第4話 ドキドキお風呂、そして初戦闘
ベッドで寝転がってしばらく泣いていたミュゼ君は、時計を見て立ち上がり、ママと私を連れて廊下を歩いていく。
抱っこされたまま、すれ違う人達を観察する。
猫耳、犬耳、ウサギ耳……あれはキリンかな。顔立ちは人間に見えるけど、みんなケモノの耳や尻尾が生えている。お尻部分のデザインってどうなってるんだろう。
それに髪もピンクや緑や紫色。日本ではウィッグでしか見ないような色だ。どうやら全然違う世界に来てしまったみたい。
着いたのは、お風呂だった。
石で出来た空間に、私の家の十倍はある大きな湯船。壁から生えたライオンの口からお湯が出ている。シャワーが無い代わりに端っこに滝がある。ここで汚れを落とすらしい。
「食事の前に体を清めないとね」
え、え、え、まさか一緒に入る感じ?
それはダメー! 恥ずかしい! 体はヤマアラシだけど、心は乙女だから! そういうのはまだ早いの!
慌てていると、ミュゼ君は腕まくりをして桶に湯船からお湯を入れた。洗い場に置かれた石鹸を手に取り、ふわふわのわたあめ風呂を作り、私をそっと入れてくれた。
あ、ああ、そういう感じね。
べ、べ、べつにいー! 残念なんかじゃないし。
湯加減は最高。やわらかい泡で包み込むように全身を洗われて……い、いや、この状況もかなり恥ずかしいな……。
ママは自分の足で滝まで歩いて行き、気持ちよさそうに体を震わせている。見れば見るほど鋭く尖った針の毛だ。
ヤマアラシだから私いつも裸なんだよね。あの、服をください。犬用のやつとかないですか。でも毛が凶器だからな。穴だらけになってしまう可能性がある。
そんな事を考えていたらミュゼ君と目が合った。
「君の目はまん丸で可愛いね。さくらんぼみたい。名前、チェリーって、どうかな?」
すごい。本名にかすってる!
私が生まれた日、病院の外に咲く桜の木の美しさに感動したママは、桜が咲いて美しいと書いて、
この名前のせいでどれだけからかわれてきたか。
キラキラ根暗だの奇跡のブスだの散々……ああ、思い出すだけでお腹の辺りがムカムカする。
「気に入らなかったかな」
私がくだらない事で黙り込んだものだから、ミュゼ君が困ったように形のいい眉を寄せている。いやいや違う違う! チェリー可愛い! 嬉しい!
その気持ちを両手を上げて表現すると、彼は微笑んでくれた。
広い脱衣所まで抱っこされて戻ると、水気を飛ばしながらママもやってきた。床に敷かれたタオルにしゃがみこんでいる。体を拭いているみたい。
マシュマロみたいなタオルに包まれて夢見心地になっていると、お皿に乗った小さいリンゴを目の前に置いてくれた。お祭りで棒が付いた飴になっているやつ。
「お風呂上がりは果物と決まっているんだよ。アプリコットと食べながら待っていてね」
そう言って、ミュゼ君は髪をまとめていた黒いリボンを外した。鮮やかな金色の髪がサラッと流れて、七夕の天の川みたいにキレイだと思った。
シャツのボタンに指をかけたのを見て、バッと目を逸らした。見ない見ない。やっぱり動物の立場を利用して覗きなんて絶対にダメだと思う。
お風呂場に入った気配がしてホッとする。
ママは大きめのリンゴを抱え込むようにムシャムシャ食べている。
──あれ、そういえば王様なのに手伝う人とか居ないのかな。
そう思っていたら、ギッと床が鳴った。
視線を向けると、顔を下に向けたメイドさんが鞄を胸に抱いて脱衣所に入ってきた。生気の感じられない、オバケみたいな人。
気になって見ていたら鞄から発光する棒を取り出した。バチバチと嫌な音を立てている。
母が言っていた。
ドライヤーは絶対に湯船にいれてはいけないと。感電して死んでしまうからと。
まさかこれは──電気が流れている棒を湯船につけて、ミュゼ君を殺そうとしているのでは!?
私は大急ぎで突撃したけど、簡単に蹴り飛ばされてしまった。うう、まただ。弱い自分が嫌になる。嫌なことされても何も出来ない、我慢するだけ。
でも今はママがいるから大丈夫……。
ママは、眠っていた。
嘘でしょ! ねえ起きて。ミュゼ君が大変なの、殺されてしまうわ。起きてったら! どうして。まさかさっきのリンゴ、睡眠薬でも入っていたの?
どうしようどうしよう。
──私が、やらなくちゃ。
──守らなくちゃ!
私はメイドの足元をよく見て、タオルに乗ったタイミングを狙って思い切り口で引っ張った。
油断していたのだろう。彼女は思い切り転倒する。
凶器を咥えて逃げようとするも、手で弾かれた。くそう、ならばハリ攻撃だ。背中側を向けて体当たりをするも、簡単に避けられた。
そして思い切りお腹を蹴り飛ばされる。
──私じゃ、ダメなの?
やめて、ミュゼ君のところに行かないで。
何かないの、戦う手段は! 卑劣な犯人を叩きのめす方法は!
ドクン、と鼓動が脈打つ。
私が知らないだけで、彼は本当は悪い王様なのかもしれない。どうしようもなく恨みがあるのかもしれない。だけど!
生まれてきてありがとうって、言ってくれた。
優しく撫でてくれた。
お風呂に入れて洗ってくれた。
とっても可愛い名前をつけてくれた。
流れる涙をぬぐってあげたい。そばに居たい。
大切な人なんだ!
体中に怒りのエネルギーが巡る。
──私から彼を奪おうとするお前は、死ね!
バリバリッと背中から音がして、一気にハリが育ったのを感じる。私は隙だらけの背中に向けて突進し、振り向いたその女の──胸に向けてハリを突き刺した。
ビシャッビシャッと返り血で体が汚れていき、濁った音が耳を打つ。ヒューヒュー聞こえていた呼吸が、やがて途絶えた。
体を離すと、ビシュッと血飛沫が飛んできた。
振り返るのが怖い。体を穴だらけにした死体が、こちらを見ている気がする。
よくも殺してくれたなと、恨みがましい目で。
「あんさん、油断はあかんで」
背後で悲鳴とキャンプファイヤーが起きたのを感じる。パチパチ火花が飛んできて熱い。
火花が落ち着いてから振り向くと、死体は無く、ただ黒い跡だけが残されていた。
洗面台の上にチョコンと座っている存在と目が合う。キツネだ。しかも白い毛の。更に赤い目をしている。
「殺んならキッチリ片付けまでやりぃ。まあでも見込みあるわ。ウチは近衛兵のラズベリーや。以後よろしゅうに」
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