メデューサの首〜その4

よく見ると、その肖像画は『呪われた絵』とは別物だった。

顔の角度や色合いなどが、僅かに異なっている。


「いつも僕の講義を聴いてくれて、ありがとう。ええと……」


貝塚講師は、問うような視線をクリスに向ける。


式縞しきしま……真美まみ……です」

「ああ、式縞さん。ありがとう」


クリスのぎこちない口調にも、優しく応対する。

その柔らかい物腰には、理屈抜きで好感が持てた。

クリスに続いて、私たちも名乗る。

彼女以外、二回生というのに驚いた様子だった。


「同じ同好会の仲間なんです」


私は即座に補足した。

こんなところで、怪しまれる訳にはいかない。

なるほどと頷くと、貝塚講師はクリスの顔を眺めた。

どうやら、質問を待っているようだ。


「彼女から代わりに聞いてくれと頼まれたので、私でよろしいでしょうか?」


私は、横目でクリスを見ながら弁明した。

講師はニッコリ笑うと、どうぞと手を差し出した。


「実は、彼女……先生の講義を聴いて、美術の世界に興味を惹かれたらしいのです。それで、最近評判の展示ドームの絵画を観に行ったところ、いたく感銘を受けたらしくて……先生ならあの絵の事、お詳しいんじゃないかと思いお訪ねしました」


私は、用意した台本を読み上げるように説明した。

事をスムーズに進めるために考えた訪問理由である。

自分の授業を褒められ、悪い気はしないはずだ。


「そうですか。それは、嬉しいですね……確かに、あの絵の管理は私がまかされています」


予想通り、貝塚講師は笑みを浮かべ、関与を認めた。


「ただ絵については、私も詳しくは知らないのです。調べた範囲では、初代総長が旅行中に買い付けたもののようです。画風から、明治から大正にかけての作品と思われますが、それ以上の事は何も……」


私たちに椅子をすすめながら、申し訳無さそうに講師は言った。


「あの絵の面倒を見てくれと言われた時は、正直戸惑いました。初代総長の大切な遺品ですし、実に見事な作品でしたので」


そう言って、眉をひそめる講師。

彼を取り囲むように座った私たちは、話に聴き入る。


「しかし実際に管理し始めて、今は自分が担当できた事に感謝しています。あの絵からは、学ぶ事が実に多いのです。モノを描くときの心構え、技法の大切さ、そしてどうすれば観る者に感銘を与えられるか……」


貝塚講師の言葉に熱がこもる。

宙を仰ぐ表情には、よろこびが満ちていた。


「具体的には、どのように管理されているのですか?」


私は、あえて事務的な口調で質問した。

いくら賛辞の言葉を並べられても、謎解きの参考にはならない。

知りたいのは、異常行動との関連性だ。


「え?……ああ、管理ね……」


話の腰を折られ、ハッとしたように振り向く講師。

高揚した頬には、赤みがさしている。


「特にたいした事はしてませんよ。展示室の音響と空調の調節、日に数回の傷や汚れのチェック、たまに額縁の交換も行なったりするくらいです」


大きく息を吐きながら、貝塚講師は説明した。


異常行動の原因があの絵にあるなら、必ずなんらかの細工がほどこされているはずだ。

そしてそれは、五感──触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚のいずれかを通して作用していると考えられる。


絵に触れた者はいなかった。

つまり、皮膚から薬物などが浸透したのでは無いという事だ。


無論、など論外だ。


ゆえに、触覚、味覚は除外される。


残るは、視覚、聴覚、嗅覚のいずれか……


臭いの対象となりうる塗料は、もう調べた。

肖像画を嗅いでみたアレだ。

未だ体調に変化が無い事から見て、この可能性も低い。


となると、視覚か、それとも聴覚か……


視覚となると、怪しむべきは色彩だ。

精神に影響を及ぼす、特殊な技法でも使われているのだろうか。

だが、人を自傷行為にまで誘導する技法とは、一体どんなものだ?


聴覚に至っては、さらに荒唐無稽だ。

絵画から、なんらかの可能性である。

そうなると、あの中に極小の電子機器を埋め込む必要がある。


こうなると、もうSFの世界だ。

だが可能性がある以上、検証しなければならない。


そして、私を悩ます最も大きな謎──


なぜ、


現に、あの目をえぐった女子学生の場合、一緒にいた友人には影響が出なかった。


なぜだ!?


