第三話 逃走劇
林の中では、雨こそ弱まるが真っ暗で、紀香の目は、ほとんど機能しなかった。背後からは、藁の音が近付き、後ろを振り向いている余裕はない。感覚と、手の感触だけを頼りに、木々を掻き分け、暗闇の中を死物狂いで走って進む。
何度も転びそうになり、体中は泥々になっていたが、徐々に離れてゆく藁の音。
小さくなる藁の音だけを希望に逃げ続けた。
紀香は、相当長い間走っていた。我に返り、足を止めると、藁の音は聞こえなくなっていた。藁人形からは、離れることが出来たが、だいぶ林の奥に来てしまっていたのだ。
真っ暗な林で、灯を求め、自分のスマホを探す。
紀香
「スマホがない」
紀香は、一生懸命に体を叩いたり、ポケットの中を探ったが見つからなかった。
どこかに落としたか、元々持ってはいなかったのか。
紀香は、思考を張り巡らせた。その時だった。
司
「もしもし、紀香か?義明が、義明がヤバいんだよ。義明が、よ、、、、」
どこからか、司の声が聞こえる。
紀香
「司?司なの?」
この声は、一体どこから聞こえてくるのだろう。
紀香
「司?聞こえる?」
紀香は、声を張り、辺りを見回すと、小さな光が遠目に見えた。
久しぶりに見た光に、久しぶりに聞いた声。
紀香は、少しの安堵感とともに、足を進める速度を上げてゆく。
紀香
「司!」
紀香は、その勢いのまま、光に向かって走ってゆくと、林を飛び出してしまった。
土砂降りの雨の中に佇む紀香の目の先には、司の姿はなく、先程離れたはずの古びた神社が映る。
相当な距離を走ったはずだった。こんなにも早く、元いた場所に戻れるはずはない。
紀香は、違和感を拭えず、雨のせいで土が引っくり返った地面を歩いていると、なにか硬い物を踏んだ気がした。目線を足元に移すと、そこには司のスマホが置いてあった。
紀香
「また、司のスマホ。さっきはあそこにあったのに」
紀香は、スマホを拾い上げると、木に打ち付けられている藁人形を見た。
ゆっくりと藁人形に近付く。
紀香
「だれが、こんなことを」
深く打ち付けられている五寸釘に、触れようと手を伸ばすと、背後に気配を感じた。
それと同時に、林の中からは誰かの声が聞こえる。
紀香
《この声は、司の声だろうか。それとも義明か、翔也》
紀香は、背後の藁人形の存在に気付くと、振り返らずに、声がする林の中に入っていった。
土砂降りの雨越しには、林の中に入ってゆく紀香の姿を、じっと見つめる藁人形の姿があった。
暗闇に消えた紀香の姿を確認した藁人形も、紀香を追いかけ、林の中へ消えてゆくのだった。
踏み締める落ち葉の音や、小枝が折れる音。
葉の上で跳ねる雨粒。
聞き慣れないホトトギスの鳴き声。
紀香は、真っ暗であるが沢山の音に包まれた林の中を、司のスマホのライトで照らした。
光に照らされた木肌はとても整っていて、今日まで人の侵入など考えられなかったように見えた。
だが、自然の美しさに、見惚れていてはいけない。今も、ゆっくりだが藁の音も聞こえてくる。
紀香の足には力が入っていなかったが、その足を止めることはなかった。
逃げるのを辞めてはいけない。
逃げ続けなければ、自分がどんな目に合うか、わからないのだ。そんな心理状態の中で、友人を見つけ出し、この林を脱出する。
そう強く心に誓ったのだった。
紀香
「痛っ」
突然、木ではない、なにかにぶつかった。
翔也
「紀香?」
紀香
「翔也?やっぱり翔也も来てたのね」
なぜかわからないが、翔也もここにいる。そんな気がしていた。
翔也
「二人が怪しかったから、後をつけてきた。司と義明はいた?」
紀香
「いえ、まだ見てないの。でもこれ、司のスマホ」
司のスマホを、翔也に渡す。
翔也
「俺からの着信も開かれていない。なにかあったのは間違いないか」
翔也は言う。
紀香
「なにかって、藁人形を見てないの?」
翔也
「藁人形?」
翔也は首を傾げながら、スマホを返す。
紀香
「説明は後でするわ。とにかく来て」
スマホを受け取った紀香は、翔也の手を引くと林の奥へと進んで行く。
足元を照らすと、落ち葉が踏まれて出来た、獣道が続いていた。誰かがここを通ったのだろう。
紀香は、獣道を頼りに林を歩いた。
紀香
「本当に、藁人形を見てないの?」
翔也
「なんだよそれ。まだ放課後の話を引きずってるの?」
翔也は、笑った。
紀香
「笑い事じゃないのよ。ほら、後ろから音が」
紀香と翔也は立ち止まり、耳を澄ます。
だが、勢いを増す雨音の中に、藁人形の足音は紛れてはいなかった。
翔也
「なにも聞こえないよ。今は大丈夫だよ。紀香、一旦落ち着いて」
翔也はそう言うと、紀香と二人で歩き始めた。
翔也のおかげで、落ち着きを取り戻した紀香は、林の中をスマホの光で照らし捜索を続ける。
翔也
「紀香、あそこに誰かいる」
翔也の指差す先には、黒い影がうずくまっていた。
紀香
「司か、義明かもしれない。行こう」
紀香と翔也は、その影に慎重に近付いてゆくのだった。
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