第6話

「なあ、高瀬のおじさん。どうして和太鼓は中止なんだよ。せっかく楽しみにしていたのに」


 高瀬邦夫さんは険しい顔をしたまま黙っている。美歩ちゃんも陽子さんのTシャツの裾を引っ張って尋ねる。


「ねえ、お母さん。太鼓は無いの?」


 陽子さんは口に指を立てて「シー」と答えた。まあ、教育上は分かるが、美歩ちゃんにしてみれば、楽しみにしていた和太鼓だ。訊きたくなるのも、また分かる。


「美歩ちゃんは今年から小学生だものねえ。小学生になったら、順番で太鼓を叩かせてもらえるはずだったのに、残念ねえ」


 と言ってきたのは公子さんだ。高瀬邦夫さんの奥さん。


 祭りの度に出される大きな和太鼓は子供たちにも人気で、小学生と中学生は順番で少しずつ叩かせてもらえる。皆、それぞれ思い思いのリズムでばちを振るのだが、何事にも好奇心が旺盛な年頃の小学生の方が多く列に並ぶ。いや、好奇心というより、単に他人がしている事と同じ事をしたがる人間の本能に従っているだけなのかもしれないが、それでも、子供たちは待ち遠しそうに列に並び、自分の番が回ってくると、太い桴で太鼓を力いっぱいに数回だけ打ち、その響きに驚いたりして、興奮した様子で満足気な顔をして帰ってくる。まだ幼稚園児だった頃の美歩ちゃんは、太鼓を叩くちょっとだけ年上のお姉さんたちに羨望の眼差しを向けながら、小学生になって列に並んでいる自分を想像していたに違いない。こうして小学生になった今年から、ようやくその夢が叶うはずだった。人生初の夢の実現かもしれない。それなのに、早々に公子さんから「残念ねえ」と言われた美歩ちゃんは、陽子さんのTシャツの裾を掴んだまま、本当に残念そうな顔をして下を向いている。不憫だ。不憫すぎる。いったいこれは何事か! 


 よし、説明だけ聞いてから帰ろうとしている須崎さんに訊いてみよう。須崎さんは「ウェルビー保険」の隣にある信用金庫の支店長さんだ。信用できるはずだ。と自分に言い聞かせるが、まあ、土佐山田薬局の向かいの角の建物だし、つまり、赤レンガ小道商店街の入り口の角の店舗で、ウチのお向いさんでもある。また、お互いに「お得意様」でもある関係だ。きっとガセネタは吹き込まないだろう。


「なあ、支店長さん。どうして、西地区の太鼓は無しなんだよ」


「おお、桃太郎か。おまえも来ていたのか。律儀な奴だな」


「あんただって、祭りには直接は関係ないだろ。律儀なのは、お互い様さ。それより、どうして和太鼓が……」


「やあ、支店長さん。今年も、これですかな」


 ツルツル頭のお爺さんが話しに割り込んできた。観音寺の住職の大内おおうち和尚だ。普段は黒装束の肩から袈裟を掛けているのだが、今日は麻の半袖シャツに綿パン。随分と軽装だが、一見すると、その筋の人かと見紛う外観だ。盆踊りの手振りをして見せる住職に、支店長さんが言う。


「ええ。うちの職員がご当地音頭を踊るのは、全支店の決まり事なんです」


 目をパチクリとさせた住職が「支店長さんもですか」と尋ねると、支店長さんは苦笑いしながら答える。


「ええ。本当は、あまりやりたくないのですがね。そういうのは、どうも苦手で……。ですが、本店からの指示ですから、仕方ないです。頑張ります」


 大内住職は、どこまでが額か分からない頭をピシャリと叩く。


「ああ、せっかく信用金庫の皆さんも夜遅くまで練習してくれたのに、太鼓無しでは盛り上がりませんなあ。もっと早く出しておけばよかった」


 俺が怪訝な顔を向けると、支店長さんは苦虫を噛みつぶしたような……いやいや、支店長さんは苦虫を噛み潰した事なんてないだろうし、そもそも「苦虫」なる虫が存在するのか疑問だから、苦虫を噛み潰したら、たぶんこんな顔をするだろうなあと支店長さんなりに想像した顔で、首を横に振って言う。


「まあ、夜の練習時に太鼓を打つ訳にもいきませんからね。近所迷惑ですから。本番直前に太鼓を出すのは当然ですよ。気付かなかったのも仕方ありません」


「調子が狂いやしませんか」


「なに、もともと、そこまで厳密に踊れる訳じゃありませんから。ウチの職員たちも気にはしていませんよ。テープの音源だけで十分です」


「転勤族の皆さんに、なんだか、申し訳ないですなあ。破った犯人が恨めしい」


 おいおい、住職さん、お坊さんが人を恨んでいいのかよ。そんな事より、太鼓が? 俺は言ってみる。


「破ったって、太鼓が誰かに破られたのか。あの太鼓、住職さんのお寺の倉庫に仕舞ってあるんだったよな。倉庫には鍵が掛けてあったろう。その鍵を壊されたのか」


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