15

「イツキ様、ワタシと野球をしに行きませんか?」

「……は? 野球つった?」

「はい」


 突然の誘いに彼は、何いってんだコイツと呆れた表情でワタシを見た。

 そんな彼の様子も気にせず、ワタシは話を続ける。


「イツキ様は昨晩、野球が好きだとおっしゃっていたので一緒にやれば、何か心の中のモヤモヤが晴れるのではないかと思いましてっ」


 その場でバットを振る真似をしてみせた。


「んだよソレ。第一に、俺は野球が好きだってフレーズまんま言った覚えはねーぞ。そもそもメンバーはどうするんだよ。俺の他に誰かいんのか」

「いません。守備はワタシ一人でやってのけます。だから、イツキ様は何も心配しなくて大丈夫ですっ」 


 ワタシはアンドロイドだ。

 その気になれば、人間離れした身体能力を発揮して守備ポジション九人分の働きをすることなど容易である。イツキ様にバットを思う存分に振ってもらえば……


 胸に手を当てて自信たっぷりに言う。

 彼は少しの間黙り込んだ後、口を開いた。


「お前、バカかよ。野球は守備だけじゃねえぞ」

「……あ」


 彼に言われてようやく気づく。

 確かにそれだと、彼が打った後の打者がいない。

 毎回ホームランでも打ってもらわない限り、不可能な話だ。

 いいアイディアだと思ったのに……。


「お前、昨晩オレが寝てるの見張ってる間、そればっか考えてたのかよ」

「…………」


 恥ずかしい。

 顔から火が出るとはこういうことか。


「図星か。まあ、アイディアとしては悪くねえな。野球すんのが無理でも、バッティングセンターくらいなら付き合ってやるよ」


 彼のフォローもあって、ワタシ達はバッティングセンターに行くことになった。

 それを伝えると、タイゾーさんは嬉しそうに車を手配してくれたが、イツキ様はこれをきっぱり断ってしまった。



 彼の場合、バットは持参だ。

 今所持しているバットをこうして本来の用途で使ったのは、話によれば初めてらしい。中学生の頃に使っていたものは父親の手によって処分されてしまっていたとのことだった。

 彼はコートに入るなり、球速の初期設定である80kmからどんどん設定を上げていく。一方のワタシは、初期設定の球速ですら打ち返せすのに手こずっていた。これでは彼に『ヘタレアンドロイド』と言われても返す言葉がない。

