4ー③

 以前聞いた所属部は海外インフラ事業部だった。自分も同じところに配属されたいと密かに願っていたが、その後、異動があったことは教えてもらっていない。

「人は変わるものだから。いい方にも悪い方にもね。今の彼が信頼に値する人間かどうかなんて、確かめないとわからない。違うかな?」

「しかし……」

 真木に疑いの目を向けたくはない。加えて、騙すようにしてパソコンの中身を見る手助けをするなど、決してしたくはなかった。

「君がやらないなら、三条さんか桐生君に頼むけど。君ほど容易くはないだろうが、優秀な二人だから、し損じることはないしね」

 大門が呆れた口調になっているのがわかる。

「三条さんがやるわけないじゃないですか。どうせ俺になるんでしょ」

 渋々といった様子ながら、桐生が手を挙げようとしている。それでいいのか。もしそれで真木が不正に荷担した証拠があがってしまったら? いや、あり得ない。彼が不正を働くわけがない。それを証明するためには、と僕は心を決め、声を張った。

「あの! 僕が! 僕が真木さんの無実を証明します!」

「でかい声だな」

「ここ、響くから配慮してくれるかい?」

 桐生と大門、二人に呆れられたが、かまってはいられなかった。

「僕がやります。やらせてください」

「もともと君の仕事だから。じゃ、渡すよ」

 ますます呆れた様子となりながらも、大門がUSBメモリーを渡してくれる。

「あの」

 僕がやろうとしたことがわかったのか、問うより前に大門が畳み掛けてきた。

「勿論、本人に不正をしているか確認するなど、もってのほかだからね。君の仕事はこれを彼のパソコンに挿してくること。間違っても彼に、不正を疑われていると怪しまれないように。いいね?」

「……っ」

 すべてお見通しだった。僕は直接真木に問おうとしていたのだ。何か理由があって不正にかかわっているのなら話してほしいと。

「君の動き次第では、架空取引にかかわっている社員の悪事を暴けずに終わることになるから。くれぐれも勝手な行動は慎むように。いいね」

 尚も大門が念を押してから立ち上がる。そのまま彼は秘密会議室を出ていき、中には僕と桐生が残された。

「大丈夫? できないようなら俺、やるよ?」

 桐生は俯き黙り込んでいた僕を案じてくれたようだった。

「いえ……大丈夫です。やります」

 大門の言うとおり、桐生なら容易くこのUSBメモリーを真木のパソコンに挿してくるだろう。彼に頼んだほうが精神的には楽だと思う。だが、やはり人任せにはしたくなかった。

「真木って、今、三年目だよね。二学年上のサークルの先輩にどうしてそこまで思い入れがあるの?」

 桐生が興味津々といった顔で聞いてくる。

「尊敬してるんです」

「何かきっかけがあったとか?」

 桐生の聞き方は軽かったが、馬鹿にしているといった印象はなかった。

「歳の近い先輩を尊敬したって経験がなくてさ。ああ、勿論俺を尊敬してって意味じゃないよ、今のは」

 実際、彼は本当に話し上手、聞き出し上手だと、今この瞬間、僕は身を以て思い知っていた。

「青年海外協力隊に一緒に参加したんです。行き先はモンゴルで、そこでちょっとした盗難事件があって」

 なくなったのは僕の財布だった。全財産ではなく、現地の通貨に使う分だけ換金した金しか入っていなかったので、盗まれたとしてもまあいいかと、盗られた当人の僕は早々に諦めたのに、真木は執拗といってもいいしぶとさで僕の財布を捜してくれた。

『先輩、もういいですよ』

 子供たちの貧しい生活を目の当たりにしていただけに、もし、彼らの中の誰かが盗んだのなら、それはそれでいいと僕は考えていた。というのも、そのとき財布を盗める状況にあったのは、僕らが勉強を教えていた子供たちだけだったからだ。

 お金があれば家族が助かると思ったのではないか。不用意に紙幣を見せてしまった自分に非があると、僕は考えていたのだが、それを言うと普段怒ったことのない真木に、真剣に咎められてしまった。

『本当に子供たちのためを思うなら、盗みは悪いことだと教えるべきなんじゃないか?』

 君にとってはたいした金額じゃないかもしれない。だからといって、盗まれても仕方がないという考えを持つべきじゃない。子供は出来心で盗みを働いたのだろう。このまま流してしまえば、その子はまた他の機会に盗みを働くかもしれない。結果、その子の人生を狂わせることになるかもしれないんだぞと諭されたとき、僕は一言も返すことができなかった。

 子供のためを思っているようで、単に自分の面倒を避けただけだ。わずかな金でめくじらを立てる『悪者』や『ケチ』になりたくなかった。それだけのことだと気づくと自分が恥ずかしくなり、真木に詫びた。

 真木は子供一人一人に話を聞き、盗みは悪いことだと諭した。一人の子供がこっそりと財布を返しにきたときには、二度としないようにと注意を与えはしたが、そのことを他の子供や親たちには決して言わなかった。

『ボランティアというのは自己満足で終わってはいけない。本当に相手のためになるには何をすべきかを常に考えることが大切なんだ』

 モンゴルからの帰り道、彼はしみじみとそう言ったあとに、あの地に必要なのはインフラだと思うと告げていた。安全な水を、生活に必要な電力を届けてあげたい。その願いから自分は総合商社を目指すのだと言われ、同じ道を歩みたいと心から願った。

 そんな彼が、不正など働くだろうか。気づけば僕は随分と熱弁を振るってしまっていたようだ。

「いや、よくわかった。君がどれだけ真木に心酔しているかが」

 若干鼻白んだ様子で桐生がそう答えたことでそのことに気づかされ、気まずさを覚え俯いた。

「でもさっきも言ったけど、人は変わるから。昨日の土屋課長や加藤主任だって、最初から悪事を働いていたわけじゃない……多分ね」

「それは……そうですよね、多分」

 悪事を働きそうだとわかっていたら、そもそも採用はされないだろう。入社してから人が変わったというのなら、真木もそうなる可能性があると、桐生が言いたいのはわかる。でも、何があろうとあり得ないと思ってしまう。

「変わったか変わっていないか、それをパソコンに挿せば答えが出る……そう考えればいいんじゃない?」

 桐生がニッと笑い、目で僕の手の中にあるUSBメモリーを示してくる。

「そう……ですね。はい。そうですね」

 真木を騙したくはない。だが無実を証明できるものならしたい。その手段としてパソコンにこれを挿す。そう考えることにしよう。我ながら欺瞞だと感じたが、僕ができない場合は桐生がやる。どちらにせよ真木のパソコンの中を見る必要があるというのなら、自分の手でやろうと僕は心を決めたのだった。

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先輩と僕 総務部社内公安課 愁堂れな/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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