第二章 山本と耕助のそれから
一
それから一週間ほどではあったが、耕平と狩りに出かけたり娘のライラと戯れたりして、相変わらずゆったりとした時の流れ中で過ごし、山本は二十一世紀の世界に帰ってきた。
こっちに戻る時に山本は、自分がいなくなってから三年間ものブランクがあることを考慮に入れてタイムマシンのメモリーを、こちらに到着する時間を三年前に自分が出掛けた一時間後にセットしておいたのだった。
公園から自宅に帰る途中、山本はまたしてももうひとりの自分のことを想いだして、思わず足を止めてしまっていた。
『冗談じゃないぞ。おい、そんなのいる訳ねーよな。こんなことは、あんまり考え過ぎるからダメなんだな。そうだ、そうだ。
いや。しかし、待てよ。耕平の場合は耕助という形で、もうひとりの自分が存在していたわけだから、もしかすると……』
そんな考えを打ち消すように、ゆっくりと歩き出した山本だったが、ついに自分の家の前でも辿りついてしまっていた。
『ええーい、どうとでもなれ』
山本は自分に言い聞かせるように玄関の戸を開けた。
「ただいま」
自分の書斎に行こうとしている山本に、
「あら、早かったのね。少し遅くなるって云ってたんじゃなかったの」
妻の奈津実が台所から顔をのぞかせて言った。
『え、誰が云ったんだ。そんなこと……、それじゃ、やっぱりいるんだ…。もうひとりのオレが………』
また、そんな考えが頭を過ぎった。
「い、いや、急にやることを思い出したから戻ってきた」
そう言い残すと、山本は素早く書斎に駆け込んでいった。
自分の恐れていたことが現実となったことで、山本は普段の冷静さをすっかり失いかけていた。自分のことはどうでもよかった。問題は妻の奈津実のほうだった。もし、自分とまったく同じ、もうひとりの自分と鉢合わせでもしてしまったら、奈津実のことだから卒倒してしまうのではないかと思えた。
いくら自分が説明したところで、奈津実には到底理解などできるはずのないことは、山本自身が一番よく分かっていたからだった。
ここでジッとしているわけには行かなかった。本当にもうひとりの自分がいるのかどうか、この目で確かめなくてはならないと思い立ち、妻に気づかれないように玄関からスニーカーを持ち出すと窓から外に出て、もうひとりの自分が本当に帰ってくるのかどうか、待ってみようと考えたからだった。
山本は物陰に身を潜めながら、それらしい人物が現れるのを待ったが、一向にそんな姿は見つけられることもなく、足元にはタバコの吸い殻だけが悪戯に山のようになって行くばかりだった。
しかし、待てど暮らせど前の道路は行き交う人の姿ばかりで、山本と同一の人物らしい人影など、見つけることはできるはずもなかった。
『何故だぁ。奈津実も云ってたじゃないか。いや、じかに見たわけではないが確かに帰りが少し遅くなるって、云っていたっていう「オレ」がもうひとりいることは、本当らしいんだけどなぁ……』
しばらく、そうやって通りを眺めながら様子を窺がっていた山本だったが、もうひとりの自分という存在がいることに対する、著しい嫌悪感を持っていたことは否定できなかった。耕平や耕助が、どうしてあんなにあっさり自分と同じ存在を認められるのか、山本には理解できない部分であって、摩訶不思議とも思えるところでもあった。
『あれから、どれくらいたったんだ…。あ、もうこんな時間か……』
いい加減シビレを切らした山本は、妻に気づかれないように部屋に戻ると、またパソコンのキーを叩き始めた。
それから、また一週間ほどが過ぎ去り山本がパソコンに向かいながら、違う次元に戻って行った耕助のことを思い浮かべていた。
『アイツはどうしたろうなぁ、無事に帰れたんだろうか…。まあ、吉備野博士がついているから大丈夫だろう。さて、それよりもこっちだよなぁ。問題は、この先どうすればいいんだ、この話は……』
自分の書きかけている小説の展開に詰まったのか。肘をつくと拳の上に顎を乗せて考え込んでいた。
山本は、耕平と自分の周りに起こった一連の出来事を小説にまとめようとして、必死になっているこの頃だった。
『小説っていうのは真実ばかりじゃ面白くないんだよな。真実の中にも作者の創作部分があって、初めて小説っていうものが成り立つんだからよ…。でも、やっぱりここは主人公が公園でタイムマシンを拾うところから始まるのが筋だろうな。よし、これでいいと…』
こうして物語の構想がまとまって、書き出し部分を二・三行書いたところで、また考え込んでしまった。
『いくらSF小説と云ったって、実名を出すわけにもいかねえよなぁ…。まあ、名前なんてどうでもいいか。問題は中身だからな…』
小説のタイトルは「過ぎゆける季節の中で」とした。気にいらなかったら後で変えればいいと思っていた。
高校時代から詩を書き始めた山本には、文章を書くこと関してはいささか自信を持っていた。生まれて初めて書き出した山本の小説も、プロローグ・第一章・第二章・第三章まではスムースに進み、第四章に差しかかった時それまでは順調に書き進んでいた山本だったが、ここまで来てキーを叩く手が急に止まってしまっていた。
『ここまでは、耕平や未来のオレにも話は聞いているから、何とかなるとしてもここから先は、もう少し構想を練り直してかからないとダメだな。こりゃあ』
