16

「う、うーん……」


 目を覚ましたばかりのミオンの目を眩ませたのは、ランタンの光だった。

 彼女は柔らかなベンチの上で寝かされ、毛布を掛けられていた。暖かな光が放射線状に辺りを照らし出し、彼女の影を映している。


 空気がある、水中ではない。

 ひんやりとした冷たさに、湿った土のような臭いが混じっている。

 白くて大きな柱が、一つ、二つ、三つ――どこかの建物の中のようだ。

 それもかなり大きな。


 ふと、周囲を見渡す彼女の視界の隅にうっすら写ったのは、大きな汽車に似た何かだった。敷かれたレールの上に乗った車輪はストッパーで固定されている。


「ここは……」


 口をついて出た疑問。

 ここはどこなのだろう、日付は、そして一体どれくらい寝ていたのだろう。

 首からかけていたものを手繰ろうと、彼女の手は空を切る。


「あれ、海中時計がない? もしかしてあのとき、流されちゃったのかな」


 そこで彼女は側頭部に手を当ててネットに接続し、日付と時刻を確認しようと試みる。だが、いくら試してみようと接続できない。

 セーラと連絡を取ることは叶わなかった。

 ミオンの目に不安の色が浮かぶ。


「誰かいな……うわあっと!?」

 

 立ち上がろうとした途端、ぐらっと重心が傾く。

 彼女はその場で転んでしまった。

 

 彼女はめげず、打ち付けた腰をさすりながら立ち上がるが、どうしてもバランスを取ることができなかった。立ち上がるたびにふらついてしまう。

 平衡感覚に違和感があるようだ。


 腰がけて安静にしていようと、ベンチの方へ戻ろうとして足を踏み出した瞬間、彼女は再びバランスを崩し地面に打ち付けられた。


「私の身体、どうしちゃったんだろう」


 ミオンは自分の両手をまじまじと見つめる。

 徐々に足元へ視線を落としていった先、足裏にも慣れない感覚があるらしい。

 

 取り付けられたスクリューが故障している。

 右足のスクリューは欠損までしていた。この状態では海中を進めない。

 つまり彼女は誰かに助けを借りない限り、ここから出られない宿命にあった。


「どうしよう……電話も繋がらないし、これじゃ……」


 これじゃ、ここを出られそうもない。

 ミオンは肩を落とす。

 

 カッ。


 途方に暮れかけたそのとき、背後で物音がした。

 足音だ。反射的に彼女が振り向くと、ランタンを片手に持った人影ががこちらに歩いてくるところだった。


「……セーラ?」


 ミオンはキョトンと問いかける。

 その人影は、ミオンの前に立ち、じっと彼女を見下ろしてきた。


「セーラ? お友達のお名前ですか?」


 優しい声色でミオンは聞き返される。

 やや緑がかった透き通ったコバルトブルーのインテーク、さらけた額。

 肩から背負われたバットケース。

 透き通った紫の瞳が、彼女のことを見つめていた。


「すみません、友達と勘違いしちゃって……。私はミオンって言います。私を運んできてくださったのは、貴方ですよね。助けてくださってありがとうございます」

「いえ、お気になさらず。ワタシはアイゼンです。以後お見知りおきを」


 彼女のきっぱりとした口調は、どこか冷たい印象を与えた。


「立てますか」


 アイゼンの差し伸べてきた手を握り、ミオンは立ち上がるものの、即座にバランスが崩れる。転びそうになった所で抱きかかえられた。


「えっとその……っ、私自身も分からないんですけど、足元がふらついちゃって」

「そうですか。となると、おそらく、平衡感覚を調整するパーツが壊れているのでしょう。何か他に不具合の方はありませんか?」


 アイゼンの瞳がミオンの全身を捉える。


「足裏のスクリューが壊れているのと、通信ができないことですかね……」

「スクリューですか。スクリューの件についてはお力添えできそうにないですが、その他の修理ならば可能です。いかがいたしましょう」

「いいんですか?」


 戸惑うミオンに対して、アイゼンはコクリと頷いた。

 彼女はベンチまで届けた後、ミオンを置いて何処かに姿を消した。ミオンは再び一人きりになる。彼女が戻ってくるまで数分の出来事だった。


「おまたせしました」

「アイゼンさん、それは?」

 

