第一章 耕平と耕助

       一


 その週の土曜日、佐々木耕助は山本徹宅を訪ねていた。先週逢ったばかりなのに、またしても耕助がやって来たので、何だろうと思いながら山本は聞いた。

「何だ。耕助、日曜日に会ったばかりなのに、まだ何か不審な点でもあるのか…」

「いや、そうじゃないんだけど、どうしても今一スッキリしなくってな。ひとつ、聞いてもいいかな…」

 何かを考え込むように、耕助は言った。

「何だ。その聞きたいことってぇのは…」

[縄文時代に行ったっていう、オレっていうか、その佐々木耕平ってのは、どんなヤツだったんだ。そこんところが気になって気になって、どうしようもなかったんだ…]

「何ぁんだ。そんなことか、何回も云ってるように、名前こそ違っちゃいるがお前そのものさ。寸分たりともまったく変わったところもない、いまオレの目の前にいる佐々木耕助そのものなんだよ。オレだってこっちの世界に戻ってきて、初めてお前の姿を見た時は、自分自身でも信じられないくらいだったんだからな」

「なあ、山本よ。ひとつお前に相談したいことがあるんだけどよ。そのタイムマシン、いまでも使えるんだろう」

「ああ、使えるだろう。それがどうかしたのか」

「じゃあ、オレを縄文時代に連れてってくれないか。自分と瓜ふたつの、もうひとりの自分に逢えるなんて素晴らしいじゃないか」

耕助は目を輝かせるように言った。

「だから、この前も云ったろう。耕平が在るのは、こことは違った次元の縄文時代なの。オレ自体も耕平のいる次元とは、まったく違う次元の日本に帰ってきたんだから、もし行ったとても耕平そのものが、そこにいるはずがねえんだよ。そんなことは一兆分の一の確率で、偶然が重なったとしも絶対にあり得ないことなの。それくらい判らないのか。お前は、まったく……」

「そうかぁ、でも、でもだよ。実際には行ってみなきゃ判らないことじゃないのか。山本」

 耕助は執拗に食い下がってきた。

「だったら、この前話してた。そのタイムマシンの開発者の吉備野っていう、博士にでも聞いてみたらいいじゃないのか。実際に可能かどうかを……」

「しかし、吉備野博士にしたって、オレが違う次元に来てしまった以上、果たしてこの世界の未来に存在しているかどうかも分からないんだぞ。そんなもの、今更どうしようもねえんだよ」

「何もしないでいるより、やって見なくちゃ判らないじゃないか。とにかく、やるだけのことは、やってみてくれよ。それでダメだったら、オレも諦めるからよ。なぁ、山本。オレは絶対に逢ってみたいんだからさ。頼むよ」

 耕助とのやり取りに、半ば辟易した山本は仕方なくマシンの調整に入った。

「だけど、どんな結果が出てもオレの責任じゃないからな」

「分かってるよ。そんなことは」

 山本は吉備野博士との通信用ボタンを押した。すると、瞬時に傍らの空間に歪みのようなものが生じたかと思うと、そこにひとりの老紳士の姿が現れた。

「何か、ご用ですかな。山本さん。そして、こちらが佐々木耕助さんですな。お目にかかるのは初めてですが」

「博士、わざわざいらっして頂いて恐縮です。次元が違うので、初めは半信半疑で通信ボタンを押したんですが、本当に来て頂けるかどうか、まったく自信がなかったんです。これでやっと安心しました。ありがとうございました」

 山本は正直のところ、吉備野博士が来てくれたことでホッとしていた。自分ひとりではどうすることも出きずに、いまのこの状況を打開するためには、博士の力に頼らざるを得ないと思っていたからだった。

「吉備野博士。正直いってオレは、本当に博士に来て頂けるとは夢にも考えてなかったんです。どうやって、まったく次元の違う世界にやって来ることが出来たんですか」

「はい、私はRTSSの研究とともに、次元転移装置の研究も進めてきたのですが、極最近になって、ようやく実用化に漕ぎつけることが出来たのです。試作品の段階ですので、まだテストの域を脱しきれてはおりませんが…。

 これが完成した折に、RTSSと組み合わせた新システムを創り、各次元の同世界の歴史を調べてみました。すると、どの次元に於いても日本では明治維新が達成されておりました。このように歴史というものは、大きな部分では大差は見られないようでした。

 しかし、細かな部分では微妙なズレが生じていることも確かなようです。例えば、大久保利通が存在さえしなかった世界とか、西郷隆盛が暗殺されていた世界もありましたし、反対に坂本龍馬が暗殺されず、維新後は世界中を駆け巡って貿易を行ない、大財閥を築き上げている世界もありました。

 そのようなこともありまして、今回私はテストを兼ねまして初めてやって来たというわけです」

「博士、オレは縄文時代に行って、耕平のところから元の世界に戻ったつもりだったんですが、気が付いたらいつの間にか、この世界に着いてしまっていたんです。もしかすると、何かしらの異常が発生して、時空間に歪のようなものが生じているんじゃないかと思うんですが、博士はどう思われますか」

「それは確かに私もあり得ることだと思いますが、残念ながら現在の私どもの科学力をもってしても、それを確かめることは不可能に近いことなのです」

 吉備野も心から無念そうな表情で、山本の顔を見つめながらさらに続けた。

「ですが、山本さん。この次元転移システムが完成した以上、あなたを元いた世界に送り届けることは可能です。ただし、あくまでもこれは試作品ですので、いかなる事故や異変に遭遇しないとも限りません。その点をご留意頂けますかな」

「そんなことはまったく気にしていません。ただ、いまひとつだけ気になることを思い出したんです。元の世界にもどってみたら、もうひとりのまったく同じ自分がいたなんてことはないでしょうね」

