第2話 クリスマスの悪戯
クリスマスイブの日、美波は毎年恒例である店の装飾をしていた。本来ならもう少し前から余裕をもって取り組みたいところだが、「うちは神道だ」と眉をしかめる父の意見を聞き入れ、ギリギリの日に、ギリギリの装飾をする。
尊は娘たちの前ではそういうが、子供が生まれた年からきょうまで、クリスマスの朝、枕元にプレゼントを置くのを忘れない。
「そんな飾り付けをして、何が変わるのかね」
朝メニューの支度をしながら、尊は嫌味をいった。
「人なんて通ってないだろうに」
早朝6時、外の気温は19℃。薄いジャンパーを羽織れば寒くない気温だ。昼になれば更に気温は上がり、22℃になるとニュースでいっていた。
「こんな暖かい島にサンタさんなんて来ないと思うんだけどね」
「ハワイにもサンタさんが来るっていってたよ」
「だれから聞いたの美月ちゃん」
尊は大根をかつらむきにした皮をピらピらと揺らしながら聞いた。
「ん、だれだったかな?」
首を左右に捻る姿が可愛かったのか、尊は目を細めた。
「道行人に、喜んで貰いたいって気持ちで飾ってるんだよ、馬鹿だね尊は」
尊の母、美紀子は呆れた声を出した。
「母さん、僕は馬鹿じゃないんだよ。ただねうちは神道だっていってるの。しかも、人なんて通ってないじゃないの」
「もう包丁で表を指すのをやめなさいよ、人が来たらどうするのさ」
美紀子は、やれやれといって椅子に座った。今年77歳になる美紀子は至って健康な人だったが、慎一郎の死から一気に老け込み、白髪を染めようともしない。夫は14年前に他界している。腕のいい漁師だった。尊も一時期漁師をしていたが、数年前から自宅をリフォームし、食堂を開いた。
「へそ曲がりだね、お父さんは全く。自分が交ぜて貰えないからひねくれてるんだよ」
そういったのは美浜である。
「なっなんだよ、そんなことある訳ないだろう。だいたいお前はね」
「もうお父さんとお母さん、いい加減にしてよ。そろそろお客さん入って来ちゃうよ。喧嘩ばかりしてると、また笑われるから」
「美海、誰が笑ってたって。それにね、お父さんもお母さんも喧嘩なんかしてないんだよ。これが通常の会話なの」
美浜がそういうと、ガラガラと店の扉が開く、「できたよ」美波が手招きをした。
「ありがとう美波、結局美波が最後までやってくれるんだよね」
美浜はいいながら、座敷に寝転ぶ美月の尻を叩いた。
「うわー、すごいじゃないの美波」
「えへ」
誉められた美波は照れくさそうにうつむいた。おかっぱの髪は肩まで伸び、黒ぶちの眼鏡をしていた。姉に比べて背丈は小さく、妹の美月に追い抜かされそうだった。
店の建物の真ん中に引き戸の扉があり、大きな窓が左右対称についていた。窓は年中網戸になっているが、その窓枠に几帳面に電飾を施し、窓の上部、二階の下辺りにコンクリートに、ペンキで書かれた看板が隠れない様、手作りのサンタやトナカイ、雪ダルマに、モミの木が飾られている。
「器用なもんだね、これ全部、ひとりでやったの脚立を使って?」
姉の美海は壁に立てかけてある脚立を見て、そういった。
「ううん、違うよ。怖いからお父さんが手伝ってくたの」
「お父さんが?」
表に出ていた全員が店の中にいる父親を見たが、父親は知らん顔をしている。
「朝の5時から、わたしを起こしにきて、飾り付けしようって」
「へえーそうんだ、お父ちゃん」
美月は、父親に向けて、あっかんベーをした。
翌日25日の夜。夕方からの客の殆どが19時には帰り、カウンターに常連の客がふたり。カウンターの後ろにある座敷の四角いテーブルに3人だけだった。ちなみにテーブルは三脚ある。
「今夜はもう誰もこないかもね?」
洗い物の皿をお盆に乗せた美浜がいった。
「だったらさ、ここで一緒に飲もうぜ、浜ちゃん」
「もう、浜ちゃんて呼ばないでっていったでしょう」
浜ちゃんと呼んだのは、常連の滝田、その隣も常連の百地で、ふたりとも尊の同級生だ。美浜は東京中野区の出身で、大学時代に遊びに来たこの島で尊と出会い恋愛をし、結婚した。かれこれ28年になる。
「なんで浜ちゃんはいやなんだろうねー」
滝田は百地の顔に自分の顔を近づけた。ふたりとも顔が真っ赤になる程、酔っている。いつものことだ。
