17
『ミオンを助けてくれてくれてありがとう!』
「こちらこそ、感謝の言葉をいただけて光栄に思います」
『あのね、ミオンはセーラと一緒にアストラモスの退治をやってるんだ! バッサバッサ敵を倒していくおしごと!』
「そうだったのですね」
『うん!』
受話器からセーラの笑い声が弾む。
アイゼンの口元は自然と弧を描いていた。
『ねえ、二人は今、どこにいるの? お家にしては真っ暗だし、遠くにぼんやり汽車?みたいなのが見えるけど……もしかして昔の駅の跡地?』
「駅の跡地ではないですね。この施設は海中に沈むより前、地域内で見つかった歴史資料、地域の発展に貢献した文化財などの展示を行っていた博物館です。現在はその役目を終え、見る影もなく朽ち果てていますが」
『博物館!』
セーラの声が高くなる。
電話越しでも、彼女が目を輝かせている様子が伝わって来る。写真でしか汽車を見たことのない彼女のために、それが真近に見える距離までミオンが近寄ると、黒い金属ボディの迫力に呆気にとらているようだった。
『わあ! すごい!』
開口一番に上がった無邪気な感嘆の声に、ミオンがアイゼンに微笑みかけると、彼女は目をパチクリとさせた。
「……そろそろ、本題に入った方が宜しいのではないでしょうか」
「アイゼンさん。そうですね」
促されたミオンは、彼女の瞳を見て頷く。
『ほんだい?』
「うん。実は私、足の裏のスクリューが壊れちゃって一人で戻れそうにない状態で。だから救助を要請したいんだ」
『わかった! 今いる場所を教えて、ミオン! セーラ今、海中保安庁の建物の中にいるからすぐできると思う!』
「ありがとう」
ミオンは現在いる地点の情報を一括送信する。
すると、すぐにセーラから『ちょっと待っててね!』と返事が来たかと思えば、タッタッタッと小走りで廊下を移動する音が聞こえてきた。
息を弾ませているみたいだ。
『――きゃぁ!?』
ドンッと誰かとぶつかるような音に続き、若い女性の声がした。
『ごめんなさい、職員さん! 救助をお願いしたいんですけど、リトルブルーオーシャンスクエアからここまでだと、行くのにどれぐらいの時間がかかりますか?』
『えっ、あっ……』
どうやら、たまたま通りかかった職員を捕まえたらしい。
女性職員はセーラの心急ぐ問いかけにどきまぎ戸惑っている様子だ。
『ええっと……ここまでですか』
少し遠くにあった声が間近に聞こえるようになる。
おそらく、女性職員が顔をセーラに近づけたのだろう。
そして、一拍おいたかと思えば、
『……オルカで大体一日ほど掛かるかと思います』
『ありがとう職員さん! だって、ミオン! 一日ほど掛かるって!』
「セーラありがとね。職員さんにありがとうって伝えておいてもらえる?」
通話口の向こうから『うん!』と 元気の良い返事があった。
『職員さん、ミオンがありがとうだって!』
『えっ、はい……? ありがとうございます?』
その後のミオンとセーラは軽い雑談を交え、通話を切った。
会話が弾んだのもあってか、時刻は23時を回っている。
ミオンにとって就寝の時間だ。クッションをベンチの上に並べて寝支度を整えていた彼女の目に、傍らにいたアイゼンの姿がとまる。
「アイゼンさんは準備をしないんですか? それとももう?」
寝支度はもう終わったのかと尋ねられるや、アイゼンは意識を持ってかれたかのように視線を返した。
「ワタシに就寝予定はありません。まだやることが残っているので。それではミオン様、ごゆっくりお休みなさいませ」
「あ、はい……」
そう言うなりアイゼンは踵を返して去っていった。
彼女の背中を見つめながら、ミオンは首を傾げる。
肝心なやることとは一体何か聞かれる前に、間を置かず去られてしまったからには聞くことが憚られてしまった。
ん、ん~~……。
ランタンの明かりを落とし、横になる。
そうしてすぐにやってきた睡魔に誘われ、彼女は静かに夢の中へと落ちていった。
ひっそりとした夜の帳の中、彼女はすやすやと寝息を立てている。ときに寝返りをうってはころりと転がり、夢路をたどることしばし――。
カサカサカサ。
「……ぅ…んっ」
不意に聞こえた物音に、ミオンはぽっと目を覚ます。
眠気まなこを擦りつつ身体を起こし、ランタンの明かりを灯した。
音の出所を探るように周囲に目を向ける。
「アイゼンさん?」
辺りの様子を窺うも何もない。
さっきの音は何だったのか……。
ランタンの光が届く範囲内にそれらしいものは見当たらなかった。
深夜2時、ミオンが眠りについてからおおよそ3時間が経過していた。
彼女はふと何かを思い出したかのように、遠い暗がりに視線を投げかける。
そこにはただ、闇があるばかりだ。
「そういえば、アイゼンさん。寝る予定はないって言ってたな……」
何をしてるんだろ、と呟いて立ち上がる。
そうして、ランタンを片手に持って脚を踏み出した。
彼女が去っていった先はどうやら、それぞれの展示室に繋がる廊下のようだ。
行く先々で廊下から展示室に切り替わる地点に、積み上がったガラクタでバリケードが築かれていたため、一本道と化していたのだ。
きっとこの廊下を進んだ先にはアイゼンがいるはずだ。
確信にも似た表情を浮かべながら、ミオンは一歩ずつ歩みを進める。
暗闇に包まれた空間に響く彼女の足音。
そんな彼女の背後に『カサカサカサ』と音が忍び寄って、止んだ。
「……何の音?」
ミオンが振り返ると、視界に映ったのはケムシだ。
