メデューサの首〜その7
早朝の展示ドームに七つの人影があった。
私を始め【異常心理学研究会】のメンバー四人──
そして、
高瀬なる人物は、
意思の強そうな目で、食い入るように絵を見つめる。
「どうだ、高瀬……大丈夫か?」
すぐ後ろから尚文が声をかける。
「ああ……特に……なんともないな」
ポツリと呟く幸博。
時折移動しながら確認するが、変化は無かった。
緑の額縁の中では、美女が静かに微笑んでいる。
お前たちの目は節穴か……そんな風に
室内には、静かなクラシックが流れていた。
私たちが調査に訪れた時と同じ曲だ。
「すでに調査済みだ。この曲に不審な点は無い」
物問いたげな尚文の視線に、私は小声で囁いた。
「サブリミナルの可能性は?」
前を向いたまま、質問を重ねる尚文。
サブリミナルとは、潜在意識下に働きかける認知不可能な刺激の事だ。
流れている曲に、催眠を誘発する音が挟み込まれていないかを懸念しているのである。
「……それも確認しました。周波数領域を拡張し、曲中に別の音が含まれていない事も検証済みです」
私の背後から、クリスが報告する。
自分のテリトリーの話には、口を出さずにはおれないようだ。
「なるほど……確かに、精鋭だな」
尚文が、感心したように両手を広げた。
「あの日の記憶はあるんですか?高瀬さん」
クイーンが、慎重に言葉を選びながら尋ねる。
全員の視線が、幸博に集中した。
「それが……正直、よく覚えていないんだ」
そう言って、幸博は眉をひそめた。
「ここには、ちょっと休憩するつもりで入った。特に絵に興味はないが、パッと見が綺麗だったので暫く眺めていたんだ。そのうち、何となく眠気が襲ってきて……気がついたら、病院のベッドの上だった」
額に手を当て、当時の状況を思い出そうとする幸博。
「何か、大声をあげて暴れたらしいが、その時の記憶が全く無いんだ。ただ……目を覚ました時、なぜか気分は爽快だった。頭は痛んだが、どこかスッキリした感じで……」
そこで言葉を切ると、幸博は大きくため息をついた。
思い出せぬもどかしさが、表情を暗く曇らせている。
「どう思う?」
私は尚文に向き直り、問いかけた。
「うむ……これが催眠誘導だとするなら、何らかの方法で高瀬の自制心をコントロールしたんだろな。心中に累積していたストレスが、【大声】や【暴力】といった形で解放されたんだ。目覚めた時スッキリしていたのは、そのためだろう」
「それは……この絵のせいじゃないのか?」
そう言って、私は絵を指し示した。
それには答えず、尚文はゆっくり絵に近付いた。
細部を確認するかのように、
「確かに、この絵にはいくつもの描線が使われている。輪郭、背景、陰影……だが、所詮それだけだ」
肖像画の女性を見据え、尚文が言い放つ。
その表情に、特に関心を示した様子は無かった。
「この絵に関して言うなら、普通の絵となんら変わらない、というのが俺の感想だ。これで催眠状態に陥るなら、そこいらの美術館の絵は、みんな催眠の道具になってしまうさ」
尚文の下した結論に、メンバーが落胆の色を浮かべる。
それは、この絵が催眠誘導のアイテム──つまり、『呪われた絵』では無いと証明されたも同じだった。
その道の
「なるほど!これで、君らの懸念は考え過ぎだと分かった訳だ」
背後から、嬉しそうな貝塚講師の声が響き渡る。
「高瀬君、だったか……君も何かしらのストレスが溜まっていたのだろう。ゆっくり静養した方が良い」
講師の言葉に、ハァと生返事を返す幸博。
納得し切れていないのは、顔を見れば分かる。
その幸博の肩をポンと叩き、尚文が小さく頷く。
私は困惑の眼差しで、肖像画を睨むしかなかった。
************
皆が帰宅した後の研究室に、私は一人座っていた。
すでに窓外は夕闇に覆われている。
あの後、展示ドームでの検証は終了し解散となった。
「一から出直しね」
黙考する私の脳裏に、別れ際のクイーンの言葉が木霊する。
確かに振り出しに戻ってしまった。
一体、どこが間違っていたのか……
被害者四人の異常行動が、偶然の事故だとは今も思っていない。
その引き金になったのが、あの肖像画である事も間違いない。
状況から見て、【催眠誘導】が使われた可能性が最も高いと判断した。
だが……絵の中に催眠を誘発する仕掛けは無かった。
まだ、何か見落としているのだろうか……
これまで見聞きした内容が、胸中を駆け巡る。
呪われた絵──
接点の無い被害者──
催眠誘導──
被催眠者の条件──
放射状の旋回図──
肖像画がモデルの彫像──
そして
メデューサの首──
そこまで思い巡らせた時、身中で何かが
なんだ……この違和感は!?
私は無意識にポケットを探ると、中のものを掴み出した。
写真だ。
この案件調査を提案した時に、メンバーに見せたあの絵の写真である。
それは大学のホームページに掲載されていたものを、プリントアウトしたものだった。
私は、それを穴があくほど凝視した。
脳内に散らばった記憶のカケラが、次第に集結していく。
それは生き物のように蠢動し、やがて一つの形にまとまり始めた。
「……そうか!」
私は写真を握りしめ叫んだ。
「これは……とんでもない思い違いをしていた!?」
そう呟くと、私は大きく深呼吸した。
冷静になれ!
今一度状況を整理し、最良の道を選択するんだ……
私は腕を組み、目を閉じた。
沈みゆく意識の中で、自問を繰り返す。
やがて再び開かれた目には、今までとは違う光が宿っていた。
私は携帯を手にとると、緊張の面持ちで操作した。
短い呼び出し音の後、相手が応答する。
一呼吸おき、私は静かに囁いた。
「クリスか?……頼みたい事がある」
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