第3話

「あら、美歩。お帰り。いま迎えに行こうと思ったところだったのよ。一人で帰れたのね。えらい、えらい」


 美歩ちゃんは元気よく「ただいま」と挨拶すると、家の中に駆け込んだ。かまちを上がると、振り返ってチョコンと座り、小さなサンダルを揃えて置き直す。陽子さんに顔を向けると、陽子さんは笑顔で頷いて見せた。美歩ちゃんは嬉しそうにニコリと笑ってから、奥の階段を駆け上がっていく。陽子さんは娘の小さな成長に満足そうな顔で、階段を駆け上がる小さな背中を見上げていた。小さな成長と小さな背中。ニヤリ。俺は玄関の掛け時計を見る。いつもなら、まだ白い調理着姿の陽子さんが、シャッターを閉めた店内で鍋釜を洗っている時間だ。なのに、今の陽子さんは半袖Tシャツにジーンズ姿。きっと日が傾き始める前に美歩ちゃんを迎えに行くつもりだったのだろう。


 実は、陽子さんは目が不自由だ。少しずつ悪くなる病気らしい。今は一人で歩けないほどではないが、車の運転は出来ないし、人通りが多い場所や込み入った所、暗い所では俺や美歩ちゃんの補助が必要になる。だから店も朝早く開けて、明るいうちに閉めるって訳だが、それは夕方前までには片付けを終えて日用品や弁当の材料の買出しに出かけないと、夕日が沈んで暗くなる前に帰宅できないからなんだ。今は夏だから、日は長い。それでも、暮れなずむ景色は陽子さんにとって暗闇も同然だ。だから、その前に買物を終えて帰宅できるよう、早めに美歩ちゃんを迎えに行くつもりだったのだろう。美歩ちゃんもそれが分かっていて、早めに帰ってきたに違いない。だって、まだプールは開いている時間だから。きっと友達とも早めに別れてきたはずだ。まだまだ遊びたかっただろうに。


 美歩ちゃんは利発で優しい子だ。巷で見る同い歳や少し上くらいの歳の子供たちよりも、しっかりしている。居候の身ながら、我が家の自慢の美歩ちゃんだ。今だって、二階に上がった美歩ちゃんは、プールで使った水着やタオルを自分で洗濯機に入れているに違いない。二人で助け合って生きている優しい親子、俺はこの二人を守るために探偵をしているのだ。ま、用心棒みたいなものだな。そして、二人が暮らすこの街の平和も……などと俺が廻らしていると、美歩ちゃんが急ぎ足で階段を降りてきた。陽子さんは美歩ちゃんが段差で転ばないよう、心配そうに見ている。玄関に辿り着いた美歩ちゃんは、俺に着替えの新しいベストを差し出した。メッシュではないが、薄手の夏用ベストだ。水色の地に白の水玉模様だが、夏は涼しげな色合いの方がいいだろう。俺がそのベストに着替えると、陽子さんは美歩ちゃんを連れて出かけた。町内会で夏祭りの準備があるんだと。面白そうなので、俺もついて行く事にした。






 大通り沿いの広い空き地に人が集っていた。ここは以前に百貨店が建っていた所だ。川の向こうにできた大型複合商業施設、またの名を「ショッピングモール」に客を奪われてしまい、売上が減り、経営が傾いて閉店した。店舗ビルはあっという間に解体されて、残ったのがこの空き地だ。田舎の百貨店だから、そんなに大きな店舗ではなかったが、敷地は広い。以来、用途の定まらないこの空き地は、こうして祭りの準備場に使われたり、防災訓練が行われたりと、地域の人たちに上手く利用されている。時々、皆で出店を並べた何とか市という催し事の会場にも使っている。去年、大通りの向かいの警察署が耐震補強工事をした時も、工事業者さんの資材置き場や作業員の駐車場などに使われていた。確かに、百貨店の閉店で周囲の商店街からは客足が遠退いたが、ここは商業地域、商売人の皆さんはさすがに抜け目が無いとみえて、転んでも只では起きないようだ。ん、待てよ、警察は商売ではないはずだが……。まあ、いい。兎に角、今ここには、明後日に開催される夏祭りの準備をするために商店街の人々が大勢集っている。


 夏祭りでは、この街を突き抜ける対面二車線の大通りを通行止めにして、歩行者天国にする。中央の特設会場ではカラオケ大会やステージショーなどが催され、地元中学の吹奏楽部や軽音楽部の演奏、ダンス部のパフォーマンスなどの他、中高年の皆さんの舞踊クラブの舞いも披露されて例年決まったように盛り上がる。でも、人々の一番の楽しみは、やはり太鼓だ。南北に延びる大通りの両端で、東地区と西地区の大太鼓が競うように打ち鳴らされる。この街の人々にとっては夏の夜の風物詩であり、一大イベントだ。実際、人も多く集る。という事は当然、歩道の上には商店街の各店舗が出した屋台が並ぶ。屋台と言っても運動会などで使う簡易テントの下に折り畳み式の会議用テーブルを並べただけの簡単なモノだが、皆、自分の店の商品をそこに並べて、それなりに華やかに飾る。


 ウチの「ホッカリ弁当」がある赤レンガ小道商店街は、この大通りから入る横道の商店街なのだが、このお祭りに毎年参加している。去年のお祭りでも、陽子さんはテントの屋台の隅に沢山のお弁当を並べた。家族で祭りに来た奥様方は家に帰ってから夕食を準備するのが面倒なので、家族分のお弁当をまとめて購入して帰る。だから去年もウチのお弁当は多く売れた。


 夏祭りでの少し多い現金収入は、商店街の人たちにとって、お盆前のささやかなボーナスだ。その意味で、みんなしっかり売ろうとするし、そうなると、このお祭りは真夏の夜の厳しい商戦の場とも言える。今年も、ウチのお弁当は売れるだろうか。俺は黒尽くめの謎の犯罪集団の事よりも、ウチの弁当の売れ行きの方が気に掛かる。皆、自分の店の売上げを伸ばそうと必至だ。姑息で卑劣な手段を使って他の店の足を引っ張る奴もいるかもしれない。人柄がよく、真面目な陽子さんは、そういう卑怯で汚い妨害行為に弱い。ここは俺が傍で目を光らせてやらねば。俺は陽子さんと美歩ちゃんと共に、緊張感が漂う空き地へと入っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る