第4話『レッドライダー 結』

 恐怖とは、意識に上がってくる感情の前に扁桃体に基づく無意識の「予期感情」の事を言う。

そしてそれはある種の経験則でもあり、その状況が今どうなっているのかを脳が今までの経験を含めて危険か教えてくれる。

 人生の中で本当の恐怖を味わう時とはいつだろうか。

高所へ登った時か。それとも犬に追いかけられた時か。

人それぞれ違うだろう。

緑川華子にとっては今この時だった。

複数の人々と一緒に銃を突きつけられている。

いつ誰が撃たれるか分からない。

いつ誰が殺されるか分からない。

初めて感じた本物の恐怖は声を出すことすら敵わないモノだった。

ここ数年は仕事に没頭する事での事を頑張って忘れようとしていた。

いや、というより考えないようにしようとしていた。

しかしふと寄ってみたレストランで強盗グループに占拠されるとは笑えない。

今までこういったニュースは読む側だった。

その為幾度となくこういった光景を画面越しに目に焼き付けてきた。

だから少しだけ分かることもある。

多分私はここで死ぬだろう。

彼らは見たところ何も要求していない。

何より目がキマっていていつ暴れだすか分からない。

恐らくクスリを打っているのだろう。

こんな精神状態の男達が人質を全員生かすだろうか。

いやそもそも自爆テロの可能性すらある。

そんな状況でも思い出すのは彼の事、一狼の事ばかりだ。

 大学生の頃に友人に誘われていった合コンで出会った。

彼は一人つまらなそうにお酒を飲んでいた。

何故と聞くと「人数合わせだから。」と簡潔に答えた。

クールで硬派な人なんだろうと思った。

だけどすぐに女子の一人が飲み過ぎて吐いてしまった。

彼はすぐにタオルを差し出しパパっと片付けてしまった。

しかし彼は得意気にせず「飲み過ぎだ。お開きにしよう。」と言った。

さっさとお金を払って店を出た彼を追うと少し気まずそうに頭を掻いていた。

「すまない。空気悪くしたかな。」

不器用な人なんだと思った。

今まで彼氏など興味がなかった私だが、彼から目が離せなくなるのには案外それだけで充分だった。

 死ぬのならせめて彼を想って死にたい。

彼と同じところに行けるだろうか。

優しい彼は待っていてくれてるだろうか。

「イチロウ……。」

華子の頬に涙が伝った。

だから外が騒がしい事に気づかなかった。


 どうすればいいのか。

いや、考えているこの状況が既に時間の無駄か。

界人は逡巡していた。

「ハナコちゃん……。」

彼女は親友の愛した忘れ形見だ。

彼女とは友人でもある。

何より人質は十人近くいる。

悠長に交渉しているわけにもいかない。

 一歩踏み出そうとした界人の肩を愛佳が止める。

「何も考えずに突っ込まないで。その方が危険なのは貴方もわかってるでしょう?隊長。」

【隊長】。この言葉の重みはこの三年間で嫌という程に重くのしかかった。

誰もが認める男だった一狼の後を継いだが同じ事をしようとすればするほどにその凄さが身に沁みる。

界人は両手を握り締めた。

三年という時間が経ってもまだ自分の弱さに嫌気が差す。

親友の覚悟に着いていく事すらできないあの時のまま。

「俺はどうすりゃあいい……一狼…。」

「戦うしかないだろ。界人。」

片時も忘れたことのない声が力強いエンジン音と共に頭上を通り過ぎる。

「え?」

スローモーションに見えた。

大型のバイクに跨がるその存在はまるで特撮のヒーローのような様相で現れ、界人を越えていく。

赤いロングコートを着る彼は何故か分からないが親友の姿と重なった。

「一狼?」

「え?アレが?」

ボソリと呟く界人の言葉に愛佳も目線を向け直す。

状況を撮影していた報道陣もその存在を逃さず捉えた。

『な、何者なのでしょう!?ひ、ヒーロー!?立て籠もりのレストランに仮面のヒーローがバイクで入っていきました!一体…何が起こっているのてしょうか!?』

訳の分からない状況に誰も理解が及ばない。

しかしその渦中にいる仮面のヒーロー、一狼は迷うことなく華子の元へ走った。


 ガシャアアアアン!

レストランの窓が勢い良く霧散する。

ギャギャギャギャギャギャ!

