異様な空気の流れる室内に、松浦紀子さんの声はなおも続く。

『果たしてその勝負内容は!』

 候補者二人は口を揃える。

「「弁論で」すわ!」

『きました、弁論! ここ恩が原市で行われる総選挙は基本的に日本国憲法を遵守しながら進めるものですから、アントレッドにおいては合法の「決闘」は原則禁止されております! その代わり参加者は多くの場合言葉の刃、すなわち弁論を交わすのですッ!!』

 原則、というのは先程ちらっと書いてあった大使館の特例のことを言っているのだろうか。ともかく彼女の説明口調は先程dボタンで見た解説と全く同じだ。ここまでは理解できたと頷く傍観者の俺に、松浦紀子さんは突然指令を下してきた。

『それでは皆さん! お手内のマイクロチップからLPの投票をお願いします!! 勝負内容「弁論」において、このLPは試合終了までの十分間、自由に組み替えることが可能です。戦闘終了時点でのLP配分の多寡が最終的な勝敗を分けることになります!!』

「マイクロチップ!?」

 持っていることを当然のように言うが、俺に心当たりは一切ない。周りを見回すと両親はまた掌からホログラムを出して何やら操作をしている。

「だからそれ俺もやりたいんだけど!」

「すまない、一純……お前にマイクロチップは埋め込まれていないんだ。あるのはここ恩が原に生まれ、恩が原総合病院で受診経験がある者だけ」

「俺だって恩が原市民のはずだよな!?」

 俺渾身の叫びに、悲しげにかぶりを振る母親。

「だって一純は、私たちと血が繋がっていないもの……」

「また言った! ねえそれそんなさらっと普通に言っていいことなのかなぁ!?」

「ごめんなさい! 許してちょうだい! あなたの分までLP全部怜王くんにつぎ込むからぁ!!」

 一体何を許せというのか。涙目で言われても意味が分からないどころか、この身への疑惑が深くなるだけである。母はなおも謝りながらホログラムを連打する。ぴこぴこぴこと電子音が鳴ると同時、選手二人の目の前の画面も明滅し、テレビの画面上に表示されたアイコンにハートマークが集まっていく。

 この『LP』というやつについて、松浦紀子さんは何も説明してくれない。仕方なくdボタンを押してみると、先程と同じように用語解説が表示された。

 ──『LP』……総選挙において候補者の力となるのは、『LP』と呼ばれる投票権。恩が原市民は埋め込まれたマイクロチップから操作することで任意の候補者に任意のポイントを投票することができる。一人の有権者が一日に注ぎ込めるLPは五百まで(※恩が原総合病院の研究結果に基づく)。候補者が試合で得たLPは『弁論』において競われる最終ポイントとなる他、候補者が残り二人になった際行われる決勝戦において『使用』することができる。

「なるほど……」

 わからん。

 相変わらず理解の及ばない俺を置いてきぼりに、松浦紀子さんが高らかに叫ぶ。

『さあ、勝負は立論から始まります! 先攻は勝負を挑んだ美狼堂聖冠選手ッ!!』

 カン! とドローンから甲高い音が響いた。それを待っていたかのように、聖冠がにんまり笑顔を作ってよく通る声を放った。

「スーパーダーリンに必要なもの、それは財力!」

 うわぁ初っぱなから飛ばすな、という感想を抱く俺の前、怜王は至って冷静な目で油断なく敵を見つめている。聖冠は美術の教科書でしか見たことのないような扇を日本舞踊の如く舞わせて、ドローンの前に芝居がかって腕を広げた。

「そして財力において、アントレッドでワタクシの右に出る者はいないッ! ワタクシを王に選んでいただいた暁には、ワタクシのハニーこと国民の全てをワタクシの扶養に入れ! 何不自由ない生活をお約束いたしますわッ!!」

 カンカンカン! という効果音は立論の終了を示すようだ。松浦紀子さんがまたも元気に司会進行を勤める。

『素晴らしい! 日本国民の労働嫌悪党の全てが望むという最高資本主義ッ!! 働かなくても生き残れる、そんな世界をこの私、松浦紀子も見てみたいものです!』

「…………」

 なんか、公務員って大変なんだなと思った。しかしなんだろうか、この弁論形式に先程から浮かぶ既視感は。

 俺の感想など無論知る由もなく、松浦紀子さんはさらに続ける。

『財力に物を言わせるという美狼堂聖冠選手のパワープレイをどう切り崩す! 獅子崎怜王選手による反対尋問の開始ですッ!!』

 カン! ゴング音を合図に怜王がエプロンをばさりと脱ぎ捨てる。

「資本……それは確かにここ日本国においてもそれは重要なファクターだ。急激なインフレバブル期は確かに国民の全てが輝いていた、昔は良かったと恩二の教師が言っていたのも記憶に新しい……」

