メデューサの首〜その6
研究室内に重苦しい空気が流れた。
誰かの喉を鳴らす音が木霊する。
「この神楽坂は、臨床心理学専攻だが、中でも【催眠誘導】について造詣が深い。知識だけなら、恐らく教授クラスにも引けを取らんだろう。まあ、個人的趣味の部分も多分にあるがな……」
「おい、人を何かのマニアみたいに言わんでくれ」
特に憤慨した風でもなく、尚文は否定した。
手近な椅子を引き寄せると、そのまま腰を下ろす。
「ち、ちょっと待って!じゃあ、何かい……誰かがあの絵を使って、観た者に催眠術をかけてるって言うのかい!?」
信じられないといった顔で、問いただすドイル。
私は黙って頷いた。
「そんな、ホラー映画みたいな事……できるの?」
「できるさ。受け手に条件さえ備わっていればな」
半信半疑な顔のドイルに、尚文が言い放つ。
「そもそも催眠状態とは、一種の【瞑想状態】のようなものだ。五感を通して脳に作用し、自我の喪失を誘発するんだ。結果的に受けた者は、ありもしない幻覚などを見たりする。いわゆる【アルタードステーツ】と呼ばれる現象だ」
「その現象が、あの四人の被害者に起きた訳だな」
私は、あえて説明に割って入った。
肩をすくめ、肯定の意を示す尚文。
「だが神楽坂……なぜ同じ条件下なのに、催眠にかかる者とかからない者が存在するんだ?」
それは、私が最も引っ掛かっていた疑問だった。
その答えを得るために、彼をここに呼んだのだ。
「精神面、性格面の違いが原因という説が一般的だ。集中力が高い者、感受性が高い者、想像力が豊かな者は被催眠性が高いと言われている。催眠状態になりにくい者はその逆な訳だ。心理学者のユングは、外向的な性格ほどかかりやすいとも説いている」
その身に宿す膨大な知識の一端を紐解く尚文。
皆、授業を受ける生徒の真剣さで傾聴する。
ドイルなどは、メモまでとり始めた。
「だが近年、身体的特徴による差も確認されている。催眠にかかり易い者は、脳梁の先端が極端に肥大しており、シータ波と呼ばれる脳波が通常の者より発生しやすい。これらは、MRIや臨床試験で実証済みだ」
「なるほど……それがお前の言った、『受け手の条件』というヤツか」
私は納得したように、大きく相槌を打つ。
「つまり、私たちが遭遇した二人の女子のうち、異常行動をとった子がその特徴を有していた訳だな」
「まあ、可能性は高いだろな」
そう言って、尚文は両手を広げてみせた。
「一体、該当者はどれくらいいるんだ?」
私は、さらに質問を重ねた。
「統計学的に見て、約十パーセント程度だと言われている」
「なるほど。観客が日に十人としても、一か月で約ニ百人……その一割だから、ニ十人程度の被害者がいてもおかしくない訳だ」
私は顎に手を当て、眉をしかめた。
実際の人数は、その五分の一だ……
やはり誰かが、何かの方法で調節しているとしか思えない。
「でも……だからと言って、被害者が本当にその特徴を備えていたかどうかは、分からないわよ」
クイーンが、
「いや、それは分かっている」
「えっ!?」
尚文の即答に、思わず声を上げるクイーン。
「二週間前に暴れて病院に運ばれた男子……実は、俺と同じ学部の奴なんだ。それで、うちのK大付属病院で治療を受けたんだが……」
意外な新情報に驚く面々。
「その時行った精密検査の結果を、たまたま見る機会があったんだ。それによると、奴の脳梁と脳波にはさっき言った被催眠性の特徴が見られた。つまり奴が暴れた原因が、催眠によるものだとしても否定はできない訳だ……もっとも、医師たちがそんな視点で診る訳は無いから、あくまで俺の見解に過ぎないがね」
それはまさに、今回の事件が催眠誘導と関係している事を立証する発言だった。
私とクイーンは息を呑み込み、ドイルとクリスはポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「……ところで、お前さっき、『もう一つある』とか言ってたな……それは何だ?」
私は気を取り直し、再び尋ねた。
「
ポツリと返す尚文。
その瞳に、微かに光が走る。
「さっきお前が言っていた【形】も、この描線の集合体だ。催眠誘導に使用される媒体は様々だが、中でも描線を使った図形は多用されている。特に多いのは【放射状の旋回図】だ。かかり易い奴なら、少し見つめるだけでイチコロだろうな」
「放射状の旋回図?」
「分かりにくければ、渦巻きを想像すれば良い」
そう言いながら、尚文は指先をくるりと回した。
「つまり、その描線の描き方一つで、誰でも催眠誘導が可能になるという事か」
私の問いに、また頭髪を掻き乱す尚文。
「まあ、それだけじゃ無いがな。これに声や音を加えて、相乗効果により暗示にかけるのが一般的だ」
「あ、それ知ってる!眼前で懐中時計を揺らしながら、語りかけるやつだね。あなたは眠くなる、眠くなる、眠く……ぐうー」
ふざけて眠ったフリをするドイル。
尚文が、何も言わず冷たい目を向ける。
「……いや、アンタまで、黙んないでよ!」
ドイルは、あたふたと飛び起きた。
「……犯人を見つけるつもりか?
