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ふわふわした感覚での手持ち無沙汰な1時間30分は、長いようで短かった。
「さぁ、いよいよ総選挙開始時間が近づいて参りました!」
テンションの高い女性の声に、家族揃ってなんとなく居住まいを正す。年越し時のように全員でテレビ画面を食い入るように見つめた。
『それでは、カウントダウンを開始します! 第36回アントレッド国王総選挙開幕まで、10! 9! 8!』
女性が画面いっぱいに自身の腕時計を指し示す。秒針が刻一刻と時を刻んでいく。
『7! 6! 5ぉ! 4!』
カウントダウンが進むごと、今まで頑張って作ってきた俺の現実感はだんだんと遠ざかっていく。代わりに脳内を占めていくのは、これがゼロになった瞬間怜王がドッキリ大成功の看板を元気に掲げるんではないかという妄想だ。
『3! 2ぃ! 1!』
ゼロ、のコールと同時に怜王が看板を掲げる、なんてことはなく、ただ厳かに胸に手を当てた。あ、やっぱりこれマジなんですね。改めてそう思った時のことである。
ッパリーーーーン!!
平和なダイニングを突如劈いた穏やかでない高音に、怜王は俺を背に庇いながら俊敏に振り返る。
「何奴ッ……!」
何奴ときたか。
脳内はのんきに怜王の台詞にツッコミを入れるが、現在俺の目の前に繰り広げられたのは部屋の窓ガラスが外から粉砕されるというなかなかショッキングな映像である。その現実感を補足するように、外の冷風が一気に部屋の中に流れ込んできた。俺の前に躍り出たレオの向こう、ピンク色の豪奢な布きれがちらついた気がして、次に響いた朗々とした笑い声がその正体を裏付ける。
「オーッホッホッホッホ!!」
絵に描いたような高笑い。レオの脇からそっと覗うと、アニメの登場人物みたいな金髪ドリルヘアーの美少女が、飛び散り輝く窓ガラスの中心でこここそが私のステージだと叫ばんばかりに堂々たる立ち姿を披露していた。ピンク色のドレスにあしらわれた宝石がシーリングライトを反射して、紅い瞳がそれ以上にぎらりと輝く。高いヒールがフローリングを踏みしめた。
「楽しくご歓談のところ御免遊ばせ!! このワタクシこと
聖冠と名乗った彼女の手の動きに合わせ、彼女の眼前に水色の画面がホログラムとして浮かび上がる。しゃらーん、とパスモのチャージに似た音がして、特撮みたいに大袈裟なエフェクトが煌めいた。
彼女の後ろにはスカートの長い本物風のメイド服を着た女性がいて、聖冠の姿を眩しそうな表情で見つめていた。見つめているという点では俺だって同じだが、浮かべる表情は大いに異なっていることであろう。
美狼堂聖冠。スーパーダーリンお嬢様。いざ尋常にぶっ飛ばす。
人んちを、とかガラスが危ない、とか今は全然考えられない。聞き覚えがなさすぎる言葉のオンパレードに、溺死寸前の俺は色々通り越して逆に笑った。
誰か俺を助けてくれ。
*
恩が原市役所総務部広報課姉妹都市担当の
テレビはテレビでもローカル局の数少ない生き残りのうち一つ、ガハラ・オンTV。その名の記されたマイクを握った松浦紀子の瞳は、今までの人生で間違いなく最上の輝きを放っていた。気分の高揚はそのまま声となって、薄く化粧をした口元から迸る。
『さあ、いよいよ始まりました第36回アントレッド国王総選挙。実況はこの私、恩が原市役所総務部広報課姉妹都市担当、松浦紀子がお送りいたします!』
恩が原市役所総務部広報課姉妹都市担当という役職は元々、アントレッドの王が神託を受けたら即刻市役所に動員されることとなっていた。その業務内容にはガハラ・オンTVと連携して行う総選挙の公平公正なる実況解説も含まれており、是非その役目を担いたいと入庁当時から目論んでいた松浦紀子は今年度始めにようやく該当部署に配属を受けることができたのである。
『本総選挙は選手同士の自由意志による一対一の勝負の積み重ねで進んで参ります。敗者は即脱落し、原則として最後まで残っていたスーパーダーリンが優勝、次の王となるシンプルなバトルロイヤル方式です!!』
市役所職員の異動は流動的だ。たったの一年で担当が変わることも珍しくはない。松浦紀子は私利私欲を自覚しながらも、アントレッド現国王に対しどうかとっとと神託を受けてくれと毎日毎日願い続けてやまなかった。
『とはいえ現在は夜も深まる22時……いきなり試合が勃発する可能性は……おっと、ここで美狼堂聖冠選手から試合開始の申請が届きました! 本大会運営はアントレッド王国軍魔法部隊および恩が原市役所の
だから、先刻──恩が原市役所緊急メールシステムによりアントレッド国王の受けた神託を報された時。それに伴い招集命令が発令された時の高揚は、言葉ではとても言い表せないものであった。
『会場は
今こそ、松浦紀子の人生において敷いてきた伏線を全て回収する時だ。漫然と続いてきた松浦紀子の人生は、今日ようやくこけらを落とされる。
松浦紀子は口角から泡をも飛ばす勢いで、音量調整のことなど寸分も気にせずマイクに向けて思い切り叫んだ。
『それでは! 記念すべき本大会最初の試合をご覧ください!』
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