 俺の記憶にも新しい。あのおじいちゃん先生、怜王のクラスでも同じこと言ってたんだな……と不思議な感慨を覚える俺を引き戻すように、怜王の高らかな声が狭い空間に響き渡った。

「しかし!」

 聖冠の眉がぴくりと動く。そこに込められた感情は不明だが、怜王の弁舌は止まらない。

「バブルは崩壊した、貴公もまさかそれを知らず主張しているわけではあるまい! かつて日本中を襲ったオイルショックの悲惨さたるや!!」

 外から吹き込む夜風が怜王の味方をする。ぴこん、と音が鳴って怜王のホログラムが光った。新たにLPが加算された証だ。

「貴公が裕福なのはわかった。貴公にとにかく金があるのもわかった。しかし一個人の資本のみに圧倒的価値を置く国家は、必ずや脆弱となる! それは貴公一人の貧困だけであまりにも脆く瓦解するぞ!!」

 カンカンカン! というゴングの音に合わせ決まったぁあ、と叫びたいところだったが、聖冠の表情は動かず余裕の微笑みを保っている。怜王もそれを十分に認識しているのだろう、緊張した面持ちで油断なく彼女を見つめている。

 カーン、と金属音。松浦紀子さんが叫ぶ。

『続いては! 後攻の主張の立論です!!』

 その言葉に先程から頭を擡げていた既視感が一気に具体性を増した。これ、国語の授業で「校則で制服を選択制にするべきか否か」を議論していた時と、進行が全く同じだ。俺の猜疑心に構わず、怜王が肩をば、と広げた。

「スーパーダーリンに必要なもの、それは愛!」

 ひゅう、と両親が楽しげな口笛を吹いた。一方聖冠は相変わらず動じない。

 それでも怜王は怯まずゆっくり目を閉じ、胸の前で拳を握り締める。

「王となれば国民すべてを公平に公正に等しく庇護しなければなるまい……そこに贔屓や不平等が生じては、決してならない。それに必要なのは、国民という概念を愛すること。愛するとは、その幸福を最も優先するということ……!」

 金色の瞳が見開かれる。強いまなざしが一瞬俺に向いた気がする。

「愛。それは方法論ではない、あらゆる行動の動機の根幹……愛があるから強くなれる、愛する者を護ろうと思える。これこそが王にとって、必要不可欠なものであると、ボクは考える!!」

 怜王のホログラムが立てるぴこぴこという効果音がいっそう激しくなる。LPが彼女の元に集まっているのだろう。カンカンカン! 金属音に続く松浦浦紀子さんの実況。

『アツいッ! アツすぎる! 不肖松浦紀子、この世が愛に溢れた状態こそ真の幸福国家であると常々考えてやみません! 上司ー! 社会ー!! 私を愛してくれー!!』

 色々大丈夫か、恩が原市役所。

 実況に溢れる私情にさすがの俺も副音声を切ることを検討し始めるが、松浦紀子さんは試合の進行も忘れない。

『さあ、次は先攻による反対尋問です!!』

「笑止! 浅い、浅いですわ獅子崎怜王!」

 松浦紀子さんの実況と聖冠の声が食い気味に重なった。笑った彼女は扇の動きを駆使しながら美しく舞い、舞台女優のように謳い上げる。

「愛が人を救うなど所詮幻想! 人間はアナタが思うほど綺麗じゃないッ!! そしてこのワタクシは、その穢らわしさこそを愛おしく思い! 庇護したい、とまで思うんですのッ!!」

「くッ……」

 謎の風が怜王の髪の毛を吹き付ける。聖冠は踊るようにターンを決めて、特有の角度で長いスカートを美しく靡かせた。

「金、金、金ッ!! 金があればご飯を食べられる、金があればいくらでもQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を上げられるッ! 労働をしなくともいいのです! ワタクシの扶養に入りさえすればッ──!」

