4ー②

「さて自動車六部の接待費については、待ちの段階となったので、新しい仕事にかかるよ。次は架空取引だ。トレードについては、研修で習ってるんだっけ?」

 大門に問われ、基本は習っている、と研修内容を思い出しつつ頷く。

「はい。ざっとですが」

「販売先仕入先、請求書、納品書とは何かといったことがわかってれば大丈夫。それじゃ、説明するね」

 言いながら大門が持ち込んでいたパソコンを大型ディスプレイに繋ぐ。映し出されたのは、顔写真つきの社員の名簿だった。

「ヘルスケア事業部の風間部長。今回のターゲットの一人だ」

「風間部長って確か、龍生会グループの病院への医療用品のサプライチェーンを構築した立役者じゃなかったでしたっけ。奥さんの父親が龍生会のトップで」

 桐生の発言に大門が「そのとおり」と頷く。

「龍生会グループっていうのは、関東甲信越に八つだったかな……の病院を持つ一大グループなんだよ」

 わけがわかっていないのが顔に出たのか、桐生が僕に説明してくれる。

「注射器とか消毒綿とか、細々とした医療用の備品はそれまでそれぞれの病院の出入りの業者から購入していたんだけど、グループでまとめて購入すればそれだけコスト削減になると病院を口説いて、ウチのヘルスケア事業部がそれぞれのメーカーの窓口となり、仕入れから配送までを受け持つことになったんだ。それがモデルケースになって、他の病院グループにも販路が広がり、今や年間十億超の利益を計上する優良ビジネスとなっている。理解できてる?」

「はい。なんとか」

 スタートは妻の縁故ではあるが、それを育て上げた凄い人、ということだろう。画面の写真で見る風間部長は、恰幅がいいからか随分と裕福そうに見えた。

「この人が不正を働いているんですか?」

 先程大門は『架空取引』と言っていた。どういうことをやっているのか、実は皆目見当がついていない。『架空』というくらいだから、実際ないものを売買している? どうやって? 首を傾げる間もなく、大門が説明を始めてくれた。

「架空取引は注射針の製造メーカーM社と共謀したものだ。数が多く在庫管理が煩雑になりがちなところから思いついたようだ」

「売上げのためですかね? それとも懐に入れてるんですか?」

 桐生の問いに大門が頷く。

「主目的は売上げだが、多少、懐にも入れているようだ。彼らの手口を説明するよ。宗正君、理解できないときには遠慮無く手を挙げてくれていいからね」

「ありがとうございます」

 礼を言った僕に頷いてみせたあと、大門が手元を操作し、『納品書』と書かれた紙片の写真を画面に映す。

「これが注射針の納品書だ。それぞれ製造番号が振られているのがわかるね」

「はい」

 一枚の納品書は十五行、すべてが『注射針』で埋まっており、それぞれの行に製造番号が書いてある。

「龍生会グループすべての分だから、注射針だけでも凄い量となる。また、発注があるごとに出荷しているから、在庫数の確認もおざなりになる。数えていられないからね。この納品書は二ヶ月前のものなんだが、三ヶ月前の納品書と、製造番号がまるで同じなんだ」

 言いながら大門が画面を二分割して別の『納品書』と書かれた書類を映す。

「本当ですね。さっきの出荷日は二月でしたがこれは一月、製造番号が同じものが二度出荷されていることになるんですね」

 桐生が画面を見ながら言うのを聞き、なるほど、とそれを確かめる。

「これ、経理は通るんですか?」

「納品書は一伝票につき百枚以上あるからね。スルーしていることになっている」

「『ことになっている』?」

 実際はスルーされていないということか、と、疑問を覚えたせいで僕はつい声を上げてしまった。

「担当経理も一枚噛んでいるんだよ。三ヶ月前、ヘルスケア事業部から経理に異動になった若手がいてね。彼が架空取引に手を貸している可能性が高い。というのも、仕事がわかっているからと彼がこの案件の担当なんだ。経理が不正を見抜くより前にと、子飼いの部下を経理部に送り込んだんだよ」

「……なるほど……」

 少し混乱している部分もあるが、説明されたことは概ね理解できている。チェックをする経理部の人間が敢えて不正を見逃しているということだよなと頷いた僕の耳に、大門の声が響く。

「そして彼がその、不正を行っていると思しき経理の若手だ」

 大門がそう告げたと同時に、画面が社員名簿に切り替わる。

「えっ」

 画面に現れた写真を見た瞬間、衝撃のあまり僕は大きな声を上げてしまっていた。

 まさか。見間違いようもない顔写真に愕然としつつも、他人のそら似ということはある、と名前を見る。

『真木和実』

 間違いなくそこに記されていたのは、尊敬する先輩の名だった。

 そんな馬鹿な。唖然としすぎていたせいで、大門の声も桐生の声も少しも耳に入ってこない。

 あり得ない。その一言に尽きた。真木が不正を行うなど、あり得るはずがなかった。正義感溢れる人柄は、自分がこの目で見てよく知っている。

「宗正君、宗正君、聞いてる?」

 腕を掴まれ、はっと我に返る。桐生が不審そうに眉を顰め、顔を覗き込んでいたことにようやく気づいたと同時に僕は、大門と彼に向かい、

「あり得ません!」

 と叫び、立ち上がっていた。

「興奮しなくていい。充分声は聞こえてるから」

 大門が、やれやれというように溜め息をつきつつ、僕を真っ直ぐに見つめてくる。

「君の先輩だからだろう? OB訪問も彼にしている」

「はい。尊敬する先輩です。真木さんが不正を働くなんて、とても信じられません」

 何かの間違いに違いない。主張する僕をちらと見たあと、大門が新しい書類を画面に映す。

「これは先月の計上確認の帳票。ここに真木の印が押されているだろう?」

「それは……!」

 確かにその帳票には『真木』の印鑑はある。それでも何かの間違いに違いないと僕は主張を続けようとした。

「真木さんは不正を行うような人ではありません」

「そう、彼が不正を行っているという確たる証拠はまだ集まっていないんだ」

「でしたら!」

 きっと間違いだ。そうに違いないと続けようとした僕の目の前に、小型のスティックタイプのUSBメモリーが差し出される。

「え?」

「君は彼と親しいんだよね? それを見込んでの作業をしてもらう」

 大門がニッと笑ってそう言い、ほら、というように尚もUSBメモリーを差し出してくる。

「な……なんですか?」

 嫌な予感がする。問い掛けた僕に大門が命じた作業は、『嫌な予感』なんて言葉では足りないほどの酷いものだった。

「三条さんはIT関係にも強くてね。ハッキングが得意なんだ。これにウィルスの一種を仕込んである。君の仕事は真木のパソコンにこのUSBメモリーを挿してくること。彼のパソコンの中を見れば不正を行っているかどうか、一発でわかるからね」

「そんな……!」

「君は真木の潔白を信じているんだろう? 不正を行っていないというのなら、逆にできるんじゃないか?」

「しかし、そんな、真木先輩を騙すようなことは……」

 したくない、と告げようとした僕の横で、桐生が溜め息をつく。

「あのさあ、宗正君は真木のすべてを知ってるわけ? 最近じゃいつ会った?」

「昨日会いました。寮で」

「その前は? 真木がこの会社でどんな仕事をしているか、聞いたことはあったかい?」

「それは……っ」

 聞かれて初めて僕は、自分が久しく真木と顔を合わせていなかったことに気づいていた。例の贈賄事件が公になったとき以来、メールのやりとりはしたが、直接会いはしなかった。

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