第九章 山本徹の告白

       一


 遥かなる山の彼方より下りて来る、さわやかに吹き渡る風の中に山本と奈津実は立っていた。雲ひとつない蒼く澄み切った空には、遠くのほうで鳶がくるりと輪を描きながら飛んで行くのが見えた。

「ここが縄文時代かぁ。なんだか知らないけど、あたしたちの住んでたところより、空気がとてもきれいだし、生き返ったような気がするわ。うわぁーと…」

奈津実が大袈裟な仕草で深呼吸をひとつした。

「おい、おい、奈津実。いくら縄文時代だからって、そんなに大きな声出すなよ。みっともない」

「いいじゃない。誰もいないもの、ここホントにいいところね。あたし気に入っちゃたわ。徹さん」

いいから、そんなことはどうでも、さあ、行くぞ。耕平のところに、オレの家もあるんだぞ」

「へえ、ねえ、どんな家よ。縄文時代だから、やっぱり竪穴式かなんか」

「バカ云え、ちゃんとしたログハウスだぞ。見て驚くなよ」

 ふたりは黙々と歩きだした。草原の中環しばらく行くと、山本はピタリと立ち止まり前方を指さした。

「ほら、あそこだ。見てみろよ。奈津実」

山本の指さすほうを見ると、何やら丸太のようなものが見えた。

「間違いないあそこだ。行こう」

 近くまで行くと、丸太の片面がナイフのようなもので削り取られて、文字が一行刻み込まれていた。 

 二〇一八年四月二十四日 佐々木耕平 ここに至る

「へえ、ねえ、これ耕平サンが書いたの…」

「ああ、オレもここに始めてやって来て、これを見つけた時にはなんていうのか、ホッとしたというか、『やっぱりアイツはここに来たんだ』という感動さえ覚えたものさ。まして、あの時は確たる目標もなく、半ば当てずっぼうで行けば行ったで何とかなるさ。くらいの軽い気持ちでやって来たんだから、これを見つけた時はホンットに嬉しかった……」

