギリシャ神話のメデューサは、を使って首を切り落とされたとあります。私たちも、それを参考にさせてもらいました」


私は密集したレバーの間から、何かを取り外した。

それは、小さなボタン電池に似たものだった。


「これは、私の仲間お手製の定点カメラです。こっそり画面を眺めていたアナタの姿は、鏡に映ったメデューサさながらに、これで投影されていたのです」


そこで言葉を切り、クリスに目配せする。

少女はコクリと頷くと、パソコンの前に立ちキーボードを操作し始めた。

全員が見守る中、モニターに映像が映し出される。

それは、画面を見ながら笑い転げる貝塚講師の姿だった。

室内が異様な緊張感に包まれる。


「展示室で人が苦しんでいるというのに、あなたはそれを見て大笑いしている。通報する事も、駆けつける事もせず、ただひたすら楽しそうに……」


私の追求に、貝塚講師の顔から血の気が無くなる。

額に浮き出たあぶら汗が、頬をつたい始めた。


「だから、何だと言うんだ!」


鬼の形相で、貝塚講師が吠える。

口調も態度も、一気に激変した。


「私も色々ストレスが溜まっていたんだ!笑った事は認めるが、決して本意では無い。気が動転していただけだ」


大仰おおぎょうな仕草で弁明を繰り返す講師。

私は何も言わず、静かにモニターを指差した。


「四人の被害者たちの様子も、ここから見ていたんでしょう?あなたが仕掛けた罠で苦しむ姿を……何もせず、笑いながら……」


「君は……何が言いたい?」  


私の挑発に、講師の声のトーンが一気に下がる。

その目には、威嚇するような輝きがあった。


「こんな事で、私が犯人だと言うのか!一体、何を根拠に……どうやって、私が彼らに被害を及ぼしたと言うのだ!?」


「あの絵を使って、【催眠誘導】を仕掛けたんです」


私は両手を広げ、事も無げに即答した。


「ばかな!あの絵にそんな仕掛けは無いと、君らが証明したばかりじゃないか!」


顔面を紅潮させ、怒声を放つ貝塚講師。


「その通りです。あの絵にそんな力は無かった。実は、仕掛けがほどこされていたのはだったのです」


射るような講師の眼光を、私は真正面から受け止めた。


「それはあの絵の……です」

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