「それはないでしょうな。確信はありませんが」

「それならいいんです。それよりも耕助が縄文時代の耕平に逢いたいって云ってるんですが、博士にもご一緒に来て頂いてもいいでしょうか」

「構いませんよ。それにしても、このような形で次元転移システムのテストをすることになるとは、私は夢にも考えておりませんでしたな。さて、それではまず何から取り掛かりましょうか」

 吉備野の了解を得ると、山本と耕助はお互いの顔を見合わせた。

「縄文時代に送って頂ければ結構です。まるっきり次元の違う世界じゃ、オレたちにはどうしようもありませんから…」

「あ、それからもうひとつお聞きしてもいいですか」

 と、耕助が尋ねた。

「どのようなことでしょう」

「同じ時間帯の中に同一人物は存在できないと、昔山本から聞いたような気もするんですが、その辺は大丈夫なんでしょうか」

「それなら大丈夫だと思いますよ。特にあなたは、もともと次元の違う世界に住んでいた方ですから」

「それを聞いて安心しました。それからもうひとつ、これが済んだら、またボクのことを元の世界に戻して頂けるでしょうか」

「それは、もちろんです。私が責任を持ちましてお届けいたしますから、ご心配なさらないでください」

「よし、それじゃあ、行ってみましょうか。博士」

山本が促すと、吉備野はポケットからコントローラーを取り出すと、細やかに調整を行ってから、静かに立ち上がった。

「それでは参りましょう。おふたりとも私の体に触れてください。よろしいですか」

 吉備野がスイッチを入れると、微かな衝撃が山本を襲った。次の瞬間、さわやかな風が吹き渡る、緑にあふれる風景が視界に飛び込んできた。

 山本にとっては、実に三年ぶりに見る景色だった。懐かしさが込み上げてきた。周りを見まわして耕平が立てたという、記念碑を見つけて駆け寄って行った。

「こ、これだ、これだ。これが耕平の、建てた記念碑なんです」

 そこには丸太の片側を削り落としたところに、ナイフで刻み込まれた文字で、


 二〇一八年四月二十四日 佐々木耕平 ここに至る


 と、記されていた。

「あれ、さっきはオレの部屋にいたのにな……。と、云うことは…、博士のマシンは時空だけじゃなくて、場所の移動もできるようになったんですか」

 山本は、自分が疑問に感じていたことを吉備野に聞いてみた。

「はい、いかにもおっしゃる通りです。おふたりとも先ほど出発した折りに、軽い衝撃を感じられたと思われますが、あれは次元を飛び越える時に起こるものなのです。それでも、どうにか少しの狂いもなく、無事に目的地に着くことが出来たようです」

「へえ、そうなんですか。でも、この腕時計のヤツは場所の移動は出来なかったですよね」

「はい。これはマザーシステムのほうで、私の助手たちがコントロールしているのです。あなたの持たれておられるのは、あくまでもサブシステムですので、まだ場所の移動までは出来ないのです。さて、これからどういたしますか。山本さん」

「これから耕平のところに行って、事情を話してきます。いきなり耕助を連れて行ったりしたら、さすがに向こうもビッリするでしょうから。どうします。一緒に行きますか。博士」

「そうですね…。RTSSでは見ておりますが。実際には初めてですので、私もお供いたしましょうか」

 こうして三人は、耕平の住む縄文の里目指してゆっくりと歩き出した。

をしばらく歩いて行くと、邑の住居群の陰が周りを囲む木立の合間から、見え隠れするように姿を現してきた。ある地点まで来ると、山本は立ち止まって吉備野と耕助のほうをふり向いた。

「おふたりはちょっとこの辺りで待っていてください。いま様子を見てきますから、すぐ戻ります」

 邑に入っても人影らしいものも見られず、かつて自分が住んでいた家の前まで来ると、ひとりの女が小さな男の児と女の児を遊ばせているのが視えた。耕平の妻であり、娘のライラを預けて行ったカイラの妹のウイラだった。

「ウイラ―…」

大きな声で叫ぶと、山本は駆け出していた。ウイラも驚いたように、急いで女の児を抱き上げるようにして駆け寄ってきた。

「トオルー」

「ウイラ、元気そうだな。逢えて嬉しいよ」

「トオル。見て、見て。ライラたよ。おおきくなったよ」

 抱きかかえていた女の児を山本に手渡すと、ウイはにっこりと微笑んだ。

「これがライラかい…。大きくなったな……」

 山本は、それだけ声にするのがやっとで、思わずライラを抱きしめてしまっていた。

「ユキがもう三回もふったのに、トオルはとこ行ってたの…。ときときコウヘイとはなししてたよ」

 雪が三回降ったというのは、たぶん三年経ったという意味だろうと、山本は思った。「ところでウイラ、耕平はいるかい。ちょっと話があるんだ」

「コウヘイならすく帰るよ。狩りに行ってるよ」

 中に入って待っていると、外のほうで誰かがやって来る気配がした。

「耕平か…」

 山本は瞬発を入れずに外へ飛び出して行った。

「耕平…」

 そこには蔦のツルで結わえた獲物を担いだ。耕平が立っていた。

「山本か…、何だ、お前また来たのか」

耕平は山本を見ると、肩の獲物を下ろしなから言った。

「何が『また来たのか』だ。こっちはひどい目に遭ったんだぞ。人の気も知らないで…」

「血相変えて何を騒いでるんだよ。お前は。一体何があったんだよ。とにかく中に入れよ」

 中に入るとさっそく耕平が聞いてきた。

「相変わらず騒々しいヤツだな。何があったんだ。一体」

「ん、三年前になるのかな。もう、あの後お前と別れて二十一世紀に帰ってみたら、とんでもないことになっていたんだ……」

 山本は、これまで自分が体験してきたことを、包み隠さず耕平にすべて語った。


      二


 語り終えた山本は、ひと息つくとタバコを取り出しながら、

「そういうわけなんで、最初のうちはオレもわけが判らなくて、ホントどうしようかと思ったんだけど、思い切って耕助っていうお前と瓜二つのヤツに話してみたんだ。

 何度も云うようだけど、その耕助ってのは顔や姿格好から話し方まで、まるっきりお前そのものなんだ。いま吉備野博士と一緒に、この少し先で待ってもらっているんだけど、前にオレが住んでた家はいまでも空いてるのか」

