特別監視課

「血圧良好。血中酸素濃度、心拍数共に異常なし。あ、ただいま意識が覚醒しました」


 瞬が目を覚ましてから初めて聞いた声だった。

 どうやら仰向けに寝ており、真っ白な天井と瞬を囲っている数人の人影が見える。

 少し首を傾ける。どうやら瞬は半円柱状のカプセルに入ってるようで、この部屋はそのカプセルが目安二メートル間隔で置かれている。中には瞬と同じように、たくさんのチューブが付けられ眠る人。

 ふと、ここで記憶が刺激された。そうだ、このカプセルは役所にある、赤ちゃんが誕生するカプセルと同じだ。親に役所見学を連れて行ってもらった幼い頃を思い出した。


「私の声が聞こえますか? 自分が誰だか分かりますか? 聞こえたら右手を挙げてください」


 瞬に話しかけるのは血圧やら血中酸素濃度やらよく分からないことを言っていた若い女性。十代後半か二十代前半の彼女は黒髪ボブに、まだ着慣れていない印象のあるスーツ姿。瞬に話しかけながら、バインダーに挟んだ紙に何やらメモを取っている。

 一先ひとまず瞬は右手を挙げながら、上体を起こす。


「まだ安静にしておいてください! えーと、私の声はちゃんと聞こえてるみたいですね」

「別に体を起こしても構わないぞ」

「あ、先輩! お疲れ様です!」


 カツカツと近づいて来るのは高身長の短髪女。


「やあ。さっきぶりだな」


 瞬をこの世界に招き入れた女だった。女はカプセルのドアを開け、周りにいる人たちと瞬に刺さっているチューブを外していく。


「自己紹介がまだだったな。あたしは久留美廉くるみれん。こっちのちびは潮目紗知しおめさちだ」

「ちょっと! ちびってなんですかちびって!」

「このちびは君の、まあそうだな。世話係、とでも言おうか。正式名称は特別監視課。これからはこいつと生活を共にするから仲良くしろよ」

「はあ」

「あ、普通に喋れるみたいですね。というか先輩。もう少しこの人の体調を調べてから――」

「今までに眠りから覚めた人間が記憶を失くしてたり、どこかしらの不自由が生じたりすることはなかった。だから大丈夫」

「んな適当な……」


 紗知は右手で頭を抱えた。

 その様子をどこか疎外感を覚えながら瞬は見る。瞬の知らない人。瞬の知らない世界。世界の真実を知れるという興奮も、いざ現実と呼ばれる世界に来てみれば冷めていく。これから先の生活や今までコミュニケーションを取ってきた人のいない退屈に。

 カプセルから出て周囲を見回すと、ここはカプセルでびっしりと埋まっていた。およそ百以上はあるだろう。そしてガラス張りの窓から、ここがかなり高い位置にあることが分かる。


「俺は高木瞬。これからよろしく」

「しっかりと自分のことが分かるのですね。先程紹介に預かった潮目紗知です。分からないことがあればなんなりと聞いてください」

「分かった」

「よし、それじゃあ移動するか。まずは君を着替えさせないとな」


 廉の言葉に自分の服装を見ると、一面ブルーのガウンであった。


「これからは君も我が社の一員だ。とりあえず正装を纏えよ」


 そう言って廉は、この場にいる人たちに指示を出し歩き出した。


「私たちも行きましょう」


 紗知に頷いて、綺麗な廊下を眺めながら廉に付いていき、エレベーターに乗り込む。どうやらここは四十二階らしい。廉は二階のスイッチを押した。

 エレベーターは全面ガラス張りで、高所恐怖症の人には堪ったものではないだろう。瞬はそうではないので恐怖は感じないが、別の意味で驚きがあった。


「東京タワー……? それにここってネオ東京なんじゃ……」

「そうだ。ここは東京。ネオ東京はこの東京を完全に模したものだな。というか、あの電脳世界は日本を模したものだ。中国地方とか東北地方とかあったろ? まあ今じゃ日本の領土はこの東京だけになってるが」

「なるほど?」

「……すまない。君にはまだ難しい話だったな」


 確かにあの世界は色んな地域があった。その地域によって見られる自然の摂理やアトラクション、あとは人が多い少ないとかで暮らす場所を変えたりだとか。ネオ東京は人がたくさんいたけど、今思えばどうしてあそこだけに人が密集していたのだろう。人が誕生するのがネオ東京の役所だからか?


