1章:運命の出会い

「じゃあ、火曜日の中学校体験授業で、どの教科の授業を受けたいか選んでね」

2週間後に卒業式を控えた小学校6年生の私たち。数日後に中学校の授業を体験出来る時間があるらしく、小学校の隣に設立されている中学校に行く予定だった。

私たちの小学校は、私立受験をしない限りは、隣の中学校に通う事になっている。メンバーがほとんど変わらないのは安心できるけれど、どこか新鮮味がない気がする。

「じゃあ、国語の授業を受けたい人」

担任の先生が黒板に書いた教科を、順番に読み上げている。私は数学希望だった。

しかし、

「数学多いな…」

担任が国語の次に読み上げた教科、数学は私が想像していた人数よりも、多くの人が手を挙げた。

おそらく、小学校より難しくなる数学に、不安を抱いている児童が多いのだろう。

仕方ない。私は幸い、習い事で数学を勉強しているので、他の人に譲ろうと決めた。

持ち前の臨機応変さで、一緒の教科を受けようと約束していた友達に「英語にしよう」と伝えた。

友達も状況を察知したらしく、「うん」と答えてくれた。


その日は、少し肌寒かったが晴れていた。

5時間みっちり小学校で授業を受けてからの中学校だったので、少し疲労を感じてはいたが、6時間目がこんなにも楽しみに感じた事は、今までに無かった。

「こちらの教室です」

迷路のような広い校舎を何度か回った後、人気のない静かな教室に、私たち「英語グループ」は入った。人数は15人くらいだろう。

英語が好きそうな人たちが集まった。友達や知り合いを見つけて微笑んだり、話しかけたりしている人もいる。

後ろのドアから教室に入った私は、黒板に近い1番前の席に座った。

顔は見えないけれど、同い年くらいの男子2人が窓側の席に座っていた。

ふと思い出した。そういえば違う小学校から来る人たちも、20人くらいいると聞いていた。おそらく2人は英語の授業を選択したのだ。

英語担当の先生が来るまでの間、何気なく左斜め前を見ていた。4月から同級生になる2人が座っている。

私が座っている席は、教壇の前なので少し後ろに下がっていた。彼らと同じ前の席でも、ここだけが2列目にいるような感覚だった。

端っこの席に背筋を伸ばして座っている小柄な男の子。その男の子をしばらく眺めていると、何故か不安な気持ちになった。でも、不安よりも違和感、違和感よりも懐かしさ、という感じの変化が起きた。

何この気持ち…それが率直な思いだった。初対面で、しかも話したこともない人に、こんな感情を抱いた事はない。

まるで「何年も会えていなかった恋人に再会出来た時のような」という表現が頭に浮かび、慌てて打ち消す。

私にはまだ恋人なんて呼べる人はいない。そもそも誰とも付き合った事が無いのだから、この表現はいくら何でも違う気がする。

この感情の正体がいつか分かるといいな、そう軽く捉え、私は正面に向き直ったー。


   ※ ※          ※ ※


「ただいまー」

私は、小学校の頃から変わらない通学路を歩き、家に帰った。1週間前に中学校へ入学して、だいぶ落ち着いてきた頃だった。

「お帰り。ミーちゃん」

声をかけてくれたのは、おばあちゃんだ。しかしー私は無視をした。

「なんで無視するの?せっかく声かけてあげたのに」

あー。また始まった。せっかく「してあげたのに」発言。

私はおばあちゃんを無視して、自分の部屋にこもった。

最近、情緒が不安定になりやすい。別におばあちゃんから文句や小言を言われるからというわけではな無い。そんなの昔からー両親が離婚してから変わらない。

多分、雄大との関係で悩んでいるのだ。

雄大ー小学校卒業式の4日前から私の彼氏になった人。実は半年以上前から密かに気になっていた。向こうも私に興味があったらしく、中学生になって忙しくなると話せる機会が減ってしまう。それは嫌だから付き合いたい、みたいな展開で付き合い始めた。