「ああ、空いてるよ。だけど、そんなこと聞いてどうするんだ」

「その耕助が云うには名前こそ違ってはいるが、その耕平という人間が自分と同一の人間なのかどうか、ぜひ一度逢って自分の目で確かめたいって云ってるんだ。これから行って連れてくるから、お前さえよかったら逢ってやってくれないか」

「オレは構わないけど…、へえー、佐々木耕助かぁ…。オレの息子と同じ名だな……。何なら、オレも一緒に行こうか」

「いや、オレが行くよ。昔から、お楽しみは後からって云うだろう。お前はオレの家で待っていてくれ」

 耕平の住居に置いたままにしてあった自分の石槍を掴むと、山本はふたりの待っている草原を目指して走り去って行った。

 それから間もなく、耕平は山本が住んでいた家の前に立っていた。

 やがて邑を包み込むように立ち並ぶ、樹木の間を縫うようにして吹き渡る風の中を、山本を先頭にこっちに向かって進んでくる三人の姿が目に映った。

 耕平のいる場所まで辿り着くと、

「これは、だいぶ久しいですな。佐々木さん。お元気でそうで、何よりです」

 と、吉備野が会釈した。

「そして、これがお前そのものの、別次元からやって来た佐々木耕助だ。耕平、どうだ。どう見たって、お前そのものだろうが」

 山本が紹介すると、耕平も耕助もお互いにまじまじと見つめ合っていたが、最初に口を切ったのは耕平のほうだった。

「こりゃあ、驚いた。確かに数年前のオレそのものだよなぁ。こんなのって、ホントにあるんだな。ホントに 不思議だ驚いたよ…」

「ホントだなぁ。服装とか髪型は違っていても、こりゃあ、どう見たってオレそのものだよなぁ…」

耕助も耕平も、またお互いの顔を見合わせながら溜め息をついた。

「さて、これからどうしますかな。耕助さんのことは連絡さえ頂ければ、いつでも迎えに参りますが、どうします。私はすぐに戻らねばなりませんので…」

「それじゃ、耕助はオレと一緒に少し留まって、ふたりの記憶に何か食い違いがないかどうか、じっくり確認して見てはどうだろう」

 山本が提案すると、

「それはいいな。ぜひ、そうしてくれ。頼む」

 と、耕平も賛成したので、

「よし、決まった。それでは博士、オレたちはしばらくここに残ります。博士は戻って頂いて結構です。わがままばかり云って申し訳ありません。どうも、いろいろとありがとうございました。」

「そうですか。それではお暇いたしましょう。機会がありましたら、後ほど私にもお話をお聞かせください。それでは皆さん、ご機嫌よろしゅうに」

 吉備野は踵を返すようにマシンの操作に入ると、瞬時にしてその場から姿を消していた。

「さて、これから家の中に入って、三人でじっくりと話し合おうじゃないか」

 山本は率先して入り口を開けると、部屋の中に入って行った。三人は中央の囲炉裏を囲むように座り、山本はポケットからタバコを出して火をつけた。

「さて、何から始めようか。とにかく、オレは今回のことではだいぶド肝を抜かされたんだからな。何しろ、SFではパラレルワールドをテーマにした小説を読んだりはしているが、理論的には、まだまだ推論の域を脱しきれてはいないんだから、実際に自分がパラレルワールドに紛れ込んでしまったんだから、驚いちゃうよ」

「だから、オレも最初は変だなと思ってたんだ。時々山本がオレのことを「耕平」って、呼んでから「耕助」って云い直すからおかしいなとは思ったんだが、この前、話を聞いて初めて解ったんだよ。それにしても、ホントに世の中には不思議なことってあるんだな…」

 耕助にしても自分のことを山本が、時々耕平と呼ぶことに対して、そんなに違和感は感じていなかったが、何んとなく納得は行かなかったらしい。

「そこでだ。オレの知らない部分でお前らふたりしか知らないことで、何か食い違う部分がないかどうか話し合ってみてくれないか。そうだなぁ…、特に子供の頃のこととかさ」

 と、山本がふたりの話しをするキッカケを提案してくれた。

「そうだなぁ…、子供の頃か……、山本の知らないことでか…、何があるだろう」

 耕平も耕助もしばらく考え込んでいたが、

「それじゃ、きみのところでは、おじいちゃんは中学二年の時に死んだかい」

 まず最初に口を切ったのは耕平だった

「うん、死んだよ。確か、雨の降りしきる朝だったかなぁ…」

「そうか、確かに雨の降る朝だったよな…」

「それじゃあ、きみは自転車で転んで、左足をケガしたことはあるかい」

 今度は耕助が耕平に聞いた。

「ああ、した、した。横丁の角のところで女の子にぶつかりそうになって、避けこそこねて膝を擦りむいたんだった」

「そぉかあ、やっぱりなぁ…。それじゃ、祭りの縁日で金魚すくいをやってて、あんまりすくい過ぎて店の人から嫌な顔をされたことは……」

「あ、ある、ある。あン時は、いくらすくっても網が破れないんで、オレ自身も嫌になったことを覚えてるよ。あ、そうだ。いま思い出したんだけど、その後でオレん家の隣りの女の子がお母さんとやって来たんで、すくった金魚を全部やったら大喜びして帰って行ったよ」