 実際かけられたのは『ポンコツ』という、もっと不名誉な言葉だった。



「なんだか久々に、すっきりした気がすんな」


 彼はそう言ってみせると、バットを肩に担いだ。

 バッティングセンターからの帰り道、夕焼けが河川敷を赤く染めている。

 彼はいつになく気分が晴れているようだ。


「それは良かったです」

「っても、お前はむしろ気分損ねてんな」

「……あれだけ練習しても90kmしか打てませんでしたから」


 自然と、瞼にかけていた力が緩む。


「三時間足らずで打てるようになるって、割といい線いってんじゃねぇか」

「ワタシはアンドロイドですので。体内に搭載されている分析機能を用いても、全く歯が立ちませんでした。200kmは軽く打てたはずです」


 ・・・・・・。


 自分で言っていて恥ずかしくなってきた。

 紛らわすために空を仰ぐ。カラスがすぐ真上を通り過ぎていった。


 時刻は午後6時30分。

 河川敷に設置された屋外スピーカーから夕焼けチャイムが鳴る。

 このまま行くと屋敷には、26分後に到着予定。


 何の変哲もない日常のはずだった――。


「……緊急水害警報発令中?」

「あ?」


 突然、見慣れない差出人から届いたメールに首を傾げる。

 メールを開けばそこには、現在世界各地で海の高さが尋常ではないスピードで上がり続けるといった怪奇現象が発生中と表示されられていた。

 土手から川を見下ろせば、水嵩がほんの少しずつ上がってきているのが分かった。


『――現在、緊急水害警報が発令されています。避難が必要です、住民の方々は一刻も早く水場から離れ、高台に避難して下さい。繰り返します……』

「んなん聞いたことねえぞ。未曾有の事態じゃねぇか」

「一刻を争うそうです。早く逃げましょう」


 周囲にいた人々は、既に避難を開始しているようだった。

 ワタシ達もその後に続く。河川敷から離れて大通りに出ると、そこはもう既に人々でおしくらまんじゅう状態。通りとしての機能を果たしていなかった。


「こんなんじゃ避難もクソもねえじゃねえか。どうすんだよ……」

「おそらく、あの高層ビル群に登ろうと必死なのではないでしょうか」


 ワタシは遠くに見える沢山の高層ビルを指差す。


「この人集りだぞ? 全部入んのかよ……」

「おそらく無理かと。ならば、ここはあえて裏を返して高台に避難するのではなく、絶対に水が入ってこない場所に避難するのはどうでしょうか」

「そんな場所あんのかよ。地下シェルターとか?」

「そこはもう既に人々が行き着いているはずです。なので、博物館に向かうのはどうでしょうか?」


 あまり公に知られていることではないが、博物館では貴重な研究データや寄贈品の保護の観点からありとあらゆる対策がなされている。

 火災に地震、竜巻……もちろん、水害にも対応済み。

 つまり安全性でいえば、地下シェルターに次ぐのだ。

 そのことを伝えると、彼は納得したように頷く。


 こうしてワタシたちは近くの博物館にやって来た。


「やべえなコレ。どんどん水嵩が増してくじゃねぇか……」


 博物館の入り口には、外部からやって来る水を遮断するためのバリアーが張られている。バリアーの外に見えていたのは、世界が水没していく様子だった。

 街路樹は浮力のためか根っこごと、路上に散乱していた軽いものが浮上していく。

 街の電気は最新技術によって、どんな状況下でも壊れない限り送り続けられるので変わらず付いていた。不気味だ。怖い。

 いつの間にか、水嵩はワタシより背の高い彼の目線の高さまで上がっていた。


「どこかの国の核兵器でしょうか。とは言っても、海の水嵩が1mm上がるだけでもとてつもない量の水を要するので考えづらいですね」

「なあ、アイゼン。これからどうなんだよ」

「ワタシにも分かりません。かろうじて電波はまだ通っているみたいなので、長宗我部家の皆様に連絡いたしましたが……返信はまだ見込めません」


 何もかもが手つかずの状況だった。

 その日のうちはただなんとなく、二人だけしかいない博物館をそれぞれ思うがままに散策して時間を潰した。

 

 やがて夜になった。

 ワタシ達は寝心地のいいベンチを見つけたので、そこで一夜を明かすことにした。

 冗談話を交えながら。


「もしもよ、誰も救助が来なかったら俺達どうなるんだろうな」

「縁起でもないこと言わないでください。きっと来てくれますよ」


 ワタシには人格更生用ガイノイドというより、彼の世話をしながら共に救助を待つ、しがないアンドロイドでしかなかった。


 博物館には、食堂が備わっていた。

 だから水にも食料にも困ることはなかった。

 但し、そこの冷蔵庫にあったのは食材のみだったので、ワタシが上手く調理して彼へと振る舞う。意外にも彼は気に入ってくれたようだった。


「救助来ねぇな。アイゼン、救助要請はもうしてあんだろ?」

「はい、いたしました。まだ到着が遅れるそうです」

 

