第5話

「お待たせ。なんとか誤魔化して、学校も休んでやった」

 制服から私服に着替えた雫が家から出てきた。白いティーシャツと、淡青のスカートを組み合わせて、見た目だけでも涼しげにさせている。

 昼を過ぎて、気温は上昇。下のコンクリートからの熱気すらも厳しい。

「ほら、行くよ。あんた、飛べるでしょ」

 浮いていた青年を指差して雫が言うと、青年は指を振った。

「電車乗りたいんだよねぇ」

 もったいぶって青年が言うと、雫は舌打ちをして、駅の方へ歩き出した。

「あ、しずちゃん、気をつけてねー。僕は人から見えないからさぁ、しずちゃん、僕と普通に話してたらアブナイからね」

 と青年が言うと、雫は無視を始めた。なんとも冷たい少女である。青年は悲しそうに口を閉ざしたが、今度はニタリ、と唇の端っこを持ち上げた。

 雫の邪魔をし始めたのだ。

 雫のスレスレのところを飛んだり、雫の目の前に顔を出したり。

 雫は何も言わずに方向転換して、家に帰ろうとしたので、青年は慌てて謝った。

 雫は軽く青年を睨んで、また駅に向かって足を進める。

 駅について一人分の切符を買う。普段電車を使わないので、少し手間取ったが、一応買えた。雫が切符販売機で手間取っている間も、青年は興味深そうに販売機を見ていた。

 駅のホームでも、文字の流れる電光掲示板や、ヒールを鳴らして歩くお姉さん、通り過ぎる電車をまじまじと眺めている。

 雫たちが乗る電車が来ると、雫はスタスタと乗り込んだが、キョロキョロしていた青年は危うく乗り遅れるところだった。

 涼しい電車の中で、雫はふぅと息をついた。吹き出していた汗が引っ込んでいく。

 青年も雫の隣に大人しく座って、窓の外を眺めた。

 流れていく風景を雫と青年はぼーっと眺め、到着まで何も話さずに待った。

 駅を出て、ようやく人のいないところまでやって来ると、雫は青年を見た。

「あんた、元々人間じゃないの?」

「人間だよぉ。でもー、僕が死んだのは、明治時代」

 ふわーと飛びながら、青年は答えた。

「だからー、電車とか乗ってみたかったんだよね」

 一段とスピードを上げて、海の方へ飛ぶ。潮風の匂いに鼻を動かして、嬉しそうに笑った。

「……海! 海だぁ……!」

 堤防のそばの道路に降り立って、堤防に肘をついて寄りかかった。

 太陽光をキラキラと反射させている海を見て、青年ははにかむような笑顔を浮かべる。雫は青年の横に立って、頭一つ分くらい高い彼の顔を見上げた。

 本当に嬉しそうに笑っている。

「海、来たこと無いの?」

「うん。初めて見た」

 雫は階段を下って、砂浜におりた。元々穴場なことと平日であることが重なって、人はあまりいない。

 青年もついて来て、砂浜にしゃがみ込んだ。細かい砂をつまんで、下に落とす。

「……すごい、本物!」

 感動が遅れてやってきたかのように、いきなりバッ! と立ち上がって、海へ走り出した。

 波を追いかけて、恐る恐る海に足をつける。ちゃぷん、と青年の足元の塩水が跳ねた。

「しずちゃんも来て! すごい! 海だ!」

 雫もサンダルを脱いで、足をつけた。軽く波を蹴って、水を飛ばす。

 雫が足をつけている中で、青年はずっと興奮していた。目を輝かせて、遊んでいる。

 寄せては返す波を追いかけたり、雫に向かって水を飛ばそうとしたり。その度に雫に怒られたが。

 一通り遊んだ青年と雫は、砂浜に座った。濡れた足を乾かすように投げ出す。

 雫は青年を横目に見て、また前を見た。

「ねえ、どうやったら死神になれる?」

 雫の質問に、青年は目を瞬かせて首を傾げたあと、雫と同じ方向に目を向ける。

「無理だと思うよー。僕が死神になったのは、偶然だからぁ。多分、他の死神もね」

「……そう」

 雫は軽く目を伏せて、立ち上がった。スカートと足の砂を払い落として、駅へ歩き出した。

 青年も黙って立ち上がると、また浮かび上がって雫のあとにつく。

「ねぇ、私を殺して」

 道に落ちている細かい砂がじゃりじゃりと音をたてた。そのまま雫は立ち止まって、青年の方へ振り返る。

「……嫌だよ」

 青年はフードを深く被り直して、下の方を見た。表情は全く見えない。少しだけ後ずさると、また足元の砂利が音を鳴らす。

 顔を上げて、真っ直ぐに、雫を見た。拳を握りしめて。

「なんで、なんで自分で死のうとするの! 僕はずっと生きてたかったのにっ!」

 青年の叫び声。

 その声は、雫にしか聞こえない。

「なんでしずちゃんはずっと生きられて、僕はすぐに死んじゃったの!?」

 青年の怒鳴り声に、身を竦ませていた雫だったが、青年が息をつくと次は雫が怒鳴った。

「知らないよ! そんなの! もう私は生きたくない! 誰が生きたくて、誰が死にたいかなんて、私にはなんも関係ないでしょ!」

 雫の絶叫が、誰も居ない道路に響き渡る。

「しずちゃん、ごめん……」

 青年が目を伏せるて雫に言うと、雫は顔を真っ赤にして駅の方へ走って行ってしまった。

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