ドリフトするようにして一狼は華子の前に入った。

犯人達は訳も分からず銃を構える。

「な、なんだテメェ!」

「さぁ、なんだろうな。ただ確信して言えるのは人間ではないって事くらいだな。」

犯人達は一斉に銃を撃ち始めた。

しかし変身した一狼の身体に普通の銃など意を介さない。

柔らかい鋼鉄の様な肉体は銃を全て弾き返す。

「な、なんで効かねえ!」

犯人の一人がナイフを取り出して一狼に向かっていく。

しかしこれは卓越した体術で躱してみせた。

 研究所で変身実験を何度か行なった時に変身状態については幾つか聞かされている。

銃撃には強い。だが打撃はある一定以上の威力を超えるとダメージが入る。

また、ナイフなどの斬撃、刺撃には弱く斬られるとダメージが入ってしまうという。

 だがしかしまたしても振り回すナイフを今度は手でいなし相手は宙を舞った。

何に弱く何に強いか。それだけわかっていれば一狼には充分だ。

何せ彼は特殊部隊S・A・Tの元隊長でありエース。

体術には自信がある。

何よりイレギュラーで手に入れたこの肉体は相手の動きに勝手に反応し、異常な動きも可能にする。

 犯人集団は一狼に一斉に飛びかかってきた。

まず一人目が右手を突きだす。

しかしこれは一瞥もせずに左手で止めて勢いを使って後方に引っ張り吹き飛ばした。

合わせるように二人目と三人目が上下にナイフを突き立てる。

一狼は右腕を上、左腕を下に突き出しナイフを弾く。

その流れで二人の側頭部に拳を叩き込んだ。

 一瞬にして三人を倒してしまうその様に残りの犯人達はたじろぐ。

「あ…悪魔かよ……。」

犯人の一人がボソリと呟き壁に背をつけた。

正しく恐怖をしている。

「テメェはなんなんだよ!?なんで俺らを襲う!?」

反対側にいた別の男が頬に汗を伝わせながら叫んだ。

一狼は一瞬考えたように固まりゆっくりと振り向いた。

「ここに来たのには理由があるんだが……今はそれとは別の考えてることがある。なんだと言われても……それに対する答えが俺には無い。俺は何者なんだろうか……。」

動きを止めた一狼はゆっくりと前を向き直す。

『一体中では何が起きているのでしょうか!?あの仮面のヒーローは何者なのでしょうか!?』

拡声器のような物喋っているのか。

報道陣の声が室内までこだまする。

中にいるのは意識を失い倒れる数人の犯人達。今では犯人と一狼のどちらに怯えているのか分からない十数人の人質。

そして一狼だ。仮面を被った。

一狼は大きく息を吐いた。

仮面の下ではくぐもった息が室内を恐れさせる。

華子だけは真っ直ぐとその背中を見据えた。

「もしかして……貴方って……?」

華子の方は見ずに一狼は残りの犯人達を見る。

「俺は何者か。それは分からんが分かることもある。今更戻る場所があるとは思えん。しかしこの異端の力で犯罪を犯す程正義感も失ってはいない。」

一狼は一歩犯人に足を踏み出した。

「一度踏み込んだ世界で何も果たさず終わる気もない。だから俺は人々に問う事にする。」

「な…なにをだ……?」

犯人は恐る恐る近づいてくる一狼に聞く。

一狼は拳を握った。

「俺の行く末だ。」

犯人の視界はそこで切れた。


 ガタン

音に反応してS・A・Tはすぐに臨戦態勢に入った。

隊長である界人の指示があればいつでも戦闘に入れる。

ドサリと中から縄で纏められた男達が放り出される。

意識は失っているようだ。

そして後を追うようにゆっくりと出てきた存在に報道陣もS・A・Tも野次馬も息を呑む。

変身を解かないまま一狼は人々の前に出た。

界人は手を上げてS・A・Tの臨戦態勢を解かないまま相手を見据える。

「お前は……何者だ!」

仮面の下で一狼は界人を見た。

その目は親友としての目か。それともまた別の目か。

一狼は簡潔に答えた。

「名はない。」

すると野次馬の一人が少し身を乗り出して叫んだ。

「その男達は犯人だろ!?じゃあアンタはヒーローか!?」

「お前らが決めろ。俺は犯人を倒し人質救ったヒーローかも知れないが……人を自分の都合で薙ぎ倒した危険人物でもある。」

全員が息を呑んで続きを待った。

そして自分は改造された時に変わってしまったのかと一狼も自分の答えを待った。

「俺がヒーローか。それとも犯罪者か。俺は俺を見る全ての人々に委ねる。望むならこの世の犯罪者を俺が裁き、捕らえよう。そして望むなら、俺は人々の前に出て誰よりも先に裁きを受けよう………。」

一狼は亜里紗のバイクに跨った。

「赤は情熱、正義の色。赤は血、苦しみの色。俺の名は〈レッドライダー〉。俺は世界の刃として人々の意志に行く末を託す………俺を見定めてくれ。」

一狼、レッドライダーはエンジンを鳴らしその場を走り去っていった。

界人は追う指示を出せなかった。

だが誰も責めはしない。

まだ答えが出ていないからだ。

彼が背中を追うべき犯罪者なのか。

背中を押すべきヒーローなのか。

人々は黙ってたなびく赤いロングコートを見守っていた。

見えなくなるまで。


 僕は人間じゃないんです。じゃあ何かと聞かれましても。

そっくりに出来てるもんで。よく間違われるのです。


          RADWIMPS 棒人間


          レッドライダー 完

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