山本は休憩を兼ねてタバコを咥えて火をつけた。
『しかし、もうひとりのオレってどうしたんだ…。もう元の世界に戻っちまったのかなぁ。あれ以来、姿も見せないようだし、ホントにどうしたんだろう。
耕助のほうは吉備野博士が一緒だから、まず心配はないだろうけど……。それにしてもライラもだいぶ大きくなったよなぁ、子供って三年も経つとあんなに大きくなるんだなぁ。カイラに似て、すっかり可愛くなってて嬉しかったぞ…』
そんな万感の想いが山本の胸に広がって行った。その時、廊下のほうから足音が近づいてきた。
「徹さん、いる」
奈津実がドアを開けて入ってきた。
「何だ。どうしたんだ。何かあったのか…」
「ううん、そうじゃないけど。だけど、珍しいわね。あなたがどこにも行かないで、部屋にいるなんて何年ぶりかしら、明日天気が崩れなきゃいいけど…」
暇さえあればどこかに出かけている山本に、妻の奈津実は嫌味を言っているらしい。
「バカ云え、オレは最近ずっと家にいるじゃないか。それより、お前こそ珍しいんじゃないのか。わざわざここに来るなんて、何かあったのか」
「何でもないけど、ちょうど、いま手が空いてるから、どこかに行かないかなと思って来てみたの、あなたもどうせ暇なんでしょう。久しぶりに公園にでも行きましょうよ」
山本も奈津実と結婚する前は、ふたりでよく映画を見たり食事に行ったりしていたのを思い出していた。
「うーん、公園か…。よし、行ってみるか。考えて見りゃあ、お前と一緒に出るなんて久しぶりだしな」
公園通りには街路樹が植えられていて、山本の子供の頃は銀杏の木のほうが多かった気もするが、いまではすっかりハナミズキに植え替えられていた。
「あーあ、いいお天気で気持ちいいわねぇ」
公園に着くと奈津実はベンチに腰を下ろすなり、大きく伸びをしてから途中で買ってきた缶コーヒーを山本に手渡した。
「そう云えば、あなた子供の頃によく耕平さんたちと遊んでたわよねえ」
「ああ、遊んでたな。ほとんど毎日くらい、ここに来てたなぁ」
「でも、どうしてそんなに毎日同じとこに来て、同じようなことをして遊んでて飽きなかったの」
「子供は飽きないんだよ。特に男の子は毎日同じような遊びをやっても、絶対に飽きないんだよ。そういうものなの」
「ふーん、そうなんだぁ。そう云えば、耕平さんが行方不明になってから、何年くらいになるのかしら……」
奈津実が急に耕平のことを言い出したので、山本は一瞬ドキッとした。
「ん、四年かな…、五年かな。それくらい経つかなぁ」
山本にして見れば、奈津実の前ではあまり耕平の話はしたくなかった。だから、わざと曖昧な返答で誤魔化したかった。
「でも、どこに行っちゃったんでしょうね。この前、耕平さんちの小母さんにスーパーで逢ったのよ。小母さん、いまでも耕平はいつか帰ってくるって信じているのよ。ホントに可哀そうだったわ」
山本は何も言えなかった。と、いうよりも、奈津実に対していうべき言葉が見当たらなかった。そして、奈津実の質問に答える代わりに、あることを聞いてみた。
「もしもだよ」
と、前置きをしてから、
「もしも、オレが耕平みたいに行方不明になったら、お前はどうするんだ……」
「そうねえ。最初はやっぱり哀しいでしょうね。でも、はっきり帰って来ないって判ったら、その時はさっさと別な人でも見つけて結婚するかもね」
あまりにも平然という奈津実に、少しムッとしたように山本は言った。
「ああ、そうしろ、そうしろ。そのほうがこっちも未練タラタラ待たれるより、よっぽどスッキリするから、ぜひそうしてくれ」
「何をそんなにムキになってるの。あなたは、嘘に決まってるでしょう。バカみたい。あたしが愛しているのは、あなただけよ。ホントだよ」
山本は、最後に奈津実の本音らしい言葉を聞いて、少しはホッとしたような気持になった。人は誰でも愛する者がいなくなったり、死んでしまったら嘆き哀しむのだろうと思った。まして山本はすでに縄文時代に於いて、あんなにも自分を愛してくれたカイラを失くしていたのだから、なおさらだった。
時計を見ると、午後三時を少し回っていた。
「お、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」
「そうね。帰りがてら買い物でもして行こうかしら、あなたも来る」
「ああ、いいよ。じゃあ、行くか」
ふたりは連れ立って公園を出た。奈津実が手を差し伸べてきたので、山本は周りを気にしながらもそっと握っていた。中年も半ばに差し掛かった夫婦が仲よく手をつないで、いつも行きつけのスーパーを目指して歩いて行った。
買い物を済ませて家に帰ると、奈津実は台所へ行き山本は書斎へと戻った。
山本は机に座るとパソコンを立ち上げ、さっき途中で投げ出していた小説の続きに取りかかった。小説の構想を練り直しながら山本は、さっき奈津実から言われた言葉を思い浮かべていた。
『あたしが愛しているのは、あなただけよ、ホントだよ』
山本から見れば、何の取り柄もない在り来たりの女だと思っていたが、面と向かってあんなふうに言われてみると、なぜかしら気恥ずかしいような思いに駆られるのだった。
