第三章 ふたりの山本
一
耕助がもうひとりの山本を連れて戻ってきたのは、それから一時間ほど経ってからだった。
「待たせたな、山本。連れて来たぞ。これが、こっちの世界にいるもうひとりのお前だ」
耕助の声に一瞬ドキッとした山本は、ゆっくりとふたりのほうに向き直った。そこに立っていたのは、同じ時間帯に存在していること自体が信じ難い、誰が見ても見紛うこともできない山本徹そのものだった。
「……」
「………」
「どうだ。驚いたろう。俺も初めて耕平に逢った時は、こんなだったよ」
ふたりの山本はしばらく無言のままで対峙していた。やがて、ふたりはどちらからともなく歩み寄って行った。
「こりゃあ、驚いた。どう見たって見間違うはずもない、オレだよな……。どうなっているんだぁ。これは……」
「まったくだ。双子よりも似てんだからな……。最初に考えていたよりも、そう気持ちの悪いものではないし……、うん。やっぱり、オレだよな。これは……、ハッハッハッハ」
「ワァハッハッハッハ」
そう言い合っているうちに、ふたりの山本はどちらかにともなく笑い出していた。ふたりは何がおかしくて笑っているのか、耕助には解からなかったが、それでもふたりが毛嫌いすることもなく、お互いを認め合ってくれたことで、一安心したような思いがしていた。
「しかし、驚いたなぁ…。オレたちは予備知識があったからいいけど、これが何も知らない人間がどこかに行って、出逢い頭にもうひとりの自分に逢ったらどうすんだろうな」
「ホントだな。耕助から聞いた時は、まさかと思ったんだが、こうして逢ってみるとまさしくオレそのものだし、いやぁ、驚いたのなんのって」
「さて、これからどうするかだな。オレたちはお前と違って、そうやすやすと自分の家にも帰れないし、まぁ、山本はこっちの山本と入れ違いで帰ればいいけど、特にオレなんかまずいんだろう。何しろ、こっちでは五年間も行方不明になっている身の上なんだから…。どうしようか…」
耕助が思案しているのを見ていた山本が、
「それだったら、こうしろ。お前も知ってるだろう。耕平が寄こしたと云って未来のオレが持って来てくれた二百五十万のこと、だいぶ使ったんであまり残ってないけど。あれをやるから、お前らふたりはどこかその辺のホテルにでも泊まれよ。いま取って来るから、ここで待っててくれ」
山本は急いで立ち去って行ったが、間もなく戻ってくるとヨレヨレになった紙封筒を耕助に渡した。
「中を見たら、まだ百万ちょいあった。これでホテルに泊まれ。さあ、行こう」
公園通りを抜けて、駅前のホテルに到着すると耕助は一室をキープした。
「さて、これからどうする。山本」
一緒に連れてきたほうの山本に言った。
「どうするって云われてもなぁ、次元が違うと云われても街並みにしろ歩いている人にしろ、みんな一緒だしあんまりピンとこないんだよな。それにこっちのオレだって、それなりにいろいろあるだろうから、これ以上はそんなに迷惑もかけられないと思うんだ。だから、オレはもういいよ。オレもまさか自分がもうひとりいるなんて、考えても見なかったのにこうして逢えたんだから、もういいよ。明日なったら向こうに戻ろう。耕助」
なぜか異次元からやって来た山本は、しんみりとした口調で言った。
「いいのか。それで…」
「ああ……」
「よし、決まった。よーし、じゃあ、今夜はその余った金を使いきるつもりでジャンジャン呑もう」
「ああ、いいな。やろう。やろう」
「オレが飲み物と食い物を適当に見造って頼んでくるわ。耕助は日本酒だったな。オレとそっちの山本はビールとウィスキーでいいな。じゃ、頼んでくる」
山本は内線の置かれた場所に行くと、フロントに連絡を取り酒類とオードブル各種を注文して戻ってきた。
「いまはちょうど空いてる時間帯だから、間もなく持ってくるそうだ」
そうこうしているうちに、ボーイが酒類とオードブル乗せたワゴンを運んできた。
「よし、じゃう、奇遇な巡り会わせで出逢った三人のためにカンパイしよう。耕助、お前カンパイの音頭を取ってくれ」
「ああ、構わないよ。それじゃ、ふたりともグラスに酒を注いでくれ。用意はできたか。それでは、ここに集った三人と縄文時代にいる耕平のために、乾杯だ」
「カンパイ」
「カンパーイ」
耕助はカンパイの音頭を取りながら、万感の想いが心の中を過ぎって行った。ここにいる三人だけが、何者も触れてはならない世界に足を踏み入れてしまったのだ。何も知らない一般の人たちから見れば、想像だにできない事柄のひとつだろうと思った。ましてや、パラレルワールドなどと言ったら、ほとんどSFの世界の話になってしまって、信じる者など誰ひとりとしていないだろう。
「ところで、もうひとりのオレよ……。ああ…、ややこしくっていけねぇな。ええーい、めんどくさいな。いまから山本A・山本Bって呼ぶことにしよう。オレは元々こっちにいたんだから山本徹Aだ。お前は異次元から来たんだから山本徹Bだ。どうだ。これでいいだろう」
「ちょっと待てよ。それじゃあ、まるで漫画家の藤子不二雄みたいじゃねぇか。なんかもう少し違う呼び方はないのかよ」
「何もそう気にすることでもないさ。オレたちだけ分かればいいんだから、これで行こう。決まり」
「山本徹A・山本徹Bか。うん、なかなかいいんじゃないかなぁ。オレはいいと思うけどな。何が気にいらないんだ。お前は…」
耕助がふたりの話に加わってきた。