もっとロマンチックなセリフで告白されたかったのだけれど、意外と現実主義な面も好きになった。

しかし、そんな彼に対してずっと嫌だと思っているところがあるのだ。

それは、好き嫌いが激しく、気分が顔に出るのはもちろん、態度や言葉にも出し、思った事を平気で口にするところだ。

しかも男子にはバカで面白い風を装って機嫌を取っているのに、一部の女子に対しての態度が酷い。

「お前」とか「ウザい」とか「めんどくさい」なんて言葉を私はしょっちゅう聞いた。

さすがに、私に対してはこんな言葉を言ったりはしないけれど、1回だけクラスメイトの男子と調子に乗って、私たちのクラスのことを「穢れる」と吐き捨てたことがあった。

その後、反省の態度を見せたので許してはいる。でもその日の夜は、あまりの口の悪さに家から帰るなり、誰もいない家で何時間も大号泣した。

彼と一緒にいると、色んな意味で落ち着かない。でもこれが恋愛なのだろう。

今日悩んでいることは、彼と話せなかったことだ。1日くらい大丈夫だと言い聞かせているのに、心配で仕方がなかった。

好きなはずなのに、何でこんなに疲れるのだろう。好きなはずなのに、何故かほんの少しの間だけでも消えてほしいと思うことがある。

息苦しい。とにかく苦しい。何が辛さの元なのか分かっているはずなのに、あえて見ないようにしている。

だってそれに気づいてしまったらー私はもう生きていけない。


翌日。私は廊下に出て、雄大を探す。

今年も運悪く、違うクラスになってしまったのだ。

廊下は、今までに無い滅茶苦茶なクラス分けになってしまったのを嘆いている生徒でごった返していた。小学生の時、仲の良かった人を探しているのだろう。

「何このクラス分け!マジあり得ない…」と騒いでいる声を何度も聞く。

私の友達が「廊下の人口密度がヤバい」と苦笑していたのを思い出して、私も苦笑いを浮かべた。皆、中学校生活に期待と不安を抱いているのだ。

「あ…」思わず声が漏れてしまう。私は目で合図をして、雄大を呼び出す。

付き合っていることは2人だけの秘密、という事になっているので、私たちはクラスメイトや友達の前ではほとんど話さない。その代わりに、アイコンタクトが必須になっていて、何かあったら目で合図をするという事になっていた。

「どうした?」

特別教室しかなく、人気が全くない薄暗い校舎へ来たところで、彼が尋ねる。

「いや、特に用はないんだけどさ、ちょっと話したいなって思って…」

私は変なテンションで話してしまう。やっぱり雄大と一緒にいると、「嫌われないかな」とか、「つまんないと思われてないかな」とか、そんな事ばかり考えてしまう。

すごいー疲れる。

「あーそれだったら、俺リンちゃんと遊びたいから、また今度でいい?今すっげぇ、いいとこだったから。また今度な!」

そう言って私の返事を聞かずに、駆け出していった。

リンちゃんー私たちとは違う小学校から来た背の低い男子だ。背が低い事と、顔が可愛い事が合わさって、男子の間ではリンちゃんという女子みたいなあだ名がついている。

別に、雄大が誰と遊ぼうが雄大の勝手だ。でも…、だからって私の返事を待たずに、教室に戻っていくのはどうかと思う。

小学6年生の時、雄大とは同じ委員会だった。雄大の事を好きになったのは、この委員会がキッカケだった。今まで一度も同じクラスになったことはない。それなのに、お互いがお互いを意識したタイミングも同じ、この委員会に入った理由もお互いに仕方なくという感じで、だった。

単純だか、運命を感じてしまった。ほぼ一目惚れに近かった。

その委員会で急遽の集まりの時、彼はサッカーがしたくて仕方がなかったらしく、勝手に教室から出ていってしまった。その時はヤンチャだな、くらいに思っていたけれど、今となれば、なんてワガママなのだろう、と思ってしまう。

私は俯きながら来た道をトボトボと戻る。泣きそうになっている心を奮い立たせて、必死に足を前へ動かす。

1年生のクラスがある階に着くと、聞き覚えのある声が山ほど聞こえてきた。正直、今の私には耳障りで仕方がなかったけれど、顔には出さずにひたすら進む。うるさい男子たちにぶつかられそうになって、背筋がピリピリした。