「だって浜ちゃんて男みたいに聞こえるじゃないの」
「でもいいじゃん。浜ちゃんは女なんだし、それにべっぴんさん」
「見たらわかるもんな、男か女くらい」
「うんうん、そうだよなモモちゃん」
ふたりはうなずきあって納得している。
「モモちゃんだって、もしかしたら女の子に思われちゃうわよね」
滝田は自分の胸を抑えて女っぽくいった。
「そうよ、そうよ、名前がモモチだからモモちゃんなのに、いやよね」
「お前ら気持ち悪いからやめろよ」
尊は焼き鳥を焼いていた。この店は鮮魚がメインだが、焼き鳥もステーキもなんでも出て来る。この島は圧倒的に店の数が少ないので、需要に答えて行くと、こういう結果になったのだ。
「その焼き鳥だれが食べるの」
ビール瓶を尊に向けて傾けながら滝田は聞いた。
「後ろのお客さんだよ。町の小学校の先生なんだから静かにしないと」
先生たちに話しが聞こえたのか、彼らが会釈をしてきたので、カウンターのふたりも頭を下げた。
「一杯、どう?」
そういわれると、尊はビールグラスを棚から自分で取り、グラスを持った手を瓶に近づけた。そして酌を受けると、滝田のビール瓶を取ろうとしたが、滝田はいいよといって自分で注いだ。
「きょうはクリスマスだよ尊ちゃん、ローストビーフとかないの」
「何言ってんの。ローストビーフなんて食べないだろう。娘たちのために鶏を丸ごと焼いてるけどね。もう少しで出来るんじゃないかな」
尊はオーブンの窓を覗き、にやりと微笑んだ。娘たちの喜ぶ姿が目に浮かんだのだろう。
「こんばんは、空いてますか?」
店の扉が開いたので、店内にいる者が一斉にそちらを見た。
「あっえ?」
扉を開けた客らしき青年は、多くの視線を浴び、困惑している。
「どうぞ、どうぞ、入って下さい。何人ですか?」
美浜が笑顔で迎えた。
「3人なんですけど」
客は首を伸ばして店内を見渡した。そして後ろを向き、なにやら話している。
「お願いします」
そいいって入って来たのは若い男3人。みんな真面目そうな装いで、遠慮がちだ。
「表の装飾が気になりまして」
最初に顔を覗かせた青年がいった。眼鏡をかけ律儀そうだ。
「それ、うちの娘が飾り付けをしてくれたんです」
美浜は自慢げにいった。
「娘さんが?」
「3人いるんですけどね、真ん中の子が」
「凄いですね」
「そうなんです。いつもは引っ込み思案な子なんですけど、馬と、クリスマスの装飾に関しては積極的で」
「馬?」
3人の中でいちばん背の高い青年が興味を持ったようだ。もうひとりは小太りで、人の好さが滲み出ている。
「はい、あの動物の。娘は馬が好きで、しょっちゅう近くの乗馬クラブに行って遊んでるんです」
「そうなんですか、馬」
その背の高い青年は笑みを浮かべてうつむいた。
「あっごめんなさいね。飲み物なんにします?」
3人は顔を見合わせ、急いでメニューを見た。
「生3で、それと、焼き鳥の盛り合わせを取り敢えず」
注文の品を持って、テーブルに行ったのは長女だった。先程まで二階に上がり、スマホで動画を観ていたのだが、賑やかな客の声が聞こえたので、手伝いに降りて来たのだ。
「焼き鳥の盛り合わせです。お客さんたち観光ですか?」
「いいえ、あっはい。僕とこいつは観光で、これは永住?」
「永住ではないけど」
永住といわれた背の高い青年は頭をかしげた。紹介したのは眼鏡の青年だ。周りから「げんちゃん」と呼ばれている。小太りの青年は「とし」背の高い青年は「凌馬」というらしい。
「観光と永住ね」
美海は盆を脇に挟み、そう聞いた。
「いえ、永住ではないんです」
凌馬は手にしていた生ビールを舐めてからジョッキをテーブルに置いた。
「1年間だけ、この島に住まわせて貰うことになったんです」
「こいつの実家はおお金持ちで、稼業を継ぐ前に1年だけ好きなことをやらせてくれって直談判したんです」
げんがいった。
「やめろよ、そういう言い方」
凌馬は額に手を当て、首をふっている。
「僕たちはですね」
としはタオル地のハンカチで首筋の汗を拭くと、正座を崩し、横座りになって話した。
「大学の友人で、少し早い卒業旅行を兼ねて遊びに来たんです」
「卒業旅行か、懐かしいわ」
「お姉さんは卒業旅行はどちらに行かれたんですか?」
としが聞いた。