 次の、次の、そのまた次の日の朝になっても状況は変わらず、また昼を過ぎて夕方に差し掛かっても状況に変化はなかった。

 水嵩は博物館の入り口から分からないほどに上がっているようだった。

 そして食堂の材料が尽きかけたある日、


「外は一体どうなってんだろうな」

「ワタシが見てきましょうか」

「アイゼン。お前、水に浸かっても大丈夫なのかよ」

「最高品質ですから。それぐらいの機能は搭載されています」


 ワタシはこのとき、初めて水の世界に足を踏み入れた。

 水中に沈んだ都市はひっそり閑としていた。誰もいないのに博物館前のモニターは映っているし、エスカレーターも動いている。

 キャンペーンの幟があったり、キッチンカーがあったり、水没していること以外はいつもの街とほとんど代わり映えしない。


 ゆらゆら……。


 ふと、遥か上の水面で何かが揺れているのが見えた。

 ワタシはそこを目指していくが――、


 その道中、まさに地獄のような風景が目に入った。


「な、なにっ、これ……」


 水面に漂っていたのは、全身が変色した水死体の数々だった。

 人間だけではなく、動物まで混ざっている。彼らは浮力によって浮き上がった街路樹を中心として死に絶えていた。その幾つかは腹が膨れている。

 体内に腐敗ガスが溜まっているのだろう。


「いやだっ、こんなの、いやだっ……!!」


 ワタシは目の前に広がる現実から目を背けるように博物館へ戻った。

 ロビーに入るや否や、それまでかかっていた足腰の力が抜けて座り込んでしまった。彼は何かを察したのか、ワタシに問い詰めるようなことはしなかった。


 なんで、なんでっ、こんなことになことになってしまったのだろう。

 失望に囚われた。みんな死んじゃったし、救助は来ないし……、


 そして何より、


 ……その数日後に、食料は完全に尽きてしまった。


 ワタシがひたすら現実逃避をする中、彼も全く同じ渦中にあり、さらには飢えに不平一つ言わず、無心で耐え続けているようだった。

 彼は日を追うごとにやせ細っていく。


「なあ、アイゼン。お前との日々、なかなかに悪くなかったぜ」

「突然……何を?」

「いや、なんでもねえ。今まで通りでいてくれ」


 そんなやり取りを交わして最後に――、


 ある朝、彼は動かなくなっていた。

 今までの彼と別人と見間違うほどに身体が冷たくなっていた。


「イツキ様……?」


 彼は口を聞いてくれなかった。

 単に機嫌が悪いから口を聞いてくれないだとか、そう理由であってほしかった。

 手のひらが硬い。ワタシの手を握り返してくれない。


『まあ、アイディアとしては悪くねえな』



『あー、ったくよ、なんなんだよあいつらは……こんなん仕向けやがって』



『っておい、少しは何か言えよ』



 今に彼が実際に話しているように、言葉がメモリの中に浮かぶ。





『――よし、アイゼン。お前に聞く。お前はあのクソ野郎どもの味方か?』


 

 

 ワタシはっ……、





 いつまでも…………、





 …………イツキ様の味方です


 今ならそうだと、心の底からはっきり言える。

 ワタシは泣き崩れた。

 いつまでも泣き続けた。

 涙が枯れても尚、心の中に巣食う憂いは消えなかった。



「遅れて申し訳ありません! 海中保安庁です! 救助に参りました!」

「…………」

「あの事前に伝達頂いた男性とはっ!?」

「…………」

「あの、聞いておられますか?」

「どけ、オレが代わりに相手をする」

「わっ――」


 ドンッ。


「お前たち、救難艇で避難する意志はあるのか?」

「…………」

「もう一度聞く。意識はあるか?」

「…………」

「ダメだ、話になんねえ。おい、新入り。ここはいいから次に行くぞ」

「えっ、いいんですか!?」

「みんなが救助を待ってるんだ。一つに時間かけてられっかよ――…」




 

『――MP4動画ファイル No.49の再生が終了しました』


 あれからずっと、ワタシは自身が壊れるのを待ち続けた。

 人類はもう海底都市という新たな居住区を築いているらしい。

 そこで一昔のような暮らしを送ってるとのことだ。

 だけど、ワタシはここに残り続ける。


 ワタシの死に場所は、彼の側だってずっと決めている。

 だから、ワタシは長い時に渡って彼の身体を守り続けてきたのだ。


 今日もまた、博物館の屋根に上って遠くを見つめる。

 するとどこからか、温かい水が流れてくるのを感じた。


 ――なんだろう。


 屋根から降りて、温かい水のやって来た方へ。


 …………。


 その先で倒れていたのはガイノイドだった。

 茶色いミディアムヘアの、彼女の顔は地面に埋められてるせいでよく見えない。

 機体が所々傷つき、頭の上から足の先まで泥だらけの状態だった。


 温かい水は、彼女の足裏のスクリューがオーバーヒートを起こしたことで周辺の海水が温められて生まれたものらしい。

 当然放っておけず、ワタシは彼女を負ぶさり、博物館の中に運んだ。

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