5 ガルザン

5 ガルザン


「おい、ルッカ、囲まれているぞ」

 ロケロがささやいた。

「えっ?」

 眠気で靄がかかった頭で、ルッカはぼんやり返事した。囲まれてるって? なに?

 ロケロがゆっくり体を起こす。陽射しを撥ねて、金色の目がぎらっと光った。

 正面のスイカ畑の中から、大きな雉猫が気取った足取りで姿を見せた。それを合図に、そこここから猫が現れ、欅を中心に半円形に押し包んだ。

「おわっ!」ルッカはやっと目が覚め、仰天して飛び起きる。

「ガルザン……」三毛はもう震えていた。

「あれがガルザンか。たしかに図体だけはでかいな、フンッ」

 立てた片ひざの上に腕を乗せ、体の力をたおやかにためたロケロが呟く。

「えらく集まったな。二十匹以上いるぞ」

 すっかり目が覚めたルッカも、立ちあがって猫の数を確かめる。

「や、や、やばいぞ。こう囲まれちゃ逃げられないぞ」

 二人の間にかたまった三匹がプルプル震えた。

「グフフムン。老いぼれはまだ生きてるのか?」

 雉猫ガルザンがドスの利いた低音で、三匹の方へ顎をしゃくった。

「ちくしょう、数に頼んで馬鹿にしやがって」

白黒ぶちが顔をそむけて、小さく吐き捨てる。

「どうなんだ! 年寄りの心配してやってるんだぜ!」

 雉猫ガルザンが恫喝した。

「おいおい、俺たちは無視されてるよ」ロケロが雉猫の方を向いたまま言った。

「そうだな。ちょっと腹が立つ」

ルッカはちらっと足許の三匹を見た。三匹ともすっかり怖気づいているようだ。

「老いぼれのヤマト親分は、物忘れが激しいようだな。ここは俺の縄張りだから、近づくなと言われなかったか? グフフグフグフ」

 自分の台詞が気に入ったのか、雉猫は喉の奥で気持ちよさそうに笑った。

「どうする、ロケロ」

「さあて、どうしてやろうか」

「のたまうだけ、のたまって、さっさと行こう」

 ルッカが言ったが、ロケロはそれだけでは、すませたくないと言う顔つきだ。

「どうした、恐ろしくて声も出ないか?」

 ガルザンのいたぶりに、取り囲んだ猫たちがけたたましく笑う。媚びた笑いだった。

「ガルザンってのは、嫌な感じだな。いけすかない奴だ」

 ロケロが怒りを抑えた、低い声で言った。

「僕もそう思う。陰険で、しかも下品だ」

 ルッカも腹がたったが、別の意味もあった。

苺さがし初日からこれじゃ、先が思いやられるな。ロケロはやる気満々だけど、それでいいのか? この流れからいくと、お互いの力を思うぞんぶん発揮することになりそうだけど、それは大いに気がとがめるところだ。