「そう、そう。あんなに喜ぶとは思っても見なかったな」

「そうかぁ、どこまで行っても何からなにまで一緒かぁ…」

 耕平が言うと、耕助は山本と顔を見合わせて黙りこくってしまった。

「このままじゃ、どこまで行ったって堂々巡りのままだぞ。何とかならないのかぁ、耕平」

「何んとかって云われてもなあ。これだけ食い違うところがまったくないんじゃ、どうしようもないんじゃないのか…」

 耕平が両手を広げてお手上げを示すと、山本が何かを考えるような素振りを見せながら言った。

「このままじゃ、何の糸口も見えてこない。ホントに何かいい手はないのかなぁ……。お前らももっと真剣に考えろよ」

「何云ってるんだよ。オレたちが何も考えてないっていうのか。お前は…」

 耕助が向きなって言った。

「でも、何かあるはずだよなぁ。何かひとつくらい違う点が……、何かないのかなぁ。例えば、山本が知ってることで、オレたちのどっちかが知らないこととかさ…」

 耕平が山本とは逆の発想から提案した。

「何、オレが知っていてお前たちが知らないことだって……、そんなものあるのかなあ…」

 山本はしばらく考え込んでいたが、何かを思いついたのかおもむろに口を開いた。

「しかし、そんなこと急に云われても、これといって何も思いつかないなぁ…。何かあるんだろうか。うーん、特別何も思いつかないけどなぁ……」

 それだけ言うと、山本はまた黙り込んでしまった。

「だけどさ、何かあるだろう。特にオレは次元が違う世界の日本から来たんだから、例えばさ、オレのいた日本では一九七〇年に万国博覧会は開催されたけど、こっちの世界では『太陽の塔』という万博をシンボライズしたオブジェがあったらしいけど、オレのいた日本では代わりに『希望と夢』という、万博を象徴するものが設置されていたんだ。だから、吉備野博士が云われたように、大筋ではそんなに変わらないまでも、どこか細かいところで微妙にズレがあると思うんだよ。特にオレや耕平にしても山本にしても、個人的なことならなおさら小さなことで、ただオレたちが気がつかないだけなんだと思うよ」

 耕助はそこまで言うと、ひとつ大きく深呼吸をした。

「なるほどなぁ…。そう云われればそうかも知れないけど、それにしてもだよ。オレにはどうも納得いかないものが残るんだよなぁ…」

 そう言って山本もまたため息を吐いた。

「何がだよ」

 と、耕平が聞いたが、山本は少し口ごもりながら、

「何だかよくわからないんだけけどよ。何か、こうスッキリしないんだよな。何かが喉の奥に引っかかっているようで気持ちが悪いんだよ。ええーい、もう面倒くさくって、どうでもいいや。もう…」

 山本はしゃにむに両手で頭を掻きむしりながら言った。

「やめろよ、山本。すぐにそうやってイライラして途中で投げたすのが、お前の一番悪いところなんだぞ」

 耕平が山本を諭すように言った。

「そうじやねえよ。これ以上考えたって、どうにもならないだろうが、時間を無駄にするだけだから、もういいよ。そのうち何かうまい手が思いつくだろう。何しろ時間はたっぷりあるんだからよ。そんなことより、オレたち三人は幼なじみで幼稚園から高校まで、一緒に過ごしてきた親友には変わりないんだから、それでいいじゃないか。もう…」

「だから、そんな投げやりな云い方はやめろよ。山本」

 耕平がいささか語気を強めて言った。

「だけどさ。まつたく次元の違う世界に住んでいたとは云っても、オレと耕平は同一の人間には変わりないんだろう。だったら、同じ体験をして同じような生活をして来たんだろう。いまは少し違うかも知れないけど…」

 耕助が何かを考えているような口調で話し出した。

「だけど、オレは耕平みたいにタイムマシンは拾わなかったし、あの日公園にも行かなかったから、当然山本とも逢ってなかった。だから、もし違うとしたらそこだけなんだ。それにオレにはちゃんと父親はいたし、オレの子供の頃死んだって云うし、家には位牌もあるから耕平と違う点と云えば、ここだけなんだと思うんだ」

「何だって…、お前には父親がいたのか…。父親の名前はなんて云うんだ…」

 耕平が驚いたように問い質すと、

「名前か…、それが不思議ことに名前は『佐々木耕平』っていうんだ」

 それを聞いた耕平と山本は、思わず顔を見合わせていた。

「何だ、何だ、なんだぁ……。それじゃ、まるでいまの耕平と同じじゃないか。耕平の息子も『コウスケ』っていうんだぞ。ますます分からなくなってきたぁ……」

 山本はついに頭を抱え込んでしまった。

「でも、そんなことは山本の云うように、どうでもいいような気がしてきたよ。これ以上考えたって住んでいた次元が違うんだから、どうしようもないと思うんだ。それにオレは佐々木耕平という人間に逢ってみたくって、吉備野博士に頼んで連れてきてもらっただけだし、同一人物だけあってオレとほとんど変わりなくって安心したから、それでもういいんだ。少しくらいは違うところがあっても、それはそれで仕方のないことなんじゃないのかな」

 耕助の言葉には、もういささかの未練も後悔も感じられなかった。

「もうひとつ聞きたいことがあるんだけど、お前の母親の名前はなんて云うんだい」

 耕平の質問に、耕助は即座に答えた。

「決まってるだろう。佐々木亜希子っていうんだよ。それがどうかしたのか」

「いや、何でもないんだ。そうか…、やっぱり佐々木亜紀子っていうのか……」

 もちろん、耕平は母親の名前が一文字違っていることに気づかなかった。

「結局は何ひとつ変わったところが見つからなかったか、これらどうするんだ。耕助」

「どうしようか……。山本はどうするんだ。すぐ戻るのか、それならオレも帰らなくちゃいけないし、お前に任せるよ」

「どうするっつっても、二度と来ないだろうと思っていた縄文時代だしな…。まあ、少しの間だったら、もうちょっと残ってみようかなとも考えてきたんだ。それにカイラやムアイの墓参りもしてやりたいしな」

「じゃ、オレもそうするよ。山本のいうとおり、縄文時代なんて二度と来れないわけだから、オレも縄文人の生活を見てみたい」

「よし、決まったな。また、しばらく邪魔するぞ。耕平。オレたちの食い扶持は、オレたちで何とかするから耕平には心配かけねえよ。明日から、また狩りに行くぞ。今度は耕助を含めて三人だから、前よりも細かい作戦が立てやすいぞ」