それから食事までの間、山本は念入りに構想を練り直し、これならどこに出しても恥ずかしくないと思うほど、完成に近いストーリーを創りあげていた。
「徹さーん、食事の用意が出きたわよ」
台所のほうから奈津実の声が聞こえてきた。
二
一方、次元の違う元の世界に帰った佐々木耕助は何かの弾みで自分と同じ、違う次元の日本に紛れ込んでしまったと思われる、山本徹のことがどうしても気になっていた。
しかし、山本の存在自体が判らないまま数日が過ぎていた。もし、いなかった場合に奈津実にはどう説明すればいいのか困っていた。山本のようにSFに精通しているヤツならともかく、奈津実はそんなものには一向に興味を示さない女だから、どうしたら奈津実に理解してもらうことができるのか、まったく見当もつかいまま数日間悩み抜いていたのだった。
そんなことばかり言ってはいられないと思った耕助は、戸惑う気持ちを抑えながら様子を見に行くことにした。果して山本がいるのかどうか半信半疑のまま、とにかく山本の自宅を訪ねてみることにした。自宅近くの角を曲がったところで、タバコ屋から出てくる山本を見つけた。
「あ、いた。おい、山本」
とうの山本は、耕助の声に一瞬驚いたように聞いた。
「こ、耕助。お前、どうしたんだ。一体、この前お前の家に訪ねて行ったら、お前は五年くらい行方不明になったままだって、小母さんから聞いて驚いたけど、ちゃんといるじゃねぇか。どうなっているんだぁ。こりゃあ……」
「おい、山本。オレんちに行ったって、それっていつ頃の話だ」
山本は少し考えてから、
「一週間…。いや、十日くらいになるかなぁ。それがどうかしたのか」
「やっぱりそうか……。それで、その後どうなったんだ。お前は…」
「別にどうもしやしないよ。これ、この通りピンピンしてるじゃねえか。だけど、どうしてそんなこと聞くんだ。耕助」
怪訝そうな顔で山本は聞く。
「実は、そのことで少しお前に話したいことがあるんだ。いま忙しくなかったら、ちょっと家にこないか」
「いいよ。カミさんも出掛けているし、暇なんだ」
耕助の家は山本のところから、ものの二・三分もかからない距離にあり、極めてご近所的な関係でもあった。耕助は家に着くと山本を自分の部屋に招き入れた。
「で、何なんだ。その話ってのは……」
山本は座るよりも早く耕助に話しを急かせた。
「ん、何から話そうか…。山本はSFマニアだから、パラレルワールドって知ってるよな」
「もちろん、知ってるさ。同じような世界で何かが少しづつ違う世界が、地層のように重なり合ってるってヤツだろう。たけど、そこに住んでいる人たちには別の世界がいくつもの層になって存在しているなんて、誰も考えてもいないから気づかないだけだって話だろう。でもなあ、耕助。パラレルワールドなんてものは、理論上での考え方であって実際にはそんなもの存在するかどうかも解らない、いわばほとんどSF的な世界なんだぞ。ホントに、最近おかしいんじゃないのか、お前は……」
「山本よ。お前はSFマニアのくせに全然わかっちゃいなんだな。ホントに、だったら、タイムマシンなんてのも当然信じないだろうな」
「当たり前だろう。パラレルワールドだのタイムマシンだのって、そんなものは所詮SF小説や映画の中に登場してくる、H・G・ウェルズっていうイギリスかどっかの小説家が書いた、『タイムマシン』という小説の中に出てくる空想上の機械じゃないか。それを何でそんなに大騒ぎしてんだよ。お前は」
「やっぱりな…。どうせお前みたいなエセSFマニアには判らないだろうが、タイムマシンもパラレルワールドも実在するんだぞ」
「エセSFマニアとはなんだ。もし、ホントにそんなものがあるんだったら、オレに見せてみろよ」
耕助にエセSFマニアと言われたことが、よほど悔しかったのか山本は耕助に食って掛かった。
「ああ、見せてやるよ。これが本物のタイムマシンだ」
そう言うと、耕助は自分の腕から外した腕時計を山本の前に置いた。
「本物だって云われても、これはどう見たって普通の時計じゃないか。オレを馬鹿にするのもいい加減にしろよ。耕助」
「嘘じゃないよ。嘘だと思うんだったら試してみようか。だけど、試すにしてもここじゃまずいな。人影のないところに行こう。ついて来てくれ」
言うよりも早く、耕助は立ち上がって玄関から外に飛び出して行った。山本も仕方なく後に続いた。耕助は家の裏手の人目につかないところまで山本を連れてくると、
「よし、ここならいいだろう。さてと、山本は過去に行けるとしたら、どこに行きたい」
「マジかよ。おい、耕助。お前ホントに、オレを騙そうなんて考えてんじゃないだろうな」
「だから、嘘じゃないってさっきから云ってるだろう。疑り深いヤツだなぁ。お前も」
「じゃあ、一応それはそれでいいとしてだな。しかし、ホントなのかぁ、それがホントにタイムマシンだなんて……」
「そんなに、オレのいうことが信じられないのか。オレが、いままでお前に一度だって嘘ついたことがあったかよ。がっかりだよ。そんなに信じてもらえないなんて……」
落ち込んでいる耕助を見ていた山本が、悪いと思ったのか少しぎこちない仕草で言った。
