3 ヤマト親分
3 ヤマト親分
黒白まだらは胸をはり、くるりと前を向いて歩き出した。ルッカとロケロがその後に続く。他の猫たちは、二人を囲んで歩いて行く。
「ロケロ、あんまりけんか腰になるなよな。目的を忘れるなよ」
ルッカは、ロケロに体を寄せてそっとささやいた。
「大丈夫。はったりさ。毛むくじゃらどもになめられちゃ、あとがやりにくいだろ。駆け引きってもんさ。ま、親分との交渉は、ルッカに任せたぞ」
ロケロは平然とした顔でささやき返した。
急に三毛が立ちどまり、ルッカとロケロをジロリと見て言った。
「いいか。ヤマト親分はただの猫じゃねえ。百年以上生きていなさる大変なお方だ。口の利き方に気をつけろよ」
「なんせ、猫又さまだ」
黒白まだらが、どうだ驚いたかとふんぞり返った。
ルッカとロケロは素直に、ウンとうなずいた。だってウンって言うしかないだろう。猫又がなんなのか知らないし、猫に会うのも初めてだし。
猫たちが、満足げにひげをひくひくさせた。そうか、こいつらは猫って言う種族なのかと二人は思った。
林の中の細い坂道をくねくねと登り猫たちが案内したのは、坂道のてっぺんに一軒だけ建っている家の裏庭だった。
庭のまんなか。一段高くなった平たい岩の上に、親分はいた。真っ黒な親分の頭上で、三日月が銀色に輝いている。
ルッカたちが近づいても、ヤマト親分は柔らかく躰を丸めたまま、まるで黒曜石で出来た彫刻のようにぴくりとも動かなかった。
「親分。妙な奴らが縄張りに入りこんでたんで、連れてきやした」
黒白まだらが、おそるおそる言上した。
「なんとこいつら、月から来たそうです。三日月そっくりのきらきら光る舟に乗ってましたぜ。月が落ちてきたのかと思って、ちょいとあわてちまいましたよ」
三毛も言い添えた。
その時。
フッフッフッ……。洞窟の中で響くような声で、ヤマト親分が低く笑い声をあげた。
不敵な笑い。
猫たちは一メートル飛び上がり、尻尾をピンと伸ばした。
「さあ、おめえたち。ヤマト親分にご挨拶申し上げねえかい」
あわてて、黒白まだらがルッカとロケロに言った。
「僕は月のルッカ」
「俺は砂漠の狩人ロケロだ」
くわあっ、とヤマト親分の口が耳まで裂けた。赤い口の中で、鋭い牙が青白く光った。
猫たちはひゃっと声をあげて二メートルもとびあがり、親分の前にひれ伏した。
けれど、ヤマト親分は大きな欠伸をしただけだったのだ。カフッ、と音をたてて口をとじると、ヤマト親分はからだを起こしどっしりと座りなおした。首のところに、三日月の形をした白い毛がはえている。
「でけえ」
ルッカとロケロは、ヤマト親分を見あげて思わず叫んだ。
これが同じ猫? 子分猫達の少なくとも三倍は大きいぞ。立ち上がったら、ルッカやロケロより絶対大きい。ルッカとロケロは、黙ってヤマト親分を見ていた。
「小僧ども。たしかに月から来たらしいな」
大きな岩が、ゴロンゴロンと転がるようなヤマト親分の声だ。お腹にずしんずしんと響いてくる。
「わかるの?」
ルッカは目を輝かせて言った。
「分かるかだと?」
細く開いたヤマト親分の目の奥が、一瞬、ピカッと光った。
「わかるか、わからねえか、お前たちが分かろうと分かるまいとどっちだっていいことだ」
ルッカとロケロは、わけもなく背筋に冷たいものを感じてゾォーッとした。
「わざわざ月から何をしに来たんだ、小僧?」
ヤマト親分は余計なことはしゃべらなかった。ずばりと核心をついてくる。
「はい?」
ルッカは聞いた。なんだか頭がぼんやりして、考える力がない。ヤマト親分の鋭い眼光と圧倒的なパワーが、ルッカの心を骨抜きにしているのだ。