 そんな話をしているうちに太陽は西に傾いて、辺りはすっかリ闇に包まれていた。耕助にとっては、縄文時代で迎える初めての夜であった。


     三


 翌朝、耕助が目覚めると部屋の中は暗かったが、傍らで山本が静かな寝息を立てて眠っているのを見て、そのままひとりで外に出てみた。遠くの山々を背景に太陽が昇りきったところだった。清々しい朝だった。空気がとても澄んでいて深呼吸をすると、新鮮な空気が耕助の胸いっぱいに広がった。

 昨日までは、大都会とは比べ物にならないものの街へ出れば排気ガスの匂いや、その他諸々の入り混じった匂いが鼻を突いてくるのが常だった。それが、ここでは違っていた。普段は気にも留めずに呼吸をしているが、すべての人類や動物たちが地球上で生きていくためには、必要不可欠のものであることを改めて知った気がする耕助だった。

 耕助は自分が住んでいた事件とし違う世界にしろ、地球という星に生まれてきたことに対して森羅万象を司る神に感謝したい気持だった。

「何だ。耕助、もう起きたのか…」

 入口の戸が開いて山本が出てきた。

「眠れなかったのか、耕助。確かお前は寝起きが悪かったじゃなかったか。珍しいな…」

「いろんなこと考えてたら、なかなか寝付かれなくってな。でも、少しは寝たから平気だよ。それより、山本もやっとオレのことを耕平じゃなく、耕助って呼んでくれたな」

「すまん。オレも自分では分かってはいても、昔のクセでつい耕平ってのが口から出てしまうんだ。ホントすまん」

「いいよ、いいよ。そんなこと気にしてないから」

「よし、それじゃ飯でも炊いて朝飯にでもするか。前に持ってきた缶詰やなんかが、まだ大分残っているようだから、それでいいよな」

それからふたりは食事の支度にかかったが、山本がここを出てから三年も経っていたために、米はカビが生えいて使い物にならなかった。

「うわぁ…、こりゃあ食えないや。まあ、いいか。缶詰ならいっぱいあるし、今日のところはこれで我慢するか」

 食事を済ませて外で待っていると耕平がやって来た。

「おはよう、耕助に山本。昨夜は眠れたかい」

「ん、あんまり寝れなかったけど、少しは寝たから大丈夫だ」

「そうか、それならいいけど、それから、これをお前にやるから使ってくれ」

 耕平はふたつ持ってきた弓のひとつを耕助に渡した。

「これは、オレがここに来た時、初めて造った弓なんだ。向こうからくる時アーキュリー用のを持ってきたんだが、競技用では実戦に向いてなくて、苦労してやっと造ったんだ。見かけは悪いけど、性能はけっこういいんだぞ。やるから使ってくれ」

「へえー、これを造ったのか。すごいな…」

 耕助は受け取った弓の弦を軽く引いてみた。手を離すとブンという低い音を発した。

「いい弓じゃないか、これ。貰ってもいいのか、ホントに」

「ああ、やるよ。この世界では弓と槍は必需品だからな」

 話を聞いていた山本が、ふたりを促すように言った。

「じゃあ、そろそろ出かけるか。何しろ、耕助は初めてだからな。いろいろ教えてやるよ」

 こうして三人はそろって出かけて行った。山本にしても、しばらくぶりの狩りであった。

「さて、きょうはどこに行こうか」

 と、耕平が聞いた。

「ほら、あそこがいいんじゃないか。お前と初めて行った、小さな川が流れていて動物たちが水のみに来るところ、あそこなら見晴らしもいいし耕助は初めてだから、あそこがいいよ」

「よし、そうするか。じゃあ、行こう」

 森を抜けて、せせらぎの音が聞こえる辺りまで来ると、耕平は灌木の茂みをかき分けて川辺の様子を窺がった。川幅の狭い流れに沿って、川の両側では鹿や山羊などに交じって、小動物たちが水を飲んでいるのが見えた。

「いるぞ。いる、いる。お前らも見てみろよ。いっぱいいるから」

「どれ、どれ

山本と耕助も茂みから顔を出た。

「あんなにいるんだぁ…、オレたちの世界じゃ、絶対見られないぞ。こんなの……」

 耕助が歓喜の声を上げた。

「お、いるなぁ。どれからやる、耕平」

 山本が聞いた。

「そうだな。鹿は角があって暴れられると危ないから、あの山羊でどうだ」

「いいんじゃないか、あれで。で、どうする」

「よし、分かった。それじゃ、いこう」

「でも、オレ狩りなんて初めてだし、大丈夫かな…」

 耕助が不安そうにつぶやくと、耕平が励ますように言った。

「大丈夫さ。お前はオレなんだろう。自分のことは自分が一番分かってるんだから、大丈夫だろう。さあ、行くぞ」

 耕平は弓に矢をつがえ、耕助のほうを見た。耕助も同じように矢をつがえた。ふたりはまったく同じ動作で弓を弾き絞り、間髪を入れずに矢を放っていた。ふたりの矢が命中して山羊が倒れ込むと、他の動物たちは四方に逃げ去って行った。もう、そこには山本の出番はなかった。山羊が倒れている場所に駆け寄ってみると、ふたりの射った矢は山羊の首筋に当たりすでに絶命していた。ふたりの行動を目の当たりに見ていた山本は、口には出さなかったが内心驚きを隠せなかった。

 耕助にしても耕平にしても、百万分の一の狂いもなく同じ行動をしているのだから、山本が驚くのも当たり前なのかも知れないが、昔から双子の兄弟は同じような考えを持ち、同じような行動を取るとは聞いてはいたが、耕助と耕平の場合はまったくその比ではなかった。