「悪い…、耕助。別にオレはお前のことを本気で疑ってたわけじゃないんだ。でもよ、普通の人だったら誰だって、『これがタイムマシンでございます』って云われたら、十人いたら十人ともどんな形にしろ、一応はそれなりに疑って掛かると思うんだよな。だから、ホントにごめん。お前が嘘をつかないのはオレが一番知ってるから信じるよ。で、そのタイムマシンはどうしたんだ。どこで手に入れたんだ」
「うん。それは後でゆっくり話すからさ、それよりもお前は、このタイムマシンが本物かどうか確かめたいんだろう。それで、一体どの時代に行ってみたいんだよ。お前は」
「そうだなぁ。坂本龍馬が暗殺された時代にも行ってみたいし、でもあの時代はやたら物騒だしなぁ。どこか危険が伴わない安全な時代はないのかな」
「そんなのあるわけないだろう。歴史なんて、どこ行ったって危険はつきものだと思うぞ」
「そうか…、ええい、面倒くさい。もうどこでもいいや。お前に任せる」
「何だぁ。その投げやりな云いかたは、それがお前の一番悪いクセだぞ。山本」
耕助に言われて山本はペロリと舌を出した。耕助は何やらマシンの調整をしているようだった。
「よし、行くぞ。山本」
「え、行くぞって、どこへ行く気なんだよ。耕助」
「お前が云ったんだぞ。オレに任せるって、行けば分かるからついて来いって」
山本は一瞬、カクンという軽い衝撃のようなものを覚え、周りの空間が揺らいだように感じたがすぐ元にもどった。そして、次に山本の目に飛び込んできたものは、うっそうとした森林や草原が広がる、いままで一度も見たことのない風景だった。
「ここは、一体どこなんだ。耕助」
「ここかぁ。ここは紀元前三千年くらい前の縄文時代さ。どうだ、なかなかいいところだろう」
「縄文時代って、どうしてお前がこんなところを知ってんだよ」
「前に一度だけ来たことがあるんだ。たいぶ前になるけどな」
そういうと、耕助は懐かしそうに目を細めて周りを見渡した。
「それよりお前に逢わせたいヤツがいるんだ」
「逢わせるたって、オレは縄文時代に知り合いなんていないぞ。誰なんだ。そいつは…」
「来れば分かるよ。さあ、行くぞ」
言うが早いか、耕助は方向を変えるとさっと歩き出した。しばらく行くと、立ち並ぶ木立の合い間から掘建柱建物や、縄文人の住居らしい建物群が見えてきた。ひとつの住居の前までくると、耕助は中に向かって声をかけた。
「おーい、耕平はいるか。オレだ、耕助だ。また来たぞ」
すると、すぐさま中から耕平とウイラが顔を出した。
「おお、耕助。よく来たな。それに山本も」
「いらっしゃい、コウスケ、トオル」
ウイラも満面に笑みを浮かべて、ふたりを迎えた。相変わらず純真無垢なその笑顔は、素朴さと純粋さを漂わせていた。
「いや、違うんだ。ここにいる山本は、オレの世界のほうにいる山本なんだ。だけど、オレとお前みたいなもんで、人格や記憶なんかはまったく変わらないらしいんだ」
「ふーん、そうか。なるほど、まさしくパラレルワールドの不思議さってところだな。ところで、今回は何しに来たんだ。オレに何か用でもあったのか」
「いや、そうでもないんだ。ただ、山本がこのタイムマシンを本物かって疑うから、どこでもいいって云うんで、とにかく連れて来ただけなんだ」
「そうか。あれ…、でも確かそのタイムマシンは、次元を飛び越えられなかったはずだぞ。その辺はどうしたんだ」
すると耕助はニヤリと笑いながら、
「それなら簡単さ。この前きた時に吉備野博士に送ってもらったじゃないか。あの時、『このマシンにも付けられるような、超小型の次元転移装置はないんですか』って聞いてみたんだ。そしたら、ありますって云うんで、さっそく取り付けてもらったから、ここにもこうしてやって来れたんだ。七百年後の科学の進歩はすごいなって思ったよ。
もし、仮に七百年前の安土桃山時代に行って、その時代の人間に飛行機や車の話をしたって、誰にも理解してもらえないだろう。それと同じように人間の持っている知恵とか科学の力って、オレたちが考えているよりも、はるかに計り知れないような絶大な力を持っていると思うんだよ」
「ここが紀元前どれくらいの年代になるのか、正確には分からないけど確かに七百年後の科学ってのは、オレたちには想像もつかないほど進んでるんだろうな。そのタイムマシンにしても、次元転移装置にしても吉備野博士にという人は、ホントに偉大な科学者なんだと思うよ。オレも」
耕平は自分がいる縄文時代と、紀元二千七百年という時間の隔たりの中にあって、自分たち縄文人などはいかに弱い存在であるかということを、まざまざと思い知らされた気がしていた。
「ところで、耕助のほうの山本よ。お前は、今回のこうした異様な出来事について、どういう見解を持ってるんだい。どうせお前もオレの知ってる山本同様、SFマニアなんだろうから何か思い当たるようなことでもないか」
「オレだって、自分が住んでいた日本が唯一の世界だと思っていたのに、それが次元の違う日本だったってことさえ気がつかないで、何日か過ごしていたんだから思い当たることって云われても、いつの間に次元が入れ替わったのかだって分からなかったんだから、一番ビックリしてるのはオレなんだぞ。頭がおかしくなりそうなのは、このオレなんだぞ……」
ひどく混乱している山本を見ていた耕助が、子供をなだめる父親のような口調で言った。
