14

「驚いて言葉も出ないか。未練なくあの世に行くために、遺言の一つや二つは吐いたらどうだ? つっても作られて日数が経ってないお前には無理か」

「…………」

「っておい、少しは何か言えよ」


 ワタシが無反応だったからだろう。

 彼はバットを下ろし、得体の知れないものをみるような目でこちらを見る。


「いえ、ワタシ達暮らしノイド社の製品は不測の事態に備えて非常に頑丈な設計をされています。ちょっとやそっとの衝撃じゃ壊れません」


 ワタシに痛覚は備わっていない。

 暴行を受けても痛覚がなく全く動じないワタシを見て人を傷つけることが如何に無駄かを学習してもらうためだ。こういうときは無駄に騒ぎ立てず、やってきた暴力行為が終わるまでじっとするよう予めプログラムされている。

 人格更生用ガイノイドには想定済みの出来事だ。


「あーそうかよっ、だけどっ、やってみなきゃ分かんねーっつーの!!」


 ドゴオォォォッ!

 鈍い金属音、バットを振り慣れているのだろう。


 でも、その直後にカランコロンと乾いた音が鳴った。

 ワタシが彼のいた方を見ると――、

 なんとか平然を保とうとしていたものの、


「いってえええぇぇーーーーー!!!!」


 途端に手を左右交互にパタパタさせて痛みを振り払おうとする彼がいた。

 一応、10トントラックに時速70キロでぶつかられても、無事でいられるような構造になっている。だから、こんなのなんともない。


「てめぇ、なに笑ってやがる!」


 しまった。

 主人を笑うような真似はしちゃいけないのに。


「あー、ったくよ、なんなんだよあいつらは……こんなん仕向けやがって」


 彼の手の付け根にはアザができてしまったようだ。

 ワタシが救急箱から包帯を取り出して巻いてあげると、彼は悔しそうに俯いた。


「おいアイゼン。この前包帯巻いてあげたじゃんとか、そういう貸しはなしだからな? 俺は機嫌悪ぃから寝る! だから、ついてくんな!!」

「はい、かしこまりました。ちなみに目覚ましはご希望ですか?」

「いらねぇ! 余計なお世話だっ!」


 彼は目くじらを立てて自室へと向かった。

 ワタシは彼にお辞儀をしてから別れる。



「ちっ、腹立たせやがって……」


 ぶつくさ文句を言いながら彼は頭をガシガシかき乱す。

 そうして乱暴に自室の部屋のベットへ飛び乗った。その顔には苛立ちがありありと浮かんでいて、不愉快極まりなさそうだ。

 ゴロンと寝返りを打った彼は、何かの気配に気がついたようで、


「おい、てめぇ! なんで扉をちょびっと開けて覗いてやがんだ!」

「えっと、寝るとワタシを遠ざけてからこっそり外出する恐れもありますので」

「ちッ……もう好きにしろ!!」


 それから、ワタシの、彼に付きっ切りの毎日が始まった。

 主人が非行に走るのを事前に防ぐのも、ワタシの使命だ。


 朝の起床時に備えてベッドの前で待機し、三回の食事の際にはすぐ隣に立ち、夜間は彼が家を抜け出さないように枕元で監視しながら夜が明けるのを待った。

 彼はひたすら迷惑そうだった。ワタシは事あるごとに声を荒らげられた。


 三ヶ月ほど経った、そんなある日――、


「アイゼン、お前は疲れねえのかよ。毎日ずっと俺に付きっ切りで」


 彼の口からこんな言葉が走った。

 もはや呆れた矢先、思わず口先から溢してしまった言葉のようだ。

 ワタシが「機械には疲れが生じませんので」と言うと、彼は「はっ、そうかよ」と少し笑ってみせた。初めて彼が笑ったのを見た。


 だけど、本心で笑ったのではないと思う。

 何かしらの感情を偽って絞った笑みだろう。


「今日、ワタシはアンドロイド工場にて実施される定期点検の件で留守になりますので。失礼します」


 彼に一言残してから、私は部屋を後にした。


 蝶々が花時計の上をゆうゆうと飛んでいる。

 建物を出て屋敷の門に続く道を歩いていると、偶然庭のトピアリーを手入れしていたタイゾーさんに出会った。タイゾーさんはペコリと会釈をする。


「宜しければ、工場までお送りいたしましょうか?」

「……いいんですか?」

「はい。アイゼン様がよろしければ」


 コクリと頷く。

 タイゾーさんは話したいことがあるようだった。


「最近の、イツキ様はいかがでしょうか?」


 工場に向かう途中、車内で尋ねられる。

 ワタシは少し考えてから答えた。

 

「出会ったときより少し接しやすくなった気がします。とは言っても、イツキ様の口より直接イツキ様ご自身に関する話を耳にしたことがないので、どちらかといえば、ワタシに慣れてくれたといった表現が近いでしょうか」

「そうですか……」


 タイゾーさんから安堵の声が漏れる。


 タイゾーさんはイツキ様がまだ幼子だったときから世話を担当されていたので、ワタシより多くのことを知っている。

 つまり、ワタシの先輩のようなものだ。


「イツキ様は、いつからああなられたのですか?」

「……高校に上がられた辺りからですかね。その頃を境に、どんどん変わっていかれました。中学生の頃までは、誰もがその優等生ぶりには圧巻でいらっしゃいました」

「ええっと、優等生?」


 思わず訊き返してしまった。

 あまりにも、今の彼と不釣り合いな気がして。


「はい。勉学でも運動でも常にトップクラスでした。それこそ学校一の人気者と言って差し支えないくらいには。今思えば、あの頃からもう既に変わり始めていたのかもしれませんね」