心では泣いている。でも絶対泣かない。泣いたら負けだから。


5月半ば。来週の土曜日に体育祭を控えた日。中学校生活にも慣れが出てきて、油断してはいけない時期。

雄大との関係も相変わらず不安定で落ち着かないし、入った部活では先輩や顧問がウザいし面倒くさい。そもそも中学校自体つまらない。

何もかもが上手くいかない。生きづらい。苦しい。

今日は暑い中、校庭の石拾いだ。体育祭では、裸足で行う競技は男子の騎馬戦しかないのに、女子の私までもが石拾いに参加させられていた。

部活ごとに担当の場所が振り分けられていたので、仕方がないといえば仕方がない。

しかし、暑い上にこんな面倒ごとに巻き込まれて最悪だ。部活の時間が短くなるのならいいのに、それすらないのだから地獄だ。

「あっつ…」思わず呟きが漏れた。

大きい石は、張りきりすぎている先輩に拾われて無い。小さい石も拾う意味すら分からない。こんなの踏んだって怪我一つしないだろう。

私は手に乗っていた石を、少しだけ放り投げた。

ーこの世の全てのものを憎んでいた。

「光羽!」

名前を呼ばれたと気づいた途端、背中に軽い衝撃が走った。

振り向くと、見覚えのある先輩がいた。

「梨南先輩!」

梨南先輩は、学童保育の時に仲良しだった先輩だ。1つ上の学年なので、中学校で会える事を実は期待していた。

「久しぶりだね、光羽」真ん丸の目をクリクリさせて微笑む。

梨南先輩は、小学生の頃、結構荒れていた。当時は苦手なところもあったが、今となっては良い思い出だ。

気が滅入っていた私は、梨南先輩のおかけで気分を上向かせることが出来た。

再会してから数分は黙々と石拾いをしていた私たちだったが、しばらくすると一緒にいる事に慣れてきた。

だから、今まで気になっていた事を聞いてみた。

「あの…何で陽奈先輩、嫌われてるんですか?」

陽奈先輩とは、私が所属しているバレー部の先輩だ。私は丁寧に教えてくれる陽奈先輩が好きなのだけれど、陽奈先輩と同い年の先輩たちはあまりいい印象を持っていないらしい。

すると梨南先輩は、なんて事ないような表情で言い切った。

「あー悪口が凄いからね」

悪口…あの陽奈先輩が? そんな人だったの?

「悪口…ですか?」

「うん」

人って裏で何を考えているか分からないものだ。そんなの昔から分かっていたはずなのに、目の前に突きつけられた現実を受け入れられないでいた。

ー私は、ただひたすら地面と向き合った。


「バイバイ、光羽」

「さようなら」

梨南先輩と別れ、私は1人で集合場所へと向かった。

石拾いが終わったら、部活ごとに列になって並ぶのだ。まだ全然人が集まっていないので、私はゆっくりと地面に腰を下ろした。

徐々に人が集まってきて、同じ部活の同級生と談笑していた。

でもそれは束の間の出来事だった。

「ねぇ、3年生が優先だよ」

低い声が鋭く耳に届く。一瞬にして心が冷えた。

「あ、すみません」

2年生の先輩の歪んだ顔が視界に入る。

私たち1年生は、先輩たちが前に座るのをすっかり忘れて、集まった順番で並んでしまっていたのだ。

皆、反射的に謝り、すぐに後ろに下がる。

「何でそんなのも分からないかな?」という声が今にも聞こえてきそうだ。

確かに気づかなかった私達が悪い。でも、そんなキツイ言い方しなくたって良くないですか?先輩たちだって去年はこんな感じだったんじゃないんですか?

言えない本音が沸々と湧き上がって止まらなかった。思わず唇を噛み締めて俯く。

ー人間なんて大嫌いだ。

そう思った瞬間、後ろから砂を擦るような音が聞こえてきた。

何気なく振り返ると、同級生の男子が複数ある列の間を、行ったり来たりしていた。

なぜ同級生だと分かったのかというと、彼が着ている体操服のデザインの色が、私の体操服と同じ色だったから。

学年ごとに色が違うのが、この中学校の特徴なのだ。

「え…」私は思わず呟いてしまった。

多分彼は、自分がどの列に座ればいいのか分かっていない。迷っていた。

私たちバレー部の1年生は、先輩に注意され後ろの方に並んでいた。しかも私は最後尾に座っている。

どうしよう。声をかけた方がいいのかな?もうすぐ先生も来るだろうし。

考えが纏まらず、あたふたしていた私の元に、優しい声が聞こえてきた。

ーこの瞬間から、私は残酷な運命に支配された。

「あの…ここは?」

「ここは女子バレーボール部です」

とっさに口から言葉が飛び出した。

目の前には先ほどの彼ー笑人がいた。

笑人が私に、私が座っている列の部活動が何かを聞いてきたのだ。

彼は適当に頭を下げて、帰宅部の列の最後尾に座った。

笑人と話した。それだけなのに妙にドキドキした。今までにない気持ちになった。

初めて話したこの瞬間からー惹かれていた。

ーそのことに気づいたのは、もう少し先だった。

私は前に向き直り、笑人との会話の最中を思い返す。

優しそうな顔つきだった。カッコイイと言われそうな見た目ではないけれど、清潔感があるし、真面目そうな雰囲気だった。

私はいつか、笑人を好きになるー。

この時に分かったのは、それだけだった。

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