オジサンの部屋は古びたビルの三階にあった。一階が雑貨屋とひなびた一杯飲み屋になっていて、部屋のドアのところには「砂糖と塩」と書いてある。「さとうとしお」がオジサンの名前のようだけど、本当のところは僕にもわからない。オジサンは自分の部屋のことを「ドウクツ」と言っていたけれど、いつもきれいに片付いている。部屋の中になにもないからなのかもしれない。デスクトップのパソコンだけが置き忘れられたように部屋の隅に押しつけられている。「そのうち骨董品になるさ」オジサンはよくそう言っていた。モデルとしてはそんなに古い型ではなかったけれど、今は使っていないらしい。「インターネットでもやればいいのに」と僕が言うと「電話もない部屋でどうやって使うんだ」と言った。オジサンはケータイも持ってないし、部屋には郵便受けもない。

「この部屋では飯も食わないからゴミも出ない」トイレと風呂だけは使っているようだ。風呂に入ったときたまに洗濯もするという。「冬は水が冷たくて何をするにもおっくうになる。我慢が大切だ」オジサンの部屋にはガスもない。「仲間にはいれてもらえないんだ。オレがあいつらとは違うことはすぐにわかるから。だからいつも気を使って、邪魔にならないようにしている。ひっそりとね。お前と最初に会ったときは運が良かったんだ。でもすぐにどかされちまった。こんな身になっても気を使わなくちゃならないとは思わなかったよ」オジサンはそう言って笑った。美術館や博物館にはよく行くらしい。「だから上野にいるんだよ。どこの公園にいてもそう長居はできないから。ちゃんと金を払って入るんだけれど、こんな格好だからすぐ職員が寄ってくる。そんなときはわざと近づいて匂いをかがせるんだ。いい匂いがするだろう。それからは何も言わなくなる」

「オジサンは世の中とかかわりたくないんだ」そう僕が言うと「できるだけね」とオジサンは答えた。「今のところオレの知りあいはお前とそれから何ってたっけお前の彼女」

「ヒーコ」

「そうだ、そのヒーコだけだよ。あの子はいいな。オレも好きだよ」ヒーコもオジサンが気に入っている。「あのオジサンっておもしろいよね。いろいろ知ってるし」そう言えば最近ヒーコと二人だけで会うことが少なくなった。

「オジサンは彼女とかいなかったの」ヒーコがいないとき僕はオジサンにきいてみた。もしかしたら昔の話が聞けると思ったから。オジサンは自分の過去はしゃべりたがらなかった。「男と女っていうのは難しくてね。お互い相手をしばりあうし、いろんなしがらみもあるから。お前とヒーコは今のところ何てことなさそうだけれど、そのうち今のようにはいかなくなる。それを乗り越えなくちゃ深く結びつかないし、乗り越えたところでがんじがらめになることには変わりがない。でも、あんまりこんなこと考えない方がいい。何もできなくなるから」そう言ってオジサンは黙り込んだ。

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