 彼女の衣装に施された宝石が俺の家の明かりにキラキラと輝く。ルナとかいうメイドは無表情ながら、惚れ惚れと自らの主人を見つめていた。怜王の姿を見る俺もこんな顔をしていたのかもしれないと思うと、若干湧き上がる恥ずかしさがある。

 聖冠は一度ルナに目配せをして、踊るように両手を広げた。自信満々に、今回ターン最後の言葉を放つ。

「愛がなんだと言うんですの! 愛でご飯にありつけまして!? いくら愛があったところで富なき者に住宅ローンは組めませんわッ!」

 ぴこぴこぴこぴこ。聖冠のアイコンに集まるハートマークが勢いを増し画面に表示されるLP総数を示すラインが広がっていく。まずい、このLPが弁論の勝負の決め手になるなら、早く逆転しなければ負けてしまう。

「…………」

 どんなに念じても俺の手には何も表示されない。俺には、怜王を応援する権利すらないというのだろうか。

 カーン、とゴング音が響く。俺の些細な葛藤などは無論データ放送に乗るわけもなく、松浦紀子は熱烈なる実況を続ける。

『これは本人の立論に勝るとも劣らぬパワープレイ! 獅子崎怜王! 美狼堂聖冠の主張に反駁をッ──!!』

 反駁。その言葉を一介の高校生である俺は、国語の授業でしか聞いたことがない。

 完全にディベートだわ、これ。

 いよいよそう確信を得た俺を否定するように、松浦紀子さんが声を張り上げる。

『なお、これより以降の対決は三分間のフリースタイルDisで終了となります! 両者、気にくわない発言にはすぐさま突っかかる権利を所持しております!』

 じゃあディベートじゃねえわ。

 内心二転三転する俺をほったらかしに、怜王は大きく息を吸い、閉じていた目をゆっくりと開いた。それで、俺の浮ついた思考も一気に引き戻される。

 心臓が熱く鼓動が早くなる感覚がした。怜王の真の反撃が今から始まることは肌でわかった。不自然なほど静かな彼女の声色が、本来平和で柔和な鹿川家の空間をきつく引き締めていく。

「確かに、愛で食料は買えないかもしれない。愛で家は建てられないかもしれない」

 淡々と告げる金の瞳が一瞬こちらを向く。彼女はそっと胸に手を当てて、その口端に柔らかな微笑みを浮かべた。

「貴公にもきっとあったはずだ。この者に愛されて嬉しい、という感覚が──」

「ッ……!」

 聖冠の瞳が一瞬、メイドの方向を見た気がした。しかし動揺はすぐさま瞬きによって打ち消され、強がるような声がそれでも滑らかに反論を紡ぐ。

「何も……ワタクシは考えなしに金をばらまくと申しているのではございません。地位ある者として全ての労苦、辛苦を引き受け、ワタクシの愛する民というハニーたちを食わせ、無償で幸せにして差し上げると申しているのですッ!!」

「それが、過ちと言っている……!」

 怜王は気丈に言い返すが、聖冠のぴこぴこは激しさを増すばかりだ。危機感を煽られる俺を肯定するように、松浦紀子さんもこの状況を律儀に実況してくれる。

『これは、LPが美狼堂選手に流れているッ……! 勤勉を強いられるあまり労働への嫌悪激しい日本人、その本質がここに出ております! わかる! わかるぞ日本人、恩が原市民!! 私も許されるなら毎日目覚ましに起こされず三百六十五日ゴロゴロしながら味の濃いものを食べて寿命を縮めたいッ──!!』

 なんか、公務員とか恩が原市役所以前に、松浦紀子という人物そのものがだんだん心配になってきた。そんな松浦紀子をさておくとしても、圧倒的不利な状況は確かである。彼女の言う通り、忙しすぎる日本人に聖冠の提言は余程魅力なのだろう。

 俺にもこの戦いの本質が段々分かってきた。怜王は聖冠を言い負かせばいいのではない。聖冠を支持する人々の心を変えなくてはいけないのだ。そこに王としての在り方が問われているのだろうが、理解すればするほどますますディベートにしか思えない。