あの二人の違いとは、一体何だ!


分からない


分からないが


なんとかして、調べないと……



「先生も肖像画をお描きになるんですね」


急に沈黙した私に代わり、慌ててクイーンが口を開く。

私がいつものように、熟考の深淵に沈んだ事を察知したのだ。

彼女は、わざとらしく描きかけの肖像画を指差した。


「ああ、それ……なんですよ」

「……素材?」


講師の即答に、クイーンが首を傾げる。


「これの素材です」


貝塚講師は立ち上がると、工作台に近づいた。

台上には、白布の掛かった物体が置かれている。

講師はそっと手を伸ばし、それを剥ぎ取った。


「これは……!?」


私を含めた四人が、同時に声を上げる。


布の下から現れたのは、女性の肩から上の彫像だった。


肩口に掛かるショール──

アップに束ねた髪と髪飾り──

そして、印象的な大きな瞳──


間違いない。


それは、あの『呪われた絵』の女性だった。


色彩の華やかさは無いが、淡い木目が独特の美しさをかもし出している。


「今回、あの絵と出逢えた記念に、私の作品のモデルになってもらいました」


いとおしげに彫像を撫でながら、講師は語った。


「元々僕は、絵画より彫刻の方が専門なんです。時間があれば、こうやって作品を彫っていて……残念ながら、まだ満足のいくものは出来てませんが」


そう言って、苦笑いを浮かべる貝塚講師。


「僕の場合、彫る前に必ず下絵を描くようにしてます。本当はあの絵をそばに置いて彫りたいのですが、なにせ展示中ですので……それで仕方なく、代用を使っているのです。そのキャンバスの絵がそれです」


素人目にも完成度の高いその彫像を見れば、貝塚講師がいかにあの肖像画を崇拝しているかが分かる。


その場の全員が沈黙した。


そして凍りついたように、ひたすらその像を見続けた。



************



「まるで、【メデューサの首】ね」


研究室の中で、クイーンがポツリと呟く。

あの後四人は、貝塚講師に礼を述べ、美術工作室を後にしたのだった。

結局、謎を解く有効な手掛かりは得られずじまいだ。


「メデューサって、目を合わせた者を石に変えるっていう、ギリシャ神話の怪物だよね」


ドイルが、嫌そうな表情を浮かべる。

この手の話は苦手らしい。


「あの女性の像を見た途端、誰も何も言えなくなった。文字通り石になったみたいにね……ピッタリじゃない」

「心理学でいう、『凍結反応』というやつだ。もともと、あの肖像画に対しては【呪い】というトラウマがあった。彫像となった姿を見せられ、反射的に心が防衛体制をとったんだ」


皮肉を口にするクイーンに、私は何食わぬ顔で応戦する。


「『凍結反応』って、襲われたカメが首を引っ込めるって、アレね。傷付くのを恐れるあまり、不動になってしまう……よくもまあ、それだけ冷静に分析できるわね」


呆れ顔で言い放つクイーン。

私は自慢するでもなく、軽く肩をすくめた。


「それなら、絵の方も同じだね。観た者の心を狂わす魔性の女性……まさにメデューサと呼ぶにふさわしい!しかもだけに『ときて、となる』……なんちゃって」


ワザと震えながら、ジョークを飛ばすドイル。

重苦しい沈黙が流れる。


「いや、だから、なんか言ってよ!」


「いずれにしても、これといった手掛かりは見つからなかったけど……これから、どうするの?」


ドイルの方を振り向くことなく、クイーンは私に尋ねた。


「あの絵が観る者の視覚か聴覚に、何らかの作用を及ぼしているのは間違いない」


私は皆に、美術工作室での推論を語って聞かせた。

五感への作用と、二つに絞った理由を……


「なるほど。色彩に特殊な信号ね……」


腕組みしながら、小さく頷くクイーン。


「それで……どう証明するつもり?」


「消去法でいく。まずは、聴覚への作用の確認だ」


クイーンに答えると、私はクリスの方に目を向けた。


「お前の出番だ。クリス」


私の呼びかけに、オドオドと顔を上げるクリス。


怯えた瞳の奥で、微かに光がまたたく。

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