何事も無かったかのように、尚文は私に問いかけた。
「ああ、そのつもりだ。だがその前に、あの絵に本当に催眠作用があるかどうかを証明しなければならない……それついて、お前に頼みがある。神楽坂」
私は尚文の正面に立ち、まっすぐ目を合わせた。
「一度、現物を見てくれないか。お前の目で検証してほしいんだ」
「やはりな……そうくると思ったよ」
そう言って、笑みを浮かべる尚文。
私の台詞を予期していたかのような顔だ。
「いいだろう……ただ、こちらも要望がある」
「要望……何だ?」
「ひとり、その場に参加させたい奴がいる」
「参加……誰だ?」
眉をひそめる私に、尚文は声のトーンを落とした。
「俺の学部の
************
「まさか、そんな……!?」
貝塚講師が振り向き様に絶句する。
明日行う検証の話をしに、工作室に来ていた。
部員だけで行う調査なら、こんな面倒な事はしない。
だが今回は、以前に被害経験のある者が参加する。
万が一何かあれば、先導した【異常心理学研究会】がその責を問われかねない。
私の身はともかく、仲間に支障が及ぶ事は避けねばならない。
管理担当者に話を通しておく事で、そのリスクを減らすのが目的だ。
「確かに、展示室で倒れた生徒がいる事は知っています。そのため、あの絵に変な噂が立っている事も……しかし、学校からは本人の持病によるものと聞いていますし、私はその生徒の名前も聴かされていない。申し訳ないが、君が言うような事があるとは到底信じられない」
いつになく強い口調で、貝塚講師は言った。
「あくまで可能性の話です。今回参加される高瀬幸博さんには持病が無く、自分が何故あんな事をしたのか全く心当たりがない。もしあの絵に原因があるなら、また同じ事が起こるはずだと考えているのです。なので何事もなければ、一応本人も納得すると思います。それに……」
私は一旦言葉を切ると、少し身を乗り出した。
「これは変な噂を
私は、さらりと切り札を放った。
先日の訪問で、貝塚講師があの絵に入れ込んでいる事は確認済みだ。
わざわざ代用の下絵まで描き、彫像を彫っている。
『呪われた絵』などという不名誉な噂には、言葉以上に立腹しているに違いない。
今回の検証で、高瀬幸博に何事も起こらなければ、絵とは関係無かった事の証明になる。
今の貝塚講師にとっては、欲しい結果のはずだ。
「……分かりました」
講師は、暫し悩んだ末に口を開いた。
「話がいささか荒唐無稽ですが、その方……高瀬さんの気持ちがそれで晴れるなら、承諾しましょう」
そう言って、諦めたように首を振る貝塚講師。
用心したのか、自分の気も晴れるとは言わなかった。
「ただし、一つ条件があります」
「はい……なんでしょうか?」
人差し指を立て呟く講師に、私は問い返した。
「明日は、私も同席させてもらいます」
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