2 青い水の星へ
2 青い水の星へ
金の鱗の湖はひっそりとしていた。鋭い刃のような三日月の青い光が、静かに湖面を照らしている。ルッカとロケロは水辺に立ち、顔を見合わせた。
「じゃ、始めるよ」
ルッカが言った。ロケロは頷いて、三日月草をルッカに手渡した。
ルッカは、三日月草を湖に浮かべた。ちいさな波紋が広がり、湖面の光を押しひらいていく。二人は待った。けれど、三日月草はただ水に浮いているだけだ。
「何にも、変わらないな?」
ロケロは疑わしそうに三日月草を見た。
「月の浮き舟にならねえぞ」
「そうだね……」
ルッカも首をひねった。
「やり方がまずいんじゃないのか?」
ロケロが、三日月草に手を伸ばした。
「おっ?」
ロケロが火の中から手をひっこめるみたいに、声をあげて出しかけた手を素早く引いた。
波紋が静まった湖面に三日月の光が揺れ、その光が三日月草の葉っぱを包み込む。
光は広がり、球になって輝いた。シャリン、シャリンと音がして、光の球はルッカとロケロの前で大きくなり、包まれた三日月草も大きくなっていく。三日月草は凍り、透き通って金色に輝いている。やがて、光の球はすっと空中に浮き上がった。
「月の浮き舟だ」とルッカは呟いた。
「すげえ」とロケロは目玉をくるくる回した。
ルッカは舟に手をかけた。暖かい。舟を包む光は暖かで、ルッカをそっと抱き寄せてくる。ルッカは地面を蹴って、舟の中に転がり込んだ。ふわりと光がからだを支えてくれる。
「どうだ、ルッカ?」
「最高の乗り心地だよ、ロケロ」
ルッカの言葉が終らないうちに、ロケロが舟の中に飛び込んできた。
ロケロは光の中でふんわりとバウンドした。それから、ゆっくりと舟の底に立った。
「ひゃっ、こいつはいいや。最高だ」
ロケロは目玉をパチパチさせて笑った。
ルッカは舟をみまわし、舟の後ろにある舵を握った。
「動け」ルッカは言った。「飛べ」ルッカはもう一度言った。
舟は動かない。
「動かないぞ、ルッカ」
「待って、今、考えてるところだから」
ルッカはじっと金の鱗の湖を瞶めたまま、心を澄ませた。何度も、何十回もおばあちゃんから聞いた話。おばあちゃんが子供の頃、青い水の星へ月の浮き舟で暗い宇宙を渡った時のこと。
待てよ、僕等はどこへ行こうとしてるんだ? そうだ、青い水の星だ。ルッカは舟の舵を握り直して言った。
「青い水の星へ。星の海を渡れ、月の浮き舟」
月の浮き舟は、ルッカの言葉がわかったのだろうか。それとも、ルッカの心の中の思いがつうじたのだろうか、すっと浮き上った。
あっと思った瞬間に、月の浮き舟は何万メートルも上空を飛んでいた。ルッカとロケロはぱっくりと口を開いたまま、目ん玉を開いて自分のこぶしくらいになっていく月を見ていた。月の浮き舟はゆっくりと旋回して、海へ出て行く。海は宇宙のことだったのだ。
月は、すぐに三日月の輝きをふたりの前に見せてくれた。
「月って、僕らの星って、あんなにきれいだったんだ」
ルッカはぽつんと言った。
「ルッカ。あれを見なよ」
ロケロが肩をつつく。
「ふぁああ」
振り向いたルッカの前に、青い水の星が迫っていた。
「きれいだなあ。見ろよ、青い水。あれは森だ。何てきらきらしてるんだろ?」
「うん。月とは違うな。色がいっぱいだ」
ルッカとロケロは舟の縁を握りしめ、身を乗り出して青い水の星を食い入るようにみつめた。その間も船は進んでいく。ぐんぐん、青い水の星は近くなっていく。
「突入だ!」
二人は叫んだ。