「なあ、山本。もう帰ろう。この腕時計が本物のタイムマシンであることと、パラレルワールドであることがお前も納得したんだろう。だから、もう帰ろう。早く帰らないと、奈津実さんが心配するぞ。さあ、行こう。じゃあ、耕平。突然やって来て、いろいろお騒がせしてすまん。山本はオレがついて行くから心配しなくていいよ。もう逢うこともないと思うけど、お前も元気で暮らしてくれ」
耕助が山本を支えるようにして、木立を抜けるように去っていく姿を、耕平はふたりの姿が見えなくなるまで見送っていた。
もうすぐ西の空が夕焼けで、茜色に染まる時間が近づいていた。
三
さて、正規の次元にもどった山本はというと、会社に通う側ら土日ともなれば、ろくすっぽ外出もせず自室にこもり創作活動に専念していた。この日も朝から机に座りパソコンのキーを叩いていた。そこへ妻の奈津実かやって来て、「徹さん、あまり部屋にばかりこもっていると身体に毒ですよ。たまには、また公園にでもいってみたらどうなの」
「そんなことは、オレだって分かってはいるけど、いま休んじゃうと集中力が抜けそうなんで、もう少し頑張ってやってみるよ。そしたら、後で公園に行って見るか。ふたりで」
「そうぉ、じゃあ、待ってるわ」
それから、小一時間ほど経ってから、ふたり揃って公園にやって来ていた。公園のベンチに腰を下ろしたふたりの前を、子供の手塚を引いた若い夫婦が通りすぎて行った。
「いいわねぇ。若い人は、それにあの子とても可愛いわよ。ヨチヨチ歩きでなんて可愛いんでしょう」
「なんだ、お前もほしいのか……」
山本がポツリと言った。
「あら、ごめんなさい。あたし、そんなつもりで云ったんじゃないのよ。徹さん」
「じゃあ、オレたちも、もう少し頑張ってみるか」
「いいわよ。そんな無理しくたって、あたし子供なんていなくてもいいわ。徹さんさえ、いてくれれば、それだけであたしは充分しあわせだから…」
山本は黙ったままコクリと頷いた。
「あたし、コーヒーでも買ってくるわ」
奈津実が立ち去ったあとで、山本は奈津実にすまないと思っていた。
縄文時代のカイラに子供ができて、現代人の奈津実には何故できないのか、理由そのものも釈然とはしなかったが、縄文人のように過酷な環境の中で生きているものと、現代人のような平穏な暮らしを送っているものとでは、種を絶やさないための本能の違いではないかと山本は思った。まして縄文人の平均寿命は、三十代から四十代ときわめて短命であれば、それだけ必死に生きようとしていたのに違いなかった。
「買ってきたわよ。はい」
奈津実は手に持っていた缶コーヒーのひとつを山本に渡した。
「さっきは、ごめんなさい。子供ができないのは、あたしのせいかも知れないんだから、徹さんは気にしくてもいいわよ。それに子供がいたら、こんなにのんびりなんかしていられないじゃない」
コーヒーをひと口飲み込むと、山本はつぶやくように言った
「お前は、それで本当にいいのか。寂しくはないのか。いまはまだオレたちも若いからいいさ。だがな、歳とってからのことを考えてみろよ。子供がいないんだから、孫も出きるわけがないんだぞ。それでもお前は平気なのか。本当に寂しくないのか…。奈津実」
「そん時は、そん時よ。何とかなるわよ」
あまりにも、あっけらかんとした表情でいう奈津実に、山本は次の言葉が出てこなかった。
「もう、帰ろう…」
山本は立ち上がった。
「あ、ちょっと待ってて、空き缶を捨ててくるから」
近くのゴミ入れにコーヒーの空き缶を捨ててくると、
「さあ、行きましょう。今夜は何が食べたい」
山本は無言のまま、タバコを取り出して火をつけると、ゆっくりとした足どりで歩きだした。いくら強がりは言ってはいても、奈津実も心のどこかではきっと寂しいとおもっているのに違いないと思った。そんな奈津実を見ていると、山本も居た堪れない気持ちになって、そっと奈津実の肩を片手で抱いてやった。
「ちょっと、どうしたのよ。一体、きょうの徹さん少し変じゃないの」
「どうもしやしねえよ。いいじゃないか。オレたちは夫婦なんだから、たまにはこうして歩いたって、誰にも文句云われる筋合いはないんだから」
そういうと山本は、いっそう片手に力をこめて奈津実を引き寄せた。
すると、奈津実は小さな声で歌を口ずさみ始めた。
「♪風~は山から降りてくる、レタスのかごをかか~えて、♪唇はくびれて、いちご 遠い夜の~街を、越~えてきたそう~な~」
「なんて歌だ。それ、初めて聴く曲だな」
「これ? これはね。あたしのお母さんが若い頃に好きだった歌なんだって」
「ちょっと変わった詩だよな。なんて曲なんだ」
「日本のフォークソング全盛時代に流行ったんだって、『比叡おろし』って云うのよ。お母さんがいつも口ずさんでいたから、あたしもいつの間にか覚えちゃったみたい」
「へえー、いい詞だな。ちょっとフルで歌ってみてくれないか」
「いいわよ。じゃあ、いくね」
こうして、古き良き時代のフォークを口ずさみながら、ふたりは肩を寄り添って家路に着いたのだった。
翌日の日曜日も朝からパソコンに向かい、自分でも初めての経験であるSF小説を書き進んでいた。山本も中学三年の頃からSFに填まり、世界中のSF小説を片っぱしから読みあさっていた時期もある、根っからSFマニアでもあった。