「それにしても君が眠っていたのが本社で良かった。他のビルだとこの暑い中、外に出る羽目になるからな」

「暑い?」

「季節ってのは知ってるだろ?」

「あぁ、夏とか春とか……春になったら桜が咲いたり」

「そうだ。この桜が咲いたりするってのは気候によるものだ。電脳世界は人間の楽園として創られたから年中過ごしやすい気候なんだよ。季節による自然の移り変わりは全てプログラムで創られている。でも現実は違う」

「そうですねぇ……本当に暑いです」


 紗知は額から流れてくる水分を袖で拭った。

 なんだかだるくてやる気が出ない。歩くことすら億劫だ。人間を構成している何かが失われていってる気がする。これが暑さか。

 外を見るとエレベーターがみるみると下がっていってるのが分かる。やがて地面に近づき、地上に降り立つ前に止まって、ちーんと鳴った。


「更衣室はこの階だ。電脳世界から現実世界に来る人のために服は用意されてる。正装を着ろよ」

「その、正装ってどんなのだ?」

「スーツだ。まあ暑いからジャケットは着なくてもいいぞ。あたしは着るが」

「はあ、了解した」

「あたしは一階の会議室に行くから紗知、瞬くんを頼むぞ。着替え終わったらすぐにあたしのとこへ来い」

「はい!」


 瞬と紗知だけがエレベーターから降り、廉だけが一階に行く。


「それじゃあ行きましょうか」

「ああ」


 紗知が一歩前を歩き、それに続く。

 正直、紗知に対してどう接せればいいか、瞬には分からなかった。初対面の人が自分の世話係。生活を共にする、というのもよく分からない話だ。


「なあ、特別監視課って何をするんだ?」

「あなたを監視します」

「はあ……それはどうして」

「電脳世界には義務教育がありませんし、争いや痛みという概念もないので倫理観が欠如してるのですよ。実際電脳世界から来た人が殺傷事件を起こしたこともありました。それにより特別監視課が設置されたのです」

「なるほど?」


 殺傷事件、とはなんなのか。


「ご自身の頬をつねってみてください」


 紗知が右手で頬をつねるジェスチャーをする。瞬はその通りに力強くつねった。


「ッ!? なんだ、この感じ」

「それが痛みです」

「痛み?」

「はい。このように人は容易く傷つけることができます。その力が強ければ殺すことだって」


 今でも少しヒリヒリと痺れが残ってる。

 瞬は頬を撫でながら疑問を続ける。


「そういや久留美って女も殺すだの言ってたけど、その殺すってのはどういう意味?」

「相手の生命活動を停止させることです。つまりは死なせるってことですね。電脳世界でも死という概念はあるのでご理解できるかと」

「人が人を死なせるのか?」

「はい」


 うまく想像ができないが、こんな嘘を言う必要はないだろうし、事実なのだろう。


「つまりは、こう見えても私は武闘派なのです!」

「へー」


 紗知は瞬に振り返って、えっへん! と力こぶを作ってみせた。


「さて、もう着きましたね。ではこの部屋に入って着替えてください」

「ああ。分かった」


 紗知に案内された部屋に瞬は入る。他の部屋とは違い、窓すらなかった。おそらく脱走防止のためだろう。

 室内には男性用の服が色んな種類、サイズ別にびっしりとロッカーにあった。瞬はグレーのスラックスと青みがかった白いシャツを着る。ネクタイもあったが着けなくてもいいだろう。

 脱いだ服は脱衣かごと書かれたかごに入れる。

 ま、こんなもんだろうと鏡に写る自分を眺め、瞬は部屋から出た。


「着替え終わりましたね。それでは会議室に行きましょうか」








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