映画やテレビの時代劇に出てくる忍者が、分身の術を使い同じ行動を取っているように見えたのだから、耕助と耕平が確かに同じ人物であることを山本は確信した。

「いやあ、それにしてお前らには驚かされどうしだぜ。ホントに」

「何がだ。山本」

耕平が山羊の内臓をさばきながら聞いた。

「だってよ。お前と耕助の動きがまったく同じなんだぜ。これが驚かずにいられるかよ」

「そんなこと云ったってな。オレたちふたりは同一の人間なんだろう。同一人物がバラバラの行動をしてたら、おかしいだろうが、そうは思わないか。山本は、お前も吉備野博士に頼んで、異次元の二十一世紀に連れて行ってもらって、同じ自分にあって見ろ。最初はお前だって絶対に妙な気がするから」

山羊の内臓を取り出し終えた耕平は、それを川の流れに投げ入れている。耕助も側に行って手伝っていた。

山本は、いま耕平に言われたことで少し不安になっていた。耕助のいた世界の自分はどうしたのだろうという思いと、自分と入れ替わりにこっちの世界に転移したのではないかという疑惑が渦巻いていた。吉備野博士は、それはあり得ないとは言ってくれたが、最後に言った『確証はありませんが』と、いう言葉が妙に気になっていた。

もし、このまま二十一世紀に戻って、もうひとりの自分がいたらどうしようという恐怖感があった。そんな想いを山本は首を激しく振って打ち消した

「どうしたんだ。山本。どこか悪いんじゃないのか」

「ホントだ。顔色が悪いぞ。どうしたんだよ。山本」

山本の様子がおかしいのに気づいた耕平と耕助が寄ってきた。

「何でもない。大丈夫だから心配すんな。大丈夫だって、ほら」

 山本はふざけるように大きくジャンプして見せた。しかし、そうしていても山本の内部では、もしかしたら同じ次元の中に、もうひとりの自分が存在しているかも知れないということが、どうしても気になって仕方がなかった。現実に山本の目の前には名前こそ違うにしても、耕平と耕助がいるのだから、いくら否定しようとしても否定できないことも事実だった。

 もうひとりの自分って、とんなヤツなんだろう。もし、そんなヤツがいたとしても、耕助や耕平と違って自分は逢いたくないと山本は思っていた。

「さてと、今日はあんまり気が乗らないから、そろそろ帰らないか。山羊一頭仕留めたんだし、今日のところはそれで充分だろう。帰ろう」

 こうして、獲った山羊を交代で担ぎながら帰路に就いた三人だったが、その道々耕助と耕平に山本は聞いてみた。

「ひとつお前らふたりに聞きたいことがあるんだけど、いいかな…」

「何だい。どんなことだ」

 ふたりとも同時に答えた。

「お前らは、ほぼ同一人なんだから、考えていることなんかも一緒なんだろう」

「ああ、たぶんそうだと思うよ。それががどうかしたのか…」

 ふたりは、また同時に答えた。

「それでお前らは、何とも思わないのか」

「オレたちは同じ人間なんだろう。同じ人間が同じことを考えてたって、別に不思議ではないだろうが。なあ、耕助」

 耕平が耕助に同意を求めた。

「オレもそう思うけどな。違うのか、山本は…」

「だけどな。お前らはそれでいいかもしれないけど、耕平の次元で暮らしていた自分が、こっちの世界に転移してきていたら、どうしようかと思ってさっき考えてたんた。もし、そんなヤツが目の前に現れたらオレは絶対に嫌だからな……」

「へえー、そうなのか。でも、何でそんなに嫌がるんだ。山本は…」

 耕助は耕平と顔を見合わせながら言った。

「何がって…、そりゃあ、決まってるだろうが、お前らを見ててもわかるがまったく同じ人間なんだぞ。そんなのが目の前にいてみろ、オレはきっと気持ち悪くなる違いないんだ。オレと同じことを考えてヤツがなんて、考えただけで頭の中が変になっちまうよ。ああ、いやだ。いやだ」

 そう言いながら、頭を抱えている山本を見て耕平が、

「何でお前が、そんなに嫌がるのかオレにはわからないけど、全然違う人間じゃないんだぞ。何をするにしても同じことを考がえて、同じ行動を取ることが出きるんだから、こんなに素晴らしいことはないと思うんだけど、耕助はどう思う」

「ああ、オレもそう思うよ。山本は頭の中でばかり考えいるから、わからないんじゃないかなぁ。違うか、山本」

 耕助も耕平と同じ考えを示した。

「お前らは他人事だと思って、そんなことが云えるけどな。まったく、いまのオレと同じヤツなんだろう。前に一度だけ二十八年後の自分に逢ったことがあるけど、あの時は歳も倍近く離れていたから違和感も感じなかったけど、今回まったく状況が違うだろうが、いまのオレとほとんど変わらない自分に逢うなんてのはまっぴらだって云うんだよ。オレは……」

 頑なに、もうひとりの自分に逢うことを拒んでいる山本に、困惑した表情で耕平が言った。

「山本。まだ逢ったわけでもないし、必ず逢うとも限ったわけじゃないんだから、そんなに考えたって仕様がないんじゃないのか。お前らしくもないぞ。どっちかっていうと、お前はもともと成り行き任せのほうじゃなかったか」

 耕平の言葉にいくらか冷静さを取り戻したのか、少し反省したような口調で話し出した。

「いや、すまんな。耕平も耕助も、お前らふたりは初めてあった時、あんなに冷静だったのにオレはまだ出逢ってもいないのに、つい取り乱してしまって恥ずかしいよ……。でもなぁ、この世界にもうひとりの自分がいると思うと、なんかこう背筋がゾクっとしたことは確かなんだ。でも、もういいや。耕平の云うとおりだ。もし、もうひとりのオレに出逢った時は出逢った時だ。そん時ゃあ、何とかするさ。ホントにありがとな。耕平、耕助」