その山本がSFの世界にもあまり登場しない、縄文時代というすでに過ぎ去った地球のひとつの過去を見てきたのだから、これは何とか小説として書き残しておくべきだと、思い立ったのが現在書いている『過ぎゆける季節の中で』なのであった。
『うん、なかなか調子いいぞ。でも、このままだと話にメリハリなくて、物語が単調過ぎはしないかな……』
しばらく原稿を書き進んでいた山本だったが、急に
立ち上がると部屋を出て行った。
「ちょっと出てくる」
と、奈津実に言うと、外に飛びしていった。
まず山本がやって来たのは、例の「いらっしやイー」という親爺が店番している書店だった。その中で縄文時代に関する書籍を探したが、見つけたのは「日本の縄文遺跡」と「縄文人はどこから来たか」という二冊だけだった。
『これだけじゃ、しょうがねえな…。図書館にでも行って見るか』
店を出ると山本は、その足で図書館に向かった。山本が本当に知りたかったのは、「縄文人はどこから来たか」などという縄文人のルーツではなく、縄文人たちの日々の細やかな暮らしぶりを文章で著した物が欲しかった。それはすでに耕平たちの生活を見ていればある程度は分かってはいたが、縄文時代というのは少なくても一万数千年の歴史を持っているのだから、もっと具体的に詳しく記された文献が欲しかった。そこで山本は、縄文時代に関する文献を片っぱしからあさり、必要と思われる部部分だけをコピーに取った。かなりの量になったが、それを紙袋に詰め込んで図書館を後にした。
家に戻ると山本はさっそく机に座り、取ってきたばかりのコピーを読み始めた。
『なるほど、稲作が初めて日本に入ってきたのは縄文晩期なのか。そういえば耕平からちらっと聞いたことがあったな…。あ、でも稲作が本格的に行われ出したのは弥生時代に入ってからなのか。ふーむ、そうか道理で縄文人たちが飯を食っているところを、ほとんど見たことがなかったわけか…。なるほど、なるほど』
こうして手当たり次第、無差別に縄文時代に関する資料を読み進んで行った山本だったがひと息入れようとタバコを取り出して口にくわえた。。
『なーるほど、こりゃあ河野先輩のいうとおり、縄文時代ってえのは奥が深いや。だてに一万年もの永い歴史を築いてきた民族じゃないな。うーん。よし、だいぶ参考になったぞ。それでは、いよいよ本格的に取りかかるとするか……』
タバコを吸い終えると山本は、またパソコンに向かいキーを叩き始めた。書き進んで行くに従い、カイラやムアイの死をどう取り扱うかで迷っていた。
もちろん、死は死として歴然と扱うべきなのだが、カイラの場合はあんな惨たらしい死ではなく、少しは美化した形で書いてやりたいと思っていた。ムアイは命がけで熊を倒し、邑人たちの安全を守った英雄として描きたかった。
そんな想いを胸に書き進んで行くうちに、もしこの小説が出来上がったら耕平にも読んでもらおうと思った。そう考えると俄然やる気も出てきて、山本は自分でも不思議なくらい夢中で書き続けた。まるで流行作家にでもなったように、言葉というか文章が次から次へと浮かんでくるのを、片っぱしから文章として残すべくキーボートを叩き続けていた。
「徹さん、ご飯が出きたわよ。少しくらい休んだらどうなの、体に悪いわよ」
奈津実かやってきたことで、初めて時間の経過を知った山本だった
「もう、そんな時間か。それじゃぼちぼち飯にするか」
山本は奈津実について居間へと向かった。
「よし、きょうは少し頑張り過ぎたから、ビールでも呑むか」
「じゃ、いま持ってくるわ。ちょっと待ってて」
こうして、ビールを飲みながら山本家の夜の食卓が始まった。
「ねえ、徹さん。あなたが書いてるっていう、小説のほうはどうなの」
「どうなのって、何が…」
「SF小説書いてるんでしょう。どんな内容なの。うまく行ってるの…」
「タイムマシンが出てくるやつだ.まあ、わりと順調に行ってると思うよ」
「タイムマシンねえ…」
「ところで奈津実。お前、タイムマシンって知ってるよな」
「バカにしないで、あたしだってタイムマシンくらい知ってるわよ。あの未来でも過去でも自由に行けるっていう、夢のような機械のことでしょう」
「そうだ、もし、本当にタイムマシンがあったとしたら、お前だったらどこの時代に行きたいと思う」
「そうねぇ。あたしだったら、徹さんと出逢う前の世界に行って見たいわ」
「へえー。それは、またどうしてだい」
「だって、そうしたら徹さんよりも、もっと素敵な人に出逢えるかも知れないじゃない」
「へぇーんだ。それは絶対に無理だね」
「あら、どうしてよ…」
「いいか。考えてもみろ。オレたちは幼馴染みなんだから、オレたちの出逢う前って云ったら、生まれる前しかないんだぞ。バッカじゃないのか、お前は」
「そうかぁ。それじゃ、しょうがない。徹さんで我慢しといてやるか」
「しょうがないとは何だよ。こら、奈津実」
そんな他愛もないことで、言い争いをしているふたりの周りを、時間だけがゆっくりとした足どりで静かに流れ去って行った。
四
さて、異次元の日本に戻った耕助と山本は、その後は何ごともなかったように平穏な日々を送っていた。そんなある日、山本が耕助の家を訪ねてきた。
「耕助、この前はすまん。オレも初めてのことばっかりだったから、すっかり取り乱してしまって、お前にもだいぶ迷惑をかけてな。ホントにすまん」
