第5話
「うん……だから、屋号も今風に変えたのだけどね。でも、ウチの客は後ろの寺の檀家さんがほとんどだから、カタカナにしたのは失敗だったかなあって……」
邦夫さんの店の屋号は、この前まで「高瀬生花店」だったのだが、この春から急に「フラワーショップ高瀬」に変わった。――というのは、看板だけで、商店街の人たちは皆、「高瀬生花店」と呼んでいるし、当の本人である邦夫さんも、その奥さんの公子さんも「はい、高瀬生花店でございます」と電話に出ているのを知っているから、俺もあまり実感がない。
ん、誰か来たぞ。半袖ワイシャツにスラックス、整髪料の臭いがプンプンする男。はあ、あいつか……。勝手に話しに割り込んでくるな。
「いや、それは絶対にカタカナがいいですよ。これからはカタカナ横文字の屋号じゃないと、難しいですからね。うちもそれでカタカナにしたんですから」
この空き地の横にある「ウェルビー保険」という店の
「聞きましたよ。看板の付け替え工事で苦労なさったのだそうで。いやあ、保険に入っていたら、何とかなったかもしれませんね。ああ、ウチに丁度いい保険があるんですよ。総合ガード保険『守るくん』っていう商品でしてね……」
何が「守るくん」だ。この街を守っているのは俺だ。保険は何かあってからの話だろ。俺は何か起こらないように悪者と戦っているんだぞ。保険料を取るくらいなら、そういう予防措置の方にも力を入れてくれ、と新居浜さんに言っても仕方ないか。しかし、祭りの準備会場でも営業とは。だいたい、何の屋台を出すつもりなんだ。保険商品のパンフレットでも並べるのか。簡易テントの下じゃ、誰も相談には来ないだろう。ここは田舎町なんだぞ。誰もが皆、結構に周囲の目を気にして生きている。財産に関わる保険の話なんか、外でする訳……あ、
「遅くなってすみません。最後のお客さんのカットに時間が掛かってしまって……」
客のカットの途中で出かける訳にもいくまい。この若い女の人はウチの、土佐山田薬局とは反対隣の「モナミ美容室」を経営している
「よう、萌奈美さん。変わりないみたいだな」
「あら、桃太郎さん。水玉ルックに着替えたのね」
「ちょっと転んで、破れちまってな」
「あー。こんなお洒落なベストは、美歩ちゃんが選んであげたのかなあ」
萌奈美さんが美歩ちゃんの顔を覗きこむと、美歩ちゃんはニカリとして頷いたので、萌奈美さんは「センスあるわね」と美歩ちゃんの頭を撫でる。美歩ちゃんはうれしそうだ。ちょっと待て、着ているのは俺だぞ。モデルの評価は無しか。この女物の下着のような柄のベストも、この俺が着こなしているから恰好良く見える訳で、これを土佐山田さんが着ていたら、たぶん漫才師にしか見えないぞ、と言おうとすると、土佐山田さんが横を向いて言う。
「あとは、ラーメン屋の
なんだ、讃岐さんを待たずに始めるのか。知らないぞ、讃岐さんが怒っても。彼、気性が荒いからなあ。待ってあげた方がいいとは思うが……ああ、土佐山田さんが話し出したな。
「では、みなさん。お疲れ様です。ええと、いよいよ夏祭りも明後日となりました。お盆も近づき、何かとお忙しい今日日でしょうが、どうぞご協力の程、宜しくお願いいたします。仕事の割り振りと段取りにつきましては、前回までの打ち合わせのとおりでございます。設営は当日の朝より始めますので、今日はそれぞれの自治会からのテントの運び出しと、電飾の設置に取り掛かってください。ああ、それから、西地区の和太鼓の方は、お話したとおり中止となりましたので、その係だった方々はテント運びの加勢に回ってください。運んだテント資材は向こうの隅の方に重ねて……」
なんだ、ウチの地区の和太鼓は中止なのか。だから太鼓打ちの讃岐さんが来てないのに話し始めた訳だな。だけど、どうして和太鼓が中止なんだ。去年は大通りの端と端で、通りの向こう側の東地区の和太鼓と競うように打ち鳴らし合っていたのに。興ざめだな。訊いてみるか。
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