「遊びにきたのか?」
声と一緒に、パチンッ、鋭い音が空気を鳴らした。ヤマト親分が、自慢のポサポサ尻尾を岩に叩きつけたのだ。
ルッカとロケロと子分たちは、いっしょにぴょんっと飛び上がって驚いた。
「どうした?」
ヤマト親分が尋ねた。ルッカははっととしてお腹に力を入れた。ヤマト親分は僕とロケロを試しているんだ。負けるもんか。ルッカはぐいっと胸を張ると答えた。
「ひとつしかない月の苺が枯れちゃったんだ。僕とロケロは苺を探しに来たんだ。この青い水の星へ……」
「青い水の星だってよ。へへっ、ここは地球だぜ」
三毛が馬鹿にして笑った。
その時ヤマト親分の尻尾が、かすかにピクッと動いた。それを見た三毛は、三メートルも飛び上がり全身の毛を逆立てた。体はプルプルプルルルルっと震え、歯がカカカカチカチカチカチと恐ろしさで鳴った。
「すいやせんっ、親分っ!」
三毛は頭を両手で抱えてあやまった。
「人の話は、真面目にきくもんだ」
ヤマト親分は静かに三毛を諭し、ルッカに向き直った。
「青い水の星……そうか。そうかい」
ヤマト親分は顔をもたげ月を見た。あれっ? ルッカは首をかしげた。ヤマト親分の顔が少しほころんだように見えたからだ。何かを懐かしむような、どこか寂しそうにも見えたのだった。
「苺か。苺をどうするんだ?」
ヤマト親分が聞いた。
「苺は金砂病の薬なんだ。苺じゃないと治せないんだ。大事な苺が枯れちゃったんだよ」
押し黙ったまま、ヤマト親分はルッカとロケロを見据えた。無言のヤマト親分は、喋っているときの十倍も恐ろしげに見える。あれでニヤリと笑ったら……うわっ!! ほんとに笑った。僕たち食べられちゃうのかあ?
「小僧ども。月から来たんじゃ塒はあるまい?」
「お腹もペコペコだよ」
すかさずロケロが答える。
「ぽふあっ!」
ヤマト親分の声が空に響いた。ヒゲがくすぐったそうに、むぞろむぞろとうごめいている。きっとロケロの一言にあきれ返ってしまったんだ。
と、動いた気配もなく、ヤマト親分の姿がルッカとロケロの前にあった。二人は決して油断していたわけじゃない。でも風のようにヤマト親分は動き、自慢のポサポサ尻尾はルッカの目の前でゆらゆらと揺れていた。
「うっ……」
ロケロはうなった。
ロケロは砂漠の狩人だ。誰にも負けない一流の狩人なのだ。そのロケロにさえ、ヤマト親分の動きは見えなかった。
(こんなのに襲われたら、いくら用心していてもひとたまりもないぜ。恐ろしいじいさんだ)
ロケロの眼はそう言っていた。ルッカも同じ気持ちだった。
「ごくろう」
ヤマト親分は子分たちにひと声残し、ルッカとロケロについて来いと尻尾を振ると悠然と歩き出した。
「ヘイッ。おやすみなさいやし、親分」
子分たちは、声をそろえておやすみさないのご挨拶をした。
ルッカとロケロは、ヤマト親分のポサポサ尻尾のあとをついて行った。ヤマト親分は庭をぐるりとまわり、家の玄関に出た。
扉の前に来ると、ヤマト親分の尻尾が目にも止まらぬ速さで動き扉の把手にまきついた。
カチャリ。扉が開いた。
「入りな」
ヤマト親分は頭をぐいっとひねり、ルッカとロケロを引き連れて家の中に入ると、家の奥へ向かって、
「ニャゴゴオ(おユキさあん)」と呼んだ。
ヤマト親分はルッカとロケロを振り返りこう言った。
「おユキさんは優しいから安心しな。わしの古い知り合いよ」
すぐに柔らかい足音がして、女の人が出て来た。
真っ白な髪。優しそうな眼。肥えてもいず痩せてもいない。背はちょっと高い方。ルッカは自分のおばあちゃんを思い出した。
「おかえり、ヤマト」
あったかくてよく通る声。それが、おユキさんだった。