「確かに、オレの場合は佐々木耕平という、もうひとりの自分がいて名前こそ一文字違うだけで、子供の頃から体験してきた記憶とか、その他諸々のことはすべて一緒だった…。つい四・五年前まではな。
しかし、それもこれからはどんどん変わって行くと思うんだよ。なにしろ、何千年も時空間を隔てた世界で生活してるんだからな。お互いに…、まして向こうにはウイラという妻と、コウスケという息子までいるんだからな。こっちはお前たちと違って未だに独り身のチョンガーだし、とても太刀打ちなんてできっこないだろう」
耕助はそこまで話すと、手にしていたグラスのビールを半分ほどゆっくりと飲み干した。
「そう、そのことだよ。オレは前から気になってたんだが、耕平の息子がコウスケってんだろう。それに、お前の父親も耕平って云ったよな。だけど、耕平には父親がいなかった。だから耕平は、自分の父親の消息を確かめるために一九八九年に行ったのさ。そして耕平自身の意思に反して、まだ娘時代の母親に出逢ってしまったんだ。横丁の角から出てきた母親に、耕平の乗ったチャリがぶつかりそうになって、慌てて避けようとしたんだが転倒してしまった耕平は、腕に軽いすり傷を負ったんで家に連れて行かれて手当てをしてもらったんだそうだ」
山本はいつものクセで、途中でタバコに火をつけながら話を続けた。
「そうこうしているうちに祖父さんが帰ってきて、いろいろ話しをしているうちに一晩泊めてもらうことになって、その晩ふたりで酒を呑みながら話をしているうちに、祖父さんの会社で人手が足りなくて困っている話になリ、しばらくの間会社のほうを手伝ってくれないかと頼み込まれて、耕平も人がいいからふたつ返事で引き受けて、翌日からさっそく祖父さんの会社に通い始めたらしいんだ。それからしばらく経って、祖父さんが会社の失調で三日ばかり北海道に行くことになり、耕平はその間もひとりで会社に通い、自分に与えられた仕事をこなしていたんだ。ところが、二日目の夕方になってその日の仕事を終えた耕平が、佐々木家に帰ろうとして会社を出たところで、自分の母親になるはずの亜希子さんが待っていたというんだ」
そこまで話すとタバコを一腹吸い込み、吸差しのタバコを灰皿の上に置いた。すると、それを見ていた山本Bもおもむろにタバコを取り出して火をつけた。つかの間の沈黙の後、また山本は話を続けた。
「それから間もなく、亜紀子さんに誘われて一軒の居酒屋に行って、ふたりでビールを呑み始めたんだそうだ。呑んでいるうちに亜希子さんの友だちを呼び出して、おおいに盛り上がって行ってたんだが、もともと酒がそれほど強くない彼女は、徐々に呂律が回らなくなくなって来て、仕舞いにはカウンターで寝込んでしまったというんだ……」
山本は、それからの一部始終を事細かに語り、何故佐々木耕平が日本史の中でも最も長い歴史を持つ縄文時代という、はるかに遠い世界に至ったのかを語り終えた。
「と、いうわけで、オレの知っている耕平の話しは、これで全部終わりだ。しかし、耕平の父親がアイツ自身だったってのには、オレもド胆を抜かされたんだが、実際にこんなことが起こり得るなんて考えもいなかったんだから、まさに青天の霹靂だったんだよなぁ。オレには……」
山本徹は、そこまで話すとしばらく黙りこくっていた。そして、なぜかは知らないが自分自身の中でホッとしている部分あることに気づいていた。これまでは人にも告げられずに山本自身の内部に蓄積されてきた、溜まりにたまっていたものを一気に吐き出したのだから、精神的に楽になったような気がしていたのだ。
「ああ、オレは何だかとってもスッキリしたぞ。さあ、呑むぞ。お前らも、どんどん呑んでくれ。さあ、みんなで呑もう。この歴史的な瞬間に乾杯しようぜ」
そう言いながら、山本はふたりのグラスにビールを注ぎ足してやり、一番最後に自分グラスを満たした。
「よし、みんなグラスを持ったか。よし、それでは、乾杯」
「乾杯」
「カンパイ」
乾杯を終えると、山本Bが何やら真面目な口調で話し出した。
「なあ、Aの山本よ。ひとつお前に頼みたいことかあるんだけど、いいかな……」
「何だい。その頼みってのは…」
「うん。実はオレ、今回のパラレルワールドに紛れ込んだことで、少なからず興味を持っちまったみたいなんだ。だから、ここはもう少し気を入れ直して、真面目に研究みたいなことをやってみようかと思ってるんだ。耕助とふたりで来てもいいし、オレだけでもやって来るからさ。そん時はお前にもぜひ協力を頼みたいんだ。頼む。この通り」
「う、オレは構わんけど、協力ったって何をどうすればいいだ。オレは…」
「そうだなぁ、急に聞かれても即座には答えられないけど、まぁ、こうして話をしているうちに何かいい手が浮かぶだろう。とにかく、いまは呑むことに集中しよう。そうしたら、何かしらいい¬方法が浮かぶかも知れないじゃないか。そうしよう」
「まあ、そうしようか。とにかく、オレたちはお互いにとんでもない世界に関わりを持ったせいで、これまでは想像もつかないような経験をしてきたことだけは確かなんだから、そこを踏まえた上で的確に、この問題を掘り下げて考えて行かなくちゃならないと思うんだ…」
耕助がそこまで話すと、いったん言葉を切った。
