第12話

「おはよう、讃岐さん。どうした、朝から不機嫌そうな顔して」


「おう、桃太郎か。元気か。悪いな、急いでいるし、気分も悪いんだ。退いてくれ」


「さっきから退いているが、どうしたんだ、そんなに顔を赤くして」


 厨房着ズボンにランニングシャツ姿の讃岐さんは大通りの方に大股で歩いて行く。結構な怒り肩だ。讃岐さんが営むラーメン屋は、この赤レンガ小道商店街のまだ奥で、今は朝の仕込みの時間のはずだ。ああ、ちなみに屋号は「北風ラーメン」。冬場に開店したから、この屋号になったそうだが、この国に四季があるという事を忘れていたのだろうか。結構、単純な人だ。しかも、讃岐なのにラーメンで北風。統一されていない。そして、彼は短気な人でもある。うーん、カオスだ。全てが取っ散らかっている。これは少し心配だから、付いて行こう。






 讃岐さんは赤レンガ小道側の入り口から土佐山田薬局に入っていった。たぶん、荒っぽく開けられたであろう引き戸は、そのままだ。彼は、店の中で商品を大通り側の入り口付近に並べようとしていた土佐山田九州男さんに怒鳴っている。声が外まで聞こえているぞ。


「土佐山田さん、どういう事だよ。太鼓が中止だって? 」


 俺は開いた扉から店内に入っていった。土佐山田のおじさんが、剣幕を変えた顔を近づける讃岐さんから体を反らして顔を遠ざけていた。かなり驚いているようだ。


「ちょ、ちょっと、讃岐さん、どうしたんだい。落ち着いて」


「これが落ち着いていられるか! 昨日、俺が準備に出られなかったからって、みんなで勝手にそんな事を決めたのかよ。酷いじゃないか。俺はな、夏祭りの太鼓を打つ為に、ずっと筋トレを続けてきたんだぞ。みんなに喜んでもらおうと思って。新しいフンドシも買ったんだ。それなのに、急に中止とは、あんまりだろ」


 そういう事か。とんだ勘違いだ。これは止めないと……。


「讃岐さん、それは違うぜ。土佐山田さんを責めても仕方ない。太鼓は……」


「桃ちゃん、向こうに行ってな。いいから」


 土佐山田さんは俺に手を振って、遠退くように促す。讃岐さんは顔を紅潮させて、今にも泣き出しそうだ。きっと、この夏祭りの太鼓打ちに人生を懸けていたのだろう。土佐山田さんが丸いスツールに座るよう勧めたが、まったく聴く耳を持たない。暫らく怒鳴っていた讃岐さんは、床に激しく腰を下ろして胡座をかくと、腕組みをして、また怒鳴る。


「おう! 太鼓が打てるという答えが出るまで、テコでも動かないからな。絶対に動かないぞ。矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだ、べらんめえ」


 ここは薬局だから武器は売っていないが、そんな事よりも、この人は更にベランメエ口調なのか。やっぱり、統一されていない人だな。まあ、この日の為に頑張ってきたのだろうから、気持ちは分からんでもないが、このままでは本当に威力業務妨害罪で逮捕されてしまうぞ。しかし、それも少し気の毒だ。よし、何とか説得してみよう。


「なあ、讃岐さん。違うんだよ。ウチの地区の大太鼓はな……」


「うるせえ、桃太郎。おまえまで俺を馬鹿にするのか。いったい、どういうつもりだよ。どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって」


「桃ちゃんに当たっても仕方ないじゃないか。讃岐さん、まあ、話を聞いてくれないかい」


「太鼓だあ、太鼓お。太鼓を打たせやがれ、コンチクショウ!」


 讃岐さんは駄々をこねて聞かない。するとそこへ、騒ぎを聞きつけてか、制服姿の警察官がやってきた。大通りの向こうの警察署にいる顔馴染みの鑑識のお兄さんだ。今は鑑識と生活安全課を兼務しているらしい。兼務だから当然に忙しい訳だが、そういう忙しい人は、それなりに要領というものも覚えるようで、彼は讃岐さんにも要領よく対処した。彼を責めたり、職務質問したりはせず、軽く宥めた後で、まず土佐山田さんから話を聞く。勿論、讃岐さんにも聞こえているから、太鼓が破損して中止になった事情を知った讃岐さんは、なーんだという顔で立ち上がった。残念そうな顔はしていたが、こういう事情で無理を言うほど子供ではない。彼は土佐山田さんに謝ると、むしろスッキリしたような顔で帰っていった。鑑識のお兄さんは土佐山田さんに同調する感じで話しながらも、讃岐さんも勘違いしただけだし、真剣に祭りの事を考えているからこそ腹を立てたのだろうと言い、土佐山田さんに讃岐さんを責めないようお願いする。土佐山田さんは大人だから、若干の不快を腹に収めて、首を縦に振った。事を穏便に終結させたお兄さんは、その後で土佐山田さんに、「被害届を出しますか」と一応の質問をした。当然、土佐山田さんは首を横に振り、一件落着だ。お兄さんは敬礼して、「讃岐さんには自分がもう一度注意しておきます」と言ってから店を出て行く。見事だ。俺も後についていくとしよう。


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