「あら?」
おユキさんは、ヤマト親分のそばに立っているルッカとロケロを見て眼を丸くした。頭の先からつま先まで、きらきら光る眼でふたりをながめた。
ルッカとロケロは、急いでぺこりとお辞儀をした。
「おや、まあ。なんて可愛らしいお客さま。ヤマトのお友達かしら? いらっしゃい」
おユキさんはうれしそうに、胸の前でパチンと手を打ち鳴らした。
「あ、あの。僕、ルッカです。月のルッカ」
「お、俺は、月の砂漠蛙、ロケロ……です」
言った途端、ルッカとロケロのお腹がぐううっと鳴った。
おユキさんはみひらいた目をもっとまんまるにして、にっこり笑いかけた。
「お腹が空いているのね。いらっしゃい。ひとりじゃ食べきれないくらいいっぱい、晩御飯を作って困っていたところよ」
おユキさんはふたりに返事する間も与えず、二人の背中を押してぐんぐん食堂へ案内した。ヤマト親分がそのうしろをにたにたしながらついていく。
ルッカとロケロを食堂のテーブルにつかせると、おユキさんはテーブルいっぱいに料理を並べた。
「うわあっ!」
こんどは、ふたりが目を丸くする番だった。
だって、なんたってどうしたって、こんなに色とりどりの料理生まれて初めて!
トマトのみずみずしい赤。
きゅうりの深いみどり。
レタスの若みどり。
ミルク色のチーズに、きらきら光るコーン。
スモークサーモンのあざやかなピンク。
じゅうじゅう肉汁を撥ねている、きつね色の鳥の香草焼き。
そして、食堂中にひろがるいい匂い。
(ロケロ、よだれ)
ルッカのお腹もロケロのお腹も、ググーッとすごい音をたてている。お腹が空いているのと色の洪水で、ふたりとも目がくらくらしていた。
「召しあがれ」
「いただきまあす!」
コンソメスープは透きとおって冷たく、金色に輝いている。
すうっとスープが喉を流れ落ちていく。
ぱりっと、鳥の皮が音を立て、肉汁がひろがる。
ルッカとロケロは息をするのも忘れて口いっぱいにほおばり、夢中で食べた。
緑に黄色、赤にピンクとお腹の中に色が転がり込んでいく。
いろんな色が色んな味を生み出している。
野菜も魚も肉も、同じものはなにひとつない。
ぜんぶお日さまの光りで育った元気のかたまりだ。
気がつくとお腹はぱんぱん、お皿はどれも見事にからっぽ。
「食ったア」
「動けない」
ふたりは椅子の背に、どさんとよりかかり、天井を向いて満足のため息をついた。
「今夜はなんてにぎやかで、楽しい晩ご飯でしょう!」
おユキさんは目を輝かせ、ルッカとロケロがモリモリ食べるのを嬉しそうに眺めている。そんなおユキさんのようすを、ヤマト親分はなんだかまぶしそうに眺めていた。
素敵な晩ご飯のおかげで、三人はすぐにうちとけた。
おユキさんは苺の話を聞くと、ちょっとむずかしい顔になった。
「今は夏の終わりだから、苺を育てる季節じゃないわねェ。苺はもうおしまいの時期よ。苺は残っていないかも知れない……」
おユキさんは考えると、
「そうだ!果物屋さんなら、まだあるかも知れないわよ」
「駄目なんです。ちぎった苺じゃ駄目なんです。ちゃんと根っこがついていて、育てられるのじゃないと」
ルッカは申し訳なさそうに言った。
おユキさんはそう、と言って自分のことのように肩を落とし、しょんぼりしてしまった。
「あの、あの大丈夫です。僕ら明日からさがしますから」
「ルッカの言う通り。俺達はめげない。きっと見つけてみせるよ」
ルッカとロケロは、逆におユキさんをはげました。
おユキさんは首をかしげて少し考えると、急に元気になって、背すじをぴんと伸ばして言った。
「じゃあ、こうしましょ。苺が見つかるまでここにいなさい。私も一緒にさがすわ。そうだわ、それが一番よ」