「しかし、一枚の紙の上に世界があるとして、その上で生活している人には、自分たちが棲んでいる裏側に似たような世界があって、そこでも似たような人間たちがひしめき合って生きていることなんて、誰も気がつかないだけなんだと思うよ。それに、何かの本で読んだことがあるけど、ビッグバンが起こってこの宇宙ができた時に、同時にパラレルワールドもできたとも云われているんだ。ただ圧倒的多数の人が何も知らないで、平穏かつ平静を装って生きているのに過ぎないとも云われている」
「へえー、耕助、お前いつからそんなに詳しくなったんだ」
山本Bが感心したように言った。
「とにかく、ふつうは目に見えるはずもなく、お互いに認識し合うこともできないはずのふたつの世界が、こうして何らかの影響で接触してしまったということは、次元と次元のどこかに歪のようなものが生じているのに違いないと思うんだ」
「うん。オレもその通りだと思うぞ」
ふたりの山本が同時に言ってお互いに顔を見合わせた。
二
それぞれ次元の違う日本から、ここに集った三人は想像もつかない現象に、自分たちで思いつく限りの意見を出し合って話し合ったが、所詮は素人の思いつく考えであって、どれを取っても愚にもつかないことばかりだった。
「しかしだなぁ。確かに、いまいろんな話が出たんだけど、オレたちが時間を飛び越える時ほんの一瞬だけ、あっという間に通り過ぎてしまう空間があるだろう…。あれはどこの時代にもどの次元にも属さない超空間とでもいうべきものだと思うんだ」
何かを思いついたのか、耕助が真面目な顔で話し出した。
「呼び名はどうでもいいとして、オレたちが時空間を飛び越える時、ほんの一瞬間だけ目に見えるか見えないかの僅かの間に擦れ違うのあるだろう。もし、あの空間に少しの間でもいいから留まることってできないのかな…」
「留まる…? あんなところに留まってどうする気なんだよ。耕助」
Aの山本が怪訝そうな顔で耕助に聞いた。
「瞬きするかしないうちに、あっという間に通り過ぎてしまうんだから、あそこがどういうところかも解からないし、もし留まることができれば何かしら調べられるんじゃないのかなと思ったんだが、やっぱり無理かな…」
「無理に決まってんだろう。あんなところ、一体何を調べようとしてるんだ。お前は」
「オレも山本Aと同じで無理だと思うな。大体あそこは時間の吹き溜まりみたいなところで、あの一瞬にして通り過ぎてしまう空間だって、ただの空間とは思えないし空間であって空間じゃないか知れんからな。危険はできるだけ避けたほうがいいと思うな。オレも」
山本がふたりとも反対したので、耕助もその話はそこまでで止めようと思った。
「しかし、お前も変に妙なことを思いつくヤツだよなぁ、ホント。大体、あんなところは本当に空間かどうかもわからないんだ。もしかしたら時空間の一部かも知れないんだ。オレたちはほんの一瞬、0,何秒っていう極々わずかな瞬間にあそこを通り過ぎるだけなんだ。そんな場所に意図的に往く方法も判らないのに、どうやって行く気なんだよ。行けるわけがないだろうが、絶対に無理だ」
と、Aの山本からダメ押しのように言われて、耕助もこれ以上いくら話し合ったところで、どうしようもないことだと悟ったらしかった。
「じゃあ、どうしようか。オレたち。パラレルワールドが存在していることは、現実なんだから、それをただ手を拱いて見ていることしかできないなんて、口惜しいじゃないか。Aの山本とBの山本、それに縄文時代にいる佐々木耕助とオレの存在。ああ、考えているだけで気が変になりそうだ……。どうしたらいいんだ……」
耕助の問いかけに対して、ふたりの山本もお互いに顔を見合わせるだけで、ひと言も答えられなかった。
「でもなぁ、耕平。こればっかりはオレたちにはどうしようもないんだから、仕方がないだろう。それに、例え吉備野博士に相談してみたところで、どうにかなるって問題じゃないぞ。これは」
「それに、こんなところでいつまでも、ダラダラ抜け道も判らないような話をしててもいいのか。オレたちだけで、こんなラチも開かない話をしててもしょうがない。やっぱり、ここは吉備野博士に相談してみるのが一番いい。少なくてもオレたちが考えているよりは、もう少しマシな話しが聞けると思うんだ。なあ、そうしよう」
Bの山本が真剣な顔をして話し出した。
「耕助、お前が最初にそっちの山本のいる世界に紛れ込んだりするから、こんなことになったんだぞ。それがどこからどうやって、そうなっちまったんだかも判らないって云うんじゃ、雲をつかむよりもややこしくなってるだからな。お前、わかっているのか。耕助」
「そんなこと云われたって、オレが気がついてみたら、こっちの世界ではオレは佐々木耕平になっていたし、耕平もすでにそこにはいなかったんだから、ホントに最初に面食らったのはオレなんだぞ。山本」
「その後、すぐオレもそっちの世界に紛れ込んで行ったって云うんだけど、いつの間にそっちとこっちの世界が入れ替わったのか、いつこっちに戻って来たのかオレも全然気がつかなかったんだから、まったく以って摩訶不思議としか云いようがないんだなぁ、これが…」
しかし、いくら三人の男が頭を突き合わせて考えてみたところで、ことパラレルワールドに関して具体的なことは何ひとつ解からず、解明に導くにはほど遠い状況であった。
そうこうしているうちに、今度は耕助のほうがイライラし始めた。
