7 月の雫
7 月の雫
いい加減な計画にもかかわらず、ルッカとロケロは真剣に苺をさがしまわった。四日目くらいから、二人は駆け足で畑から畑へとさがしてまわった。しかし苺はどこにも見当たらない。
ふたりともだんだん嫌になってきていた。暑いし、苺はみつからないし、すぐに見つかるだろうとたかをくくっていたのに、計画と全然違うからだ。
猫たちは相変わらず、気が向いたらしいのが二、三匹は必ずくっついてくる。茶化したりしながらも、猫たちも一緒になってさがしてくれた。
「そう言えば、ガルザンはあれから姿をみかけないな」
地図を塗りつぶしていきながら、ルッカが言った。
「ああ、そうだな。簡単に負けたから、嫌になって昼寝してるんじゃないのか?」
ロケロが暑さにげんなりした顔でこたえる。
「無理するなよ、ロケロ。暑かったら泳いでもいいんだよ」
ルッカにそう言われて、ロケロはオオッと喜んだが、腕組みすると口をぐにゅっとへの字に曲げてこう言った。
「いや、駄目だ。俺決めたんだ。苺が見つかるまで、ぜったい泳がない。楽しみはあとだ」
ルッカはええーっと、うしろにひっくり返るくらい驚いてロケロを見た。
「ほんとに?」
楽しいことは何が何でも、一番にやらなきゃ気が済まないロケロが……。
「早く見つけて、早く遊ぼうぜ。頑張るぞルッカ」
「ロケロに励まされるとは思わなかったよ」
ルッカは苦笑いして、首の後ろを軽くこすった。
「じゃあ、今見たところを消すと、残っているのは」
ルッカは赤鉛筆で指示し、
「川の上流に向かって北へ行ったところだけだな」
表情を引き締め直した。
「よし、行こう。今日必ず見つけるぞ」
ルッカとロケロは歩き出した。
同じ頃、おユキさんは苺探しからアトリエに戻っていた。
食堂のテーブルに肘をつき、額をおさえている。
顔色が少し青かった。
おユキさんは目を閉じて、ゆっくり呼吸している。
おユキさんは眉間にしわを寄せ、顔をあげると両手で水の入ったグラスを包むように持ちあげた。動作がゆっくりで、ひどくおっくうそうだった。水をひとくち含み、苦しそうに喉に流しこむ。
それから長いこと腰を降ろしたままだったが、おユキさんは立ちあがり書き物机の抽斗からメモ用紙を取り出した。
テーブルに戻る途中、おユキさんは小さく呻き声をあげて胸を押さえた。しばらく身をかがめて立ち竦んでいる。
顔は青白くなり、額に冷たい汗がびっしりと浮かんでいる。浅く短い呼吸でおユキさんはとても苦しそうだった。
なんとかテーブルに戻ると、おユキさんは震える指で短いメモを書いた。ヤマト親分が戻ってきたのは、ちょうどその時だった。
「お帰り、ヤマト。これを……」
言いかけて、おユキさんは椅子から崩れ落ち、床に倒れ込んだ。
「ニャグググゴオ(おユキさん!)」
流石のヤマト親分も、狼狽してよたよたとおユキさんに駆け寄っていた。
おユキさんは苦しそうに顔を歪め、胸を押さえている。
「しまった。暑い盛りに出歩いて、心臓に負担がかかっちまったか!」
ヤマト親分の尻尾が、見えないくらいの速さで回っている。
「こんな時に小僧どもでもいてくれりゃ、救急車を呼べるんだが。俺としたことが、もっとおユキさんに気をつけるべきだった」
カアッと見開いた眼で、おユキさんを見ていたヤマト親分の毛が逆立ち、躰が何倍にも大きく膨れあがった。
「そうだ! あれだ、あれがあった!」
言うよりも早く、ヤマト親分は黒い風になってアトリエを飛び出していった。
「駄目だ。やっぱり見つからないや」
へたりこんだロケロは、ぼんやりと川面へ目をやっている。
その横で、ルッカも疲れた顔でまわりの景色をただ眺めていた。
「もう苺ないかもしれないな」
「苺みつけて、威張って帰れると思ってたのになア」
ロケロが投げ出すように言った。ピリピリした声だった。
「そうだよ。大事な苺だけど、見つけたら僕ら特別にいっぱい食べられる筈だったんだ」
ルッカもついいらいらした顔になる。
「あーあ、嫌になっちまうな。なんだかつまんないぞ。砂漠の獲物なら、どこに隠れていたってすぐにみつけられるのに」
「てぶらで帰ったら、すっごく、すっごく怒られるだろうな」
「げげげ、げげ。ルッカのおばあちゃん、無茶苦茶恐いからなあ」
「ロケロのおじいちゃんだって、ああ、どうしよう」
二人は急に、自分達がやっていることがとてもいい加減なことに思えてきた。
カナカナカナ……。どこかで蜩が鳴いている。
ついさっきまで、きらきらと輝いていた草の緑や花の色が、いまは色褪せて見える。
「ぼく、ずるいこと考えていたのかもしれない」
ロケロのそばにすわりこんで、ルッカがぽそりと言った。
「ずるいって?」
ロケロが力なく聞いた。
「なんだか、ほら、僕たちお祭りみたいな気分で、はしゃぎまわってさ」
「ウン」
ロケロは膝を抱えて、膝の上に顎をのせた。
「苺見つけたら、きっとすごいことで、みんなからすごく褒めてもらえて、注目の的で……」
「特別扱いで、苺がいっぱい食べられて。ちぇっ、なんだかすごく気持ち悪いぞ」
「ウン、嫌な奴だ」
「ウン」
ルッカもロケロも、お互いの顔を見ることが出来なかった。恥かしくて、悔しくて、情けなくて、自分がとても嫌な奴に思えた。
びゅっ! 黒い風が川の上を翔けぬけ、二人のそばに降り立った。
「ひゃあ」
二人はあやうく川に落ちそうになって、お互いの躰を支えあった。
「小僧ども」
ヤマト親分が、二人を呼んだ。
「ヤマト親分!」
黒い風だと思ったのは、ヤマト親分だったのだ。
ヤマト親分を見た二人は、なぜか背筋がぞーっとした。
ヤマト親分は、今にも火を噴きそうな金色の目を、真っ直ぐにルッカにむけていた。
「小僧何も言わねえ、お前達が持っている月の水を、黙っておユキさんに飲ませてやってくれ」
ヤマト親分は荒い息をしていた。
「月の水を? 月の雫のこと? どうしたの、ヤマト親分」
ルッカは訳がわからず、しどろもどろになって聞いた。
でも、心臓がドキドキしている。
「月の水が、大切なものだと俺も分かっている。だが、おユキさんが倒れたんだ。おそらく、月の水でしか助けられねえ」
ルッカとロケロは、ヤマト親分がどーんと目の中へ飛び込んできたように感じた。
「おユキさんが、倒れたの?」
ロケロの声は、みじめに震えている。
ルッカの足は、力を失くしてがくがくしていた。
頭が真っ白になって、なにも考えられない。地面と空が混ざり合って、くらんくらんしている。
「急げ、小僧ども!」
ヤマト親分が怒鳴った。
「ひょおっ!」
二人はばね仕掛けの人形のように飛びあがると、一目散に走り出していた。
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