スーパーダーリン大戦

若島和

1.開戦

プロローグ

 城下町の中心に位置する、由緒正しき王立学校。

 傾きかけた陽の光がレースのカーテンをいたずらに照らしていた。冷たい大理石の上に並んだ木製の机は、どれもオレンジ色に染まっている。ゆらゆらと映し出される模様はまるで見世物小屋の影絵みたいだ。

 先程から教師が語るどことも知れない街の話は、自分たちの親しんだものとまるで違って興味深くはあった。けれど子供の集中力と体力なんてそう持つものじゃない。一日のカリキュラムも終盤となれば尚更だ。

 将来王さまを目指すために必要な授業だとは理解していたけれど、私は「早く終わらないかなぁ」なんて思いながら誰にもばれないように机の下でこの間習った社交ダンスのリズムをとっていた。すると思いが通じたわけではなかろうが、ひっつめ髪の教師は教本を閉じ「さて」と声を明るく転調させた。

「最後に、特別なお客様のご紹介です」

 え、とみんなの頭が持ち上がった。私も揃って目をぱちくりさせる。だって退屈な授業にそんなサプライズイベントがあることなんて、全く初めてのことだったから。

 教師が何故か恭しく頭を下げながら教室の扉を開ける。そこから入ってきたのは、上品な装飾の施された衣服を無駄なく着こなした金髪の男性。彼の姿を知らない人物がこの国にいるとしたら、さぞかし悪い組織に属しているに違いない。

「王さま!」「王さまだ!!」

 教室内がにわかに沸き立つ。私も一緒になって叫び出したい口を、一生懸命押さえつけた。

 王さまは優しく目尻を緩めて私たちみんなの顔を見下ろし、柔らかい声音で言った。

「特別授業だ」

 それが何よりの号令となって、私を含めた子供たちはみんな一斉に背筋を伸ばす。みんなが待ち受ける静寂の中、王さまの言葉は絵本の読み聞かせみたいな優しさで響いた。

「キミたちは、どんな王さまになりたい?」

「んー、そーだなぁ……」

 唇に指を当てる私の傍ら、他の子供たちは次々に口を開く。

 いい子ちゃんは、「みんなを幸せにできる王様」と。

 純粋な子は、「誰にもお腹をすかせない王様」と。

 意地悪は、「みんな言いなりにできる王様」と。

 私は分からなかった。求められた『正解』が。

「…………」

 黙り込んでしまった私に、王さまは笑ってこう言った。

「……キミの思う通りに答えればいいよ。『こうありたい』という王さま像を。正解など気にせずに」

 なんで私の考えていることが分かったんだろう、って不思議だった。王さまの金色の目はとってもあったかくて、本当に何を言ったって受け止めてもらえるような気がした。

 私はちょっと安心して、それでも少し考えた後で、一つの本心を閃き元気よく答えた。

「みんなにわたしのこと、好きになってほしい!」

「あなた……」

 咎めるような声は教師のものだ。彼女は眼鏡の真ん中を押さえながら、押し殺すような口調で続ける。

「王という立場には責任が伴います。そのような自己中心的な……」

「え……だけど……」

 王さまは、正解なんて気にしなくていいって言ったのに。

 私は少しの不満と困惑を胸に、おずおずと王さまの顔を見上げた。そしてすぐに身を凍らせる羽目になる。

 王さまは──父は、目を見開いて私を見つめていた。

 冷徹にすら見える金色の瞳はまるで『お前が間違えている』と一も二もなく糾弾するようで、それが生まれて初めて誰かに見捨てられるのを恐れた瞬間であったと記憶している。


     *


 想像してみてほしい。

 今、あなたの目の前には大皿に乗った複数の唐揚げと一つのくし切りレモン、食卓を囲む家族、そして好きな子が存在している。今、あなたが最も取るべき行動とは何か?

 一に、問答無用でレモンをかける。これは論外。今まで度重なったレモン戦争において、最も悪手と言われる行いだ。

 二に、一声かけてからレモンをかける。これは一見普通かに思えるが、本当はかけてほしくない人は果たして「やめて」と主張できるだろうか。

 三に、かける人は小皿に取ってから自分でかけることに決定する。平等という点なら素晴らしいが、これではレモンに幾人もの手垢がつくことになる点で不衛生だ。

 ここで俺の愛する彼女、獅子崎ししざき怜王れおの対応を見てみよう。

一純いずみ。キミはレモンをかけたい派、その信条に変わりはないね?」

 耳元でそう囁くのは甘くもよく通るアルトの声。

「……うん」

「よかった」

 俺──鹿川しかがわ一純、何の変哲もない男子高校生である──の頷きに答え、顎に触れていた指を離した彼女は、宝塚の男役? というくらいバッチリ似合うショートカットの凜々しい外見をしている。驚くことに地毛だという燃えるような赤毛。金色に輝くトパーズの瞳はまるでよくできた芸術品のようだ。

 名実ともに『イケメン』の彼女は、ときめく俺の前美しい右手さばきでフォークを取ったと思うと、颯爽とレモンを掬い上げる。そして両親も見守る前で流麗に左手を皮に添え、大皿唐揚げの上にいっそ無造作なまでに絞り上げた。

 弾ける瑞々しい柑橘の香りに食卓が俄に沸き立つ。かけない派の母の顔にも、ハーフ&ハーフ派の父の顔にも唐揚げレモンに対する不安は一切ない。

 なぜなら、直向きにレモンに打ち込む怜王の頭にはこの食卓におけるレモンの使用率が完全にたたき込まれているのだ。その時の気分によって生じた誤差は、食事を進めながら彼女が見極め、彼女の取り分で微調整する。

 それが獅子崎怜王という、俺が愛した女の子の能力と優しさだ。

 果汁が煌めき唐揚げを彩っていく。対して俺と反対側の唐揚げは未だレモン汁に穢れぬまま。並の技術ではない。この世で一級シェフと獅子崎怜王にしか為せない完璧なパフォーマンスだ。

 ただ、そんな完璧な彼女にも、たまに少し抜けているところがある。

「ッ!」

 ぴゅ、とあらぬ方向に飛んだレモン果汁ラストドロップ。怜王がびくりと身を揺らし、フォークと指でレモンを挟んだ姿勢のままで固まった。おずおずと彼女の表情をうかがうと、目尻と口元がぴくぴく震えている。

「……怜王?」

「……なんだい、一純」

「大丈夫?」

「大丈夫……」

 言いながらレモンに触れていた方の手で目を触る。あーあーあー、と俺が言う前に彼女は体をこわばらせ、慎重に慎重にレモンを唐揚げの上から退けた。美しい瞳は僅かに充血し涙に濡れている。不器用な顔が健気に微笑んだ。

「安心してくれ……唐揚げは無事だ……!」

 大丈夫って、そっちを聞いたんじゃないのだが。俺はちょっと呆れながらティッシュを一枚取り彼女に渡す。すまないと受け取った彼女は逃げるように洗面所に消えていった。

 これで皆さんもお分かりだろう。

 獅子崎怜王という俺の彼女は、美しくて格好良くて気遣い上手で誰より俺を大事にしてくれて──。


 ほんのちょっとだけ、ドジなのだ。

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