「大体なんなんだよ。お前らはオレがこんなに心配しているのに、オレらは何なんだよ。よく、そんな吞気ことばかり云っていられるな、もし、これが本当に次元と次元の間に綻びのようなものが出来ているのだとしたら、そこから第三・第四・第五のオレやお前たちが現れたらどうするんだよ。オレにだってお前らにだって自分の意思とは関係なく、この現象は現れるんだから、このままにして置いたらとんでもないことになると思うんだ。だから、何とかしてそれを食い止めなくちゃいけないのに、お前らももっと真剣に考えてくれなくちゃ困ると云ってるんだよ。オレは」
「それじゃ、何か、耕助よ。お前はオレたちがふざけてるとでも云いたいのか、冗談じゃないぞ。耕助、それは心外だな。そうは思わないか。山本Bよ」
話を振られたBの山本も即座に応えた。
「山本Aの云うとおりだ。オレたちは同一人だから考えていることは、ほぼ一緒のはずだ。寸分の違いがないかと云われれば、多少の違いはあるかも知れないが、そんなに大差はないと思うが、これでもまだ不服なのか。耕助」
「いや、別にオレは不服だなんて云ってないし、そんなつまらないことで騒いでみたってしょうがないよ。それにこの話はこの辺で終わりにしようぜ。これ以上話したって、どうなるものでもないだろうからな」
「それで、どうすればいいんだ。これから、オレたちは…」
「オレにもわからないよ。どうすればいいのかなんて……」
山本Aの問いかけに耕助もそれだけ答えると、ひとりで何かを考え込むような仕草で、日本酒の入ったグラスを口元に運んで行った。
耕助がグラスを片手に考え事をしている一方、ふたりの山本も何やら話をしているようだったが、そのうちふたりとも耕助同様いつの間にか黙りこくってしまった。
それから十分か二十分経った頃、Bの山本が耕助に話しかけてきた。
「なあ、耕助よ。この問題はあまりにも奥が深過ぎて、オレたちには手も足も出せないんじゃないかってのが、オレたちふたりの統一した意見なんだけどよ。お前はどうするつもりなんだ。これ以上この問題に関わりを持ってたところで、底も見えないような迷宮に入り込むだけなんじゃないのか」
すると、酒もろくに呑まないで何事かを考えていた耕助も、
「分かっているさ。そんなことは、しかしだな。このことを知っているのは、ここにいるオレたち三人と吉備野博士だけなんだぞ。それに何もわからないからって、ただ手をこまねいていたって何も解決しないじゃないか。困難に立ち向かって行く姿勢があったからこそ科学も人類も進歩してきたんじゃないか。過去の人間たちがひとつひとつ努力を積み重ねてきたから、こうやってオレたちが生活していけるんじゃないか。だからオレたちももっと前向きに困難なことであっても、立ち向かって行かなくちゃいけないんじゃないのか。お前らはどう思っているかは知らないけどよ…」
「そんなこと云われてもなぁ、パラレルワールドなんて名前は知っていても、それがどんなものなのかさえ解らないのに、そんな無茶いうなよ」
「大丈夫だよ。オレに考えがあるから、お前らも一緒に来てくれないか」
「一緒に来いったって、どこに行く気なんだよ。耕助。お前まさか…」
ふたりの山本は同時に叫んで、お互いに顔を見合わせた。
「そうだよ。これからオレは、あの次元の間に行こうと思ってるんだ。お前たちがついて来てくれるんなら、オレも心強いや。さあ、行こう」
「ちょ、ちょっと待てよ、耕助。次元の間ったって、あのほんの一瞬通り過ぎるあんな空間にどうやって入り込む気なんだよ。お前気は確かなのかよ」
「だから、オレに任せてくれって云ったろう。大丈夫だよ。それに、もし失敗したところで、まさか死ぬこともないだろうから、そんなに心配するなよ。なんでお前らそんなに
ビビってんだよ。早いほうがいい、明日の朝に決行だ。よし、今日はとにかく呑もう」
それからしばらく三人は酒を飲みながら、パラレルワールドに関して自分たちの思いつく限り、ひとつひとつ取り上げて議論を交わしたが、何ひとつ有力と思われるものに到達できないまま、無情なまでに時間だけが過ぎ去り山本は自宅に帰って行った。残された耕助と山本Bも酒と義論で疲れ果てて、部屋に戻るとすぐにベッドに入った。なかなか寝付かれずに寝返りばかり打っていた。何度目かの寝返りを打って、傍らの山本が寝ているベッドを見てみると、山本はすでに深い寝息を立てて眠っているのが分かった。
『何だ。コイツ、人のことばかり〝お前はどうしてそんなに脳天気なんだ〟なんてこと云ってる割にもう寝ちまってやがる。まったく、こんなに異常な世界に紛れ込んだって云うのに、神経が図太いというか鈍感というか、オレにはまったく理解ができないよ。あ、もうこんな時間か。そろそろ寝ないとヤバイな。よし、今夜のところは寝よう、寝よう』
そして朝が来た。ふたりか食事を済ませてレストランから出てきた時、ちょうどタイムマシンミンクを計ったように山本Aが姿を現した。
「よお、お前ら昨夜は眠れたか。オレなんかは妙に眼が冴えっちまって、あんまり寝てないんだ……」
「へえー、やっぱりな。オレもあんまり眠れなかったんだが、こっちの山本なんて高いびきで寝てるんだから、オレいやんなっちゃったよ」
「え、オレそんなにいびきなんて掻いてたか。そんなの全然分からなかったぞ。ホントかよ。耕助」
「そんなのはどうでもいいからよ。昨夜耕助が話してた異次元空間に潜り込むって話はどうなった」
「どうもしやしないよ。あのままさ。あれからすぐ寝ちまったんだから、しょうがないだろう」