「何云ってんだよ、山本。オレだって初めはずいぶん驚かされたもんだよ。お前ばかりじゃないって」
「それにしても、ホントに存在するんたな。タイムマシンだのパラレルワールドだのって、オレはSFの世界の話だとばっかり思っていたのに、ホントにド肝を抜かされたよ。まったく」
「だけど、お前なんてまだいいほうなんだぞ。オレなんかお前と入れ違いにこっちの世界に紛れ込んできた、もうひとりの山本に知らないうちに連れて行かれて、もうひとりのオレである耕平に逢わされたんだからな。いやぁ、あの時はオレも驚いたよ」
「しかし、まだ信じられないんだよな。パラレルワールドが実際あったってことが……。地層みたいに何層にも重なり合っているんだろう。そして、それぞれの世界にも似たような国があって、似たような人々が暮らしているなんてのは、いくらお前がオレのことをSFマニアって云っても、どうして、そんなに簡単に信じられるかって云うんだよ。
それに、いいか考えても見ろよ。いまから約百四〇億年ほど前に、ごく小さな原始的原子の爆発によりビッグバンが起こって、この宇宙ができたと言われているんだ。その時すでに無数のパラレルワールドも一緒に生み出されたというんだぞ。
しかし、これはあくまでも理論上の話しであって、ウソかホントかなんてことは誰にも解らないんだぜ。もしも宇宙と同じくらいに無限大に、そんな世界があっとたらオレとかお前みたいなヤツ数限りなくウジャウジャいたとしたら、とてもじゃやないがオレには気持ち悪くて我慢できいんだよ。お前はどうかは知らないけどよ……」
「ふーん、お前の話はどうでもいいとしても、オレは別に耕平と逢ってもそんなに違和感なんてないけどな……。お前は少し考え過ぎなんじゃないのか。山本」
そういいながらも、山本がなぜ自分と同じ人格を持つ異次元の山本を、こんなに拒んでいるのかまったく理解できなかった。
「お前はもともと能天気だから、そんな吞気なこと云ってられるんだよ。ホントに何とも思わないのか。お前」
「何とも思わないのかって云われても、自分と同じなんだよ。どうして自分を嫌わなくつゃいけないんだよ。それとも何か、お前は自分のこと嫌いなのかよ」
「それとこれとは話が別だろうが…」
「いや、オレは別じゃないと思うよ。お前だって本当は、もうひとりの自分のことを認めているんだ。認めているんだけど認めるのが怖いから、わざと認めないふりをしているだけなんだろう。図星だろう。違うか」
「何でオレが、自分を怖がらなくちゃいけないんだ。あんまり、いい加減なことをいうと承知しないぞ。いくらお前だって…」
耕平に自分の心の中を見透かされたようで、山本は少しうろたえたようだった。
「しかし、少し考えてもみろよ。お前の性格じゃしょうがないと思うけど、お前と同じ人格を持ってんだろう、だからお前は同じことを考えていると、相手も同じだから自分の考えも向こうに解かってしまうのが嫌なだけなんだろう」
「ん、まあ、そんなとこだけど、だって気持ち悪いと思わないのか、お前は」
「どうして気持ち悪いんだ。自分と同じヤツが同じことを考えてるんだから、何をするにしたって同時に行動することができるんたぞ。それって、きっと双子以上の能力を発揮できるんじゃないかと思うんだ。そうしたら便利なんじゃないのかなぁ」
「どうしてお前は、そういう考え方が出きるんだよ。オレにはまったく理解できないよ」
「それに、向こうの耕平にしても山本にしても、オレたちと同じ子供の頃の記憶を共有していた。しかし、これからはそれぞれが固有の経験をして、まったく別の人生を歩んでいくんだから、いままでとは当然違った人生が拓けてくることだけは確かなんだ。その証拠に向こうの耕平は、縄文時代という過去の世界に行って、妻や子供もいたけどオレは未だに独身だし、向こうの山本はオレたちと違って何をするにしても、ひとりで判断してひとりで行動してかなくちゃいけないんだ。これを見たってわかるように、すでにそれぞれの世界で縄文時代の耕平にも二十一世紀の山本にも、もう新しい歴史が始まっているんだよ」
自分の考えてきたことを話し終えると、耕助はいくらか気が軽くなったのか、ホッとひと息ついた。すると、いままで耕助の話しを黙って聞いていた山本が喋りだした。
「なるほど、云われてみれば、確かにその通りだよな。オレも今回のことでは、かなりうろたえてしまって恥ずかしい限りなんだけど、見るもの聞くものがすべて初めてのことばっかりで、オレ自身も判断能力というか、思考力が半分崩れかけていたんだから仕方がないけど、いまは違うぜ。俄然興味が湧いてきた。異次元に住んでいるっていう、もうひとりの自分に逢ってみたくなった。何とかならないのか。耕助」
「何だよ。急に、あんなに嫌がっていたくせに、いきなりどうしたんだよ。何とかならないのかって云うのは…」
さっきまで、あれほど嫌がっていた山本を見て、啞然とした面持ちで耕助は聞いた。
「だってよ。縄文時代の耕平とお前を見てて判ったんだけど、もうひとりの自分って云ったって、別に化け物や妖怪じゃないんだから、ぜひ一度逢ってみたくなったんた。なあ、頼むよ。耕助」