 山本は昔を思い出すように目を細めながら語った。

「勇気があるのね。徹さんって、でも、耕平さんに出逢えなかったらどうするつもりだったの…」

「さあ、どうしたかなぁ…、その時はそんなこと考えても見なかったから、いまとなっては遠い昔のような気もするし、わからねえな…。もう。どれ、そろそろ行ってみるか」

 ふたりは、またゆっくりと歩きだした。

「いいわね。ここ、まるで時間が止まっているみたい」

「そうだろう。ここにいると、時間何かまるっきり関係ないような気になるだろう」

「そうね。あたしたちの生活そのものが時間に追われて、時間に支配されて生きていみたいだもの、ホントに生き返ったようだわ。とっても素敵だわ」

 しばらく歩いて行くと山本が立ち止まった。

「どうしたの、徹さん」

「ん、そこに墓があるんだ…。墓と云ったって、ただ石を積んであるだけなんたけどな」

「ふーん、誰の墓なの…」

「いや、ちょっと知っている女の娘なんだ。人喰い熊に襲われて死んだんだ」

「そう…、可哀そうに…」

 山本は跪くと両手を合わせた。奈津実も傍らに跪いて手を合わせた。

『カイラ、また来たよ。お前にはわからないだろうけど、これはオレのカミさんだよ。よろしくな…。もう、ここにも来れないかも知れないけど、安らかに眠っておくれ……』

 墓参りを済ませると、またふたりは歩き出した。辺りには相変わらず涼やかな風が吹き渡り、見るからに初夏を思わせる太陽が優しい光を投げかけていた。

「もうすぐだ。もう少し行くと林が見えてくるから、耕助の家は林を抜けるとすぐだ。もう少しだから頑張れ。奈津実」

「なに云ってるのよ。バカにしないで、なにさ。こんな草っ原ぐらい。フンだ」

「おい、おい、そんなにムクレルことはないだろう。ほら、見えてきた。あの林を抜けるとすぐだ」

 耕平の家の傍までやって来ると、女たちが数人で何かを干しているのが見えてきた。

「なにしてるのかしら、あのひとたち…」

「冬の食料用に駆ってきた獲物の干物を作ってんだろう。あ、いた。ほら、あの娘が耕平のカミさんのウイラだよ。おーい、ウイラ―。元気かーい」

山本が高々と手をふると、ウイラも作業をそっちのけで駆け寄ってきた。

「トオル、またきたね。いまはコウヘイもいるよ。ライラいないけど、呼んでくるか」

「ライラは後でいいよ。ウイラ紹介するよ。これはオレのヨメさん。ナツミ、よろしくな」

「奈津実よ。よろしくね」

「コウヘイ、トオルきたよ。はやく出て」

 ウイラガ声をかけると中かから耕平が顔を出した。耕平とウイラの住んでいる家も、山本と邑人たちの手によって造られた、ログハウス風のガッチリとしたたてものだった。

「お、山本か、まだ来たのか。おや、きょうは奈津実さんも一緒かい。どうしたんだい。一体」

「ん、実はお前に話があってきたんだ…。後でいいから、ちょっと付き合ってくれないか」

「まあ、とにかく中に入ってくれ」

 奈津実も中に入った。初めて見る縄文時代の建物だった。そして囲炉裏を見つけると奈津実は歓喜の声を上げた。

「うわぁ、囲炉裏だわ。あたし囲炉裏って大好きなの。いいわねぇ、囲炉裏って…」

「これもオレが造ったんだぞ。オレの住んでたところにもあるから、後で行ってみるか」

 ウイラがトックリ型の壺と、イノシシの干物を焼いた肉の入った器を持ってきた。

「さあ、トオル飲んで、ナツミもこれ食べて」

「うわぁ、美味しそう、いただきます」

 奈津実は腹が空いていたのか、さっそく一切れを手に取ると頬張った。

「うわ、美味しい。塩味が効いててとても美味しいわ。あれ、でもこの時代の塩ってどうしたのかしから。徹さん判る…」

「バカだな。お前も、塩は海辺に住んでる人が持って来て物々交換すんだよ。そんなことも知らないのか。勉強不足だぞ」

「だってぇ、縄文時代なんて来たの初めてなんだもん、仕方ないでしょう。そんなこと知らなくったって、しょうがないじゃない。なにさ」

「まあ、そう内輪もめしないで呑めよ。山本」

 耕平が壺に入った酒を注いでやった。

「どうだ。この酒、オレが試行錯誤しながら散々苦労して造った日本酒だ。味にはちょっと自信があるんだが……」

「ん、旨いな、これは。これをいまの日本の店頭で買ったら三千円、いや五千円はくだらないんじゃないかなぁ」

「そうか。それは良かった。実はオレもよく出来たほうだと思っるんだ。良かったら、どんどん呑め。まだまだいっぱいあるから」

「そうだ。奈津実、お前は向こうで少しウイラと話でもしてきたらいいよ。ウイラはけっこう日本語もうまくなったし、簡単な言葉なら充分通じるはずだからそうしろ。女は女同士ってこともあるだろう。どうせ、お前は酒は呑めないんだから」

「そうね。じゃぁ、外にでも行ってみましょうか。ウイラ」

 奈津実に言われて、ウイラもニッコリと微笑んで外に出て行った。

「奈津美さんも相変わらず元気そうじゃないか。ところで、さっきオレに話があるって云ってたけど、一体何なんだよ。山本。それで奈津美さんを離したんだろう」

「ん…、実はな。お前は知らないかもしれないけど、吉備野博士に頼んでお前のおふくろさんの付き添いっていうか、介護も含めてアンドロイドの志乃っていうのを借りたんだ。オレたちだけではなかなか手が回らないからな。それで、よくなったって聞いたから昨日奈津実とふたりで行ってきたんだ」

「………」

「小母さんもすっかり元気になっていたんで、オレたちも安心したんだけどな。いろいろ話をしていてもお前のことは話の端にも出てこなかったんだぞ。どうゆうことなんだよ。お前は一緒に吉備野博士のところまでついて行ったんだろう。なのにどうして意識が回復するまでいて、ひと目だけでも顔を見せてやれなかったんだよ。云ってみろよ。耕平、お前の返答次第でオレはホントにお前をぶん殴ってやるからな。そのつもりて答えろ。耕平」

 酔いの勢いもあって、山本は物凄い見幕で怒鳴り散らした。

「そう云われるとオレもつらいんだよ。わかるか。山本、お前にオレの気持ちが、オレはいまでも後悔してるんだぞ。あの時一九八九年にさえ行かなかったら、こんなことにはならなかったはずなんだ。だから、いままでずっと後悔して苦しんで来たんだ。それも娘時代のおふくろと、たった一度の過ちで関係を持ったばかりに、オレが生まれてきたんだぞ。そんなオレがどうやって、どんな面を下げたらおふくろに顔を合わせられるっていうだよ。お前なんかに分かるもんか……」

 耕平も酒のせいか、いままで思い苦しんでいたことを一気に吐いた。

「わかったよ。悪かった、謝るよ。ごめん…」

 それからふたりはしばらくの間、無言で酒を飲み交わした。酒を飲みながら山本はふと思い出した。

「そうだ。耕平、オレがここに来たのは、お前に謝らなければいけなかったからなんだ。絶交だなんてひどいこと云っちゃっただろう。後から奈津実にも云われて、オレも反省したんだ。本当にごめん。許してくれ」

「何だ。お前、あんなことまだ気にしてたのか。オレがあの時ああ云ったのは、このままお前がこんなところまで来てオレなんかと付き合っていたら、いろいろ変なことに巻き込まれたら大変だから、ああいう風に云ったんだ。それを何云ってんだ。お前は」