「そうか…。で、どうする。これから……」
「ん、オレ考えたんだけどよ。あそこの近くに神社があるだろう。試すんなら、あそこのほうがいいと思うんだ。あそこなら滅多に人も来ないと思うし、オレたちの姿が消えるところを、誰かに目撃される心配も極めて低いと思ったんだが、どうだろう」
山本はしばらく考えていたが、
「まぁ、仕方がないか。よし、これからすぐ行ってみよう。恵比寿神社だな」
三人はそれからしばらくして、恵比寿神社の境内にやって来ていた。
「ここではやっぱり人目につくといけないから、裏手のほうに行こう」
耕助の提案で神社の裏に回った。裏には生け垣に囲まれていて人目に付く心配はほとんどなかった。
「よし、ここならいいや。それじゃ行くぞ。ふたりともオレの肩に掴まれ。いいか」
「ああ、OKだ。いつでもいいぞ」
耕助は素早い動作で指導ボタンと停止ボタンのスイッチを続けざまに押した。すると、何の衝撃もなく次の瞬間、耕助は不思議な感覚に襲われ、見慣れない空間にいることに気づいた。上下の間隔もなく自分が立っているのか横になっているのかさえ解らなかった。周りを見渡すと何もないだだ広い空間が延々と続いている。その空間のところどころが伸びたり縮んだりしているのが見えていた。
三
そこはまったく不思議という言葉が、ピッタリと当てはまる空間だった。
「何だ。ここは……」
と、叫んだつもりだったが、音声にはならなかった。すると次の瞬間、
『どこなんだ。ここは……』
『うす悪いことろだな……。何なんだよ。ここは…』
ふたりの山本の声が頭の中で響いた。
「おーい、どこにいるんだ。ふたりとも大丈夫か」
やはり声にはならなかった。
『ああ、大丈夫だ。しかし、お前の姿ももうひとりのオレも見えないんだ。どうなってるんだぁ、ここは……』
『まったくだ。どうなってだよ。ホントに……』
また、ふたりの山本の声がほとんど同時に返ってきたが、どっちがAなのかBなのか耕助には判別できなかった。それから少しの間沈黙が続き、また山本の声が聞こえてきた。
『おい、耕助聞こえるか。分かってきたぞ。ここは音が存在しないんだ。だから、代わりに喋った声が頭の中に直接入ってくるんだ』
『ん、オレもそう思う。何しろ、ここは超空間だからな。多分声にしなくても頭の中で思うだけで感知できるんだ。いまオレの声が聞こえてるだろう。耕助にも』
『ああ、聞こえてるよ。それがどうしたんだ』
『やっぱりそうだ。いまオレは声に出してないし、お前に伝えたいことを頭ン中で考えただけなんだ。オレも試してみろよ。耕助』
『へえー、そうなのか。じゃあ、これも聞こえてるのか』
『聞こえてるさ。これはな。テレパシーみたいなものなんだ。声に出さなくても話ができるんだからな。便利なものさ』
『しかし、お前らの姿が見えないのにはまいったな。何とかならないか。山本』
耕助が辟易したように言った。
『何んとかって云われてもなぁ、声はするんだが姿は見えないんだけど、近くにいることは確かなんだよなぁ。何かいい手はないのかなぁ……』
『ううーむ……』
山本はふたりとも腕組みをして、何やら考え込んているようすだったが、姿は見えなくても耕助にはそれが手に取るように感じとれた。そして、ややしばらく三人の間に沈黙が流れたが、やや時間を置いた後どちらかの山本がおもむろに口を開いた。
『とにかく、このまま手をこまねいていても仕方がない。何かやって見てくれ。手を動かすなり足を動かすなり、思いつくまま何でもいいからやってくれ』
『ん、わかった…』
耕助が答えて、地団駄を踏んだり飛び跳ねたり手を振り回したりしてみたが、一向に何の変化も見られなかった。
『ダメだ…。何も変わらない……』
耕助はため息を吐いた。
『こら、諦めるな。そうやって、すぐ諦めるのがお前の一番悪いクセだぞ。とにかく何でもいいからいろいろやってみるんだ。いいか』
『わかったよ。やりゃあいいんだろう。やりゃあ……』
それから三人は、お互いに試行錯誤を繰り返しながら、ああでもないこうでもないとやっていたが、そのうち耕助の目の前の空間がタテに割れて、山本Aが飛び出してきて引き続き山本Bも姿を現した。
『お、お前ら一体どうやって出てこれたんだ……』
耕助が驚いたように聞いた。
『いや、理由はオレにもわからん。ただ、目の前の空間が開かないかなって思って、両手で左右に開けてみたんだ。そしたら、いきなり開いたんで飛び出して来たってわけさ』
『オレもAの考えてることが伝わってきたんで、やってみたら同じように出てこれたってわけだ』
『あれ、オレには伝わってこなかったぞ。そんなこと……』
耕助が不思議そうな顔で聞いた。
『そりゃあ、お前オレたちは次元こそ違え、れっきとした同一人だからだよなぁ。お前もそう思うだろう』
山本Bが横にいる山本Aに同意を求めた。
『それしか考えられないから、多分そうなんだろう……』
と、山本は曖昧な返事を返した。そして、こう付け加えた。
『しかし、これでひとつ分かってかけてきたことがあるだ』
『何、どなことだ……』
耕助が間髪を入れず聞き返した。
『さっきから考えてたんだけどよ。お前も気づいていると思うんだが、こうしようと思っていることが、すべてその通りになるという点だ…。と、云うことはだな。元いたところに戻る気になりゃ、いつでも戻れるってことだよ。とにかく、この空間では自分の頭ン中で思い描いたものが、ぜーんぶ実体化させることができるってことなんだぞ。どうだ。すごいだろう。ただし、すべて幻影に過ぎないんだろうから、実際に手で触れることが可能かどうかは、少しばかり疑問の残るところであるけどな…』