「横にくっついてるでかいのも、なんの役にも立ちそうにない連中だな」

 ほざいてろやくざな猫め。ルッカは腹の中でほざいた。

ふぁあ、ロケロが両腕を伸ばして、大きな欠伸をした。馬鹿みたいに大口あけた、わざとらしい欠伸だ。

「さあて、お腹いっぱいになったし、そろそろ行こうか。ああ、忙しい、いそがしい」

ふり返る時に、ロケロは片目をつぶって見せた。

そうか。相手がこっちを無視するのなら、こっちこそ相手を無視むし大作戦だ。

「みんな行こう。どっかで知らない猫がミャアミャア鳴いてるけど、つまらない喧嘩でもしてるんじゃないのかなあ」

 ルッカはうすらとぼけた顔で言うと、三匹の猫を促して欅の向こうへ歩き出した。

 作戦はうまく行くはずだった。この調子なら、ロケロは自分の無視むし大作戦が大いに気に入って、この場は収まるはずだ。

「ヤマトの腰抜け子分にくっついているだけあって、お前らも腰抜けの卑怯者だな」

 ガルザンが怒鳴った。

 ロケロの足が、ピタリ、と止まる。

 ルッカは思わず目を閉じた。ガルザンは、ぜったいに言っちゃいけない言葉を口にしたのだ。腰抜け。

「ナニ?」

 肩越しにガルザンを睨むロケロの両眼が、怒りに燃えている。

「なにか用か? 腰抜け」

 ガルザンが、駄目押しのひと言をロケロに投げつけた。

「砂漠蛙の名誉にかけて、決闘だ」

 ロケロはにやりと笑い、はじめて牙を向いた。

 もう誰にも止められない。ルッカも覚悟を決めた。

ロケロはお人よしの食いしん坊から、砂漠蛙の誇り高き狩人に変ってしまった。

 ロケロが風になって動いた。影も見えない早さで。

「これが、ヤマト親分とこいつの違うところだ」

 ガルザンの鼻先に顔を近づけて、ロケロが言った。

 一瞬にして、ロケロはガルザンの顔の前三センチのところにいた。ガルザンは動く間もなく、眼の前のロケロの顔を見ているだけだ。

「俺は、雑魚は、相手にしない」

 ビビビビビ! すごい勢いで、ロケロがガルザンにびんたを浴びせた。

 眼玉をひんむいたガルザンは、ただされるがままだ。

「お前は俺には勝てない」

 ロケロはさっと後ろへ跳んで身がまえた。

「ほら、来いッ!」

「てめえ、叩き潰してやる!」

 ようやくガルザンは我に帰り、歯を剥いて吠えた。

「ふんっ、喧嘩の売り方も野暮だ」

「蛙の化け物をやっつけろ!」

 ガルザンが叫んだ。

「お前たちは動くな!」

 ルッカが前に出て、大声で宣言した。

「これは喧嘩じゃない。名誉を賭けた決闘だ!」

 それで、ガルザンの子分たちの動きが止まった。

 シャアアアアッ! ガルザンが全身の毛を逆立てる。

 ガルザンは低い態勢になると、ロケロを中心にして右へ回り始めた。ガルザンの動きに合わせて、ロケロはその場で体をまわしてゆく。

「ギャアオン!」

 ガルザンの雄叫びと同時に、ガルザンとロケロが地を蹴って空中へ舞い上がった。

二つの影が宙を飛び交差して地面へ降り立つ。

やがて……ドタンとガルザンが横倒しに転がった。

ロケロがぎろりと子分どもを睨んだ。

「ひゃああ」

 途端に猫たちは尻尾を巻いて消えて行った。

「おい、親分を連れていけよ」

 ルッカが呼んだが、誰も戻ってこなかった。

「お前、強いな」三毛がごくりと唾を飲みこんで、ロケロを見あげた。

 黒白ぶちと茶トラが、ウンウンと何度もうなずいている。

 ロケロがルッカを見た。ルッカが見る限り、圧倒的な勝利にも関わらずロケロはうれしそうではなかった。

「いこう」

 ルッカは、ロケロの肩を軽く叩くと歩き出した。

「自分のボスがやられて、さっさと逃げ出すなんて。がっかりだぜ」

 ロケロは下唇を突き出し、今にも泣き出しそうな顔になった。

「なあ、ロケロ、ここは月じゃないし、猫は砂漠の狩人でもないんだ。しかたないさ」

 ルッカがなぐさめたが、今のロケロには効き目はなかった。

 気絶したガルザンを残して、ルッカ達も帰って行った。

 誰もいなくなった欅の草はらに、ゆったりとひとつの影が姿をあらわし呟いた。

「やれやれ、血の気の多い小僧どもだ」

 それとなくルッカとロケロを見守っていた、ヤマト親分なのだ。

 ヤマト親分はしばらく、ガルザンを見おろしていたが、

「おめえも、悪い相手に当たっちまったな」

 かぶりを振り、踵を返した。

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