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鹿川家のダイニングルームを、俺の記憶史上最も張り詰めた空気が支配していた。沈黙の中、美狼堂聖冠の後ろから小型ドローンらしき影が敷地内に入り込む。それを見た母親が咄嗟に散らかった部屋の隅を体で隠しわざとらしくオホホと笑った。見ると、ガハラ・オンTVの画面には俺たちの家の様子が克明に映し出されている。あのドローンはどうやらカメラの役目も担っているようだ。プライバシーとかってないのか?
ていうかこのままでは今以上に置いてけぼりにされてしまう。危機感が松浦紀子さんの副音声がどうのという言葉を思い起こさせ、俺は藁をも縋る思いでリモコンを取り副音声をオンにした。先と同じ女性の声が鳴り響く。
『さあ、申請から三分以内にその可否を答えなければ、挑まれた候補者は失格となります! どうする優勝候補獅子崎怜王!!』
優勝候補だったのか。けたたましい実況の声に煽られる怜王だが、プレッシャーを感じる風もなく黙ってスーパーダーリンお嬢様を見つめている。誰もが言葉を発さない空間を、最初に壊したのは聖冠の方だった。
「あらあら、どうなさったの?」
肉食獣じみたピンク色の唇が不敵に吊り上がった。怜王は俺を庇うように立ちはだかる体勢で黙したままだ。それをいいことに、聖冠はさらに語調を強くした。
「ワタクシは正々堂々名乗りましたわ。アナタは勝負をお受けになりますの? なりませんの? あまり悠長になさっていると失格に──」
「その前に一つ、主張をさせていただきたい」
空間を裂いた怜王の声は、今まで聞いた中で一番強い響きを帯びたものだった。護るべき物がある王のような、芯の通った声。それは義憤とでも呼ぶべき静かな怒りを帯びて、聖冠の方へ玲瓏に響いた。
「恩が原市の住宅は、いつアントレッド国王総選挙に供されてもいいような契約内容となっている。よって総選挙中恩が原市内殆どの土地や器物の損壊は罪にはならないとはいえ……候補者の質が一般人の住む邸宅を破損するまでに落ちたとは」
そうなの? と視線を送った画面上には「補足情報はリモコンのdボタンをチェック!」という文字が並んでいる。大人しくそれに従うと、頭がくらくらするような長文の解説が表示された。
──『アントレッド国王総選挙と日本国憲法』……アントレッドからの転移者には原則治外法権が適用されるが、総選挙においては日本国憲法を遵守しない候補者は失格処分となる(大使館内を除く)。とはいえ土地に拘らず該当勝負や放送を遅滞なく行う必要性を考慮して、恩が原市内の土地、器物の権利はアントレッドに帰属し、総選挙において一切の損壊を認めることが所有者に求められている。
まあ、法令特有の回りくどい言い方だが、怜王の言うことは概ね事実ということだ。いいのか、日本。そんなことで。
あまりのガバガバさに戦慄する俺だが、聖冠はなんだそんなことと言わんばかりにド派手な扇をんば、と開いた。
「勿論、美狼堂家の資産でもって修繕を行い、更に白紙の小切手を世帯主様にお渡しする所存よ」
「だからといって、人の大事なものを傷つけるとはスーパーダーリンとして如何なものか……」
「これはワタクシなりの施しなの。単にお金を押しつけるより、多少こちらに負い目があった方が気持ちよく受け取れるものでしょう?」
「ガラス片が中にいる人や、その大切なものを傷つける可能性もある」
正論にしか聞こえない怜王の言葉に、聖冠は不敵に唇の端を吊り上げた。
「と、よくお吠えになっておりますけれども。どうでしたかしら、ルナ?」
彼女が視線を送った方向、ルナと呼ばれたロングスカートのメイドが慎ましく頭を下げた。
「はい。お嬢様の計算はいつも通り完璧にございました。窓ガラスとフローリング以外に傷ついた場所はないと、このルナめが保証いたします」
「だそうですわ。これ以上何か文句がおありになって?」
勝ち誇ったような聖冠に動揺するでもなく、怜王は目を閉じ、今度は世帯主である父に向き直った。
「……ご主人。問題があるならば今伝えた方がよろしいかと」
「え、あ、べつに……ここ買う時最初からそういう条件で承諾してるし……弁償してくれるなら……まあ……」
ごにょごにょとなんとも腰の抜けた回答の父親。夢のマイホームじゃなかったのか。モブに身をやつす彼の姿はこの場にいると普段以上に情けなく見えるが、候補者の二人があまりにも雄々しすぎるということで目を瞑ってやろう。怜王も彼の返答にゆっくり頷き、聖冠に視線を戻した。
「美狼堂。ご主人の寛大さに感謝すべきのようだ」
「勿論」
麗しく礼をした聖冠の答えに怜王は金の眼光を瞬かせ──流れるような所作で目の前に聖冠と同様大きなホログラム画面を召喚した。そこにある何らかのボタンを勢いよく叩く。
「であるならば。この獅子崎怜王……貴公の勝負、お受けしよう!!」
『勝負成立ッ──!!』
松浦紀子さんが食い気味に叫んだ。
どうやら、二人のスーパーダーリンの戦いが、今ここに始まる……みたいだ。
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