「そうなんですか?  とても信じられないです」

「ふふっ、無理もないですよ」


 タイゾーさんの口元から溢れる優しい笑みがルームミラー越しに見える。

 一体、何が彼をあそこまで変えてしまったのだろう。彼の心にわだかまる闇とは何なのだろう。それさえ分かれば、彼はまた昔の姿に戻れるのではないか。


 …………。


 工場での点検を終えて戻ってきた頃には、すっかり夜だった。


 夜気に吹かれ、カーテンが揺れる。

 開いた窓の外では輝く星々が空に浮かんでいた。

 鈴虫の音が響き渡る、夜空を濁したような光が窓から一筋に射す薄ぼんやりとした室内で、ワタシは彼を見守りながら今日も空が白むのを待った。



「おはようございます。昨晩はゆっくりお休みになりましたか? ワタシは今日、タイゾーさんよりイツキ様のお部屋を整えるよう、ご指示をいただいております」

「……勝手にしろ」


 目覚めたばかりのイツキ様の機嫌はあいかわらず良くない。

 ワタシは彼に向かって深々と頭を下げてから作業に取りかかった。


 まずはベッドメイクから始めることにする。

 その次は掃除機を使っての部屋の清掃だ。とくに部屋の隅を重点的に掃除するようにと、タイゾーさんからは言い渡されている。


 部屋の隅に追い詰められたように置かれていた観葉植物はほとんどが枯れてしまっていた。床に枯れ葉がたくさん落ちている。


 辺りに汚れを撒き散らす観葉植物の鉢植えの中は、同じように枯れ葉だらけだった。これだと遠くから眺めたときに見栄えが悪い。

 この機会にいっそ全部取り除いてしまおうと決めた。手作業でそれらを一つ一つ拾い上げてゴミ袋に入れていると……鉢植えの枯れ葉の下から何かが出てきた。


「これは……野球ボール?」

 

 枯れ葉の山の中に隠れていたのは、それだった。

 不思議に思って手に取ると、表面にびっしりとサインのような文字が書かれていることに気が付いた。


「イツキ様、これは何でしょうか?」

「あ? 何だソレ、もっと高く掲げて見せてみろ……」


 …………!?


 ワタシの手の中を覗き込んだ途端、彼の顔色が変わった。


「おい、ソレどこで見つけたんだ!」

「えっと、鉢植えの落ち葉の下に隠れていました」


 彼が見せた様子は今までのものとは明らかに違っていた。

 ワタシの手からそれを奪い取るようにすると、自分の手元へと引き寄せる。そして我を忘れたように凝視していた。


 あれは何だったんだろう。

 今日一日、彼がワタシに取る態度はいつもと違うように感じられた。声を荒らげて怒ることもなければ、不機嫌そうにすることもなかった。

 彼にとって大事なものなのだろうか。


「イツキ様、あれは大切なものだったのですか?」


 気になったワタシはその日の夜、就寝前の彼に聞いてみた。

 暗がりで彼の姿はあまりよく見えない。


「……あぁ」

 

 彼は何かを考えているように、少し間を置いて答えてくれた。


「俺は、中学生になるまで勉強しかしてこなかった。あのクソ親父の教育方針だ。勉強以外は興味を持ってはいけない。長宗我部家の立派な跡継ぎになるために。だけどよ、素性も知らねえ同級生に勧められて嫌々始めた野球が俺を変えてくれたんだ」


 彼はベッドの上で仰向けになりながら、天井を見つめている。

 その目はどこか遠くを見ているようだった。


「今までできなかった友達も、心の底から親友といえるヤツも恋人も、何より野球を通じていろんな人と出会った。中学を卒業したら野球の道を進みたいって思ってたよ。だけど、あのクソ親父は俺が跡継ぎ以外の道を進むことが許さないって言って、俺から野球を取り上げた。全部目の前で燃やされたよ、あいつの手でな」

「……そんなことが」


 彼の口ぶりからすると、本当にひどい父親だと思えた。

 彼は嘘をつくような人間ではない。

 話を聞いていると同情したくなる。


「あの野球ボールはよ、俺がクソ親父のせいで野球の道を進めないかもしれないって言ったとき、みんながメッセージを添えてくれたものだ。あのとき一緒に燃やされたかと思ったら、まだあったんだな」 


 彼はそれを手の中で弄んでいるようだ。

 そして不意に片手でキャッチして、ベッドボードに置いたかと思うと、


「……もういい。俺は寝る」


 彼は、ワタシに背を向けて眠ってしまった。

 もしかしたら、野球の道を父の手によって直接断たれたことが、彼を非行に走らせた要因なのではないかと思った。

 だが、それを分かったとして彼をどうやって更生させればいいのだろうか。


 今思えば、彼は少しワタシのことを信用してくれているのかもしれない。

 こうして今まで誰にも言わなかったことを話してくれたのだから。



――そんなワタシ達の全てを21世紀まるごと、突如として世界に押し寄せた水は掻っ攫っていったのだ。

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