「ほんとですか?」
「ありがとう!」
ルッカとロケロは口々に言い、ふたりそろって叫んだ。
「ありがとう! おユキさん!」
「いいえ。いいのよ。私もにぎやかになって嬉しいのよ」
言ったあとで、おユキさんはまたあら? と首をかしげた。
「わたしおしゃべりに夢中で、まだ自己紹介してない気がするけど、なぜ私の名前を知っているの?」
「ああ、それはヤマト親分から教えて貰ったんです」
ルッカが答えた。
「まあまあ、あらあら。あなた達は猫とおしゃべり出来るの?」
おユキさんはまた目を丸くした。
楽しそうなくるくる揺れる目でまじまじと見られると、ルッカもロケロもなんだか心がくすぐったくなるのだった。
「ニュ、ニョグググルルゥ(おい、余計なこと喋るな)」
ヤマト親分はさりげなく注意した。
「いいじゃないかヤマト親分。余計なこと言ってないぞ」
ロケロが、良いだろうと言う顔で言う。
「ま、あとは小僧ども、自分達でやるんだな」
ヤマト親分は、むすっとして言った。
「そんなこと、分かってらい」
「おうおう、じゃあお手並み拝見といくか」
ヤマト親分とロケロが、肩をいからせて睨みあった。
「もう、二人とも止めなよ」
ルッカがとめると、おユキさんが、どうしたの? と聞いた。
「二人して、意地の張り合いしてるんです。しょうがないなあ」
「そうじゃないぞ。男と男の意地だからな」
「そうだ、僕たちなんにもお礼できないから、歌います」
ルッカは言うと、ロケロとヤマト親分のあいだに顔を突っこんで、
「ロケロ、竪琴をひけよ。歌おう」ロケロを促した。
「まあ、楽しみ。じゃあ、庭に出ましょう」
みんな連なってぞろぞろと庭へ出ていき、柔らかい草の上に腰をおろした。
ロケロは竪琴を肩からおろし、奏ではじめた。
そして、ルッカとロケロは歌った。
やさしい夏の夜
三日月のしたで
僕のおなかははちきれそうだよ
ここは青い水の星
はじめて見たよ
赤 青 黄色
みどりにだいだい
うすむらさき
ここは青い水の星
ごちそうがいっぱいのほし
澄んだルッカとロケロのハーモニィ。竪琴のやわらかく、ちょっただけ寂しい響き。
うっとりと聞いていたおユキさんが、空を指さした。
「あら、お月さまがふたつ」
晴れた夜空に浮かぶ三日月とそっくりの、もうひとつの三日月。
「月の浮舟だ」
「月の浮舟?」
ルッカの言葉を、おユキさんは不思議そうに繰りかえした。
「俺達が乗ってきた舟さ」
ロケロが自慢げにこたえる。
「美しい船ね」
おユキさんがふたつの月をうっとりと眺める。
「うん。役目がすんで帰っていくんだ」
月の浮舟は目に見えない大気の潮の流れに浮かび、金色の光りの尾をひいてゆっくりと空のたかみへ昇っていく。
金色三日月そっくりの小舟が、月の光とかさなりひとつにとけあうまで、誰も口をきかなかった。ヤマト親分さえ、夢見るような顔をしている。
「でも、舟がなくて大丈夫? 帰れなくなっちゃうでしょ」
夢から覚めたような顔になって、おユキさんが心配そうに聞いた。
ルッカとロケロは、意味ありげに顔を見合わせた。
「大丈夫さ。帰りは舟じゃないんだ」
「よかった。それを聞いて安心したわ。さあ、明日から忙しくなるわよ。今夜はお風呂にはいって、さっさとやすみましょ」
おユキさんは、ウーンと夜空に向かって伸びをした。
なんだかとても嬉しそうで、それでいてなんだか僕らを見る目が、懐かしげ? うーん、なんだろう? 誰かをさがしているような……?
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