メデューサの首〜その3
展示ドーム周辺は、大騒ぎになっていた。
駆け付けた救急車に、周りを取り巻く野次馬。
好奇の目と携帯のシャッター音が、断続的に降り注ぐ。
通報した私たちも、学校側への説明に追われた。
怪我を負ったのは二回生の女子。
『呪われた絵』の噂を聞き付け、友人と二人で見学にやって来たのだ。
無傷だった
何やらブツブツと呟き出したかと思うと、突然自分の目に指を突き立てたのだった。
私たちが聴いたのは、衝撃の光景を目の当たりにしたその友人の悲鳴だった。
「君たちがすれ違った時は、変わった様子は無かったんだね」
スーツ姿の中年男性が、事務的な口調で尋ねる。
大学の事務職員で、島田と名乗った。
「少なくとも、塗料が原因で無いのはたしか……」
「はい!二人で楽しそうに写真を撮ってました」
説明しかけた私を
余計な事を言うなとばかりに、睨みつけてきた。
「……となると、やはり個人的なものか。保護者にも説明しないと……」
事務職員の顔に、迷惑そうな色が浮かぶ。
ここ最近の類似事故の対応で、ウンザリしているようだ。
「よく分かった。ご苦労様でした」
「あの……ひとつ、お聞きしたいのですが」
私は、去りかけた島田職員の背中に問いかけた。
「何かね?」
面倒くさそうに振り向く職員。
「あの展示ドームに飾られている絵画は、どなたが管理されているのですか?」
私の質問に、島田職員はあからさまに嫌な顔をした。
『呪われた絵』の噂は、彼の耳にも入っているのだろう。
「そんな事を聞いて、どうするつもりかね」
「今度提出するレポートが、『日本画の魅力』というテーマなもので……あの見事な肖像画を、日々どのように手入れされているのか、是非お聞きしたくて」
無論、ウソだ。
学業に関連付けて依頼すれば、よほどの事がない限り拒否されない。
講義内容を掌握していない事務担当なら、なおさらだ。
案の定、島田職員はフンと鼻を鳴らすと手帳を取り出した。
「今担当されてるのは……美術講師の貝塚先生だね」
「そうですか。ありがとうございました」
何やらボヤきながら、島田職員は去って行った。
「相変わらず、人の心読むのうまいわね」
振り返ると、呆れ顔のクイーンと目がぶつかる。
「心理学でいう、『損失回避バイアス』を応用しただけだ」
「【人は報酬に比べ損失を倍に感じる】ってやつね」
「私がレポートを提出できなければ、質問に答えなかった自分のせいになるんじゃないか……あの事務職員はそれを恐れた。だから教えた」
「それ、もっと簡単な言い方知ってるわよ。『脅迫』って言うの」
そう言って、クイーンは片目を
「美術講師の貝塚か……」
それには答えず、私は呟きながら顎に手を当てた。
「会うつもり?」
「ああ、現時点で肖像画を最もよく知る人物だからな……だが、その前に事前情報が欲しいな」
クイーンの言葉に頷き、私は後方に目を向けた。
その視線に気付いたドイルの顔に、笑みが浮かぶ。
「オッケー。僕の出番だね」
嬉しそうに親指を立て、ポケットから何かを取り出すドイル。
携帯だ。
小指ほどのストラップが、山のように付いている。
そのまま、流れるような
しばらくすると、
「さっそく、来たよ」
そこには、
「貝塚講師に関する情報提供を呼びかけたんだ。送信先を学内に限定したので、数は知れてるけどね」
その言葉とは裏腹に、受信数は百を越えている。
これが、ドイルの最大の武器である。
コミュ強の彼は、膨大なメル友を保有している。
超がつくほど明るく、人懐っこい性格のなせる技だ。
誰とでもすぐ打ち解け、メール交換を欠かさない。
そしてこれらは、有用な情報源となり得るのである。
「個々の内容はまた確認するとして、役に立ちそうなのは……と……」
そう呟きながら、ドイルは凄まじい速さでメールをチェックした。
これも彼の特技の一つで、メールの閲覧速度が驚くほど速い。
読書の一技法に【速読】というのがあるが、ドイルの能力はまさにそれだった。
「
ほどなく、ドイルは幾つかのメールを読み始めた。
「K大の美術講師になって四年目。今受け持っている講義は週二回。テーマは『近代画法の変遷』……」
「講義の無い日は、何をしてるんだ」
メールから要点を読み上げるドイルに、私は割って入った。
「えっと……ほとんど美術工作室にいるみたいだね。訪ねて行った生徒が、彫像を彫っているところを見かけた、とある……仕事の合間に、作品作りをしてるのかもね。やっぱ、ほら、ゲージュツ家でもある訳だし。僕と同じで……」
ドイルはニッコリ笑うと、おどけた仕草で絵を描くフリをした。
「生徒の評判はどうだ?」
私は完全無視して、質問を変えた。
「……やさ……しい」
私の後ろで、蚊の鳴くような声がした。
クリスだ。
「知っているのか?彼を……」
振り向いた私の目を見て、少女は慌てて
「選択授業で……習って……ます……」
顔を
「それは、好都合だ!」
その言葉に、私は珍しく語気を強めた。
「好都合?」
「訪問の理由付けになる。生徒が分からないところを先生に聞きに行くのは、いたって自然だ」
首を傾げるクイーンに、私は説明して聞かせた。
要はクリスをダシにして、貝塚講師から話を聴き出そうという訳だ。
「いいの?クリス」
静かに問いかけるクイーン。
自分に注がれる皆の視線に、クリスの顔が一瞬硬直する。
しばしの沈黙の後、意を決したように少女は首を振った。
「……はい」
************
『管理責任者 貝塚純一』と書かれたプレートが貼ってある。
ここで間違いないようだ。
後方の三人に目配せし、私はドアをノックした。
「はい」
女性のような甲高い声がした。
ロックを外す音と共に、扉が開く。
顔を覗かせたのは、色白で小柄な人物だった。
一瞬、女性が出てきたのかと思うほどの美形だ。
「……ちゅもん……にき……た」
消え入りそうな声で、クリスが切り出す。
『注文に来た』と言ったのではない。
『質問に来た』と言ったのだ。
ここに来るまでの涙ぐましい練習は、徒労に終わったようだ。
「お忙しいところ、すみません。貝塚先生でしょうか?」
仕方ないので、私が後を引き継ぐ。
「はい。そうですが……」
美術講師は、不思議そうに首を傾げた。
「彼女は先生の講義の受講生でして、何やら質問があるらしいのです。しかし、ご覧のようにうまく説明できないらしくて……私たちが、助っ人に呼ばれた次第です」
私は、もっともらしいウソを並べた。
隣りでクリスが、ウンウンと頷く。
「そうですか……どうぞ、お入りください」
身を開いた貝塚講師が、室内に手招く。
私たちはペコリと頭を下げると、ゾロゾロと入室した。
部屋の中は、美術用品でひしめき合っている。
中央に鎮座する巨大な工作台──
林立する棚に並ぶ工作器具──
壁に立て掛けられたキャンバス──
「ポー……アレ!」
クイーンが耳元で囁く。
彼女の向く方向に、私も視線を向けた。
描きかけのキャンバスが目に入る。
それは、若い日本女性の肖像画だった。
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