「だけどな、山本。オレはあんまりこれを使いたくないんだ。頻繁に使っていると、また向こうの山本みたいにとんでもない世界に紛れ込まないとも限らないだろう。それが心配だし、それに向こうの山本だってお前みたいに嫌がっているかも知れないじゃないか」
「ん、それもわからないでもない。もうひとりのオレだって嫌かも知れないけど、それはそれで話せばわかってくれると思うんだ。何しろ、もうひとりの自分なんだからな……」
しばらく何ごとか考えていた耕助だったが、
「お前がそこまで云うんなら仕方がないな。あんまり気は進まないが行って見るか。しかし、向こうでどんなことになっても、オレは責任持てないからな。そのつもりでいろよ」
「よし、わかったで、いつ行くんだ…」
「んー…、いますぐって訳にもいかないだろろう。来週の土曜日十時頃に公園で待ち合わせしよう」
「よし、よかった土曜日の十時だな。じゃ、オレは帰るぞ。いろいろ準備しなくちゃいけないし、忙しくなるぞ。こりゃあ」
いささかはしゃぎ気味で山本は帰って行った。ひとり残された耕助は、はるかに次元と時間の隔たりがある、縄文時代にいる耕平のことを考えていた。耕助が初めて耕平に逢った時は、別段これといった違和感もなく、ごく自然に逢うことができたのに、山本の場合はどうしてあんなにも毛嫌いしていたのか、まったく理解に苦しむところでもあった。個人差と言ってしまえばそれまでなのだが、何事に対しても平然と立ち向かって行く山本が、あんなにも無様にうろたえた姿は初めて見たのだった。
それから、たちまち日付が変わり土曜日がやってきた。耕助は山本との約束の時間が近づいたのを知り、ゆっくりと公園に向かって出かけて行った。土曜の午前ということもあって、公園には人影もまばらだった。ベンチのある所まで来ると、すでに山本はベンチに腰を下ろしタバコを燻らしていた。
「待ったか、山本」
「いや、オレもいま来たところだ」
「それじゃ、ぼちぼち出かけるか。それより、あっちに行く前に何か話しておくことかなんかあるか」
「別に何もないな…。お前はなんかあるのか……」
「いや、オレも別にないけど、お前も向こうに行ったらあまり軽率な行動だけはするなよ。未来に悪影響を与えるようなことだけはするなよ。これはお前がいつも口癖のように云ってることなんだから、絶対に守れよ」
「大丈夫だって、それにここは過去でも未来でもないし、異次元の日本でもないんだから、そんな悪影響なんてあるはずがないから心配するなよ」
「わかったよ。じゃあ、行くか。いいか、オレの体にしっかり掴まっていろよ」
「OK」
耕助はマシンのメモリー合わせを、もうすでに済ませてあったらしく、できるだけ山本に身体を近づけると、マシンのスタートボタンを押した。すると、周りの風景が一瞬揺らいで、カクンという軽い衝撃の後、すぐさま元の風景に戻っていた。
「着いたぞ。山本」
「着いたぞって云われても、ここはいつもの公園じゃないか。ホントにここが異次元の日本なのかよ」
いつもとまったく変わらない公園に、キョトンと立ったままで、あちこち眺めまわしている山本に、
「わからないヤツだな。お前も、どこも変わらない世界だから、パラレルワールドなんだろう。お前はホントにSFマニアなのかよ。このエセSFマニアめが」
「だけどよー。こう何もかも全然変わらないんじゃ、異次元の別の世界に来たっていう気がしないじゃないか。お前はそうは思わないのか。耕助」
「もう、そんなことは、どうでもいいよ。それより、お前はここで少し待っててくれ。これからオレは、こっちの山本んちに行って事情を話して、もうひとりのお前を連れてくるから。お前と一緒に行って、奈津実さんにでも逢ったらまずいだろう。それにオレもこっちでは行方不明の耕平ってことになってるんだから、ここはできるだけ穏便にことを進めなくちゃいけないんだから、頼んだぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。耕助」
すぐにも行こうとしている耕助を、山本は慌てて呼び止めた。
「何だ。まだ何かわからないことでもあるのか」
「もし、知ってる人にでも逢ったら、どうするんだよ」
「誰か、知ってる人でもいるのか。この辺に…」
「ああ、河野先輩だよ。よく日曜あたりだと、この辺を散歩してて逢うんだよ。もし逢ったらどうしようと思ってさ」
「どうすることもないさ。みんな同じ人格を持ってるんだから、適当に話を合わせておけば、判りゃしないと思うよ。オレは」
「そうかぁ、じゃあ、そうするか…。だけど、変わったところなんて何もないのに、ここが別の世界だなんて、まだオレには信じられないよ……」
「それじゃ、オレは行くよ。三十分…、いや、一時間くらいで戻って来れると思うから、お前はビールでも呑みながら待っててくれ」
そう言い残すと、耕助は公園から立ち去って行った。ひとり残された山本は、これから先もうひとりの自分に逢うということが、どういう意味を持っているのか、どういう展開が待ち受けているのかまったく予測もつかないまま、耕助がもうひとりの自分を連れて戻ってくるのを、ひとりでじっと待ち続けていた。公園に設置された時計を見ると、そろそろお昼の時間が迫りつつあった。
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