「そうか…。オレ勘違いしてた。ホントにごめん」

 耕平の言葉を例え勘違いにせよ、一時は絶交まで口にした自分が山本はひどく恥ずかしく感じていた。

「まあ、いいや。分かってさえくれたら」

「あ、それから、ひとつお前に頼みがあるんだけどさ……」

「あのさ…、あのな…、何ていうか。そのー」

「だから、何なんだよ。早く云えよ。お前らしくねえぞ」

 なかなか云い出さない山本に、珍しくイライラしながら耕平が聞いた。

「あのな。ライラのことなんだけど…、オレの娘だってこと奈津実には黙っていてほしいんだ。頼むよ。耕平」

「何だ。そんなことか。やっばり縄文時代でも奈津美さんに知られるとまずいのか」

「当たり前だろう。な、頼むよ、耕助。この通りだ」

 山本は神妙な顔で耕平に頭を下げた。

「わかったよ。だけど、ウイラのほうはオレは知らねえぞ。アイツはそんなこと分からないんだからな」

 その時、誰かが近づいてくる気配がした。

「いま帰ったよ。コウヘイ」

 ウイラたちが帰ってきたようだった。

「ライラも一緒たよ。トオル」

次の瞬間、山本は自分の顔から血の気が引いて行くのを感じた。奈津実のほうを見ると、

山本を無言の眼差しを持って睨みつけているのがわかった。

「ほら、おとうたよ。ライラ、おとうたよ」

  ウイラがライラを山本のところへ連れてきた。すると、耕平がウイラに言った。

「ライラを向こうに連れて行けよ。いま山本と大事な話しをしているんたから。山本、早く奈津実さんのところに行ってやれ」

耕平に言われて山本は慌てたように、奈津実のほうへ駆け出して行った。


      二


 山本が近寄ると、奈津実は踵を返すように後ろを向き、山本に背中を見せてしまった。

「奈津実、お前……」

 山本は声をかけたが、その後が続かなかった。こんな時、何んと言えばいいのか言葉に窮していた。

「お前…、聞いてしまったのか。ライラのこと……」

 奈津実は後ろ姿のままコクリと頷いた。後ろ姿がとても寂しそうだった。

 山本は奈津実の後ろ姿を抱きしめた。力いっぱい、ひたすら抱きしめると、奈津実はかすかに震えていた。山本はさらに力を込めて抱きしめた。

 しばらくすると山本は腕をゆるめて、奈津実の身体を回して前を向かせた。顔を見ると瞳には涙がいっぱい浮かんでいて、ひと筋の涙がしたたり落ちた。

 山本は奈津実を促すと、山本自身が以前住んでいたログハウス風の小屋に向かった。部屋の中はこざっぱりと片付けられていた。山本は囲炉裏に火を入れると、ふたりて腰を下ろした。

「ごめん。奈津実、オレは決してお前のことを騙すつもりはなかったんだ。これだけは信じてくれ。ただ話す機会がなかっただけなんだから、わざと隠していたわけじゃないんだよ。ホントだよ」

 奈津実はしばらく黙ったまま、何かを考えているようだった。

「徹さん…。あたし、そんなこと全然気にしてなんかいないわ。ただ、ちょっとだけ徹さんを困らせて見たかっただけなの。ウフフ」

「何だ。コイツ、脅かしやがって、オレはてっきり怒っているものだとばかり思ったじゃないか。でも、お前ってすこし変だよな。普通の人なら、自分の夫が他所に子供を作ったりしたら即離婚騒ぎになるだろうが、それをお前はわりと涼しい顔をしてるんだから、まったく変わった女だよな。お前は…」

「だって、ここは縄文時代でしょう。あたしたちはいまここにいるけど、本来ならばすでに過ぎ去った過去の時代だよね。そんな過去の時代の人を嫉妬したって始まらないでしょう。そうは思わない、徹さん」

「お前にそう云われたら、オレは何も云えないよ」

「ねえ、徹さん。あのライラって娘の生まれた経緯ってのを聞かせて、あの娘を産んだ人はまだここにいるの。いるんだったら逢って見たいな。あたし」

山本はふっと顔を曇らせるように言った。

「ライラを産んだ娘はカイラと云って、ウイラの姉だったんだ…」

「だったってことは、もういないの…」

「ん、仲間の娘たちと山に行ってて熊に襲われて死んだよ。さっきここに来る途中に墓があっただろう。あの下で眠っているんだ……」

「そう、可哀そうに……」

「カイラは縄文土器作りの名人だったんだ。オレはまだ縄文時代に来たばかりの頃で、せっかく縄文時代に来たんだから、土器でも作ってやろうと思って耕平に相談してみたんだ。そしたらカイラは土器作りの名人だから、教えてもらうといいって紹介されたのがきっかけだった。彼女はくる日もくる日もオレのテントに通ってきて熱心に教えてくれたんだ」

「ふーん。それでお互いに好意を持ったのね。わかるわ…」

「おい、誤解するなよ。オレにはれっきとしたお前という妻がいたんだから、毎日素知らぬ素振りをして土器作りに専念していたんだ」

「ふーん、それからどうしたの…」

「そう、あれは雨降る夜だったなぁ…。オレが寝ようとしていると、外のほうで誰か人のいる気配がしたんだ。誰だろうと思って入口の隙間から覗いてみると、確かに誰かがそこに立っているのか見えたんだ。

 目を凝らしてよく見ると、雨の中でずぶ濡れになって泣いているカイラがいたんだ。オレは急いでテントの中に入れてやって話を聞いてみることしたんだが、彼女は泣いているばかりでひと言も喋らなかった。なだめたり慰めたりしてようやく話し始めたんだ。

 その話によると、『ウイラにはコウヘイがいる…、だけど、わたしには誰もいない…、だから寂しい…』って泣きだすんだぞ。しかも泣きながら、オレに抱きついて来るんだ。これにはホントウに参ってしまったよ。男っていうのは女に泣かれるのが一番弱いんだから、ホントだぞ」