 元気を取り戻した山本を見て、耕平も耕助もホッとしたように顔を見合わせた。


      四


 それからも、しばらく三人の話は続いていたが、急に耕平が思い出したように言った。

「耕助はどうかは知らないけど、最初に山本から話しは聞いてたんだが、本当のことを云うと、あの日ここでお前たちを待っていたら、遠くの方から近づいて来る耕助の姿を見た時は、思わず自分の眼を疑ったぐらいなんだ。耕助の姿は紛れもないオレそのものだったんだからな…。山本から何も聞いてなくて、予備知識もなく耕助がひとりやって来たら、多分オレは夢でも見ているのか、自分が気でも狂ったんだと思っただろうな。何しろ、ここに着いた頃のオレと格好がそっくりだったんだから……」

「オレもだよ。耕平」

 耕平が話し終えると、待ってたように耕助が話し出した。

「オレも山本から話しを聞いてはいたが、例え双子だってこんなに似てないし、子供の頃の話を聞いても何から何までみんな同じだし、耕平はオレでオレは耕平なんだと自分で確信したんだ。そりゃあ、オレだって驚いて最初は声が出なかったさ……」

「ふーん。やっぱりお前たちも内心では驚てたってわけか…」

 山本もため息を吐くと、タバコを取り出して火をつけた。

「んで、これから耕助はどうするんだ。もう、これ以上ここにいたって、何も新しい発見なんてないかも知れないんだから、帰るんなら吉備野博士を呼ばないと帰れないんだぞ。博士の次元転移システムがないと、お前の世界には戻れないんだからな。どうする気だ。オレは次元転移なんて関係ないから、帰る気になればいつでも戻れるからいいけどよ。どうするんだ。ホントに」

 山本に言われるまでもなく、耕助は悩んでいた。と、言うよりも、自分とまったく同じ人格を持ち、耕平は自分であり自分は耕平なのだという堂々巡りに似た、いわば得体の知れない迷宮に迷い込んだような、そんな感覚に引きずり込ままれそうになるのを必死で堪えていた。

「耕助。おい、耕助。急に黙り込んじまって、どうしたんだよ」

「え、ああ、何でもないんだ。で、何だっけ…」

「だから、もうここにこれ以上いたって、しょうがないんじゃないかっつってたの。どうする気なんだよ。お前は」

「あ、うん。それは構わないけど、いつ帰るんだ。山本は」

「オレはいつでもいいよ。帰る気さえあればいつだって自力で行けるから、問題はお前だよ。お前の場合は次元を飛び越えなくちゃいけないから、吉備野博士にお願いしなくちゃならないから、オレの手には負えないんだよ。分かってんのか、そこんところ」

「それなら、もう少し居させてもらえないか、耕平。オレも一回帰ったら、もう二度と来れないと思うんだ。だから、もっと耕平たちの生活を隈なく見届けたいんだ。ダメかい」

「止めといたほうがいいぞ。あまり長居をすると、オレみたいに辛く苦しい思いをするのがオチだって、悪いことは云わないから止めとけって……」

 自分の体験から、耕助を早く元の世界に戻そうとして、必死に説得している山本を見ていた耕平が話に割り込んできた。

「まあ、いいじゃないか、山本。耕助がせっかく居たいって云ってんだから、納得がいくまで居させてやれよ。お前、帰りたいんなら先に帰ってもいいぞ。吉備野博士ならオレも連絡がつくし、好きにしていいぞ。耕助の面倒ならオレが見るから」

「そうは行かないよ。こんなことになったのも、元はと云えばオレに責任があるんだから、先になんて帰れるもんか。冗談じゃない」

 確かに耕平には、山本が吉備野博士から預かってきたマシンを、前に来た時に渡したものを待っていた。しかし、山本は耕平が父親の消息を調べに、一九九〇年に旅立った時のような思いは二度としたくなかった。それほど待つという行為が、過酷で苦しいものであることを山本は身に染みて知っていた。

「よし、決まりだな。明日からオレも狩りでもなんでも手伝うから云ってくれ」

 耕助は立ち上がると、入り口を開けて外に飛び出していた。

「ああ、なんて清々しい澄んだ空気なんだろう。いいだろうなぁ。こんな所でずっと暮らして行けたら……」

 山本も耕平も出てきた。

「ここはホントに空気がきれいだな」

 耕助が言った。

「当たり前だろう。垂れ流しの工場もないし公害もないし、超自然の世界なんだからな」「ところで、お前どうする。これから、今日は」

 耕平が聞いた。

「ああ、カイラとムアイの墓参りにでも行ってこようと思ってるんだ」

「そうか。カイラもきっと喜ぶぞ。ムアイもな」

 それを聞いていた耕助が寄ってきた。

「オレも一緒に行くよ。どこにあるんだ。その墓ってのは」

「いや、耕助には悪いけど、ひとりで行かせてくれ。それより、耕平からいろいろ聞いといたほうがいいぞ。この世界で暮らして行きたいのなら、予備知識はいくらあったっていいんだからな。それじゃ、行ってくる…」

そう言うと、山本は静かな足どりで立ち去って行った。

「まあ、ひとりにしてやれ。アイツもたまには感傷的になってるんだろう。さて、オレたちもボチボチ行くか。何から教えようか……」

 耕助も耕平の後について歩き出した。

山本がカイラの墓に着いた頃には、太陽は中天よりやや西に傾きかけていた。

『また来てしまったよ。カイラ』

山本はカイラの墓の前で、膝を折り込むようにして両手を合わせていた。

『ライラも元気に育っているから、安心しておくれ。もう二度と来ることもないと思っていたのに、また来てしまったよ。でも、また逢えてオレも嬉しいよ。カイラ』

 そうして、山本はしばらくカイラの冥福を祈り、すぐ傍にあるムアイの墓にも祈りを捧げた。

『ムアイもしばらくだったな…。お前が、あの熊を命がけでやっつけてくれたから、カイラの仇が討てたんだ。ありがとうよ。昔みたいにカイラと遊んでやってくれてるかい。オレは当分そっちには行けそうもないから、カイラのことは頼んだよ。ムアイ』