 焦る俺は怜王の表情を固唾を呑んで見守るが、彼女の顔に不安はない。確固たる信念と自信を持って、聖冠に相対しているように見えた。

 彼女は先程と同様、静かなアルトで語り始める。

「試合前に。貴公は、鹿川家の窓ガラスをそれは華麗に粉砕したな……」

 聖冠は全く意に介さない様子でせせら笑う。

「ええ。それが何か?」

「いや何。貴公がおおかた、己の財力と懐の広さを誇示したかったのだろうことは想像がつく」

 怜王の華麗な挑発に、聖冠が形の整った眉をぴくりと動かす。咄嗟に言い返さないあたり、図星を射ているのかもしれない。

 怜王は続ける。

「全く違う話ではあるが。図工の時間に、子供にステンドグラス作り体験をさせている学校があるという。愛しい子供が必死に創った作品を窓に貼り、日々眺めている家庭もある、ということだ……」

 聖冠がはっと目を見開いた。これを好機と、怜王は声を張り上げる。

「貴公は、登場の派手なパフォーマンスに気を取られ! 窓ガラスに何がしかの思い出が刻まれている可能性を疎かにしたのではないか!?」

「キャァアアアアッ!!」

 何故か怜王のいる側、すなわち家の中から突風が吹雪いて聖冠を襲う。

「お嬢様っ!」

 駆けだそうとするメイドを聖冠が片手で制した。ぴこんと二人の間のホログラムが反応する。テレビ画面を見ると、今ので多少怜王の所持LPが巻き返したようだ。心の中でガッツポーズ。

 怜王も目の前を確認し自らの状況を冷静に把握したうえで、反論する暇など与えぬとばかりに次の言葉に移る。

「それに何より!」

「こ、これ以上なんだって仰るんですのッ……!?」

 額に汗を浮かべた聖冠が顔にかかった髪をかき上げる。怜王はその動作が終わるのも待たず滔々と語る。

「二〇一八年に行われた、政府による無職世論調査の結果を知っているか……?」

「し、知りませんわそんなものッ……どこの世界でも無職の願望は同じこと、働かず生きることではございませんのっ……!?」

 怜王は黙ってかぶりを振る。燃える赤毛が謎の微風にふわりと吹き上がる。伏目がちにされた金の瞳がLEDに煌めく。

「人間に真に必要なもの、それは己が誰かの役に立つという肯定感……誰の役にも立たず生かされる日々は楽ではあるが、同時に何か大事なものを失っている気がする、とはこの日本に生きる無職の声だ……」

 ごくり、と聖冠が息を呑んだ。ガーネットの瞳が大きく見開かれ、信じられないものでも見るように怜王を見返す。怜王の燃えるような髪が夜の風に美しく靡いた。

「そう! それは畢竟、生きる意味! 誰かに愛されるということ! 誰かに必要とされる謂わば『生き甲斐』!!」

「ッ……!」

 聖冠は防御姿勢を取りながら激しく首を横に振った。流れがどちらを味方しているかは、最早素人目にも明らかであった。その流れを乗りこなす怜王が声高に宣言する。

「この放送を見ている恩が原市民に誓う!!」

 彼女はバッ、と己の前に強く右手を突き出す勢いのまま、朗々と声を張り上げた。

「ボクが王となった暁には! このボクがその役目を担おうではないか! 求めてみせる、『甲斐』を与える! ボクはキミたちの自立を決して否定しないッ──!!」

「イヤァアアアアアアアッ!!」

 ずざざざざ、と何らかの謎衝撃派に吹き飛ばされた聖冠のヒールがフローリングを削った。お嬢様、とルナが叫ぶが答えはない。聖冠は唇を噛みしめ、辛うじて気丈に怜王を睨み付けている。

 カンカンカーン、と高らかなゴングが鳴った。松浦紀子がその意味を歌い上げる。

『勝負ありました! 最終LP合計値を発表します!』

 暫し渡る、痛いほどの沈黙。怜王も聖冠も固唾を呑んで自らのホログラムを見つめている。その目が見開くと同時、テレビの中で松浦紀子が叫んだ。

『4,739,073ポイント対、5,224,335ポイント……! 勝者! 獅子崎怜王ッ──!!』

 カンカンカンカーン、と再度やかましいSEが鳴り響く。項垂れた聖冠の首筋、狼の意匠の紋章が光を失う。メイドが聖冠のもとに急ぎ駆け寄り、対する怜王は勝利を挙げたボクサーのごとく拳を上げた。ありとあらゆる事象に対する絶句を誤魔化せない俺に、怜王は額の汗を拭いながらやりきった笑顔を浮かべる。

「……と。こういった感じで総選挙は続いていく」

 俺は今にも崩れ落ちそうな彼女の体を支えながら、今日何度目かの冷や汗と苦笑いを浮かべる。

「まさか、ディベート形式とは……」

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