「ふーん、それで寝たのね。徹さん」

「だけど、あの時はああするより仕方なかっだからな。それだけは分かってくれよな」

「いちいち、いやらしいわね。徹さんも、あたしは何も誤解なんてしてないって云ってるでしょう。それなのに何なのよ。ホントに」

「そうか、それは悪かった。謝るよ」

「それで、それからどうしたの」

「ん、しばらくしてからだから、一ヶ月後か二ヶ月後くらいだったかなぁ、ある日の朝ウイラがやって来てニコニコしながらオレに云うんだ。

『カイラ子供出来たよ。トオルの子たよ。よかったよ』

 これを聞いた時、オレは愕然としたというか、頭ん中の血が逆流するのを感じたんだ。奈津実にさえできないのに、何の因果で縄文時代くんだりまで来て、子供を作らなきゃいけないんだと思うと、無性に腹が立って腹が立って仕方がなかったんだ。それでも子供ができた以上は責任があるから、生まれるのを見定めるまでいろって耕平に云われたから、結局ライラが生まれるまで残ることになったんだ。そしたら、ライラが生まれて間もなく山菜採りに行ってたカイラが熊に襲われて死んでしまったんだ。オレは埋葬を済ませてから、耕平とウイラがライラをコウスケと一緒に育ててやるっていうから、オレはひとりで二十一世紀に帰ってきたというわけなんだ」

「ねえ、それって何年前の話なの。あたしって、そんな記憶があまりないんだけど…」

「うーん…、四・五年になるのかな。オレもあまり記憶にないんだよなぁ…。向こうには一年とちょっといたんだけど、こっちに戻る時はちゃんと出発した時間に合わせて帰ってきたから、そんなに時間的には誤差はないと思うよ」

「うん。でも、ずいぶん参考になったし、勉強にもなったわ。ありがとう。徹さん」

「よし、これで大体ここに来た目的は済んだかな。やり残したこともないし忘れていることもないから、耕平に挨拶してそろそろ帰ろううか。奈津実」

「そうね、そうしましょうか。ドッコイショ」

「おい、おい、奈津実。そんな、ばあさん臭いこと云うなよ。みっともないから…」

「あら、ごめんあそばせ、ほほほほ」

 それからふたりは、耕平とウイラに別れを告げると二十一世紀へと戻って行った。


 現代に戻ってから一週間ほどが経った。

 山本は会社に通う傍ら、家にいる時は時間が許す限り小説の制作に励んでいた。

 それでも縄文時代から帰ってから、妻の奈津実の態度がなんとなく変であることに気づいていた。どこがどうおかしいのかと言われれば、山本にも具体的にはわからなかったが、とにかくいつもの活発さか見られず、どことなく落ち込んでいるのだった。

 山本も気にはなっていたので、それとなく聞いてみることにしたが、どう切りだせばいいのかわからず一計を講じた。その日は土曜日で、山本にもこれと云った予定もなかった。

「おーい、奈津実ちょっと来てくれないか」

「なぁに、徹さん、なにかご用…」

 奈津実が入ってきた。

「きょうは土曜日だし、たまには外に出て飯でも喰わないか」

 いつもの奈津実なら即座に賛成するのだが、きょうの奈津実は少し考えてからこう答えた。

「あたし、きょうはいいわ。もったいないから…」

「何が勿体ないんだ。たまにふたりで食事しに行くんじゃないか。勿体ないことなんてあるもんか」

「だってぇ、少しづつでも節約してお金を残しておかないと、老後の生活が心配なのよ。だから、きょうはよすわ」

「ろ、老後…、老後っつったって、まだ三十年以上もあるじゃないか。お前、そんなことを考えてたのか…」

「だって、あたしたちには子供もいないし、いったい誰が面倒見てくれるって云うのよ。だから、いまからでも少しづつお金を残しておかないといけないでしょう」

 奈津実の言葉に山本は二の句が継げられなかった。奈津実がこんなにも将来のことを考えているとは、山本自身思いも及ばなかったことだった。やはり奈津実は子供ができないことで、悩んでいたのに違いなかった。そんな奈津実を山本は急に愛おしくなっていた。

「奈津美…、お前…、子供が欲しいのか…」

「え、どうしたの。急に…」

「いや、子供がいなくて寂しいから、そんなことを云ってるのかなと思ったから…、気に障ったら、ごめん」

「なに云ってるの、徹さん。そんなこと気にしてないわよ。何度も云うようだけど、あたしは徹さんさえいれば幸せなんだから、それでいいでしょう」

「ん…、でも、ホントに欲しくないのか。子供…」

「そりゃあ、欲しいわよ。あたしだって女ですもの。でも、いいんだ。そのうち何とかなるわよ。元気出してよ。

でも、あたし嬉しいんだ。徹さんは縄文時代に行ってカイラって娘に子供ができたんでしょう。そしたら、あたしにだって絶対できるわ。そう信じてるの。だから、もういいのよ」

「そうか、それならいいや。こうなったら、やっぱり飯食いに行こうか。とびきり豪華なヤツをよ」

「よし、行きましょうか」

 まだ夕食時には間があったが、ふたりはいそいそと出かけて行った。こうして二人そろって出かけるのも久しぶりだった。

「まだ飯には早いから、本屋でも覘いてみるかな」

「じゃあ、あたしはいまのうちに明日の買い物でもしてくるわ。どこにも行かないで待っててよ」

 奈津実と別れて山本は一軒の本屋に立ち寄った。二・三冊の本と雑誌を買って、立ち読みをしながら待っていると、奈津実も買い物を済ませて戻ってきた。それから、ふたりでレストハウスで少し早めの夕食を済ませてから、映画館でロードショーを観て帰宅したのは、時計の針が二十二時を少し回った頃だった。


