11
『――エマージェンシー、警告メッセージです。対象の呼気よりアストモラスの構成要素となる苔トロンβが検出されました。直ちに戦闘準備を整えてください』
突如としてけたたましく響くアラート。
それは紛れもなく、ミオンとセーラの首に吊るされた海中時計に搭載された"システム"の警告音だった。その言葉を耳にした二人は慌てて男から距離を取ると、腰元に吊るしてあったヘルメッサーを構える。
「ゔゔッ、あ゙あ゙あ゙あぁっ……!」
男の顔に現れた亀裂の線に沿って、苔が滲み出るようにして広がっていく。
やがて身体が痙攣し始め、眼球は血走り、口からは泡を吐いた。男は悶え苦しみながら、必死の形相で何かを探すように手を伸ばしていた。
そしてついに、男の口から悲鳴ともつかぬ叫び声が上がり、意識が事切れたようだった。
男はゆらりと大きな振り子のように上半身を揺らし起こす。
鮮やかな翡翠色に輝く瞳。そこには既に人間の理性など垣間見えなかった。
身体をバネの如く屈め、次の瞬間には空高く跳躍する。
「「ヘルメッサー シフト!!」」
二人に影を過らせ、男が着地したのは、ミオンのすぐ背後であった。
ミオンは即座に踵を返して滅苔刀を振り下ろし、男を牽制する。刃は男の腕を斬り裂いたが、血は一滴たりとも流れない。斬られた腕が瞬く間に再生していく。
「セーラ、そっちに行ったよ!」
「任せて!!」
ミオンと入れ替わるようにして男の標的となった彼女が滅苔刀を振るう。
だが、男はそのことごとくをすり抜けていく。攻撃がなかなか当たらない、そんな最中、男の背後に向けて剣筋が閃いた。
「――ヴッ!?」
斬撃を食らった男は苦悶の表情を浮かべ、二人から距離を置く。
「ありがとう、ミオン!」
「どこかに核がないか……」
核の位置さえ把握できれば、戦闘を有利に進められるはず。 アストラモスには、より上位に位置する存在ほど高知能かつ強靭な肉体を持つ傾向がある。
例えば、人間。人間に巣食うアストラモスは、中位種以上であることが決まっている。アストラモスにはアストラモスなりの、ヒエラルキーがあるらしい。
立ち尽くす男とミオンのにらみ合いが続く。
「ゔぎゅあ゙あ゙ぅ!!」
一瞬の静謐を裂くように、男が雄叫びを上げた。
間髪を容れず、二人の足下の辺りから爆発が巻き起こる――。
そして爆発と共に周囲に苔の塵が飛び散った。
「こ、苔能力!?」
「でも、これぐらいの能力なら大したことはないはずっ……」
なにしろアンドロイドは頑丈だ。
これっぽっちの爆発などたかが知れてる。ミオンは眼前をパラパラと落ちる苔塵を片腕で払い除けようとするが、刹那、彼女の手に触れた一粒が赤く色づいた。
それを合図にさらにその回りを漂っていた塵が同様の変化を示す。
「あっ、赤く染まった!?」
その光景を見た二人は動揺を隠せない。
赤い苔塵は、空間に張り付いた如くピタリと動かない。
少しの間を置いた後、その一つ一つはミオンとセーラの身体を目掛けて磁石のように一斉に動き出した。
「!?」
苔塵は二人の身体に張り付いた途端、色と水分を失い、硬化する。
二人の行動範囲を狭めるための作戦か、とミオンが男の方に視線を向けると、既にもうその姿はなかった。完全に油断していた。
「一体どこに――」
振り向いたミオンの瞳に映るは。迫り来る男の脚。
右頬に蹴りを入れられ、彼女は丘の上から転げ落ちていく。勢い余って樹に背中を叩きつけられた末、ようやく動きを止めた。
「ミオンっ!!」
仲間を心配するセーラにも男は躊躇しない。
迫り来る魔の手から逃がれようとする彼女だが、足元を見るに硬化した苔で身動きが取れないよう固められてしまっていた。
「うっ、うーんっ……」
セーラは必死にジタバタ身じろぎをする。
が、硬化した苔はびくともしない。抜け出そうとするあまり、上半身をもジタバタさせていたセーラの耳元にふと、ジュッと何か燃えたような音が入る。
「じゅ?」
音が聞こえてきた方を見ると、なんと苔塵が滅苔刀に触れたことで墨と化した、ちょうどその時だったのだ。セーラはもしかして、と足元に目をやる。