 山本はカイラとムアイの冥福を祈った後、ふたりの墓の周りの雑草をむしり、きれいに掃除をしてから家路についた。

 その晩、また三人はかつて山本が住んでいた家に集まっていた。

「お前が墓参りに行っている間に、耕平と話し合っていたんたけど、どうしてもふたりの間で違う点は見つけることが出きなかったんだ。どうしたらいいと思う。山本は……」

 耕助が困惑したように聞いてきた。

「そりゃあ、そうだろうなぁ。オレもよくは判らないけど、パラレルワールドなんて所詮そんなもんなんだろう。何かが少しづつ違うったって、そんなものはどうやって調べりゃいいんだよ。そうだ。例えば、歴史的にはどうなんだ。坂本龍馬が暗殺されなかったとか、宇宙開発競争でソ連がアメリカよりも先に月に行ったとか、何かないか別のことでもいいからよ。何かないのか、ホントに…」

「いや、龍馬は慶応四年に死んでるし、月に行ったのだってアメリカのほうが先だったし、何もかもが同じなんだよ。あと、他には何かないかな……」

 耕助は腕組みをして必死に考えている。

「歴史かぁ……。歴史といえば、山本は江戸時代とか幕末の辺りとか、明治維新の頃は詳しかったよな。ここみたいな古代史は全然ダメだって云ってたけど」

 耕助に代わって、今度は耕平が山本に聞いた。

「だから、最初ここにくる時、どうもここが縄文時代らしいって分かったんだけど、縄文時代なんてまったく知らなくて、河野先輩から聞いておぼろげながら想像はできたんだが、初めてこっちに着いた時は、ホントにここがあの公園なのかと思って驚いたし、河だってあんなに川幅が狭いだろう。驚きっぱなしだったよ。正直云って……」

 山本は目を細めるようにして、三年前にここに来た頃のことを思い浮かべていた。

「もう、止めよう、こんな話。いくら話したってオレがいたところと、ここでは次元が違う世界なんだから、いつまで話したってどうにかなるもんでもないだろう。オレも耕平と逢って話もできたし、もういいよ。明日にでも帰ってみるから、吉備野博士に連絡してくれよ。山本」

 いままで考え込んでいた耕助が急に帰ると言い出した。

「いきなり、どうしたんだよ。もう二度と来れないかも知れないんだぞ。それでいいのかよ。耕助」

「仕方ないよ。住んでる次元が違うんだからな。もういいよ。わがまま云って連れてきてもらったのに、ホントにゴメンよ」

耕助は、本当にすまなさそうに山本に詫びた。

「まあ、いいんじゃないか。耕助もこう云ってんだから、明日になったら吉備野先生にコンタクトしてやってくれよ」

山本は黙って頷くと、ひとりで部屋を出て行った。

 外に出ると、夜風がひんやりとして心地よかったが、山本の中では訳の分からない蟠りのようなものが燻ぶっているのを感じていた。

 そして、夜が明けた。

 山本が目醒めると、耕助の姿がどこにもなかった。急いで外に出てみると、耕助はひとりで

遠くの山々を眺めていた。

「ずいぶん早いな。もう起きてたのか。耕助」

 山本が声をかけると耕助も振り向いた。

「ああ、山本か、いろいろ迷惑かけてすまなかったな。元の世界に戻ったら、もうひとりの山本に話してやるよ。お前のこと、もっとも耕平と同じように、向こうの山本にも信じてはもらえないだろうがな……」

 耕助があまりにもシミジミと言うので、山本もつい感傷的になっていた。

「オレもあっちには二度と行けないだろうと思うから、お前も達者で暮らすんだぞ。耕助」

「わかったよ。いろいろとありがとう。そろそろ行ってみるから、吉備野博士にを呼んでもらえないか」

「それは構わないけど、耕平と逢ってかなくてもいいのか。お前だって二度と来れないんだから、顔だけでも見てから行けよ」

「いや、いいんだ。このまま逢わないで行くよ。逢えばお互いに辛い思いをするだけだから、このまま行くよ」

「そうか、わかった。じゃ、呼ぶぞ」

 山本がマシンの通信用のボタンを押すのと、ほとんど同時だった。

「おい、お前ら、何やってんだ。ここで」

振りかえると、そこには耕平が立っていた。

「まさか、オレに黙って帰るつもりじゃなかったんだろうな」

と、耕平が言ったのと、ほとんど同じタイミングで吉備野博士が、陽炎がゆらめくように姿を現した。

「これは皆さん、お揃いでご機嫌よろしゅうに」

「ほら、やっぱり、オレに内緒で帰ろうとしてたじゃないか」

「違うよ、耕平。これは耕助が帰りたいっていうから、吉備野博士に来てもらったんじゃないか。勘違いすんなよ」

「ゴメン、耕平。顔を見たら別れがつらくなるから、逢わずに行くって云ったのはオレのほうなんだ。許してくれ」

耕助はすなおに詫びて、吉備野のほうに近づいて行った。

「吉備野博士。それじゃ、よろしくお願いします。耕平も山本も、もう逢えないかも知れないけど、元気でな…」

「ちょっと待ってくれ。耕助。これを持って行け」

 耕平は自分の持っていたタイムマシンを耕助に渡そうとして、

「あ、吉備野先生。これを耕助にやってもいいでしょう。どうせ、オレはどこにも行かないですし、それに先生はこの正確な年代もご存じなのでしょうから……」

「貴方さえよろしければ、構いませんよ。どうぞ、ご自由になさって結構です。では参りましょうか、耕助さん。それでは、佐々木さん、山本さん。ご機嫌よろしゅうに」

「それじゃ、耕平、山本。元気でなぁー」

ふたりの姿が見えなくなると、耕助の最後の『元気でなー』という声が、木霊のような余韻となって残っていた。

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