船を包む光の外側が、赤く燃え上がる。青い水の星へ入ったのだ。舟の下に雲の海が広がっている。雲の隙間から地上が見えた。舟は向きを変え、雲の中へ入った。乱気流に揺られながら、舟は夜の方へむかって飛んでいった。
「あれっ?」
ルッカは声をあげた。
「ねえ、ロケロ、この舟、どこへ向かって飛んでいるんだろう?」
「さあ?」ロケロは首をかしげた。
ルッカはあわてて舟の舵をつかんだ。
「動かないぞ。おかしいな」
ルッカは力いっぱい舵を握って動かそうとした。舵はびくともしない。
ロケロもいっしょになって舵をうごかそうとした。でも動かない。
「俺たち、どこへ行くんだ?」
ロケロが叫んだ。
「わかんないよ!」
「どうにかしろ、ルッカ」
「そんな。僕にもわかんない。どうしようロケロ?」
「俺に聞くなよ」
舟はルッカとロケロを乗せたまま、地上へぐんぐん降りて行く。雲を抜けて、夜の町が小さく見えてきた。
「いいや、ロケロ。舟のほうで勝手に降りてくれるさ。まかせよう」
ルッカが言った。なんだか、突然馬鹿々々しくなったのだ。どうしようもないことは焦っても仕方ない。
「なるようになるさ。だって、青い水の星にちゃんと来れたんだもの。あとは満月までに、苺をみつけちゃえばいいんだから」
ルッカは、おへそがムズムズして笑いたくなった。
「そうか。そうだな。だって、どこに着いたって同じだ。この星のこと、俺たちは何も知らないんだからな」
ロケロは、水かきがついた大きな手をパチンと鳴らして言った。
「そうだよ」
ルッカとロケロは急に気持ちが楽になって、舟の中に寝転んでお腹がよじれるまで笑い転げた。
舟は速度を落とし、風に漂う木の葉のように柔らかく流れ出した。目に見えない河を下るように。ルッカとロケロは、今は暢気に下の景色を眺めている。
目に見えない河を渡る月の浮き舟に乗った二人が眺めるのは、夜の水底の町だった。家々に明りが灯り、駅前や商店街はまだ華やかに光が溢れている。車が大通りを行き交い、救急車の赤色灯がきらきら点滅する。どれも月にはないあでやかな色だ。
「きれいだね。色の洪水だ」
ルッカはうっとりとして言った。
「きれいだ。こいつ、旨いものがある場処、ちゃんと知ってるのかな?」
ロケロは、舟のふちを叩いて言った。
「もうご馳走のことを考えてるのか、ロケロ?」
「へへへっ……。見ろ、着陸する場所が決まったみたいだぞ」
ロケロが指差した。
舟は舳先を下に向け、町の明りが届かない闇へ向かって降りて行く。闇の中には何があるのだろう。下の闇は、森がつくり出す深い闇だった。舟は音もなく、光の粒子を撒き散らしながら闇の中へ入って行った。
月の浮き舟の光を、何かがキラリッと反射した。船はその方向へ降りて行く。
「池だ。だよな、ルッカ?」
それは、森の中の小さな池だった。まわりを深い木々で囲まれた丸い池だった。
月の浮き舟は、かすかに水音をたてて池に浮かんだ。
ロケロが船を飛び降りようとするのを、ルッカがとめた。
「どうした?」
「なにか光ったぞ」
ルッカとロケロは、息をこらしてしばらく身じろぎもしなかった。暗闇の中で草ががさがさと鳴り、幾つもの赤い目がじっとこっちを睨んでいる。
「たしかにいるな。かくれてこそこそ俺達をうかがっている。まるでクレーターもぐらみたいな奴等だ。気に食わない」
ロケロが狩人の目で暗闇をさぐった。
「いたいた、大きくはないぞ。本当にクレーターもぐらくらいだ」
船の中と草むらで、にらみ合いが続いた。様子をうかがっているだけで、草むらの中の赤い目は襲ってはこなかった。
