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「前からちょくちょく思ってたけど。リアルスパダリ、だよね!」
放課後の掃除当番も終盤に至った頃。雑談の中で昨日の怜王の様子を(眼球にレモン汁を喰らった点を除いて)明かすと、親友かつクラスメイトである
「りあるすぱだり?」
「うん、リアルはリアルだけど、スパダリはスーパーダーリンの略!」
「すーぱーだーりん」
「あ、えと、フツーにゆっちゃったけどもしかして腐女子用語だったかもわからん、今ギャルとかも使ってると思うけど……」
ふわふわとした独特な抑揚で言葉を紡ぐ彼女は、飾りっ気のない焦げ茶色の髪をおさげにして黒縁の眼鏡をかけた、どこからどう見てもオタクっぽい女の子だ。中学2年の時にこの恩が原市に引っ越してきて、当時の担任の気まぐれで席を隣にされた時から親しくしている。見た目通りというか何というか、実際に少年漫画を中心に好む女オタクで、腐女子というやつ、らしい。彼女自身はその属性にそれなりの誇りと一定以上の自己嫌悪を持っているらしく、今も話しながらだんだんと自信なさげに声を低くしていった。
「ともかく、なんていうんだろ……すっごいかっこよくて、すっごい包容力あって、ちょー気遣い上手! 受け……じゃなくてコイビトのことちょー大事にするサイキョーカレシ……みたいな人のことだよ! ね、レオくんでしょ!」
「なるほど。確かに……」
よく分からない言葉はスルーした上で、俺は昨日の食卓の彼女を想起する。最高の気遣いと──レモン汁を喰らった眼球に自ら追い打ちをかけていた姿を。
「その『スパダリ』って、多少ドジでも大丈夫?」
「どじ? どじなの?」
泉結はぱちくりと瞳を瞬いた。一般的にキュートと呼んでよさそうな大きな目が「そぉかあ」と天井を見上げる。
「スパダリでドジっ子攻め……新しいやも……」
「何の話?」
「ドジでもスパダリに該当するかって話でしょ? ワタシ的にはすると思うなぁ」
彼女の箒が既に一通り綺麗になった床を撫でながら楽しげにくるんと回った。彼女のセーラー服が翻り、空気をふわりと巻き上げる。
「ワタシが思うスパダリってゆーのは、マインドなの。パッション!」
「ぱっしょん」
「一番大事なのは『愛』だと思うね。コイビトが望むことなんでもできるしそのことでコイビトを申し訳なく思わせたりしない。コイビトのシアワセを一番に考えて、それを態度で示せる人……」
歌うような泉結の言葉に、脳内で怜王がお手本のようなウインクをした。それに合わせたわけではなかろうが、泉結も大きく首を縦に振る。
「レオくんにあるホスピタリティだよ。まさしくスパダリマインド……」
そしてうごごと拳を握り締めたと思うと、机の上に勢いよくお尻を乗せた。
「あーいーなあ! そういうカレシ!!」
「ごめん間通るよ~」
感極まった彼女の前を、今まで真面目に掃除に励んでいた同級生が通過した。そちらの作業も一通り終わったようで、ちりとりを掃除ロッカーに片付けている。泉結はというと、箒を握り締めたままにテンションが上がっていて周囲の様子が全く目に入っていないようだ。涙のうっすら浮かんだ目を天井のLED灯に向けている。
「はぁ。マジでいいなあ、イズミンは……ホンマに幸せもんだよ」
「ああ。日々その事実に感謝して生きてる」
俺は彼女にテンションを合わせて答えながらやんわりと箒を回収して掃除ロッカーに向かう。あらかた片付け終わって扉を閉めた時、廊下の外からキャアア、と黄色い歓声が聞こえた。そんな現象を起こせる人物はこの学校に一人しかいない。モーセが海を通るとき、離れた海岸で潮位の上昇を目撃した人もこんな気持ちだったに違いない。
案の定、思った通りの人物を焦点とした会話が外で響く。
「ああ……獅子崎さま、今日も麗しくいらっしゃるわ……」
「なんてこと! こちらに手を振ってくださったわ!」
「違うわ、私よ!」
無論であるが、そんな聖ナントカ学院みたいな言葉遣いを普段からしている生徒はこの学校には存在しない。熱でもありそうな口調で醜い言い争いが始まったところで、よく通る声が遮った。
「争うことはないよ、子猫ちゃん。ボクは君たち全員を平等に愛している。それに二人とも、そんなに怒った顔をしてちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
すごいな、今日も大盤振る舞いだ。他人事みたいな感想を抱く俺と、一瞬の静寂の後響き渡る「キャア~!!」の大合唱。
「…………」
この状況、彼氏としてどうかというと、それが案外なんでもなかったりする。彼女を取り巻くみんなはそんなに知らないアイドルを推すくらいのゆる~い感覚でやっているし、怜王のアレが嘘ではないにしろファンサービスであることも把握している。実際俺と怜王が付き合っていることも校内公認の事実なのだ。
だから全然、嫉妬なんかしたりするわけが絶対ない。
なのに泉結は意味深にニヤニヤと俺の顔を覗き込んできた。
「イズミン、なんかムスッとしてなーい?」
「なんのことだか」
「うぇへへ~」
とかなんとかやっていると、ようやく怜王が教室のドアから顔を出した。
「失礼するよ」
「レオくん、おは~」
怜王に対し完全友達感覚の希有な存在である泉結がふにゃりと笑って緩く手を振る。怜王も「もう夕方だがな」とはにかんでみせてから、俺に目を移してくれた。
「一純、ボクのクラスは終わったよ。何か手伝うことは?」
「あ、大丈夫。もう終わるし」
「そうか。待ってるよ」
ファンサービスとは違う微笑みと声色が俺に向く。唇を尖らせた俺が抱くなんともいえない感情を分かっているのかいないのか、怜王は黙って俺の姿を見ることに執心し始めた。教室の生徒が廊下とは違う沸き立ちを見せる。
「はぁ……てえてえ……」
「獅子崎さまと鹿川さま、たすかる……」
「レオいずしか勝たんな……」
よく分からない言葉ばかりでどういう意味かは察しかねるが、コンテンツ消費されていることはなんとなく分かる。
背筋のくすぐったさを我慢しながらチェックシートをみんなで確認して、掃除は終了。班長が先生にファイルを提出しに行ったのを見送ってから、俺と泉結は廊下に出て自分のロッカーから荷物を取り出す。少し離れたところで俺に視線を突き立てながら腕を組み待っている怜王に、遠巻きに聖ナントカ学院のモブたちの台詞が巻き起こる。
「はあ……なんて美しいの……」
「後光が見えるようだわ……」
「大変、目眩が……」
ちなみに言及し忘れていたが、先程から怜王にキャーキャー言っている生徒の6割は男子である。このままでは恩二生が全員お淑やかな女子生徒になってしまうのも時間の問題だろう。
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