      三


 次の日の朝、山本は起き出して居間にいくと、奈津実が七十年代に流行ったという、小林啓子の『比叡おろし』を口ずさみながら朝食の支度をしていた。

♪……遠い夜の街ーを、超えーて来たそーなー、うちは比叡おろしですねん。あんさんの胸を雪に…♪

「お、今朝は大分ご機嫌じゃないか。どうしたんだ…」

「あ、おはよう、徹さん。昨日はごめんなさい。でも、もういいの、お蔭ですっかりふっ切れたから…、どうもありがとう」

「バカ、何云ってんだ。オレたちは夫婦なんだから当たり前じゃないか。そんなこと、どうだっていいじゃないか。もう…」

「でも、あたし嬉しかったんだ。徹さんがあたしのことをあんなにも心配してくれていたんだもの。とても嬉しかったのよ。さすがはあたしが見込んだ人だけあるわ」

「だから、もういいよ。そんな話しは…」

「はい、はい。それじゃ、ご飯にしましょうか」

 面と向かって奈津実に言われてみると、何となく気恥ずかしい思いのする山本だった。それでも、奈津実がもとのように、活発で明るい性格を取り戻してくれたことが嬉しかった。食事を済ませて新聞を読みながら時間を過ごすと、山本は自分の書斎に戻ってパソコンを立ち上げた。小説の続きを書こうとしていると、誰かが自分を呼ぶ声がした。窓を開けてみると、そこには耕助が立っていた。

「どうしたんだよ。お前…、また何かあったのか……」

「うん、実は困ったことになってるんだ。ちょっと出れないか、山本」

「すぐ行くから待ってろ」

 山本は慌ててサンダルを引っかけると、外に出て行った。

「一体何があったんだ。耕助」

「それか、何がなんだか、オレにもさっぱりわからなくて困ってるんだ…」

「どういうことなんだ。ここじゃ、何だから中に入って詳しく聞こう。来いよ」

「あ、でもいいのかい。奈津美さんにオレのこと知られても…」

「ああ、何もかも全部話してあるから心配するな。さあ、行こう」

 山本が耕助を連れて中に入って行くと、台所から奈津実が出てきた。

「あら、耕平さんいらっしゃい、小母さんすっすり良くなってよかったわね」

「いや、違うんだ。奈津実、コイツは耕平じゃなくて耕助って云うんだ。ほら、話したろう。違う次元の佐々木耕助だよ」

「へえ、ほんとう、嘘みたいねぇ…。どう見たって耕平さんだわ。どうぞ、ごゆっくり。いま何か飲み物でも持ってくるわ」

「オレの部屋で話そう。来いよ」

 山本は自分の部屋まで連れて行くと、耕助を中へ招き入れた。

「さてと、何があったんだ。一体…」

「うん、それなんだけどさ。どうも、このマシンの調子がおかしいみたいなんた。オレが何もしていないのに、いきなりこっちの世界にやってきたり、そうかと思うと、また全然違う時代に飛んでみたりで一定してないんだ。

 それで、元いた世界に帰ろうとしたんたけど、まったくマシンか反応しないんで困っていたんだ。どうしたらいいと思う。山本は…」

「うーむ…、初めてそんなことが起こったのはいつ頃なんだ…」

「んーんと…、あれは確か、お前たちが花見をやってた時だったな。だけど、耕平のおふくろさんがいたんで、オレはすぐその場を立ち去ったんだが、その後でまた別の時代に飛ばされたんだ」

「そうか。それで分かったぞ。やっぱり、あの時おばさんか見かけたというのは耕助だったんだ。オレもあの後追っかけて捜し回ったんだが見つけられなかった。それもそのはずだよな。その時は、もうお前はあそこにいなかったんだから。

 だけと、オレのほうではなにもかわったことはおきないし、うーむ、これはもしかしたら、お前のマシンについている次元転移装置に問題があるのかも知れないぞ。耕助」

「だけどよ。山本、タイムマシンがかってに動きだすなんてこと考えられるかなぁ」

「うーん、それはオレにも何とも言えないが、これはひとつ調べてみる必要がありそうだ。お前のマシンを貸してくれ。オレがどこか別の時代に行ってみるから。えーと、いま何時だ…。九時十分か、よしと」

