8章:過去と秘密と想い
「少し歩こうか」
今、私の横には笑人がいる。
爆発しそうな心臓と、期待と不安を胸に頷いた。
漠然と思う。私たちは学校でクラスも違ければ、あまり会話をしたこともない。
それなのに、このスムーズさはなんだ。
こういうのを「2人にしか分からない空気感」と言うことを、いずれ知る。
「久しぶりだね」
笑人は私の少し前を歩いているので表情は見えない。でも声が優しいのは分かった。
「うん、不登校だから」
私はそっけなく返した。何となくこの話題は嫌だった。
「ねぇ、今日何で笑人の家に来たか分かる?」
少し早口になってしまった。でもそんなの気にしている場合ではない。
「え…」
笑人は俯いて黙り込んでしまった。その様子で分かった。
「はい。バレンタインのチョコレート」
私は、笑人に手に持った袋を差し出した。
笑人はそれを見た途端、動かなくなった。
沈黙が数秒ー。
「やだ…」
え、やだ?何で…?もしかして嫌がられた…?
私は差し出した手を引いた。そして笑人を見つめる。
笑人は相変わらず俯いて、地面を睨みつけていた。
「ごめんね…」私は思わず謝った。
「いや、違う」笑人の声は震えていた。
「死にたくない…」
え、今なんて…?死にたくない?
「え…どういう…」
笑人を凝視していて気づいた。彼は随分痩せていた。
「え…もしかして…」
病気なの、という言葉は声にならなかった。でも先に口を開いたのは笑人だった。
「病気で…もうすぐ死ぬ」
私は呆然と彼を見つめた。まだ心がついていかない。
「え、なんの…」
「遺伝性の病気」
「もうすぐで…え…まさか…」
「うん、そのまさか」笑人は悲しく微笑んだ。私は何も言えなかった。
突然好きな人から「もうすぐ死ぬ」と告げられるって、こんなにも心が冷えるものなのだと、初めて知った。
「後、1か月だって。俺あと1ヶ月で死ぬんだって」
笑人は笑っていた。でも目は想像もつかない様な苦しみで溢れていた。
私は、全然笑えなかった。それどころかムカついた。
これ以上、笑人を苦しませないで。これ以上、私を辛くさせないで。
「何で…笑人が…」
私は気づいたら泣いていた。笑人が驚いて慌てふためいた。
でも次の瞬間、笑人の顔が歪んだ。
泣いているのかもしれない。苦しいのかもしれない。
「うう…」
私は涙が枯れ果てるまで泣き続けた。
「ごめんね、泣いたりして」
私は気持ちが落ち着いたと同時に謝った。笑人は微笑んで「いいよ。大丈夫」と受け流してくれた。
ー私はふと、笑人に聞いて欲しくなった。
「ねえ、私の話をして良い…?」
ゆっくりと丁寧に言葉を紡いだ。本当に聞いてほしい大事な話だから。
「うん、いいよ」
彼は私と歩くペースを合わせてくれた。
ー私もこれで話す決心がついた。
私は小学校4年生の時、人間の醜さを知った。
去年、あまり良い人間関係を気づけなかった私は、今年同じクラスになった女の子と仲良くしていた。その子は優しくて穏やかな子だったので、一瞬にして好きになった。
でもあと1人、私たちと一緒にいた女子がいた。
「その人」は、私が好きな子と去年から同じクラスで仲も良かった。
私も「その人」とも良い関係を築けていたーはずだった。
運動会が始まる少し前くらいから、好きな子が私に言ってきた。
「なんかベタベタしてきて嫌なんだよね」
話を聞くと「その人」がずっとくっついてくるのが嫌なのだと言う。
確かに私も「その人」の行動に気難しさを覚えていたのは事実だった。
それから私たちは、次第に「その人」を避けるようになった。
「その人」が学校に来る前に2人で校庭に行ったり、2人ペアになる時には「その人」が来る前に私たちでペアを組んだりというレベルだった。
でも正月が明け、雪が降りそうなくらい寒い時期に、担任の先生に呼ばれた。
「誰かイジメてないですか」
「何でそんな事をしたんですか?」
「学校に行きたくないとまで言ってるんです」
ー私たちが「その人」をイジメた、という話になっていた。
私は最後の最後まで心で抵抗し続けた。現実ではどんどん私たちは悪者になっていくのに、心の中の自分だけはまだ「勇者」だった。
仕事で忙しいお母さんに、担任の先生が電話するまでは。
そして言い放った。
「イジメられた側がイジメと言ったら、それはイジメになるんです」と。
私は絶望した。つまり私たちには何も出来ないのだと。
悪者にされた側はずっと悪者で居続けないといけないのだ、と言われているみたいだった。
私はこの瞬間、壊れた。
心に醜い自分がいるのに気づいた。でも今の自分には嬉しかった。
もしかしたら、私が何かしてしまったのかも知れない。でも当時はそれが嬉しかった。
ーでも5ヵ月を前、私は不登校になった。
私はイジメられた側だ。でも今の担任教師は私に原因があると思っているのだ。
直接は言ってこないが、態度や行動で何となく察していた。
「イジメられた側がイジメと言ったら、それはイジメになるんです」なんて、今の状況に通用するわけが無かった。
自分が不利になると分かると、誰かのせいにして足掻く。
それが人間だー。
「…ごめんね、こんな話して」
私は横に顔を向けた。笑人は放心して私を見ていた。
次第に目に光が戻ってきた笑人が、
「そんな事があったんだね」と苦笑した。
でも目が翳っていた。辛そうにしているのは一目瞭然だった。
嫌われちゃう、なんて考えは一切浮かばない。何故だろう。
「確かに人間はそんなものなのかもね」
笑人は何かを思い出すように語る。
「自分の目先のものばかり見て、後に追求されると逃げる。それが人間なのかもね」
「うん…」
「自分が誰かを裏切っても、自分が裏切られなければいい。それが人間」
「うん…」
「でも俺だったら、光羽が幸せならいい」
「え…」
話の流れがよく分からない。どうして突然そんな話になるのだろう。
私が考えを巡られせていると笑人が笑った。
「たとえ、自分が死ぬことが分かっていても、光羽が幸せならそれでいいって思えるってこと」
つまり笑人は、自分が死んでも私が生きていてくれるならそれでいい、と伝えたいのだろうか。
私が返答に困っていると、笑人が満面の笑みで言った。
「光羽が生きていてくれれば、それでいいよ…」と。
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