ルッカは大きく息を吐くと、ロケロの肩をそっと自分の肩で押した。そしてささやいた。
「降りよう、舟を」
「大丈夫か?」
「いつまでもここでにらめっこしてられないよ」
「よしっ」
ロケロは強く言い、
「俺が先に行く。俺の方が跳べるからな」
「僕もすぐに続くよ」
「頼りにしてるぜ」
言った時には、ロケロは岸へ向かってヒャアッと声をあげ飛んでいた。
ルッカも後に続く。
草むらでフギャアと叫び声がして、小さな影が飛び跳ねたり、体を低くして音もなく走った。
「誰だ?」
ロケロが鋭く聞いた。
「出てこい!」
ルッカも身構える。
「お前らこそ、どっから来た?」
草むらから声が返ってくる。
フンッ、とロケロが鼻で笑った。
「おい、毛むくじゃら」
ロケロはぐっと、力強く一歩踏み出した。
草のかげで、素早く動く影がいくつも見える。ロケロはにやりとした。
「見えるぞ、見えるぞ。かくれているつもりでも、この俺さまにはよおく見えるぞ」
砂漠蛙のロケロは、どんな暗闇でもはっきりと見えるのだ。
「そこの黒白まだら。そっちは三毛。お前は、茶色のしまもよう」
ロケロが指さして言うたびに、その先の闇から、フギャッ、シャアッ、ニャギョオと驚く声がした。
「お、俺たちだって、お前らが見えるぞ。お化けカエルと人間の子供!」
ふるえる声がこたえた。
ルッカもだんだん、草のかげで動くものの姿がはっきりと見えてきた。
なんだろう?
ちいさな三角耳に、長い毛や短い毛の生えたやつ。針金みたいなひげで、眼がまんまるで、長い尻尾や短い尻尾。クレーターもぐらと同じくらいの大きさで、月ではこんな変てこりんな奴は見たことがない。でも、クレーターもぐらみたいに生意気そうじゃないし、乱暴者でもなさそうだぞ。話せば分ってくれるかも知れない。
ルッカはロケロに並んだ。
「ねえ、君たちは何て名前? 僕は月のルッカ。こっちは、月の砂漠蛙ロケロ」
カササッ、コソソッ、と集る気配がして、モショモショと囁きあう声がした。それから、黒白まだらが言った。
「月のルッカと砂漠ガエルのロケロだと? 本当に月から来たのか?」
「そうだよ」とルッカ。
「ためしにいっちょうやるか?」
今にも飛びかかりそうなロケロを押さえて、ルッカは言った。
「あの、月の浮き舟に乗ってきたんだ」
黒白まだらは顔が真横になるくらい頭をかしげ、じっとルッカとロケロと月の浮き舟を見た。また、ガサッ、ゴソッと猫たちは顔を寄せ、ごしょごしょと話し合う。
「ほんとだってよ」
「月が落ちてきたと思ったのに、舟だったんだなあ」
「月から来たってのも、嘘じゃねえらしいな」
「たしかにあんなでかいカエル、しかも毛が生えたカエルここにはいねえものな」
「どうする?」
ゴニョゴニョ、ゴニョ。ニャオニャオニャア。
「ヤマト親分だ。親分のところへ連れて行くしかねえ」
三毛が言った。
「そうだ。やっぱりヤマト親分に見てもらおう」
猫たちは顔を見合わせ、ホッとしたように息をはいた。猫たちも、ルッカとロケロをどう扱えばいいのか迷っていたに違いない。
「なんだ、親分がいるのか。だったら、さっさと案内してくれ。俺たちも、親分に聞きたいことがあるんだ」
ロケロがあごをしゃくった。
「よ、よし。ついてこい。逃げるなよ」
「ふん、逃げやしないさ」
ロケロが猫たちを見おろして言った。
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