 耕助からマシンを受け取ると、適当な年代にメモリーを合わせると、スタートボタンを押したが周りに何の変化も起こらなかった。

「こりゃあ、ダメだな。どうする。耕助」

「どうするって云われても、オレにも解らないからお前のところに来たんじゃないか。もう吉備野博士に相談するしかないんじゃないのか」

「吉備野博士か…、いつもあの人にばかり迷惑かけて心苦しいんだけど、オレたちだけではどうすることもできないんだから、仕方がないな……」

 山本は意を決したように、吉備野博士への連絡用ボタンを押した。すると、たちまち空間の一部が揺らいで吉備野の姿が実体化してきた。

「おや、これは佐々木耕助さんもお揃いで、ご機嫌よろしゅうに。今回はどのようなご用ですかな」

「博士、いつもこんな時ばかりお呼び立ていたしまして申し訳ありません。実は耕助のマシンに不具合があるようなので、ぜひご意見を伺いたいと来ていただいたのですが…」

「ほう、それはどのようなことですかな」

 吉備野はそこに腰を据えると、ふたりの顔を交互に見据えた。

「オレから話すか、お前が話すか。どうする」

 山本が耕助に意見を求めた。

「いいよ。山本が話してくれよ」

「じゃあ、オレから話します。もし、間違っていたら訂正してくれ。

実はですね、博士。耕助が何もしないのにマシンが勝手に作動して、こっちの世界にやって来たらしいんですよ。しかもですよ、一定の場所に特定しないで、次々と時代を飛び越してしまうって云うんですよ。さっきオレもやって見たんですけど、微動だにしませんでした。これはオレの考えなんですが、もしかすると次元転移装置が、マシンに何らかの悪影響を及ぼしてるんじゃないかと思うんですが、実際のところはどうなんでしょうか。博士」

「なるほど、詳しいことは調べてみない解りませんが、あれを初めて使用した時点において、まだ試作品の段階でもありましたので、どこかに不完全な部分があったのかも知れませんな。よろしい、わたくしの研究所に戻って徹底的に調べてみましょう。

佐々木耕助さん、ご同行いただけますかな。山本さんもよろしかったら、ご一緒にいかがですかな」

「え、オレもですか…。はい、わかりました」

 吉備野がコントローラーを操作すると、三人の姿はかき消すように山本の部屋から見えなくなっていた。

 三人がいなくなった後に、奈津実がコーヒーを持って入ってきた。

「あら、いないわ。またどこかに行ったのね。まったく忙しい人たちなんだから。もう…」

 その頃、吉備野の研究室にきた山本と耕助は、係員に案内されて別室で待たされていた。しばらく待っていると、助手の女の娘が飲み物を運んできた。

「先生は間もなく見えられると思いますので、いましばらくお待ちくださいませ」

 そう言い残して女の娘は立ち去って行った。

「へえ、あの娘はちゃんとした日本語を話せるんだ…」

「え、他の人は話せないのかい」

「ああ、オレが最初にここに来た時は、何んともへんてここんな日本語を話す娘がいたんだ。もっとも、この時代の言語というがオレたちの使っている日本語とは、まったく違うものらしいんだけどな」

 ふたりが飲み物を飲みながら話していると、また先ほどの助手の女の子がやって来た。

「先生が間もなく見えられますので、もうしばらくお待ちください」

 彼女はが戻ると入れ違いに別の足音が響いてきて、吉備野入口が音もなく開いて博士が入ってきた。

「いや、おふたりともご苦労さまでしたな。長らくお待たせいたしました。

 ようやく原因が判明しましたぞ。やはり山本さんのご指摘通り、あの時点で使用した次元転移装置が不完全な物だった思われます。従いまして今回は超小型カプセルに隔離固定しましたので、誤作動お呼び自動発進などは、完全に防げるものと確認いたしました。ですので、これからは安心してご使用いただけます。これでよろしいですかな、佐々木さんそれから、山本さんのほうにもお付けしましたので、どうぞ良しなに」

「え、オレのにもですか…、博士」

「はい、ですので、安心して使用してください。それではお送りいたし増しよう。どうぞ、こちらへ」

 こうして、山本と耕助は吉備野の助手のに送られて、二十一世紀の日本へと帰ってきた。

 部屋の片づけをしていたところに、急に山本と耕助が現われたので奈津実は驚いたらしかった。

「うわ、びっくりした…。あなたたちどこへ行ってたのよ。いったい…」

「耕助のマシンが誤作動を起こして、とんでもない時代に行っちまうっていうから、吉備野博士のところに直してもらいに行ってたんだ」

「ふーん、そうだったの…。あたしは、またふたりして良からぬことでもやってんじゃないかと思ってたの」

「何だ、何だ。その良からぬことって、聞き捨てならないことを云うじゃないか。おい、奈津実」

「ううん、何でもないわ。気にしないで」

「いや、気になるよ。一体何なんだよ。云ってみろよ」

「だから、何でもないって云ってるでしょう。しつっこいわね。あなたも」

「しつこいとは何だよ」

「おい、おい、止めろよ。ふたりとも、みっともないぞ」

山本と奈津実の言い合いを、見るに見かねて耕助が止めに入った。

「さて、そろそろオレは行ってみるぞ。山本と奈津実さんも元気でな」

「何だ。もう帰るのか、今晩くらいゆっくり泊まって行けよ。話もしたいし」

「そうよ。あたしも耕助さんとはあまり話もしたことないし、あたしも聞きたいわ。耕助さんのお話」

「うん…、でもいいのかな…。ふたりの邪魔をしても…」

「何云ってんだよ。そんなことで遠慮するなんてガラでもないぞ」

「そうよ、そうしなさいよ。あたし腕に寄りをかけて料理作っちゃうから」

「そうかい…。それじゃ、遠慮しないで止めてもらうかな」

「よし、決まりだな。泊ってけ、泊ってけ」

「じゃあ、あたしはこれから急いで買い出しに行ってくるから、ふたりで待っててね」

 こうして奈津実はスーパーに買い物に出かけて行き、両手いっぱいの買い物袋を持って帰ってきて、耕助のために精一杯のご馳走を作り始めたのだった。


      四


 いつもなら子供もいない山本家の生活は、ひっそりとした極めて静かなものだったが、この日の晩餐は耕助が泊ったことによって、非常に賑やかなものになっていた。食事も済んで、後片付けを終えた奈津実も加わり、話も大いに盛り上がっていた。