「わたしは、どこだったかな?ハワイかな」
「あの」
凌馬が口を挟んだ。
「外の装飾をしたのは、あなたですか?」
「いいえ、わたしじゃないの。装飾をしたのは美波よ」
「美波さん?」
「そう、我が家のかわい子ちゃんの美波ちゃんよ」
美海は束ねた長い髪の毛を手前に持ってゆき、厨房の奥に隠れている美波の方を見た。
「美波、出ておいで。怖くないから、お客さんにご挨拶して」
「いえ、そんな、そんな、いいんです」
凌馬は膝立ちになり、手を横に振った。
「はい」
美波は髪の毛をふたつに分け、おさげにしていた。眼鏡の縁をぐっと抑えてから、歩幅が、これでもかという程、小刻みに歩いてきた。
「そんなに下ばかり見てても何も落ちてないよ」
「……」
テーブルまで来た美波に恐縮し、青年3人は皆正座をしている。
「あの、坂口美波と申します」
「なんでフルネーム」
美海は盆で顔を隠して笑い出した。
「おいおい」
尊がカウンター越しに心配している。
「わざわざすみません。表のクリスマスの装飾がとてもきれいだったので」
「ありがとうございます」
美波はうつむいたまま、頭を下げた。
「馬もお好きと聞きました。僕も馬が好きなんですよ」
「馬……」
はじめて美波は顔を少しだけ上げた。おさげのせいか、小学生に見えない事もない。
「良く、乗馬をしに行かれるとか?」
「あっはい。良く乗馬をしに行きます」
「どこの乗馬クラブですか?」
「美しの島乗馬クラブです」
「やはり、僕もあの乗馬クラブに」
「でもこいつ、あっこの人凌馬というんですけど、はじめて美しの島乗馬クラブに行って、恰好つけてハードルの高い障害を越えようとして落馬」
「げん、なんだよ」
「えっ」
美波は顔を上げ、眼鏡を直し、3人を見た。
「これこれ、落馬したのはこの凌馬です」
げんが凌馬の肩を揉んだ。凌馬は小さく手を上げた。
「落馬したんですね」
美波は胸の鼓動の高まりを感じていた。思うように言葉がでない。ただ、元気でいてくれたことに感謝をしている。
「もう3週間前になるんですけど、高い障害物を越えようとして落馬してしまい。後頭部を強く打ったんです」
「地元のみなさんに助けられたんだよな」
「はい、本当にありがたく思っております」
「それもあってさ、凌馬の親父さんも、卒業後の1年の遊びを許してくれたんだよな。この島には恩があるって」
としは正座が耐えられなくなり、足を延ばした。
「こんなに元気になられたのですね。良かった、本当に良かった」
「あっありがとうございます」
「なによ美波。初対面でしょう、もうびっくりしちゃう」
盆を脇に抱え、美海はきゃっきゃと笑ってる。
「ごめんなさい、わたし、元気になられたことが、なんだか嬉しくて」
美波はお辞儀をした。
「地元のみんなが助けてくれたの?」
そういったのは滝田である。若者の話しを興味深く聞いていた。手には身のない焼き鳥の串を持っている。
「はい」
凌馬は背筋を伸ばした。
「僕が落馬して意識を失ってるところを人工呼吸をして救って下さった方がいるんです」
「ほう、そうかい」
滝田も百地もうなずいている。
「おーい、この若者たちに生ビール3杯、俺から」
滝田がカウンター内で話を聞いていた美浜にいった。
「あいよ」
威勢の良い美浜を他所に、尊はしゃがんでオーブンの中を覗いている。
「病院の先生にも、あの人工呼吸がなければ命は助からなかったと」
「へー人工呼吸。そんなことする人がいたんだね。だれだね」
美波は滝田の顔を見た。
「それは」
凌馬が言い出した時、扉が開いた。
「こんばんはー」
「あら優子ちゃん。ひとり?」
「うん、ここまでパパに送って貰ったの。帰りも迎えに来てくれるから」
ビールを運んできた美浜は、優子の頭を撫でた。
「美波もいるのよ」
「知ってる。美波ちゃん元気?」
「うん」
美波の顔を見る間もなく、優子は凌馬に向いた。
「優子ちゃん、待ってたよ」
凌馬は立ち上がり、優子に座るよう、うながした。
「知り合い?」
美海が聞いた。すると凌馬がうなずいて、
「あの、この方が僕に人工呼吸をしてくれた優子ちゃんです」
そう紹介したのだった。
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