『へえー、それがホントならすごいじゃないか。ぜひ、試してみたいな。オレ』
耕平がまるで子供のように目を輝かせた。
『試したいって、いったい何を試したいんだ。お前…』
山本Bが聞いた。
『ん、実はオレ子供の頃から一度でいいから月に行って、月面を歩いて見たかったんだ。だけど、いまの技術ではまだまだ無理だろうし、一般人が行くなんてのは当面はできないだろう。オレが生きてる間になんて当分できないだろう。だから、この機会に月面を歩くって、どんな気持ちなのかやってみたいんだよ。いいだろう…』
『いいんじゃねえの。だけどよ。月の重力は地球の六分の一なんだぞ。果たして、それがここで実現できるかどうかだろうな』
『やってみなくちゃ判らないさ。とにかく、いまからやってみるから、ちょっと待っててくれ……』
耕平は何ごとか念じているようだったが、次の瞬間辺り一面に月面と思しい景観が現れ、ところどころに大小のクレーターさえ見てとれた。そして、遥か前方の空間には半円を描いたような地球が浮かんでいた。
『素晴らしい。月だ。月面だぞ。看たか、山本』
耕平の歓喜の声が山本の頭いっぱいに広がって行った。それを見ているふたりの山本にも、自分たちが思い描いている月面の風景と大差がないことに気がついていた。もともと世界中の多くの人々が知っている月面写真は、一九六九年にアメリカが打ち上げたアポロ11号が月面に着陸した際に、着陸船の船長ニール・アームストロングが撮影したもので、誰でも一度は目にしたことのある有名な写真なのだから、山本や耕平が心に思い描いている月面写真に、それほど差がないとしても至極普通のことなのだろう。
耕平は足元に落ちている月面の岩石の欠片を見つけ、拾おうとして屈み込んだ。
『あ、拾えた…。幻影なんかじゃないぞ。これは本物だぞ。お前らもこっちに来てみろよ。早く…』
耕平に言われてふたりの山本も足元に転がっている石くれを拾ってみた。
『ホントだ…。ちゃんと質感もあるし、張りボテでもなんでもない。本物だなよぁ、どうなっているんだ…。こりゃあ、うーん……』
拾った石くれを手に持ったまま、ふたりとも考え込んでしまった。
『仕方ないと思うよ。だって、ここは超空間なんだろう。オレたちの住んでいる三次元空間とはまるっきり違う、まったく別の空間なんだから何が起こったって不思議じゃないんだよ。オレたちは誰でもみんな自分たちの常識で物事を判断してるけど、それがすべて何にでも当てはまると思ったら、おおきな間違いだと思うよ。まして、ここは超空間という特別の場所なんだから、もうこれ以上ここにいたってしょうがないだろう。もう、そろそろ戻らないか…、山本』
『ん、わかったよ』
『じゃあ、戻るとするか…、どっこいしょと』
耕助に促されてふたりともようやく立ち上がった。
『それじゃ、画像を消して帰ろうか。画像よ、戻れ』
念じるような耕助の言葉に、月面風景は一瞬にして消え去り、何もない元の空間に戻っていた。
『じゃあ、帰ろうか。ふたりとも用意はいいかい』
『OKだ』
何の衝撃も感じないまま、気がつくとさっきいた恵比寿神社の裏地に立っていた。
「ふうー、やれやれどうにか無事に戻れたか。一時はどうなるかと思ったんだぜ。オレはホントに……」
「ところで、どのくらいいたんだろう。あそこに」
「二時間か、そこらだろう。多分」
自分の時計を覗き込んでいた耕助が、急に大きな声で叫んだ。
「おかしいぞ。山本、さっき出かけた時は確かお昼近くだったのに、いま時計を見たら出かける前とまったく変わってないんだ。お前らもよく見てみろよ」
耕助の言葉に山本たちも自分の時計を覗いた。ふたりの時計もやはり耕助の言うように十一時十七分辺りを指している。
「ホントだ。確かにここに来たときはこんな時間だったよな……」
「……時間がさっきのまま動いていないとすると、あの空間には時間そのものが存在しないってことになるぞ。そんなことってあり得ないことだろうが、ますます訳が分からなくなってきたぞ」
ここでまた三人は頭を抱えてしまった。
「あの超空間ってのは何なんだ…。超空間なんてオレたちが勝手に呼んでるけど、あんなものが存在していることすら、世界中の人はもとより科学者だって知らないんだ。オレたちが初めてというか、耕助の思いつきで偶然にあれがあることに気がついたんたから、これはもしかすると世界的な大発見かも知れない……。うーん」
「大発見だなんて、ちょっとオーバーじゃないのか。それにタイムマシンや、次元転移装置のことをどうやって説明するんだよ。まさか未来から来た吉備野博士にもらったなんて云えないだろう」
「うーん、そう云われると弱いな……」
耕助に窘められて山本は少しモジモジしている。
「ところで山本、お前手に何を持ってんだ…」
「え、手…。あ、石だ。月の石だ……」
「何だって…、月の石……。どうして、そんなものが……」
驚いて山本Aの掌を見ると、先ほど拾い上げてそのまま持っていた岩石の塊が乗っていた。
「し、しかし、あれって、あそこでみた映像って実物じゃないんだろう。幻影なんだろう。まぼろしみたいなものなんだろう。それが何故……」