 ミオンは、アイゼンの片手にあった箱のような物に目をやる。


「工具箱です。アンドロイドの修理にはこれが最適かと。ミオン様、それでは修理を始めますので上着を脱いでベンチで横になって下さい」

「はい……」


 言われるがまま上着を脱いで、ミオンは横になった。

 アイゼンは工具箱から数本の道具を取り出し、ベンチの余ったスペースに並べる。

 そんな最中、ミオンの視線が捉えたのは、工具箱に刻まれたあるマークだった。


「化学技術庁のマーク……もしかしてアイゼンさんって化学技術庁の方?」

「いえ、違います。これはかつて化学技術庁がこの博物館から再利用できる可能性のある電子機器を持ち出していった際に、職員が残していった忘れ物です。なので、ワタシは単なるしがないガイノイドでしかありません」


 館内の照明が消えて真っ暗なのも、そういう訳らしい。


 アイゼンは数本の道具のうち、ドライバーを手に取った。

 その先端をミオンの胸骨辺りに当てると、ミオンの体内から淡い光が発生し、胸元のプレートが外れる。アイゼンは丁寧にプレートを置いて中を覗く。

 複雑に仕込まれた機器の中でも、やけに一つが目立っていた。


「平衡感覚を調整する機器が奥に押し込まれていますね。原因はこれです。おそらく強い衝撃を受けたときにこうなってしまったのでしょう」


 その機器を正しい位置に戻して固定すると、ミオンの表情が和らいだ。


「ありがとうございます。なんだか気分が楽になりました!」

「次は通信の件についてですね。館内で再利用できるパーツがあると良かったのですが、化学技術庁引取りの件で有用なものは残っていませんでしたし、ワタシのパーツを移植する形でも構いませんか?」

「えっ、それじゃ、アイゼンさんが……」


 戸惑い果てたミオンにアイゼンは首を横に振る。

 ミオンはどんな顔をしていいのやら分からなさそうに俯いた。

 

「なければないで、始めからそうするつもりでしたから。それに、このパーツがない方がワタシの気はずっと楽ですので」

「……ごめんなさい」

「問題ありません」

 

 そう言うと、アイゼンはドライバーの先端で自身の脇腹をつつく。

 すると彼女の腰部分のプレートが外れ、中から数センチほどのチップが姿を現した。ソレをミオンの亀裂の入ったチップを除いてできたスペースに差し込む。

 一瞬だけバチッと電流が走ったが、すぐにそれは収まった。


 途端にミオンの瞳に細やかな、色とりどりの光が灯る。


「……ありがとうございます。おかげ様で前みたいに通信ができるようになりました! これで救助を呼べます!」

「それはなによりです」


 微笑みを浮かべながらアイゼンは頭を下げる。

 安否を伝えるべく、ミオンは早速セーラに通信を送った。するとものの数秒後、ミオンの元に電話がかかってきた。

 彼女が電話に出ると……、


『ミオオオオオンン!!!!』


 !?!?!?


 受話器の向こうから出し抜けにやって来た声に驚き、アイゼンは思わずすてんと尻餅をついてしまった。館内の隅から隅まで響き渡るノイズ。

 耳の奥まで残響する声にミオンは目をぎゅっと瞑った。


「アイゼンさん、ごめんなさいっ!」


 ミオンは急ぎ足でアイゼンの元へ駆け寄り、手を借すと、アイゼンはその手を握って立ち上がった。

 

『ミオン、大丈夫!? セーラ、セーラっ、ミオンからずっと連絡がなかったから、もう会えないかと思って……ぐすぐすっ、うわあああん!』

「心配かけてごめんね。もう泣かないで大丈夫だよ」

『うん、うん……』


 受話器越しのセーラの涙声に、ミオンは困り顔で頬を掻いた。

 セーラにとっては死に別れに等しい状況だっただけに、安否を伝える声を聞いたことで感情が爆発してしまったらしい。再会を喜ぶ二人。


 …………。


 その一方でアイゼンにはやり場のない気持ちが心中にあることを、彼女の仕草が示していた。切なげに羨ましそうに胸に手を当て、心なしか微笑んで二人のやり取りをを聞いている。


「私もね、一時は駄目かなと思ったけど、助けてくれた人がいたんだ」

『……? 誰かそっちにいるの?」

「うん。アイゼンさん、視界共有サイトジャックの機能を使って映してもいいですか?」

「あ、はい。ワタシは構いません」


 急に名前を呼ばれ、アイゼンは我に返った。

 そして胸元に添えていた片手をせっかちに身体の後ろへ隠す。


「紹介するね、こちら私を助けて修理をしてくれたアイゼンさん」

「ご紹介にあずかりました。アイゼンです」


 そう言うと、アイゼンは向こうのセーラへ深々とお辞儀をした。

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