月の民のちょっと不思議な物語 第2章 月のルッカとみどりのロケロ
霜月朔
1 苺が枯れちゃった!
枯れてカサカサになった葉っぱ。
青いままでひからびた小さなふたつの実。
葉っぱがひらっとゆれて、さんわりと床に落ちた。
ああ……。
ルッカとロケロは、がっくりと肩を落としてうなだれた。
「苺、枯れちゃった」
ルッカは思いっきり下唇を突き出す。
「うん。最高の楽しみが、永遠に、消え、ちまった、よお」
ロケロは大きな口をほとんど開かずに、ぼちょぼちょと呪文のように呟いた。
「母さんが言ってた。青い水の星の土が、苺を育てる力をなくしたんだろうって」
ルッカが言ったが、ロケロは全然聞いている風ではなかった。
もう 苺は食べられない
もう 赤い苺は実らない
甘くてぷちぷち 幸せの味
もう 苺はいっちまった
悲しいよ
ロケロはとっても悲しいよ
ロケロは枯れて落ちた苺の葉っぱを、そうっと自分の頬っぺたにあてて歌っている。
こうなると、ロケロは誰の話も聞こえない。勝手にさせておくのが一番だ。
(僕だって悲しいよ)
ルッカは心の中でつぶやいた。
ルッカは椅子から立ち上がり、窓辺に寄った。冷たい透明なガラスの遥かむこうに、青い水の星が見える。左半分は影の中。夜なのだ。
「今夜は三日月か」
ルッカは呟き、自分の言葉に驚いてまわりを見回した。
何故って? 今夜、月が三日月だからに決まってるじゃないか。
それに、まるで誰かぜんぜん別の人がしゃべったみたいだった。
そうだ、もう二度とないチャンスだ。
ルッカが住む月は太陽の光を浴び、三日月になったばかりだ。今夜は三日月だ。
「三日月が、そんなに珍しいのか?」
後ろからロケロが低い声で尋ねた。ちょっと意地悪そうな言い方だ。きっと、苺が枯れたことをルッカが一緒に悲しんでくれないので、すねているに違いない。でも、ルッカはもっと凄いことを考えていたのだ。
ルッカは口がぐにゅって顔の外にはみ出すくらいにんまりして、ロケロを見た。眼が三日月になっている。
「ロケロ。僕にそんな口をきいていいのかい? 僕は、ロケロが三千光年くらい軽く吹っ飛んじゃうような、素敵なことを思いついたところなんだぜ」
ルッカは、ロケロに負けないくらい意地悪な言い方をした。そして、横目でロケロの反応を見た。
「へえ、一体どんな間抜けなお話だい?」
ロケロは別に聞かせてくれなくても良いよと言う顔をした。
でも、本当は聞きたくてたまらないのだ。その証拠に、目玉が右と左でばらばらにくるんクルンまわっているもの。ほんとにロケロは素直じゃないな、とルッカは思った。
だけど、ロケロは大事なともだちだ、それに時間もない。ルッカはロケロの耳元で、ごにょごにょごにょと計画をささやいた。
「きょえっ」
その時のロケロの驚きようは、太陽を三回転の銀砂河に五千メートル上空からダイビングして、気絶して河にぷっかり浮かぶくらいのびっくり顔だった。
本気なのか? ルッカ?
ルッカの頭はイカレちまった
苺が枯れて大爆発
そんなこと出来っこない
勇気があるのか? ルッカ?
お馬鹿なのか? ルッカ?
ロケロは、自慢の竪琴を奏でて歌った。
「苺が、お腹一杯食べられるんだよ。どうする?」
ルッカは、ロケロの歌が終わったところで言った。
「苺を、お腹いっぱい、食べ、られる」
ロケロは腕を組んで考え込んだ。危険な計画と、苺の食べ放題の夢を秤にかけているのだ。ルッカは、枯れた苺の実をもいだ。ロケロの眼が、びゅんびゅん回転している。考えろロケロ。ルッカの心は決まっている。
「それに苺は、月に住む者みんなにとって大切な薬なんだよ。苺がなけりゃ、金砂病は治せないんだよ。大丈夫さ、月の浮き舟でちょいと海に漕ぎ出すだけじゃないか」
ルッカはロケロを励ました。ついにロケロがうなずいた。
「ルッカの家とは、俺のミケロじいちゃんと、ルッカのおばあちゃんが子供の頃からの付き合いだからな。しょうがない、行ってやるか」
ロケロは威張って言った。だけど、ロケロの口の端がピクピクふるえているのを、ルッカは見逃さなかった。
(僕だって、ちょっとは怖いさ、ロケロ)
ルッカは心の中で言ったが、口には出さなかった。怖い気持ちより、これからのことを考えただけで、心はわくわくしてしまう。
「行こう。ロケロは三日月草を探して来て。きれいで格好の良いやつだぞ」
「まかせとけ。それから、俺は竪琴を持っていくよ。あいつはいつも俺と一緒だからな」
「その間に、僕は銀砂河の水を準備するよ。急がなきゃ。今夜しか、出発のチャンスはないからね」
「ルッカ、やり方はちゃんと間違いなく分かってるよな?」
ロケロが心配そうに聞いた。
「大丈夫。僕は何度もおばあちゃんの話を聞いたし。それに、いつも青い水の星へ行く時のことを考えてたんだ」
ルッカは自信をもって答えた。
「じゃあ、きっと大丈夫だ」
ロケロは自分に言い聞かせるように言った。そしてルッカに聞いた。
「なあルッカ。青い水の星にはだよ、月にはない、たとえば苺のようなおいしいものが、他にもいっぱいあるかな?」
