18

「そ、そっちは!」


 恐鳥はイツキが寝かされている部屋の方へ駆けていく。

 強靭な下半身から繰り出される一歩の幅は大きい。

 残された時間が限られていることを理解してからか、恐鳥はミオンとアイゼンに見向きもせず、一直線に走り抜けていった。

 だが――、


「行かせません!」 


 スピード勝負ならば、アンドロイドが相手では分が悪い。

 一瞬にして距離を詰め寄ったアイゼンが、背中にあったバットを構え、跳躍する。 

 背中の核を目掛けて振り下ろすも、その一撃が届くことはなく……、


「!!」


 直前で振り向いた恐鳥の頭部によって横薙ぎに弾き返された。

 アイゼンの身体は空を切り、バリゲートの役割を果たしていた瓦礫の山に激突する。瓦礫がなだれ、彼女の上に覆いかぶさる。


「アイゼンさん!」

「ミオン様! お願いします!」

「は、はい!」 


 アイゼンのことも気になるようだが、今は一刻を争う状況だ。

 ミオンは足を止めず、後を追う。

 辿り着かれる前になんとかしなくてはと、彼女は必死に考える。今はアストラモスを倒すための武器は所持していない。

 時間稼ぎに徹することこそが彼女にとって最善手だ。


――ミオンは恐鳥に追いつくや否や、脚に飛びついた。 


 走る動作に欠かせない関節の部分を狙って。

 両手と両足で脚を掴みにかかった彼女の身体はピンと張り、ビクともしない。

 片足が急に硬直して機能不全に陥ったことで、走る体勢を崩した恐鳥は――、


 転倒した。

 恐鳥の頭が叩きつけられたのは、アイゼンに次ぎ、バリケードの役割を担っていた瓦礫の山だった。


 凄まじい音が響き渡り、瓦礫がなだれ込む。

 恐鳥は「ギィヤァアア!!」と悲鳴を上げながら、何度も頭を打ち付けられ、やがて瓦礫に呑まれて見えなくなった。

 ミオンも同じく瓦礫に埋もれてしまった。


「ミオン様!」


 瓦礫から脱出し、耳を圧する轟音を聞きつけてやって来たアイゼンが叫ぶ。

 傾れが収まるや彼女は近づき、ミオンを探した。

 瓦礫を切り崩していくと、その塊の中からミオンは姿を見せた。胸元を激しく上下させ、大の字の格好をしていた彼女の首筋には冷や汗が伝っている。


「び、びっくりした……」

「良かった、ご無事だったのですね!」

「アイゼンさんもご無事で何よりです」

「ワタシは10トントラックに時速70キロで衝突されても平気ですから」


 アイゼンはミオンの手を引っ張るようにして立ち上がらせた。

 ミオンの足元に乗っかっていた瓦礫が転がり落ちていく。


 周囲は一変してシーンと静まり返っていた。

 恐鳥の姿はどこにもない。


「アストラモスは……」

「見当たりませんね。あの叫び声からして瓦礫の下敷きになったのでしょう。ミオン様、本当にありがとうございました。心の底より感謝いたします。倒せたのですよね……本当に、良かった、っ……」


 一瞬の出来事とは言え、相当彼女の胸に響いたのだろう。

 アイゼンの声が震えている。涙を流すことはなんら不思議ではない。

 瓦礫の上に大粒の涙が一滴落ちた。


 ミオンは俯く。

 しばらく一人にしてあげようという魂胆か、彼女がその場で踵を返した矢先の出来事だった。不意に何かが二人の足元で蠢く。


「アイゼンさん、あれっ!」

「……っ!」


 悪夢は再来した。


 瓦礫が盛り上がり、現れたのは、頭部を失った恐鳥の姿であった。

 全身が緑色の血で塗れたその巨体は、見るも無残なものになっていた。 前が見えていないのか、足元が覚束ずフラフラと千鳥足で恐鳥は暴れ出す。


 右に、左に壁に激突し辺りに地響きを鳴らす。

 恐鳥の首から上がゆっくりと再生されているようだった。


「アイゼンさん、今のうちにとどめを!」

「はいっ!」


 アイゼンはバットを構え、核を壊そうとする。

 恐鳥はそれを見越してか、苔能力を発動させ、辺り一面に上空から巨大な苔の玉を幾つも降らせた。玉は着弾するなり地面をえぐってめり込んでしまう。

 