「しかし、何だよな、耕助。お前は耕平と名前こそ一字は違っているものの、性格とか過去の記憶とか寸分の違いもないんだから、ホントに不思議なんだよな。

 まして、パラレルワールドなんていうは、SF小説の中だけの話かと思っていたら、実際にこの目で確かめたんだから、紛れもない事実なんだよなぁ。これが……」

「だから、この世界というか宇宙には、オレたちの知らない理解の出ないことって、まだまだいっぱいあるんじゃないかと思ってるんだ」

「パラレルワールドっていうのは、その世界のひとつひとつの中でも、何かが少しづつ違っているって云うが、人の名前とか歴史なんかもそうなんじゃないのかなぁ…。そうだ、お前のおふくろさんの名前も佐々木亜紀子って云ってたよな。とんな字を書くんだ。ちょっと書いてみてくれよ」

「うん、わかった。こう書くんだ。佐々木亜希子」

耕助は手帳を出すと母親の名を書いて山本に渡した。

「やっぱり、思ったとおりだ。一文字違ってる。見てみろ、奈津実」

「ホントだ…。あたしは奈津実って書くんだけど、向こうのあたしはどんな字を書くのかしらね……」

「オレのほうの奈津美さんは、奈津に美しいって書くんです」

 奈津実が寄こした手帳に、また書きなして奈津実に手渡した。

「ほんとだわ。でも、徹さんは変わらないんでしょう」

「徹するっていう字だから変わんないです」

 三人はしばらく考え込んでしまった。

「そうだ。思い出した、お前が一緒に連れて帰ったパティはどうしてるんだ」

「え、なぁに、そのパティってのは…」

「ほら、耕平の小母さんの介護を頼んだ、アンドロイドの志乃と同じヤツさ」

「ああ、パティならおふくろも気に入って、まるで自分の娘みたいに可愛がっているよ」

「そうか、それは良かった。でも、あの娘は外人仕立てでグラマーだし、セクシーだからオレなんて初めて見た時は、思わずゾクっと来たくらいなんだぞ。あ…、いけねぇ…」

「まあ、徹さんたら、まったくいやらしいんだから、知らない。もう」

 奈津実は怒ったようなそぶりを見せ、そっぽを向いてしまった。

「それはそれとして、彼女の内部にも確かタイムマシンが組み込まれていたよな。ちょっと呼んでみないか。奈津美にも見せてやりたいから」

「オレはいいけど、いいのかい…。奈津実さん」

「いいわよ。あたしのことなんて気にしなくても、あたしも逢って見たいから、ぜひ呼んでちょうだいよ」

「じゃあ、呼んでみるか…」

 耕助はパティ呼び出しように設定してあるボタンを押した。二・三秒経つか経たないうちに、山本家の居間の空間が揺らいで、アンドロイド『MRTⅦパトリシア』の姿が現われた。

「何かご用でしょうか。耕助さま」

「こっちの山本の奥さんがお前に逢いたいっていうから来てもらったんだ、まあ、そこに座りなよ」

「そうでしたか、では、失礼いたします。わたくしMRTⅦパトリシアと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 パティは座りながら、深々と奈津実に頭を下げた。

「まあ、ずいぶん礼儀正しいのね。あたし奈津実って云うの、よろしくね」

「どうだい。奈津実、素晴らしいプロポーションだろう。驚いたか」

「そうね。女のあたしから見ても、どこにも欠点なんて見られないし、完璧な身体をしてるわ。羨ましいくらいだわ…」

 奈津実がため息交じりに言った。

「そうだ。どうだろう、パティにここで着ているものを脱いでもらって、生のままの身体を見せてもらえないかな。どうだい、耕助…」

「いやだぁ、徹さん。何を云い出すのよ。いやらしい…」

 奈津実は不快感を顕わにして叫んだ。耕助もあまり気乗りがしない様子だったが、パティに聞いてみた。

「どうだい、パティ。山本はああ云ってるんだけど、お前の身体を見せてやってくれるかい…」

「かまいませんわ。少し恥ずかしいのですけど、構いませんわ。どうぞ、ご覧になってください」

 パティは立ち上がると着衣を次々と脱ぎ始めた。山本は内心で少しばかり驚いていた。アンドロイドは人造人間だから、羞恥心など持ち合わせているなどとは、思っても見なかったからだった。パティは衣服をすっかり脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ体になっていた。

「まあ、素晴らしい身体をしてるわ。あたしが見てもうっとりするくらいだわ。ほんとうにこの人、アンドロイドなの、徹さん。あたし信じられないわ…」

「ああ、そうだよ。もういいから、服を着ていいぞ。パティ」

「はい、かしこまりました。徹さん」

 パティは恥じらうようにして、素早い手つきで衣服をつけ始めて行った。

 すると、山本は何を思ったのか、急に立ち上がって耕助に言った。

「ちょっと聞きたいことがあるんだ。オレの部屋まで来てくれないか、耕助。あ、それから、奈津実、すぐ戻るからパティのこと頼んだぞ。行こう、耕助」

「ん、何だい。いきなり…」

 ふたりは揃って山本の書斎に向かった。

「何だい。聞きたいことって云うのは…」

部屋に入るなり耕助が聞いた。

「ん、さっきは奈津実もいたから聞かなかったけど、パティはアンドロイドだろう。アンドロイドと云ったらロボットと一緒だろうが、それなのに何でっていうか、どうしてあんなに恥ずかしがるっていうか、羞恥心みたいなものがあるんだろうって、不思議で仕方がなかったんだ。あれは一体どうしてなんだ。耕助」