「あるさ。ロケロだって、ルルカおばあちゃんの話を聞いたことがあるだろ?」
ほんとにロケロって、おいしいものに眼がないんだ。生意気で理屈屋なのに、食べ物のことになるとすっかり子供だ。十歳のルッカは思った。
「真夜中の三十分前に、金の鱗の湖、北の入り江で待ち合わせよう」
「わかった。ルッカ、遅れるなよ」
ロケロはもういつもの生意気な、命令する調子で言った。
「うん。いいかいロケロ、絶対、誰にも内緒だよ」
ルッカはロケロをにらみつけた。だって、ロケロはけっこうおしゃべり好きなんだ。用心しとかないと、すぐに秘密の計画がばれちゃうこと請け合いだ。
ふたりは、手をぱちんとうち合わせて分かれた。
ルッカはちいさな声で歌いながら、銀砂河の水を持ってきた小瓶に詰めた。それを布で包み、リュックの底に大切にしまった。それから、歌った。
三日月の夜
金の鱗の湖の汀
北の入り江の岸辺
影が中天にとどく前
三日月草を水に浮かべよ
光の波が舟を包みうみへ誘う
それは 月の民 月の浮き舟の唄
おばあちゃんがいつも歌ってくれる、月の浮き舟の唄。
ルッカはリュックを背負うと、急ぎ足になった。金の鱗の湖まで歩かなくちゃならない。まだ時間はあったが、早く着きたかった。心が、急げ急げとルッカをけしかける。
南へ。金の鱗の湖へ。
「クレーターの谷を抜ければ、湖はもうすぐだ」
ルッカは自分に言った。
誰にも内緒の大冒険だ。晩ご飯を食べて、いつものように部屋に戻った。ベッドの中に毛布を丸めて、ルッカが寝ているようにみせかけてきた。部屋の明かりは消した。これで明日の朝まで、誰にも気付かれないだろう。父さんや母さん、おじいちゃんとおばあちゃんが心配しないように、メモも残してきた。大人たちは、ルッカの計画を決して許してくれないだろう。だから秘密にして、実行するに限る。
(あとは、ロケロだ)
ちゃんと三日月草を持ってきてくれよ。
三日月草がなくちゃ、月の浮き舟は出てこないんだからな。
「ルッカ、何処に行くんだ、ルッカ?」
クレーター渓谷の底から、馬鹿にしたキイキイ声が木霊してきた。
「クレーターもぐらめ」
ルッカは知らん顔して走った。
新月から六日月の間、月の影の中でクレーターもぐらは穴から出て来て、毎晩大騒ぎをやらかす。もぐらたちのお祭りだった。
「返事もしないで、生意気なルッカ」
もぐらたちは地面から伝わる振動の違いで、誰の足音かわかるのだ。
クレーターもぐらは、新月の日から毎晩のお祭りで酔っ払っているに違いない。からかったり脅したり、生意気なんだ。あいつらの相手を本気でしていたら、最後はいつも馬鹿を見るだけだ。
クレーターもぐらは決して誰の言うことも聞かない。月の民はクレーターもぐらと仲良くやっていこうと考えているが、もぐらたちはそんなこと糞食らえだと言う。自分たちだけでやって来たから、誰とも協力する気持ちはないんだ。
「ルッカちゃあん。なんでお前はそんなに意地悪なんだ?」
もぐらたちが囃し立てる声を背中で聞きながら、ルッカは走りつづけた。もぐらの声が追いかけてくる。ルッカが走るより、地下に掘られた通路を抜けるもぐらの方が早い。
「答えないなら、ばらしちゃうぞ。ルッカは夜に家を抜け出して、どこかに出かけてるって。それでもいいのか?」
ルッカは立ち止まった。もぐらたちはきっと、父さんや母さんに告げ口するに違いない。もぐらたちの笑い声が聞こえた。
「いやな笑い方だ。ちくしょう」
ルッカは迷った。どうしよう。本当のことは言えない。その時、別の声がした。
「俺様が相手になってやるぜ、もぐらども」
「ロケロ!」ルッカは思わず叫んだ。
クレーターの底へ降りる斜面の砂が、水しぶきのように撥ねあがる。ロケロが砂の中を凄い速さで泳いでいるのだ。砂しぶきをあげて、ロケロが砂から飛び出して叫んだ。
「もぐらども、砂漠のロケロが相手してやる。ぜんぶまとめてかかってこい!」
ロケロの金色の眼がクレーターの底でギラッと光った。
ぱぷぱぷぱぷっ。あびょあびょあびょ!
これはもぐらたちの悲鳴。もぐらたちはあっという間もなく、クレーターの穴の中に飛び込んで姿を消してしまった。
「ちぇっ。ちょいと旨そうなもぐらだったのにな」
ロケロが残念そうに舌打ちした。
我が物顔のクレーターもぐらにも、天敵はいる。砂漠の狩人、灰色砂漠耳長月蛙だ。ロケロはけっけっけっと愉快そうに笑い、ひらぺったい足の裏を使って砂の斜面をひょいひょいと登ってきた。
「やあ、待たせたな。ほら、三日月草だ」
ロケロはまだクレーターの底を睨んでいる。
「ありがとう、ロケロ」
「ふん。あいつらは昔から口ばっかりだ」
ロケロたち砂漠蛙とクレーターもぐらは、遠い昔から敵同士なのだ。
ロケロとルッカは並んで歩き出した。もぐらたちは穴に潜ったまま、こそりとも音をたてない。
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