第3話『レッドライダー 転』

 フラフラと足取りはおぼつかない。

もう何日歩いたか分からない。

どこまで来たかも分からない。

しかし一狼の中には最大十年食事を取らずとも生きられるホライモリの細胞もある。

死ぬ事はない。

とはいえ空腹はしっかりとある為この状況はどうにもやるせない。

「流石に……限界か……。」

倒れ込むように地に伏した。

意識の遠くで誰かが声をかけているような気がしたがプツリと意識が途絶えた。


 煙草の匂い。それと少しの酒の匂い。仄かに香るのは花の香りだ。

入り混じっているのに不快に思わない。

そんな空間で一狼はゆっくりと目を覚ました。

「……ここは……?」

ボソリと呟き真っ黒に装飾された天井を眺める。

「ここはウチの家だよ。」

寝転がっている一狼の頭上から声がして一狼はゆっくりと起き上がった。

そこには白と黒のコントラストのような髪色をし、薄着からはタトゥーが覗くパンクな印象の女性が立っていた。

「誰だ?」

「それはこっちのセリフだろーが。ウチは行き倒れたアンタを拾った優しー女だよ。」

よく見ると一狼はソファで毛布をかけられて寝かされていたようだ。

「……すまない。助けられた。恩に着る。」

一狼は一礼してゆっくりと立ち上がろうとしたがストンと腰がソファに戻ってしまう。

ぐー。

簡潔に空腹を伝えると女はハァと息を吐いた。

「まぁ一度拾ったんだ。メシくらいは食わせてやるよ。」

女は台所をガチャガチャと弄くりカップラーメンを取り出してきた。

「ワリーな。店以外でメシとか作りたくねぇんだ。」

女は自分の分と一狼の分にお湯を入れてテーブルに置く。

「店?何かやってるのか?」

一狼は長ったらしい髪をめちゃくちゃに束ねて女に尋ねた。

「ああ。ここの一階でバーをやってる。てかアンタ名前は?行く宛あんの?」

三分を待たずに女はカップラーメンを一つ開けて箸でくるくるとスープを回す。

一狼も空腹が限界近い為同じくしてカップラーメンを開けた。

「俺は……一狼………行く宛はない。三年以上彷徨ってた。」

一狼はズルズルと麺を啜る。

「ふーん。まぁそこは別にいーや。ウチも実家なんざ何年も帰ってねーし。」

咀嚼を終えて一狼は女に目を向けた。

「あんたの名は?」

「ウチは壱門司 亜里紗イチモンジ アリサ。つかアンタ行く宛ねーならウチのバーで働けよ。泊まり込みで養ってやんぞ。」

ゴクゴクとスープを飲み干し再度亜里紗に目を向ける。

「いいのか?俺は助かるが一人暮らしの女が……。」

亜里紗も一狼に続いて飲み干した空き箱をゴミ箱に放り込んだ。

「別にいーよ。ウチ男に興味ネーし。それにアンタはその辺何もしなさそーだしよ。」

「しないさ。婚約者がいたんだ………今はどうしてるか知らないがな。」

亜里紗はニッと笑ってみせた。

釣られて一狼も小さく笑った。

「けどあれだな。今のまんまじゃァ店に出せねーな。」

じっと舐め回す様に亜里紗は一狼を眺める。

それもそのはず。一狼は三年以上もの間身の整えなど一切やっていなかった。

髭も髪もボサボサでどう見ても衛生的には見えない。

生まれつきの端正な顔つきが無ければ亜里紗も気にかけなかったかもしれないという程に汚らしい。

「………まぁ任せなよ。」

ニヤリと笑った亜里紗は少し悪戯っぽく見えた。


 そこからふた月程亜里紗のバーで働いた。

元来器用な男でありクールではあるが人当たりが悪い訳では無い。

何より今はあらゆる動物のスペシャリストの細胞、能力が彼にはある。

基本の一狼のスペックを大きく上回る状態なのだ。

ひと月経った頃にはもう店の人気者だった。

 「ねー。イチローさんてカノジョいるのー?」

「……微妙な所だ。」

「じゃあワタシリッコーホしまーす!」

「あ!ずるいアタシも!」

最近では一狼目当ての女性客も増え亜里紗は非常に喜んでいた。