「なぁーんだ。あのことか、あれはオレも最初はパティの行動が、あまりにもメチャクチャだったんで、手を拱いてしまってパティを騙して、吉備野博士のところに連れて行って、プログラムを書き換えてもらったんだ。

それで辛抱強く教え込んだら、どうにか従順でしとやかな性格になったってわけさ。でも、あれって、あくまでも表面的なもんだと思うよ。多分…」

「へえー、なるほどな。そういうこともあるのか、うーむ…。よし、じゃあ、戻ろうか」

 居間に戻ると奈津実とパティが、何やら話をしていた。

「あら、早かったのね。どうせ、またよからぬ相談でもしてたんでしょう」

「バカ、そんなんじゃねえぞ。耕助に聞いてみろよ。なあ」

「あれ、どしてオレに振るんだよ。まったく…」

「さあて、酒でも飲むか。奈津実、何か用意してくれないか」

「あ、奈津実さん。それならパティにも手伝わせてください。この娘は何でもこなしますから便利ですよ」

「はい、わかりました。それでは参りましょう。奈津実さま」

「あら、いやだわ。奈津実さまですって、やめてちょうだいよ。その『さま』っていうのは、そこいら中が痒くなっちゃうわよ。ウフフフ」

 奈津実はパティを連れて台所のほうに入って行った。

「しかし、やっぱりすごいな。吉備野博士は、パティや志乃のようなものまで、何でも作ってしまうんだから……」

「まったくだよ。逆立ちしたって宇宙まで飛びあがったって、オレたちにはとてもじゃないが太刀打ちなんて出来ないよ」

 耕助も山本に同調するようにして深いため息を吐いた。

 そうこうしているうちに、奈津実とパティが酒とつまみを運んできた。

「はい、お待ちどうさま。このおつまみ類はパティちゃんが作ってくれたのよ。しかも手早いし、すっかり助かったわ。どうもありがとう」

「そうですか。それはパティは元々が家事専用のアンドロイドらしかったんですが、その外のことも大概のことは熟してくれますので助かっています」

「そんなことはどうでもいいから、呑もうぜ。パティも呑めるんだったよな。確か…」

「はい、いただきます」

「え、パティちゃんも呑めるの…」

 奈津実は驚いたようにパティと耕助の顔を覗いた。

「ええ、呑めます。食べ物でも飲み物でも何でも食します。彼女体内に入ったものは、すべて化学分解より彼女の動力源に変換されますので、決して無駄にはならないようにできているって云ってました」

「それじゃ、あたしたちとあんまり変わらないのね。驚いたわ。ホントに……」

 耕助の説明にすっかり感心している奈津実だった。

 それからは、そんな話しでもちきりになり、普段はあまり酒の飲めない奈津美迄加わり、山本家の宴会は延々と深夜遅くまで続いて行った。

 そんな中で、まず最初に酔いつぶれたのが奈津実だった。ちゃぶ台に片腕を乗せて、そこにそのまま顔を置くようにして眠り込んでいた。パティは検索センサーが働いたのか、無言で立ち上がると静かに奈津実を抱え起こし、寝室のほうへと運んで行った。

「あんなことまでやってくれるんだな……。

 あ、そうだ、思い出した。オレもいつだったか、志乃がこっちに来たばっかりの頃だったな。志乃が泊っていたホテルで酒を飲んでいて、不覚にもオレは酔いつぶれて眠ってしまったことがあったんだ。

 オレが気がつくと朝になっていて、ベッドの上に寝ていたんで志乃に聞いてみたら、『徹さんが酔われて眠りましたので、わたくしがベッドまでお運びいたしました』って云われて、こんなことまでやってくれるのかと驚いたことがあったんだよ。

すごいよなぁ。確かに……」

「その志乃ってのは、パティの姉妹機だろう。パティから聞いたことがあるよ」

「うん。しかし、オレたちは生まれてくる時代か早すぎたのかも知れないぞ

「え、どうしてだ。いまよりも遅い時代に生まれて、どうするんだよ」

「だってよ。もっと未来の時代に生まれていたら、オレたちだって吉備野博士みたいに、タイムマシンや志乃やパティのようなアンドロイドやなんかを、どんどん造れるじゃないか……。もっともオレの頭じゃ、そこまでついて行けいか…、ハハハハ」

「ん、それはオレも同感だな。ハハハ」

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ寝るとするか」

「ああ、そうしよう。オレは明日の朝になったら、パティと一緒に帰るからさ。いろいろお前にも世話になったな。もう逢うこともないかも知れないけど、奈津実さんと仲良くやってくれ。いろいろありがとうな…。山本」

 そして、次の日の朝、奈津実とともにふたりを見送ると、山本はいつものように会社へと出勤して行った。

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