第10話

 うう……暑い……息苦しい……喉も渇いたし、腹も減った。俺は今、暗い倉庫の中に閉じ込められている。夕方の鐘の音が響いてからもう随分と経つから、外はきっと日も落ちて真っ暗に違いない。助けを求めても、庭には誰も居ないはずだ。失敗した。溝涜こうとくくびるとは、この事だ。いや、死に場所としては、そう悪くはないかもな。何体もの仏様に見守られながら冥土に旅立てる訳だし。ああ、今は限り、あの一筋の月明かりが、俺がこの世で最後に見る……ん、月明かり? という事は、あそこに隙間が。あの天井の角に小窓でも在るのか。よし、ちょっと上ってみよう。仏像さんを壊さないように注意してと……。


 おお、やっぱり小窓だ。通気用の高窓だな。木製の戸板窓だから気付かなかった。よし、ほんの少し開いているぞ。もう少し開ければ通れるはず……いいぞ、出られる。よっ。このくらいの高さなら、どうって事は……。


 という訳で見事に脱出成功。助かった。危ないところだったぜ。あーあ、折角の水玉ベストが汚れちまった。今度は破れてないな。よし。


 さてと、腹も減ったし、帰るとするか。ええと、ここは……墓地か。寺の西側に広がる墓苑だな。薄気味悪いから、さっさと退散……ん、何だ、あれは。何か墓石と墓石の間に光が見えるぞ。低い位置を、ゆらゆらゆらと動いている。その下に薄っすらと見えるのは……ひ、人影! 着物姿の人影だ。背中を丸めて、く、く、首を突き出して……これは、間違いない。この組み合わせは、ハンバーガーとフライドポテト並みにお馴染みの組み合わせだ。出た。人魂と幽霊のワンセット。しかも、夜中に墓の間を徘徊するなんてシチュエーションも、疑いようもなく幽霊じゃないか。た、退散だ。ここは一刻も早く退散だ。さすがの名探偵も、実体のない霊体には対処できない。急げ、俺。どうした、視界がいつもより低いぞ。足に力が入らん。腰が、腰が抜けてしまった。助けてくれ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。陽子さーん、美歩ちゃーん……。






 ようやく、ウチの玄関ドアまで辿り着いたぜ。えらい物を見ちまった。うう、寒気がする。

 身震いをしていると、俺のネックレスが揺れる音に気づいたのか、ドアが開いた。美歩ちゃんだ。ドアノブにぶら下がらんばかりに背伸びして、俺を迎えてくれる。


「あ、桃太郎さん、お帰り」


「ああ、ただいま、美歩ちゃん。なんだ陽子さんまで。待っていてくれたのか。悪いな」


 俺が平生を装ってそう言うと、陽子さんが答える。


「あら、真面目な桃太郎さんも夜遊びするのね。どこか、いい穴場でも見つけたのかしら」


「からかうのは止してくれ。仕事だ。まあ、穴場と言えば穴場を見つけたんだが、穴は穴でも、こっちの穴は墓穴だ。見たんだよ、本物のこれを」


 俺が両手を前に垂らして見せると、美歩ちゃんが覗き込む。


「あーあ、おててが真っ黒ね。ちゃんと手を洗ってからでないと、ご飯は駄目だよ」


 まあ、おしゃまを言う年頃だから仕方ないか。だけど、俺は本当に見たんだ。


「陽子さん、本当だよ。出たんだよ、向こうの墓地に。こう、着物姿の幽霊と人魂が……」


「あらら、下ろしたての服も汚しちゃって。とにかく、お風呂が先ね。ご飯は、その後にしましょう。ほら美歩、一緒に入ってらっしゃい」


「はーい。桃太郎さん、入ろ、入ろ」


「ちょっと待ってくれ、本当だ。俺は本当に見たんだよ。アレは間違いなく幽霊だ。時期的にも、時間的にも、場所的にも、ばっちりの状況で……」


 と必至に訴えたが、聞き入れてもらえない。まあ、あまり言うと、二人が恐がるだろうから、ここまでにしておこう。俺も風呂に入って、飯でも食って、落ち着いてから考えた方がよさそうだ。そうしよう。そうしよう。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る