 足場が悪い。

 近づこうにも近づけない状況だ。目が見えていないながらも、イツキの元に辿り着こうと暴れている。壁に激突をして恐鳥は奥へ手前へと進むのを繰り返していた。

 頭がなければ投げ出されることもない。


 アイゼンは苔玉の雨の中を必死に駆け抜けて接近を試みるが、無作為にやってくる攻撃を避けながら近づくことは至難の業だ。


「アイゼンさん!」


 彼女は苔玉を直に食らい、姿が見えなくなる。

 このとき、恐れていた事態が生じた。恐鳥の頭が完全に再生されてしまったのだ。矢継ぎ早に恐鳥はけたたましく鳴き声を上げる。


 頭部を取り戻した恐鳥は急ぐ。

 ミオンはやまない巨大な苔の苔玉の雨のなか、追い続けた。


 そしてついに、恐鳥はイツキの寝かされている部屋に差し掛かる。 

 ミオンは時間を稼ごうと、再び関節の部分を狙って飛びかかるが、恐鳥は軽々といなし、彼女を蹴り上げて壁まで吹き飛ばした。

 彼女の身体はイツキのすぐ横の壁に叩きつけられる。

 念願の対面を果たした恐鳥の勢いは留まるところを知らず、爪を立てて迫った――



◇◇◇


 ワタシは、どうしてこうも駄目なのだろう。

 どうしてこんなにも、大事なところで失敗するのだろう

 100年前のあの時だってそうだった。ワタシが平常心を失ったばかりに、イツキ様は命を落とす結果になってしまった。


 だから、


 あれからずっと、自分を責め続けてきた。

 もう同じ過ちを繰り返したくなかった。

 今度こそは絶対に守るって決めたのに。


 なのに……。


 どうして、ワタシはこんなにも情けないままなのか。

 ミオン様は、戦うための武器を持っていなかった。瓦礫の下敷きになっても尚、生きてきたぐらいの屈強さを持つアストラモスを倒せるはずなんてない。

 胸裏に焦燥感が広がる。きっと、イツキ様はアストラモスにやられてしまったに違いない。あれから、音沙汰がなくなったから。


 ミオン様もやられてしまったのだろうか。

 彼女にはまだ、帰る場所があるというのに。

 温かい居場所があるのに。


 ワタシのせいだ。

 ワタシのせいでまた、一人が命を落とことになった。


 怖い。嫌だ、視界をあげたくない。

 目の前に広がっているであろう惨状を目の当たりにしたくない。

 例の部屋に差し掛かる入口の、柱に手をついて項垂れる。


 …………。


 躊躇った後、意を決して顔を上げた。

 ワタシはその光景に戦慄する。


 視線の先には、恐鳥と戦うミオン様の姿があった。

 恐鳥の体重が乗った足先で背中を圧迫されても尚、壁際で堪える彼女がいた。

 両手を壁につけ、足を広げた格好をし、まるでイツキ様と向き合うようにして庇っている。全身の回路が凍りついたような感覚に襲われた。


「アイゼンさん……はっ、はやく!」


 彼女はワタシの存在に気付いたのか、こちらを見て声をあげた。

 今にも事切れそうな声。恐鳥の鋭い眼光がこちらに注がれる。

 背中を震わせた彼女の目から涙が落ちているのが見えた。

 当のワタシが完全に諦めていたというのに、彼女は武器も持たずして、立ち向かい続けていた。


 そして、その表情を見た途端、身体中を巡る血流が加速する。

 気付けば、ワタシは彼女の元へ駆け出していた。涙はもう出せないはずなのに、目尻から伝うものがある気がした。


 恐鳥はワタシを妨害すべく、広範囲に渡って苔玉を降らせてくる。

 速度を緩めず、一気に飛び込んだ。頭上に降りかかるいくつもの苔玉をよけながら、一直線に恐鳥の元へ向かう。


 恐鳥はミオン様の背中に片足を預け、こちらに眼光を向けていた。

 飛びかかると同時に以前と同じような手段でワタシを横薙ぎに弾き飛ばそうとしているのだろう。そのことはもう分かりきっていた。


 動きを見切ったワタシは、全速力で駆ける。

 そのまま勢いに任せて、恐鳥に近づくやバットを構え――、

 


 跳ばない。



 恐鳥の足元に辿り着き、バットでスウィングをお見舞いした。

 ミオン様の背中に預けられた脚とは別の、を狙って。


 恐鳥は悲鳴に似た鳴き声をあげ、転倒した。

 背中の核がすぐ目の前に映る。

 コンマ数秒の隙とはいえ、叩くタイミングとしてなら十分だ。


 ワタシはバットを振り上げ――、全力で打ち付けた。 


「ギィヤァアア!!」


 核を砕かれた恐鳥の身体が黒い粉と化し、消滅していく。

 死の直前まで悶え苦しみ、抵抗を見せていたが、砕けた核を中心にいくら抗おうともどうにもならない。恐鳥は完全に消え去った。


 ミオン様はその光景を見て安心したのか、肩から力が抜けていくように、両足の間にお尻を落として座った。


 今度こそ、本当に倒せたんだ。

 イツキ様を守ることができたんだ……。

 実際はそうなのに、まだ心地がしない。でも、よかった。本当に良かった……きっと、ワタシ一人の力じゃ到底なせなかったと思う。

 全ては彼女がいてくれたからこそだ。


「アイゼンさん、やりましたね……」

「はい。全てはミオン様がいてくださったおかげです。本当に、本当に、感謝してもし切れません。もう、もうっ……」


 ありったけのありがとうを伝えた。

 彼女は大丈夫だと気丈に振る舞っていたものの、そんなはずはなかった。

 服が前よりもボロボロになってしまっている。


 何より、掛ける言葉が見当たらない。

 ワタシに今できることといえば、彼女に感謝の言葉を伝え、せめてもの寝床に送ってあげることぐらいしかない。そんな自分がとても情けなかった。

 肩身が狭い思いを感じながらも、ワタシが提案すると、


「少し目が覚めちゃって……すぐには寝れそうにないので、良かったら朝まで一緒にお話しませんか?」


 彼女は言う。

 ワタシは彼女の目を見て、もちろん頷いた。

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