黒い斑点模様が刻まれた背を髪の分け目のようにして、剛毛を生やした小さな赤色のケムシ。大きな翡翠色のクリスタルを背負っている。
アストラモスなのだろうか。
ケムシは彼女の足の隙間を通り抜けていく。
「…………ッ」
ミオンの顔がみるみるうちに青ざめていく。
恐怖で震える彼女をさぞかし苦しめるようにしてカサカサ現れたのは、彼の仲間なのだろうか。もはやミオンの顔からは生気が感じられなかった。
「きゃああああああああ!!!!!!」
「――ミオン様!?」
その絶叫は遠くで奮闘していたアイゼンの耳まで届いたらしい。
直後、暗闇から姿を浮かべるようにして全力で走ってきたのはミオンだった。目元に涙を浮かべ、アイゼンの至近距離に迫ったかと思えば、
「アイゼンさん!! ケムシ、ケムシがぁぁぁ!!」
「一旦、落ち着いてください」
「そうですねっ、取り乱しちゃってごめんなさ――」
膝に手をやって前屈みになったミオンの視界に映ったのは、ぺちゃんこになったケムシ達の亡骸だ。足元には、広範囲に渡って砕け散ったクリスタルの欠片と共に緑色の体液が飛び散っている。
「あ、ああ、あ……」
「しっかりなさってください!」
追い打ちをかけられ、気を失いかけた所をアイゼンによって支えられる。
その後、アイゼンの必死な声掛けの成果もあってか、ミオンはなんとか平常心を取り戻したのだった。
「急に大声を出しちゃってごめんなさいっ」
「無理もありません、初めて目にした際は誰しも同じ反応だと思います」
「ううっ……これ、アストラモスですよね。しかも毛虫の。アイゼンさんはこれを相手に私が寝ている間、ずっと戦っていたんですか?」
「そうですね。……ケムシですか。正確には
ミオンの送る視線の先で、アイゼンは迫りくるケムシを核ごとバッドで叩き潰している。その度に一面に緑色の血が飛び散った。
「海にケムシなんていたんだ……こんなの、ヘルメッサーさえあれば」
海中時計に同じく、彼女のヘルメッサーは紛失してしまっていた。
「他にもウミグモやウミセミ、ウミクワガタなんてのもいるみたいです」
「そ、そんなのまでいるんですね」
怖じて、胸元で握り拳を重ね合わせたミオンの前に現れたのは、平べったい胴を持つ長身かつ細身のムカデのような生物だ。
「ひっ、ウミムカデ!?」
「オニイソメですね。少々ややこしい名前ですが」
慣れきった様子のアイゼンはオニイソメの背についた核を叩きのめした。
一瞬ビクッとなりながらも、ミオンは胸を撫で下ろす。
そして目先を持ち上げた。
「アイゼンさんはいつも、こうして戦っているんですか?」
「いえ、今日は満月の日ですので。中位種以上のアストラモスが自然発生する今日みたいな特別な日に限ってこうしています」
「そうなんですか」
下位種のアストラモスはどんな状況下においても自然発生するが、満月の日は、月が南中するタイミングを機に中位種以上のアストラモスが自然発生することで知られている。中位種アストラモスは誕生して数時間は、寄生する肉体を自由に乗換えることができるのだが、その後はままならない。
そのため、彼らが人間の身体に寄生しようする行動パターンが世界各地で確認されているのだ。
「ここで死に絶えたアストラモスは皆、中位種以上の存在。おそらく人間の身体を得るために一時的な宿主を得て、やって来ているのでしょう。人間の身体に寄生できれば、より高位なアストラモスに仕えることができるそうですから」
「……人間の肉体がここに?」
「はい。ワタシのご主人のです。ずっと前に亡くなってしまいましたが」
ミオンはアイゼンが少し悲しげな眼差しを向ける先を見た。
オールドファッションな学生服を着崩した骸が壁に背を預けて座っている。アストラモス達は彼の身体が目的のようだ。
アイゼンとアストラモスの闘いは続く。
そのうち、ミオンも勇気を振り絞り闘いに参加するようになった。アイゼンはそれに励まされたかのように一層と気を引き締めた。
しばらくして――、
「アストラモスの姿が見えなくなりましたね。彼らにとって重要な乗り換えの効く時間も終わりに差しかかっているようですし、今晩はもう大丈夫でしょう。お力添えいただきありがとうございます。宜しければベンチまでお送りいたしましょうか」
アイゼンはケースにバットを仕舞いながら、ミオンにそう提案してきた。
「お願いします!」
アイゼンの親切心を受け取り、二人は並んで廊下を歩く。
道中、至るところに設けられたバリケードが目に入った。ミオンがこれは何のためのものなのか尋ねると、アストラモス対策のものだと答えが返ってきた。
バリケードの向こうには実物の化石が展示されているのだという。
アストラモスに化石を元に肉体を復元されて襲われるようなことがないように、対策を施したものらしい。ミオンの中でも合点がいったようだ。
ガラガラガラ……パキパキ。
「――?」
「何の音でしょうか」
背後から聞こえてきた物音に、二人は振り返る。
ランタンの光で照らすと、刹那――。
バリゲートが内側から崩れると同時に何者かが姿を見せた。
高さ3メートルはある巨大な恐鳥だ。
背中には翡翠色のクリスタルが見えている。
クチバシに加えていたガラクタを噛み締め、粉砕した恐鳥はミオン達のことなど気に留めず、二人に背を向け走り去っていく――
「そ、そっちは!」
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