「悪いな。微妙な所ではあるんだがそれでも他の女性の隣に並ぶわけにはいかないんだ……なんて表現すればいいんだろうか……ドリンクバーみたいなものかもしれん。」

女性客は揃って首を傾げた。

「ふざけて混ぜたドリンクバー………色々あり過ぎて自分コップの中の感情あじが分からない状態なんだ………まだ飲んで確かめようと思えなくてね……。」

基本的に頭の硬い方ではないが存外真面目に答えてしまう。

しかしその硬派で一途な所が女性客の人気を一身に集める要因でもある。

「なあなあ。イチローなんざ放っておいてウチと遊ばないか?ウチなら絶対一晩で夢中にさせてあげるよ?オネーさん。」

「やだぁアリサちゃん。」

 長く命の危険な現場に身を置き、それが終わったと思えば人ならざるものにされた。

思えばこういう何もない時間は生まれて初めてかもしれない。

ある種の平和。

噛み締めてしまうとはもう自分はあの現場には戻れないのだろうと少し昔の自分を懐かしく思う。

 そんな時カウンター席に座っていた一人の男性客が店のテレビを点けた。

「おおいオッサンテレビ点ける時はウチに一言言えや。」

「いやぁごめんごめん。ニュース気になっちゃって。」

男性客は頬を赤らめて自身の頭をポンポンと叩いてる。

 戻ってからの一狼はニュースを見ないようにしていた。

どのニュースをアイツ・・・が読んでいるか分からない。

しかしその顔を見てしまえばどうなるかはわかってる。

だから見ないようにしているのだ。

しかしふと気になってテレビに目を向けた。

そこには彼女は映っておらずただ別のアナウンサーがニュースを読み上げていた。

時刻は午後七時。彼女は昼に出る事がが多かったからいるわけがないのはわかっている。

それでもどこかホッとしたような残念に思えるような気がした。

 安心してニュースを眺めていると突然どこか画面の向こうが慌ただしくなってきた。

何か重大なニュースが来たのだろうか。

同じようにテレビを観ていた客と一緒に顔を見合わせて首を傾げる。

すると話がついたのかニュースを読んでいた女性アナウンサーが少し震えた様子で新しいニュースを読み始めた。

『そ、速報です。現在新宿にあるイタリアンレストランで強盗グループが押し入り人質を取る、立て籠もり事件が発生。人質の中にはタレントとしても活躍しているアナウンサー、緑川華子さんもいるとの情報があり現在警察も出動中との事です。近隣の住民の方々は速やかにーーー……。』

ニュースを聞いた時、確かに自分の中の何かが動く音がした。


 気づいたら亜里紗のバイクで走り出していた。

亜里紗も殆ど説明せずともバイクのキーを渡してくれた。

 「どこに行くんだよ?仕事の途中だぜ?」

 「すまん。だがどうしても行かなきゃいけないんだ……!」

 「………なら行け。ウチは面倒なのは嫌いなんだ。帰って来たら色々きーてやるよ。」

 亜里紗は何も聞かなかった。

なぜ行き倒れていたかも。何者なのかも。

それでも住まわせてくれて突然の事にも送り出してくれた。

「感謝は帰ってからだな。」

 実を言うと自分でも不思議だった。

まさか飛び出すとは。

華子の事は本気で心から愛していたし大事にしていた。

だがあそこから抜け出してすぐに会いに行こうと思えなかった。

怖かったのだと思う。

三年も会わなかった自分に華子はなんと言うだろうか。

化け物になって帰ってきた自分は果たして華子の隣に並ぶ価値があるのだろうか。

分からないし怖いのは今も多分まだそのままだ。

だが分かることもある。

俺の好きな飲み物はコーラ。そして……

「ハナの事が好きだ。」

一狼はスピードを落とすことなく前方のトンネルに向かう。

腰には【変身ベルト】がついていた。

「……変身!」

一狼は風のようにトンネルを潜り抜けていった。

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