「とても信じられない……」
三人は途方に暮れたように、しばらくそこに立ち竦んでいた。
「と、とにかく、これはオレたちがいくら考えたって、また堂々巡りになるに決まっている。ここはまた、吉備野博士に相談して意見を聞いたほうがいいと思うんだけど、どうだろう…。それに何だか精神的に疲れてしまったし、もうホテルに引き上げよう」
ゲッソリした表情で耕助が言ったが、ふたりの山本も似たような疲れを感じていた。帰りの道々タクシーを拾うと、三人は駅前に向かって走り去って行った。
四
「ほう、それは初耳ですな。私もいままでまったく気がつきませんでした」
耕助と山本Bの宿泊しているホテルの一室で、吉備野博士は半ば感心した様子で三人の話に聞き入っていた。耕助たちはホテルに到着するとすぐに、吉備野に連絡を取り自分たちの遭遇した状況を説明していた。
「とにかくですね。博士、心の中で描いたイメージがすべて実体化するんですから、ホントに驚いちゃいましたよ。オレたちは超空間って呼んでますけど、偶然に発見したとしても、あんなものが実際に存在するなんて、夢にも思いませんでしたよ」
山本Aが興奮して唾を飛ばしながら吉備野に説明した。
「あのオレたちが時間を飛び越える時に、ほんの一瞬垣間見る空間は一体何なんだろうと、耕助が云いだしたのが発端だったんですが、とにかくやってみようということで今回の超空間の発見に繋がったんです。だけど、オレたちがいくら考えてみてもさっぱり見当もつかないので、吉備野博士に相談してご意見を伺いたいと考えてご足労を願ったわけですが、この状況をどのように思われますか。博士」
山本Bのほうも自分が疑問に感じていたことを、一気にぶつけるように吉備野に質問を
あびせる。
「誠に申し訳もないことでもありますが、私と致しましてもそのような空間のが存在すること自体が、まったく思ってもいませんでしたから、何とも申し上げられないというのが正直なところでもあります。面目次第もございません」
吉備野は消え入りそうな面持ちで深々とと頭を下げた。
「吉備野博士。そんなに気にしなくてもいいですよ。ですが、あの空間にいる時はぼくたちのイメージしたものが即座に実体化するんです。月面を思い描けば辺り一面に月面が出現するんです。最初は幻影に違いないと考えていたのですが、本当に質量を持った物質として出現するんです。これが、その時に山本が拾ってきた月の石なんです」
そう言って、耕助はポケットから石を取り出して吉備野に渡した。
「ほほう、なるほど確かに石ですな…。しかし、その空間ならともかく、実際の三次元空間にまで持ち込んでも実体化しているというは、まったくの謎ですな………。ふーむ………」
吉備野は石を持ったまま、腕組みをして考え込んでしまった。
「博士さえそのきがおありでしたら実際に行って、その目で確かめて見ませんか。確証はありませんが、まだ行けると思うんですが…」
必死にも何ごとか考えている吉備野に耕助は尋ねた。すると、吉備野は即座に反応を示した。
「よろしいでしょう。私も後学のために、ぜひとも見ておきたいものですからな」
吉備野が同意したので、耕助はすぐに立ち上がった。
「それではみんな輪になって、お互いの肩に手を乗せてください」
三人は耕助に言われた通り、輪になるとそれぞれの肩に手を乗せた。
「いいですか。それでは行きます」
耕助が素早い手つきで始動ボタンと停止ボタンを押した。すると、いままでいた部屋が消えうせて、まったく違う空間が広がっていた。
「こ、耕助。何だか、ここは前に見た空間とちょっと違うんじゃないか。どうなっているんだ……」
「そんなこと、オレに聞かれたって解からないよ」
山本の言うとおり、前に来た時とは若干違うようにも感じ取れたが、どこがどう違うのかと聞かれれば返答に困るのだが、とにかく最初に見た空間とは違うものであることだけは明らかだった。
「一体どこが違うんがろう……。でも、どことなく変わってるような気がするよな。確かに……」
耕助も怪訝そうに首をかしげた。
「そうですか。なるほど、なるほど……、超空間。そう、これはまさしく超空間なのですぞ。佐々木さん。あなたは、実に素晴らしい世界的な大発見をされたのかも知れませんぞ」
「世界的大発見ったって、ぼくには何がなんだかさっぱり解りません。何なんですか。吉備野博士」
耕助もふたりの山本も、狐にでもつままれたような顔で吉備野を見つめた。
「つまり、ここはどこの空間・次元にも属さない、まったく独立した別個に空間のように思われるのです。私ども二十九世紀の科学力を以ってしても、誰ひとりとして想像だにしなかった世界。つまり、ここなのです」
吉備野はいささか興奮している様子で話を続けた。
「いや、実に素晴らしいことですぞ。佐々木さん。オオー、アポリ、ア、ゲネール。あ、いや、失礼。私としたことが、つい興奮いたしました」
吉備野は歳に合わないような仕草で照れ笑いを浮かべた。
「さて、それではせっかくですので、私もひとつ実験をさせて頂いても構いませんかな。佐々木さん」
「どうぞ。でも、実験って何をされるのですか。博士」
「はい、実は私、歴史の研究をしておりましてな。太古の世界でも特に白亜紀に興味を持っておりました。佐々木さんもご存じかと思いますが、中生代白亜紀の末いまから六六〇〇〇年前に、それまで隆盛を極めていた恐竜が突如として絶滅してしまいました。