試しに硬化した苔に太刀を通してみると、ジュウゥと音を残して、たちまち苔は黒い粉の塊と化した。セーラはこれに目を輝かす。
「よーおっし!」
セーラは滅苔刀をライトモードに切り替え、一回転するように辺りを照らす。
すると彼女達に向かってきていた苔塵が瞬く間に黒ずみと化した。
仕上げに彼女は男にライトの光軸調整で極限まで絞った光を浴びせ、目眩ましを食らわせた。その隙をついて、丘の下に転がっていったミオンの場所へ急ぐ。
「ミオンっ、ミオンっ!!」
「セーラ? あれ、苔は」
樹の根本で目を覚ましたミオン。
そんな彼女の身体に付着していた苔は、跡形もなく消えていた。
そこでセーラは試しに近くを漂っていた苔塵を消してみせ、満足げな表情を浮かべて笑った。ミオン自身も何かを理解したように笑み、頷く。
「行こう!」
「うん!」
セーラが差し出した手を、ミオンが取った。
男は丘の下の、樹の根元にいる二人を目指して向かってくる真っ最中である。ミオンはヘルメッサーを果敢に取り、立ち向かっていった。
彼女の周囲に漂う苔塵の始末は、すぐ脇を走るセーラの役割だ。
「あ゙あ゙あ゙!!」
男は苔塵を発生する爆発をより広範囲で行い、二人を窮地に陥れようとする。
「セーラっ!!」
「任せて!」
セーラはその場でグルングルンと回りだし、苔塵を殲滅した。
自身の能力が全く通用しない、と悟った男は足をとめる。
まさに、それが運の尽きだった。セーラは再び、ライトの光軸調整で高威力に絞り、男の顔に向けてライトを放った。
「はああ――!!」
光で怯んだ男に迫る滅苔刀の煌めき。
男の肩から腰にかけて服がはだけ、深い傷が刻まれる。傷を負った箇所から、翡翠色の輝きが見えた。アストラモスの核だ。
今度はそこを目掛け、ミオンは滅苔刀を突き刺した。
直後、ぱりんと核が砕け散る。
「ギィグあ゙ゔゔッあ゙あ゙……!」
男はぐったりへたり込んだ。
顔面に現れていた亀裂はそれと同時に消え失せ、今に至るまで暴徒として一戦を交えていた者とは思えないほどの穏やかな死に顔が二人に向けられる。
ミオンは滅苔刀を納め、その前に静かに佇む。
「ゔゔっ、ゔぇ~。頭がくらくらする……」
バサッとミオンのすぐ横の芝生にセーラが力なく倒れ込んだ。
「あ」と視線を落とし、ミオンは背をさすって介抱をする。
…………。
「ありがとう! 楽になってきた!」
張り切った表情でセーラは立ち上がった。
「あ、あんまり無理はしないようにね?」
そこからは、なにも言葉が飛び交わない、静かな時間が二人の間に流れる。
先に沈黙を破ったのはミオンだった。
「この人も被害者なんだ。私達が最初に遭ったときはまだ、人間としての意識が残っていた。でも、こんな形で一生を終えることになるなんて……」
セーラもミオンに続いて、晴らしどころのない表情を浮かべる。
アストラモスは生きた身体に寄生し、その肉体本来の精神を完全に殺すことで宿主に成り代わることもできてしまうのだ。
バチバチッ、バチバチバチッ。
「ミオン?」
沈黙の中、ふと意識が芽生えたようにセーラはミオンの方を見る。
ミオンの身体からは、何やら紫色の電光が発せられていた。
セーラの瞳にぽっかりと紫電が映る。
「ねえ、ミオ……」
ミオンはキョトンとセーラの方を向く。
「どうしたの?」
掛かったのは、いつも通りの優しい声色だ。
柔らかな表情、何事もなかったように。
「ううん、なんでもない」
セーラは首を横に振った。
「どうか安らかに」
二人はしゃがみ、死に絶えた男へ合掌をする。
男の魂が安らかに眠れるよう、深々と願った。
だが、この安らぎのしじまの世界は――、何者かの仕業によって幕を閉じた。鈍い金属音を最後に、二人の意識は深淵へと導かれる。
「――やあ、
かさついた中年の声。
ミオンが瞼を開くと、ボリュームのある白アフロ男がしゃがみ込んで、物珍しそうに彼女のことを覗いていた。
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