定説によれば、小惑星の衝突により舞い上げられた粉塵と、衝突の衝撃によって地球的規模で起こった火山の大噴火、これらの複合的な要因が重なり合った結果、長い期間太陽光を遮り低温化が進んだために、恐竜たちがそれに耐えられなくなり、ついには大絶滅に至ったというのが一般的な説なのではありますが、どうも私はそれだけではないような気がするのです」
「それじゃ、何かほかに思い当たるような原因があるんですか。博士には……」
「それって、何なんですか。ぜひ、聞かせてください。博士」
ふたりの山本も身を乗り出してきた。
「いや、確証はございません。ただの私の想像ではなりますので……。しばらくお待ちください…。これから私の知り得る限りの全知識を集中して、白亜紀末の世界を再現してみますから、ん、ん、うーむ………」
吉備野が全精神を集中するようにして念じると、四人のいる超空間に蒼穹の下に広大に広がるサバンナのような草原が現れ、はるか遠くのほうには噴煙を噴き上げる火山が見えた。
「こ、これが白亜紀ですか……」
「…………」
「白亜紀…、これが…………」
耕助も山本も子供の頃に科学図鑑の絵で見たとこはあっても、実際に噴煙をたなびかせている本物の火山ではまったく迫力が違っていた。
「あ、それから皆さん。ここにいてはあまりにも危険ですから、向こうの岩陰に隠れましょう。いつ恐竜が現れるかわかりませんからな」
吉備野に促されて三人は急いで吉備野とともに、大きな岩陰まで走り寄って身を隠した。
「さあ、ここまで来れば大丈夫ですぞ。皆さん」
「しかし、何なんだぁ。この超空間ってのは、一体」
「それにしても妙に暑すぎないか。ここは」
「だから、恐竜もあんなに大きくなったんじゃねえの」
岩陰に身を潜めて安心したのか、山本たちはタバコ取り出して吸い始めた。
「しかし、ここの空間で見ているこの風景もホントに幻影ではないんですね。一体、これはどのように考えればいいんですか。吉備野博士」
「はい、実は私も今日の今日まで、このような空間が実在していようとは、考えてもおりませんでしたので何とも云えないのですが……、超空間……。まさしく時空間と時空間の境目に存在していて、本来なら私どもなど立ち入ることもできない、人智をはるかに超えた場所とでも申しますか。まさしく超空間なのでしょう。あなた方は見事な命名をされました。そして、それを発見されたのです。実に素晴らしいことであります」
吉備野は頻りに感銘を受けている様子だった。
「ところで、博士。先ほど博士おっしゃっておられたんですが、恐竜が絶滅したのは小惑星の衝突や火山の噴火ばかりではないとすると、ほかにどんなことが考えられるんですか」
耕助が思い出したように吉備野に尋ねた。
「はい、これはまだ仮説の段階なのでありますが、メキシコのユカタン半島に落下しました小惑星には、何か細菌類のようなものが付着していたのではないかと思われます。それが太陽光や様々な宇宙線に晒されて強大に進化していった。そして地球に衝突して地球全体にまき散らされて、地球の大気環境に順応した細菌は大繁殖を起こし、生き残った恐竜たちに取りついていって、最終的には恐竜のような大型種は絶滅していったのではいかと思われるのです」
「それじゃ、ひとつ聞きますけど……」
と、山本Aがしゃしゃり出てきた。
「どうして恐竜だけが絶滅したんですか。ほかの哺乳類なんかには影響しなかったんですか。それに、その細菌は人類の祖先たちにはまったく影響しなかったんですか」
「あの小惑星の衝突は、地球上の生物の七十パーセントを絶滅させたと云われておりますが、その後地球の大気の何らかの影響によって、細菌そのものが死滅したか、恐竜類以外の生き物には無害だったのかも知れませんな」
「それにしても、まだこの年代では小惑星の衝突はしていないようですが、衝突の直後の世界というのは再現できないのですか」
今度は耕助が質問した。
「できますが、あまりにも危険過ぎるのでよしたほうがよろしいでしょう。何故なら、小惑星が衝突して地球の一部が物凄い勢いで巻き上げられ、大地震や磁気嵐が吹き荒れて世界中を襲ったと思われます。ここがいくら仮想世界と申しましても、超空間でありますから何が起こるか解かりません。ですので、危険なとこはできるだけ避けたほうがよろしいでしょうな」
「そうですか。博士がそれほどおっしゃるのでしてたら、残念ですけど仕方がありません……」
耕助は非常に残念そうな面持ちで、つぶやくように言った。
「それでは、元に戻りたいと思います。よろしいですか」
白亜紀は瞬時にして消え、四人は元いた世界に戻っていた。
「いや、皆さんのお陰でいい勉強になりました。何度も申しますが、あなたは世界的な発見をされたのですぞ。佐々木さん。この超空間のことは、これからの私の研究課題のひとつとして、加えさせて頂きたいと考えておりますが、それでよろしいですかな」
「そんなのは全然かまいません。博士の好きになさってください」
「そうですか。それでは何か判り次第あなた方のRTSSにお知らせいたすとこにいたしまして、私はひとまず戻りたいと思います。それでは皆さんご機嫌よろしゅうに。失礼……」
そう言い残して、吉備野はその場から姿を消して行った。
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